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マーケター発想の「ありがちな新商品」の限界を壊せ…博報堂がたどり着いた「部族レポート」という新手法

プレジデントオンライン / 2022年6月30日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/MIRROR IMAGE STUDIO

■イノベーションに市場調査は必要ないか

閉塞感の強い日本の産業に新たな成長を生み出すエンジンとして、イノベーションへの期待はますます高まっている。経済学や経営学の標準的な理解に基づけば、イノベーションが生まれるのは、社会のなかの潜在的な機会を、事業を構成する諸要素の新しい組み合わせ(経済学者ヨーゼフ・シュンペーターのいう「新結合」)によって満たせたときだ。

イノベーションの担い手は起業家である。起業家には個人起業家だけではなく、大企業などにおける社内起業家もいる。イノベーションにあたって起業家がとらえる機会を、「起業家的機会」という。

では、どうすれば起業家的機会をとらえることができるのか。社会のなかに潜在する機会を広く探索し、検証する役割を期待されてきたのは、体系的な市場調査によるマーケティング・リサーチだ。

ところが一方で、起業家たちはマーケティング・リサーチを必要としないという指摘もある(水越康介『「本質直観」のすすめ。』東洋経済新報社、2014年、pp.15~16)。歴史上の起業のエキスパートたちはどのように語っているか。たとえばソニーの創業者の盛田昭夫氏は、「マーケットサーべイには頼らない。『あなたに何がいりますか』と聞いてつくったんでは遅いんですよ」という言葉を残している。アップルの創業者のスティーブ・ジョブズ氏は、「ベルが電話を発明したとき、市場調査をしたと思うかい?」と述べている。

イノベーションにマーケティング・リサーチは無用なのか。この問いに向き合う際に注意したいのは、マーケティング・リサーチという言葉を聞いて私たちがまず思い浮かべるのが、アンケートや販売データなどを用いた“量的調査”だということである。先の盛田氏やジョブズ氏のマーケティング・リサーチをめぐる言葉も、こうした伝統的な量的調査を念頭に置いたものと思われる。

■「5年先を生きる人々」に注目するアプローチ

しかし、量的調査だけがマーケティング・リサーチの手段ではない。起業家の要求に応えようとする、新しい調査手法の模索がすでに行われている。その一つが、博報堂DYグループの社内ベンチャーとして2015年に設立されたSEEDATA(シーデータ)が提供する「トライブ・リサーチ」だ。

トライブ・リサーチにおけるトライブ(部族)とは、5年ぐらい先の社会で一般的になりそうな価値観や行動スタイルを、すでにいち早く体現している、国内外の先駆的消費者の小集団を指す。マーケティングでよく使われる“セグメント”という概念は、細分化された市場とはいえそこで事業を成立させられそうな規模の集団を想定しているが、トライブはそれよりはるかに小規模だ。

これまでリサーチの対象になったのは、たとえば以下のような「トライブ」だ。

・家事代行サービスを利用している人々のうち、単に掃除や買物といった作業だけでなく、いつ掃除するか、いつ消耗品を補充するかといった「家事を考えて組み立てること=ハウスマネジメント」をこそ外注したいと考える人々。
・コロナ禍によってリモートワーク環境が整備されたことを契機に、都心から鎌倉や逗子などの郊外へ、あるいは逆に地方から都心に移住し、自宅周辺で生活・仕事・遊びを一体化させたライフスタイルを送る人々。
・モノを所有せず、環境に優しいライフスタイルを実践するためにレンタル生活を送る中国の若者たち

■すでに商品化/サービスインした事例も

トライブ・リサーチでは、国内または国外でこうしたトライブを発見し、数名を対象にその行動や意識について聞き取り調査などを行う。さらに、こうした質的調査の結果と、そこから示唆される事業機会を「トライブ・レポート」としてまとめる。有料契約をしたクライアントには年間100本ほどの新たなレポートが提供されるほか、過去の多数のトライブ・レポートを閲覧することもできる

トライブ・リサーチの利用は大手企業の間にも広がり、ヒット商品の開発や新規事業の開始などにつながっている。個々の商品名は取材先の意向で明示できないが、モノや合理性より豊かな文化を自分のライフスタイルに取り入れようとする「カルチャー・シーカー」向けのスイーツ、瞑想(メディテーション)を通じてストレス解消や集中力向上などを図る「マインドフルネス」の場を提供するサービス、OEM事業のSDGs(持続可能な開発目標)対応を強化するプロジェクトなどがその具体例だ。

■市場実験のサポートも提供

トライブ・レポートが提供するのは、一種の文化人類学的な生活者調査の報告である。こうした質的な生活者調査を行うマーケティング・リサーチ会社は従前より存在するが、通常この種の調査はオーダーメードで行われるため、事業会社が調査を発注してからレポートを入手するまでには時間がかかるし、少なからぬ費用も発生する。

プリントアウトされたグラフについてビジネスチームが話し合い
写真=iStock.com/courtneyk
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/courtneyk

これに対してトライブ・レポートは、事業会社からの依頼を待たずにリサーチ会社が先行して独自にトライブの発見からレポートの作成までを行い、そのアーカイブをクライアント企業に提供する。この変革によって、事業会社の側は、短時間かつ低費用で、新たな市場の萌芽についての情報のシャワーを浴びることができる(もちろん、オーダーメードでトライブ・リサーチを依頼することも可能だ)。

さらに、レポートから得た気づきを基に、短時間・少予算で試験的な商品やサービスをつくり、小規模な市場実験を行う「プロトタイプ実験」のサポートも行っている。販売前に行われるアンケート調査などでは、リリースしようとする製品やサービスが新しいものであるほど、消費者の回答は既存の常識に引き寄せられがちだ(高嶋克義・桑原秀史『現代マーケティング論』有斐閣、2008年p.147)。しかし、試作とはいえ実際の製品やサービスを体験する機会を与えられれば、消費者は常識の壁を越えた価値に気づきやすくなる。これらのプログラムは、事業会社が自らの新しい市場像を明確にしていくための助けとなるだろう。

■起業家的機会をつかむための2つの方法論

ここでいま一度、経済学や経営学が示す起業家的機会のあり方に立ち戻ってみよう。起業家的機会をどのようにしてとらえるかについては、大別すると2つの方法がある(S. サラスバスシ『エフェクチュエーション』碩学舎、2015年、p.13、pp.231~232)。

第1は、「発見するものとしての起業家的機会」である。これは、自社内外で進む各種の技術開発や社会インフラ整備などの動向をにらみつつ、広く社会のニーズを調査することで、潜在的な事業機会を発見しようとするアプローチである。大企業などでは、こうした機会の発見に役立つ各種の情報を収集し分析する専門部署をもつことも少なくない。

第2は、「つくり出すものとしての起業家的機会」である。実際のイノベーションにおいては、潜在的な事業機会を事前に発見することが困難な場合が少なくない。しかしそうした状況でも、何らかの行動を開始することによって事業機会を顕在化させられることがある。個人や組織が新たなマーケティング活動を実際に行ってみることで、市場に反応を生み出し、そこから得られる知見を生かして製品やサービスなどをつくり込んでいけばよいのである。

■「まず提供してみる」ことで顧客の新しい行動を生む

この第2のアプローチによるマーケティングの成功例の一つが、ネスレ日本がオフィス向けに展開してヒットした「ネスカフェ・アンバサダー」だ。好みの飲み方で一杯ずつコーヒーを淹れられるタイプのコーヒーマシンをオフィスに無料で貸し出し、コーヒーの入ったカートリッジの販売で稼ぐビジネスモデルで、アンバサダーと呼ばれる職場の「世話役」を買って出た人が、カートリッジの発注と集金を行うシステムになっている。

興味深いのは、ネスレ日本が綿密な市場調査や計画に基づいてこのビジネスに参入したわけではなかった点だ。当初は家庭向け事業と同様に、コーヒーマシンをオフィスに販売しようとしたが、自販機等との競合もあってなかなか売り上げが拡大しなかった。

そんな中、東日本大震災の被災地にボランティアとして訪れた社員が、仮設住宅の集会所にマシンを寄贈して好評を博したことをきっかけに、コーヒーマシンをオフィスに無料で配布するというアイデアが誕生。その発見をシーズにしてテストマーケティングを重ね、現在のビジネスモデルが生まれたのである(栗木契「ネスレ無料コーヒーマシン大ヒットの仕掛けは3.11被災地」PRESIDENT Online, 2017/03/23)

このように市場においては、マーケティング活動を実際に進めることで、人々のあいだに新しい行動が生まれ、事前には存在していなかった機会が新たに顕在化することがある。こうした市場のメカニズムを活用して機会をとらえる起業家は少なくない。

■「つくり出すものとしての起業家的機会」に挑む

マーケティング・リサーチは、アンケートや販売データなどから広く社会や市場のニーズなどをとらえ、適切な事業機会を見きわめる手法として発展してきた。こうした手法は、第1のアプローチである「発見するものとしての起業家的機会」の捕捉に適している。問題はこの手法が、第2のアプローチである「つくり出すものとしての起業家的機会」の獲得にどこまで有効かということである。

アンケートや販売データなどから、消費者のライフスタイルや購買の傾向をとらえることで見えてくるのは、現在の社会のなかに存在する集団の平均的な特性や傾向である。一方であらかじめ存在しているわけではない「つくり出すものとしての起業家的機会」に出合うことが目的なのであれば、既存の市場を網羅的に調査することは必須ではない。

■素早く気づき、素早く動くためのリサーチ

とはいえ第2のアプローチにおいても、実験的に製品やサービスをリリースするなどのテストマーケティングに踏み切るには、きっかけとなる何らかの気づきが必要である。ネスカフェ・アンバサダーの例でいえば、集会所への寄贈によって「コーヒーマシンを無料で配布する」ビジネスモデルの可能性に気づかなければ、「つくり出すものとしての起業家的機会」を可視化するテストマーケティングは動き出さなかった。

博報堂のトライブ・レポートは、第2のアプローチに必要なこうした「気づき」の提供を目指すものだといえる。代表性や一般性にこだわらず、今は少数派であっても新しい展開が望める消費のあり方を収集。それを年間100本+アーカイブという形で提示することで、事業会社が短時間に「気づき」を得、迅速に行動を開始する動きを後押しすることを企図している。

トライブ・リサーチの組み立て

トライブ・レポートから導出される仮説は、直感的な未来への感覚であって、確実な市場性が検証されているわけではない。しかし、その仮説に基づき、試作した製品やサービスによる小規模な市場実験を繰り返し、市場の反応を得ながら事業の方向性を探っていけば、リスクはある程度コントロールできる。

各種デジタル技術の活用が可能な現在では、市場実験の結果を迅速にデータ化し、分析することも容易だ。「プロトタイプ実験」のための各種サポートを含め、トライブ・リサーチには「つくり出すものとしての起業家的機会」を得るために必要な、マーケティング・リサーチの特性が織り込まれている。

起業家的機会は、「発見する」だけでなく「つくり出す」こともできる。もしイノベーションに挑むなら、何をどのようにとらえるためにマーケティング・リサーチを実施するのかについても、見直してみる必要がありそうだ。

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栗木 契(くりき・けい)
神戸大学大学院経営学研究科教授
1966年、米・フィラデルフィア生まれ。97年神戸大学大学院経営学研究科博士課程修了。博士(商学)。2012年より神戸大学大学院経営学研究科教授。専門はマーケティング戦略。著書に『明日は、ビジョンで拓かれる』『マーケティング・リフレーミング』(ともに共編著)、『マーケティング・コンセプトを問い直す』などがある。

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(神戸大学大学院経営学研究科教授 栗木 契)

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