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幸せはお金や肩書きからは生まれない…86歳の音楽評論家が考える人生で後悔しないための「5つの原則」

プレジデントオンライン / 2022年7月4日 15時15分

戦時中の家族写真(出典=『時代のカナリア』)

何歳になっても幸せに暮らすためには何が必要か。ことし86歳を迎えた音楽評論家の湯川れい子さんは「仕事もなくパートナーもいない、そんな一人の時間をいかに生きるかが重要な時代になった。何度も死を近くに感じながら生きてきた86年間で、私を幸福へと導いてくれた法則が5つある」という――。

※本稿は、湯川れい子『時代のカナリア』(集英社)の一部を再編集したものです。

■終戦を迎えた9歳のころ、自害の方法を教わった

2022年1月22日、私は86歳の誕生日を迎えました。日本の元号だと令和4年ですが、私は仕事上ずっと西暦にしてきましたので、はじめにそのことをお断りしておきましょう。

日本の元号で時系列を表現すると、どうしても世界史的な出来事との関連が捉えにくくなるように思うからです。

日本の出来事も、日本人の暮らしも、近代以降は世界の動きと密接な関係を持ってきました。ただ、「昭和」の場合は、その元号で続いた時間が相当な長さになりますし、個人史としても大きな出来事が昭和と結びついていますので、そのトピックスによっては、「昭和何年の」と言わざるを得ないときも出てくるのです。

たとえば、私の誕生日は1936年の1月22日ですが、やはり「昭和11年1月22日」と言ったほうが、時代の空気を反映していると言えるかもしれません。

第二次世界大戦、アジア太平洋戦争というあの悲惨な戦いが敗戦となった昭和20年(1945年)8月、私はまだ9歳でした。

「玉音放送」があった8月15日から一夜明けてのことだったと思います。疎開先の山形県米沢市の祖母の家で、軍人の妻であった母は私を畳の上に正座させると、私の膝を動かないように自分の腰紐でしっかりと結びつけ、その前に父の形見の短刀を置いて、アメリカ兵がやってきて辱めを受けるようなことがあったらこれで死になさいと、自害の仕方を教えてくれました。

■「死んでいたかもしれない」私が86歳を迎えるなんて…

「辱めを受ける」と言われても、それが何かもわからない子どもでしたけれど、そのときの母の青ざめた顔と緊迫感は、今も忘れられません。

幸い、アメリカ兵は口笛を吹きながらニコニコやってきましたから、短刀は使わずにすんだものの、焼け野原の東京に戻ったあとの戦後の厳しい暮らしの中で、腺病質の私はよく病気をしては母に心配をかけました。

高校を無事に卒業して社会人になってからも、21歳のときの輸血がもとでかかったC型肝炎に70歳まで苦しめられたり、幾つかのシビアな闘病も経験しました。

ですから、「湯川さん、86歳のお誕生日の感想は?」などと聞かれても「こんなに長く生きるなんて夢にも思いませんでした」とつぶやくばかりです。

あのとき私は死んでいたかもしれないし、いや、あのときこそ死んでいたかも……と思えるようなこともありましたから、86歳という誕生日を迎えることになるとは、本当に想像もしていなかったのです。

■長生きなのに、仕事を失いやすい「女性」の立場

さて、自分が86歳になった今、見渡してみると、「人生100年時代」と言われる超長寿社会の真っただ中にいることがわかります。

なにしろ、健康寿命の話は別にして、日本の女性の平均寿命は2021年7月30日時点で過去最高、世界最高の87.74歳(ちなみに男性は81.64歳。厚生労働省「令和2年簡易生命表」より)。90代でバリバリの現役という女性も多くなりました。

一方で、たとえばコロナ禍のような、何か社会が不安定なとき、あるいは不安材料があるときは、まず女性が仕事を奪われていく。これが現在の状況です。

男性と比べて女性の仕事環境は、非正規とかパートタイムという形が圧倒的に多いために、何かあれば、真っ先に「雇い止め」になってしまうからです。

先の戦争でも退却を「転戦」、全滅を「玉砕」、敗戦を「終戦」、占領軍を「進駐軍」と言い換えてきた日本人の美的(?)な言語感覚が、この「クビ」を「雇い止め」と言ったりすることにも表れているのではないでしょうか。

■長寿社会をどう生きるかは、「一人」が長い女性の問題

ともあれ、不況になれば、まず女性が失職します。実際に60歳を過ぎても何らかの形で働いている女性はたくさんいますが、非正規雇用が多いために、男性よりも先に「クビ」になるのは女性ということになるのでしょう。

そして70歳まで頑張ったとしても、そこで仕事を失ったとしたら、その先は平均寿命的に見ても、女性には男性よりも長い時間が待っています。それも、「一人で」という可能性が非常に高い。もともとシングルで生きてきたという人もいるでしょうが、夫と離別、死別して一人になったという女性も多いからです。

いずれにせよ、その「仕事のない一人の老後」という長い時間の中では、生きがいよりももっと切実な「生きていけるかどうか」という課題を突きつけられかねません。

ですから私は、現在ただ今の「人生100年時代」をどう生きるのか、という問題は、まさしく「女性の問題」だと思っています。

■生涯大事なのは「キョウイク」と「キョウヨウ」

現在「日本ユニセフ協会」の会長をされている赤松良子さんは、私より7歳年上。元官僚で労働省(現・厚生労働省)初代婦人局長や国連日本政府代表部公使を歴任し、細川・羽田両内閣では文部科学大臣を務められ、労働省にいらっしゃったときには日本の女性の働く環境を大きく変えた、あの「男女雇用機会均等法」(1986年施行)の立案、成立に尽力されたことでも広く知られています。

赤松さんインタビュー
写真=時事通信フォト
2019年7月11日、都内でインタビューに答える赤松良子さん - 写真=時事通信フォト

また、女性の政治参画拡大を目指す市民団体「WINWIN」や「クオータ制を推進する会(Qの会)」、選択的夫婦別姓制度の実現を目指す民法改正運動「mネット」の呼びかけ人などもなさっている、私がとても尊敬している先輩です。

その赤松先生とお話をしていたときに先生が、

「湯川さん、人生は生涯、教育と教養が大切なのよ」

とおっしゃったのです。それで私が「はい、わかりました! 一生懸命勉強します」と応えると、赤松先生は笑いながら、こう続けられたのです。

「違うのよ。キョウイクは『今日、行くところ』、キョウヨウは『今日の用事』という意味よ」と。

「教育」ではなくて、「今日、行くところ」。「教養」ではなくて、「今日の用事」。つまり、「今日、会う人」とか「今日、やらなければいけないこと」といった意味だったんですね。

■定年退職を機に、突然生き方が分からなくなる人がいる

よく男性は名刺がなくなると、途端に老けこんで元気がなくなってしまうと言われますが、私もそういう男性の姿をよく目にしてきました。名刺社会で生きてきたから、それがなくなったら「今日の用事」もなくなってしまうということでしょうけれど、それではちょっと困りますよね。

一方女性は、「今日のお総菜」も含めて、掃除、洗濯、お買い物など、「今日、行くところ」や「今日、しなくてはいけないこと」をずっと続けてきたので、老後も改めて困ることは少ないのかもしれません。

他に、世間には「老後の三原則」というのもあるようで、それは「行くところがある」「会う人がいる」「することがある」という三原則。この三原則が、定年退職を機に、ある日から突然三つとも「ない」となったら、ぞっとするのではないでしょうか。

私は、そういった「生き方の原則」のようなものを、「老後」といった形で限定せず、生涯にわたって通用するイメージでつくれないものか、とずっと考えてきました。そうして、60歳のときにできあがったのが、私自身の幸福な生涯を導くための「あいうえお」の法則でした。

■幸福を導く「あいうえお」の法則

「あ」=会いたい人に会いたい
「い」=行きたいところに行きたい
「う」=うれしいことがしたい
「え」=選ばせてもらいたい
「お」=おいしいものが食べたい

以上の5つが、私の幸福な人生を送るための「幸せの法則」なのですが、一見すると、とてもワガママに見えてしまいかねません。

そこでこの5つを、順番に説明していきましょう。

★「あ」=会いたい人に会いたい

これは、「あ、そうだ。私を一番元気にしてくれたのは、“会いたい人がいる”ということだったな」ということに気がついて、このフレーズになりました。

たとえば私にはエルヴィス・プレスリーやビートルズなど、「あの人に会いたい!」「どうしても生涯に一度はあの人と会って話がしたい」という熱望というか、強烈な“ミーハー感覚”があります。

ただ、「会いたい人に会いたい」といっても、当然のことながら、そう簡単にはいきません。でも、そんな強い思いに支えられて不可能と思えることに挑戦することで、様々な道が見えてくるし、逆に「あの人に会っておけば仕事の上でトクをするから」と、好きでもない人に無理に会ったりしていると、面白いほどロクな結果にはならないのです。

ちなみに私はエルヴィスに会えるまで15年かかりましたけれど、その年間が大きな財産になったことも確かです。だってその間、自分は前向きに推進しているのですから。

エルヴィスとの2ショット
エルヴィスとの2ショット(出典=『時代のカナリア』)

■「行きたい」が叶ったのは50代になってからだった

★「い」=行きたいところに行きたい

もちろん、「行きたいところに行く」といっても、現実には仕事があったり、子育てがあったり、親の介護があったり、様々な問題があります。それに健康で元気でなければ行けませんし、ある程度のお金もなくては、行きたくても願いはかないません。

そこで私は、「行きたいところに行く」ことを一つの夢貯金として、行けないときはじっと我慢の子で、メモに書いて、仕事部屋のボードに貼ってきました。その中には数年間もずっと「オーロラを見に行きたい」というメモがありました。

私が最初にオーロラを見たのはニューヨークへ向かう途中の飛行機からで、アラスカ上空でのこと。これを地上で下から見上げたい! と強烈に思ったのが私の「オーロラの旅」の始まりで、やっとその念願がかなったのは、息子がスイスの高校に留学して、私にも自由な時間ができた90年代。私が50代になってからのことでした。

それからは北極圏のアラスカやフィンランドなど、もう世界7カ所ほどは行っていますが、最近は同じような思いの人もいて、「今のコロナが終息したら、絶対に『湯川れい子と一緒にオーロラを見る旅』という旅行を計画してください」と言われています。

もちろん厳寒の地ですから重装備の防寒服が必要ですが、あるときなど大雪原に大の字になって、まるで音のしないシンフォニーのようなオーロラを見上げていたら、あまりの美しさに感激して涙が出たのですが、その涙は瞬く間にカチンコチンに凍ってしまったという体験もしました。

■社会が受け入れてくれないと、本当の意味では喜べない

★「う」=うれしいことがしたい

うれしいこと、心も身体もうれしい、自分が喜ぶことがしたい。

ただ、いろいろ試してみてわかったのは、これは、一人ではできません。というか、いくらうれしいことでも一人ではつまらない。やっぱり周りの人が喜んでくれないと、本当にうれしいことにはならないということを発見したのです。

「うれしいことをしたい」などと言うと、すごくエゴイスティックに聞こえるかもしれませんけれど、でも、実はそうではなくて、これは自分も周りの人もうれしくて、楽しくないと、うれしいことにはならないのです。

そんな心も身体も喜ぶようなうれしいことをするためには、まず自分の身体や時間の使い方についてもいろいろ考えなければなりませんし、社会がそれを受け容れてくれないと、本当にうれしいことにはつながらないのです。

ですからまず自分にとって「うれしいこと」とは何か、を真剣に考えることも大切です。

■「うれしいこと」を通してはじめて意識する大切なこと

小さな例ですが、最近のうつうつとしたコロナ禍で、私は毎日ツイッターで「今日のこの一皿」というテーマで、100円から300円くらいのコンビニ・スイーツを一つ、アップしています。冬はケーキやシュークリームなど、夏は氷菓子が中心です。

このスイーツを「買うお金」がある。食べられる「健康な自分」がいる。食べられるだけの「ゆっくりできる環境」がある。そういうことが実はとても大事なのだと実感したからです。

この作業を毎日するようになってから、もし今日寝るところもなかったらコンビニ・スイーツどころの話ではないし、一刻一刻変化する環境の中で、それでも私たちは今日を生かされているんだということを明確に意識するようにもなりました。

そうすると、何時に起きて、何をして、どういうふうに寝るかといった今日の時間の使い方から始まって、実に様々なことを「自分が」人生の中で選択しているのだ、ということがよくわかります。政治もそうです。

結局、人生というのは小さなことから大きなことまで、すべて自分で選択していくということ。選択肢の中から何を選ぶかの連続なんだ、と得心できるわけです。

■人生は選択の連続だけれど、大事なのは自分の意志

★「え」=選ばせてもらいたい

これは、自分がやりたいことというのは実は全部自分の意志で設計していくのだと気がついた結果です。

先にも述べましたが、人生は「選択」の連続なのです。

これか、あれか。あっちか、こっちか。どちらを選ぶかによって、人生は大きく変わっていきます。もちろん、不幸な星の下に生まれて、環境を選ぶこともできない運命というのもありますけれど、それでも「親が決めたから」とか、「夫が決めたから」とか、結果で判断しても何の意味もありません。

誰かに強制されたのでもない、誰かに忖度(そんたく)したからでもない。自分の意志で、何を、どう選んできたか、すべての結果としての人生は自分がつくり上げているのです。

どんな小さなことでも、やるかやらないかを決めるのは自分。自分の人生の中の選択は、自分で決める自由が大切だからこそ、政治に関心を持つこともとても大切なのです。

男であろうが女であろうが、一人前の大人なら当たり前のこと。もちろん、責任を負うことになるのは言うまでもありませんが、それが結果なのだと思います。

そして、「この選択は自分の意志である」という確信があれば、おそらく「後悔」の二文字とは無縁で生きられるのではないか。もし「後悔」があったとしても、その意味や質は、誰かに言われてやったのとは全然違ってくることでしょう。

また私の身近でも、何もかも人のせいにする人がいますが、そういう人を見ていると、たいていの場合、幸せそうに見えません。何かをやるにしても、やめるにしても、その選択は自分の意志だということ。「幸福の原則」として、そこが一番肝心なところだと思っています。

出典=『時代のカナリア』

■高価で贅沢なものを食べることが「幸せ」ではない

幸せを導く「あいうえお」の法則、最後の「お」の項目。

★「お」=おいしいものが食べたい

こんな単純な言葉が「あいうえお」の法則の最後に入ったのは、それなりの理由があります。

「おいしいものが食べたい」は、元気の大もとです。元気でなかったらおいしいと感じられないし、第一、食べたいという気も起きないでしょう。

ただ、「おいしいもの」というのは、贅沢なものとか、高価なものというわけではないし、かといって味付けだけでもない。自分がそのときに食べておいしいと感じるものが一番おいしいものです。

またこれも、「うれしいことがしたい」と同じように、どんなにおいしいものでも、一人で食べてはおいしくありません。親しい仲間や家族と一緒にワイワイと楽しく食べてこそおいしいのですから、日頃からそんな環境をつくっておけるかが、大切なポイントだと思います。

それとは別に、「人生の最後にこれ一食しか食べられないとしたら、何を選びますか?」という質問がよくありますが、ほとんどの方はそう聞かれて初めて、自分にとって本当においしいものとは何かを考えるのではないでしょうか。

■「炊きたてのご飯」がダイヤモンドよりも輝いて見えた

私の場合は、その質問への答えは決まっています。「炊きたてのご飯で握ったごま塩のおにぎりが食べたい」です。

戦争中、まったく食べるものがなくて、小学2年生のとき、毎日毎日お芋のつるを入れたうどん粉の雑炊、「すいとん」を食べさせられて、「お米のご飯が食べたい! 食べたい!」と大泣きをした、そういう記憶が鮮明に残っているからです。

東京から山形県米沢市の父方の祖母の家に疎開していたときの話です。

湯川れい子『時代のカナリア』(集英社)
湯川れい子『時代のカナリア』(集英社)

そうやって泣いていると、近所の若いおかみさんが「かわいそうに」と言って、塩おにぎりを握って持ってきてくれたのですが、まあ、そのおいしかったこと‼ 世の中にこんなにおいしいものがあるのかと思って、涙をこぼしながら食べたものです。

当時はお米がおいしい山形でさえも、働き手は全員戦争に取られて、わずかにできたお米はすべて国に供出させられていたので、私たちには麦やときたまのお米の配給しかなく、おかゆさえ食べられなかったのです。

ですから、「炊きたてご飯の塩むすび」。それが私にとっては生涯最高のごちそうになったのでした。

お米がきらきら粒立っているような炊きたてのご飯は、ダイヤより貴重な宝石のようで、戦争の記憶とともに、日本人としての私の食の原点になったと思っています。

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湯川 れい子(ゆかわ・れいこ)
音楽評論家
1936年東京生まれ。山形県米沢で育つ。1960年ジャズ専門誌『スイングジャーナル』への投稿が認められ、ジャズ評論家としてデビュー。1960年代以降「全米TOP40」(旧ラジオ関東・現ラジオ日本)などラジオのDJをはじめ、独自の視点によるポップスの評論・解説を手がける。国内外の音楽シーンをメディアに紹介し続け、現在に至る。作詞家としても『センチメンタル・ジャーニー』『ロング・バージョン』『六本木心中』など作品多数。ディズニー映画『美女と野獣』『アラジン』などの日本語詞も手がける。『エルヴィスがすべて』(ブロンズ社)、『女ですもの泣きはしない』(KADOKAWA)、『時代のカナリア』(集英社)など著書多数。

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(音楽評論家 湯川 れい子)

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