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「プライドポテト」で湖池屋を再生させた社長が師と仰ぐ天才マーケターの教え

プレジデントオンライン / 2022年7月1日 9時15分

キリン時代を振り返る湖池屋・佐藤章社長 - 撮影=大沢尚芳

大人向けのポテトチップス「プライドポテト」をはじめヒット商品の連発で大躍進中の老舗スナック菓子メーカー・湖池屋。同社の佐藤章社長がキリンビールでマーケターをしていたころ、「師」と仰いでいたのが「一番搾り」や「氷結」を生んだ前田仁氏(1950~2020年)だった。才能は、次の才能を育む。天才マーケターと呼ばれた前田氏から、佐藤社長が受け継いだヒットの極意とは――。

■キリンの天才に“一本釣り”された

——佐藤さんは、キリン時代の1999年に缶コーヒー「ファイア」、2000年に「生茶」、02年に機能性飲料「アミノサプリ」と、ヒットを連発させました。07年から始めた「世界のKitchenから」シリーズにしてもキリンビバレッジ部長になっていた佐藤さんが、GOサインを出して夏の定番である「ソルティライチ」などを生みます。そもそも、佐藤さんと前田仁さんとの接点はどこから始まったのですか?

【佐藤】82年入社の僕に対し、ジンさん(前田氏のこと)は73年入社でした。僕は群馬で営業していて、酒屋さんに僕なりの店頭展示を提案し、販売成績を上げていた。やがて、「面白い奴が群馬におる」とジンさんの知るところとなり、ジンさんと面談して新商品開発を行うマーケティング部に異動が決まります。

つまり、ジンさんが僕を見出したのです。1990年の春でした。

——希望部署を人事部に伝える「キャリア申告制度」を利用したと、聞いていましたが。

【佐藤】表向きはその通りで、手続き上もそうなっています。しかし、真相はジンさんによる“一本釣り”でした。ジンさんは、優秀なマーケターになりそうな人材がいないか、いつも社内で探していたのです。

——前田さんが佐藤さんを発掘しなければ、「ファイア」などのヒット作も、湖池屋の復活もないかと思うと、感慨深いです。

■サラリーマンの幸せは「師」との出会い

【佐藤】ところがです。群馬から本社マーケ部に来てみると(90年3月)、ジンさんはビールの新商品開発から、ワイン部門へと異動していた。すれ違いにです。

——拙著『キリンを作った男』にも書きましたが、大ヒット商品となる「一番搾り」を商品化するやいなや、前田さんは左遷されてしまう。大成果を上げるのが確実だったのに、飛ばされる。“出る杭は打たれる”の体でした。さらに前田さんは93年にはグループ内の洋酒会社に出向となった。社内の権力闘争に巻き込まれた面もあった。

【佐藤】それでも、ジンさんと僕との交流は続きます。

サラリーマンが幸せになる一つの要素は、尊敬できる上司、先輩の存在があるかどうかです。時には「師」となる。

永井隆『キリンを作った男』(プレジデント社)
永井隆『キリンを作った男』(プレジデント社)

ジンさんも桑原通徳元専務により見出されて、その才能を開花させる。桑原さんは営業出身ですが、マーケ部長を務め「成功体験を捨てなさい。既存の価値観を超えて、新しいものを作りなさい。アンラーニングです」と社内で訴えていた。キリンが6割を超えるビールのシェアを持っていた時代にです。

ジンさんも「昔話では食えない。過去の成功を捨て、新しい価値の創造を常に求めなさい」と、同じことを言っていた。

実は僕も、お二人と同じ考え方なのです。一つのヒット商品に頼っていたら、消費者から飽きられていく。それが一番怖い。会社にとっても、市場にとっても。商品がコモディティ化して、安売り競争に入ったなら、もう最悪です。

■ビールを愛せない人に、新しいビールはつくれない

——そうならないために、具体的にどんな商品戦略が求められますか?

【佐藤】ビール系飲料ならば、横軸として①バドワイザーのような軽量で飲みやすい味わい、②コクがある味わい、③華やかな柑橘系の味わい。そして、縦軸は価格としてプレミアム、スタンダード、チープ。この3×3の9つの領域で、定番商品を生んで育てていくことが大切です。

領域ごとにファンをわけて、新商品をつくったり、既存商品をリニューアルしてブランドを磨いていく。

私がかつて在籍したキリンの場合、ジンさんがつくった「一番搾り」だけではダメで、「ラガー」も実は大切なんです。

(健康系発泡酒である)「淡麗グリーンラベル」は糖質とプリン体をなくしたものの、ホップを工夫して柑橘系で爽やかな味に仕上げた。業界で初めての健康系のヒット作でした。

キリンには、ビールの価値、キリンの価値を熟知したマーケターがかつては揃っていた。

スナック菓子も同じですが、マーケティングが販促だけのツールになったなら、明日はありません。価格競争という不毛な世界に陥るだけなのです。新しい価値、イノベーションを、お客様に提供し続けなければならない。

ビールを愛せない人に、ビールの新商品をつくる資格はない。ポテトチップも同じです。

■90年代のキリンのマーケ部は、まるで動物園

——佐藤さんにとって、前田さんはどんな存在でしたか?

【佐藤】僕にとってのジンさんは、柔らかい人でした。どんなときでも、そっと手を差し伸べてくれる人。ジンさんは女性のような感覚をも持っていて、感受性はすごく豊かでした。

本当は定番商品よりも、尖った商品をつくる方がジンさんは好きだったと僕は思います。

(86年発売の)「ハートランド」のようなインディーズをつくるのが本当は得意。カウンターカルチャーが好きな人。いい意味で、「オタク」でした。お客様のベネフィットを追求する。ジンさんと、前衛舞踏家の田中泯さんとの交流は、みんなが知っていた。

90年代のキリンのマーケ部は、まるで動物園。ジンさんが発掘したユニークでビール愛に溢れた人がたくさんいた。さらに、望月寿城(漫画家のしりあがり寿)さんのような異才もいました。ジンさんはいなくとも、その魂は色濃く残っていましたね。

■時代を先取りしすぎた“キリンの天才”

——前田さんは、ジャンルをまたいで複数のメガヒットを飛ばしました。こうした人は、あまりいない。あえて言えば、1000に3つもヒット作が誕生しない清涼飲料でヒットを連発させた佐藤さん、あなたぐらいです。

【佐藤】いやいや僕はともかく、やはりジンさんです。

麦芽100%の「ハートランド」(発売は86年)、一番麦汁だけを使った「一番搾り」(同90年)、発泡酒のトップブランド「淡麗」(同98年)と、ジンさんはプレイヤーで大ヒットさせる。「淡麗グリーンラベル」や「氷結」、第3のビール「のどごし生」は、部長の立場でヒットを飛ばしました。

「ハートランド」は麦芽100%なのに、発酵度といって麦汁中の糖分を酵母が食べる割合が、約90%と高いドライタイプ。アサヒビールが87年に発売した「スーパードライ」は副原料を使っていますが、ドライタイプとしては「ハートランド」の方が商品化は少し早かった。

ただし、「ハートランド」でジンさんは、量よりも質を追求し、「お客様に見つけさせるビール」という打ち出し方をした。口コミで広めるなど、大量生産を否定するような、動きを86年に見せていた。

ジンさんがつくった商品は、先端を行っているか、行きすぎたものばかり。また、トップノート(最初に立ち上がる香り)が緩いのも共通します。このため、麦芽100%の「ハートランド」の場合、本来なら重厚な味わいになるはずなのに、普段ビールを飲まない女性でも飲みやすく設計されています。

こうしたところに、ジンさんの優しい人柄が表れているようです。

■高付加価値な商品をスタンダードな価格で

——ビアホール・ハートランドを六本木に作り、前田さんは初代店長も務めました。

【佐藤】天才マーケター前田仁の原点は、ビアホールとビールとのハートランドプロジェクトにあったのは間違いありません。

ドイツでは中世の「ビール純粋令」がいまでも生きていて、麦芽100%でないとビールと認められない。麦芽100%は高度な醸造技術が求められ、しかも「ハートランド」は発酵度を約9割に高めた。価値の高いものを、スタンダードな価格で86年に発売したのです。

僕がキリンビールのマーケティング部長をしていた09年、「一番搾り」を麦芽100%にリニューアルさせた。純粋令に適合する本物を僕は志向し、おかげさまでお客様の支持を得て、09年にはアサヒを抜いてキリンは9年ぶりにシェアトップに返り咲いた。

リニューアルしてジンさんに叱られるかと、実は心配でしたが、どうやら認めてもらえたのは嬉しかったです。

■「俺にも健さんを使わせてくれ」

——師匠である前田さんと、一緒に仕事はしなかった?

【佐藤】そうなんです。すれ違いばかりでした。しかし、関係は深かった。

例えば、ジンさんが子会社の洋酒メーカーから、キリンのマーケ部長に97年秋に復帰して、短期間で発泡酒「淡麗」をつくってヒットさせます(発売は98年2月)。実は、その淡麗に使う麦汁は僕が考えてつくったものでした。

2001年、高倉健さんが出演したクラシックラガーの広告(写真提供=キリンホールディングス)
2001年、高倉健さんが出演したクラシックラガーの広告(写真提供=キリンホールディングス)

また、01年発売の缶チューハイ「氷結」は、キリンビバレッジが00年7月に発売していた「きりり氷結果実」がネーミングの元なのです。僕はビバレッジのマーケ部長をしていた時でしたね。

ジンさんから、電話やメールをよくいただいたな。「今度出したファイアはええなー」などととりとめもなく電話で話してきて、飲みに行く約束をする。よく二人で飲みに行きました。

生茶のCMに高倉健さんを使ったときには、「よく、健さんが出てくれたなぁ」と言ったかと思うと、「俺も健さんを使わせてくれないか」「アキラ、頼むよ」とニコニコしながら迫ってくる。結局、「クラシックラガー」のCMに高倉健さんは登場しました。

ちなみに、二人で飲んだお店はたいていキリンシティ。ジンさんは、会社のお金を使わず、いつも自腹。超大物俳優のCM起用といった会社の重要案件なのに、でした。清廉な人柄が滲んでいた。

■ヒットを生み出すチームのつくり方

——前田さんはキリンビバレッジ社長になったとき、社用車の利用を拒否したそうです。「満員電車で通勤しないと、世間離れしてお客様が見えなくなるから」と。最終的に秘書部からセキュリティを理由に使うことになりまたが。

【佐藤】ジンさんらしいエピソードです。信念の人であり、例えば開発の方向は変えない。しかし、朝令暮改でなく“朝令朝改”なほど、方針は柔軟に変えた。

「一番搾り」のネーミングにしても、ジンさんは別の名前を気に入っていた。けれど、消費者調査のスコアが低いと躊躇なく変えました。開発チーム内で、自身の考えが否定されても、平気な人でした。

「お客様がどう見るか」を、いつも基準にしていましたね。

それと、相手が大物でも、一言居士を貫いたのも凄かった。天皇と呼ばれた社長に対しても、堂々と自説を述べていました。忖度(そんたく)などなかった。

——仕事の進め方やメンバーの生かし方など、かなり参考にされたのでは。

【佐藤】しました。桑原さんは、人のよい面を伸ばす上司でしたが、ジンさんもこれを踏襲していた。このため、ジンさんの周りにはいつも人が集まっていて、僕もその一人でしたが、その輪の中でジンさんは楽しそうでしたね。やはり人の長所を見抜くのが得意でした。

マーケターだった僕の仕事の流儀として、営業や生産など社内はもちろん、外部からもクリエイターやプランナーなど幅広く集める。年齢、経験、性別、役職、所属などによる優位性が一切ないフラットなチームをつくります。ここは、ジンさんの手法と同じなんです。ジンさんから学んだ。

商品開発のための仮説を設定して、徹底的に意見を出し合っていくのです。

■湖池屋躍進に息づく「ジンさんの魂」

——97年にキリンビールのマーケ部からキリンビバレッジのマーケ部に、佐藤さんは部長職で異動しました。そして缶コーヒーやお茶などジャンル別に商品開発チームをつくり、ヒットを連発させます。万年3位というか、正確には3位グループに沈んでいたビバレッジは活気づきました。あの手法は、16年に湖池屋社長になってからの「プライドポテト」の開発とヒットに、どうしても重なります。

【佐藤】その通りです。いずれも、負け犬の状態だったのを、新商品をヒットさせ会社を再生させていった。97年当時のビバレッジは86年発売の「午後の紅茶」にしがみついていたし、16年の頃の湖池屋は安売り競争に巻き込まれて、いずれも意気消沈していました。

湖池屋はポテトチップの開発メーカーだったのに、万年2位に甘んじて、お客様ではなくライバルのカルビーしか見ていなかった。

湖池屋のポテトチップとは料理なんです。湖池屋の原点に立ち返り、自社の価値をみんなで追求し、結果としてヒットを生んだ。

手法も哲学も、ジンさんを僕は意識してきました。だから、湖池屋の躍進にも、ジンさんの魂が息づいているのです。

確かに湖池屋は負け犬でした。でも、僕たちはいま世界に新たな価値を提供できる集団へと、確実に生まれ変わっている。会社も人も変わることはできます。過去の成功体験を捨てて、新しい価値の創造を求める勇気を持てれば。

湖池屋・佐藤章社長
撮影=大沢尚芳
佐藤 章(さとう・あきら)
湖池屋 社長
1959年生まれ。82年にキリンビールに入社し、群馬県を担当する営業マンに。90年にキリンビールマーケティング部に異動、「ブラウンマイスター」を手掛ける。97年に清涼飲料のキリンビバレッジに部長職で異動し、「ファイア」「生茶」「聞茶」「アミノサプリ」とヒットを連発。07年にキリンビールマーケ部に戻り、08年に部長に。09年に「一番搾り」を麦芽100%にリニューアルし、これが奏功して同年アサヒを抜いてキリンは業界首位に。キリンビバレッジ社長を経て、16年に湖池屋社長。17年に「プライドポテト」をヒットさせ、湖池屋を上昇気流に乗せる。

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永井 隆(ながい・たかし)
ジャーナリスト
1958年、群馬県生まれ。明治大学経営学部卒業。東京タイムズ記者を経て、1992年フリーとして独立。現在、雑誌や新聞、ウェブで取材執筆活動をおこなう傍ら、テレビ、ラジオのコメンテーターも務める。著書に『サントリー対キリン』『ビール15年戦争』『ビール最終戦争』『人事と出世の方程式』(日本経済新聞出版社)、『国産エコ技術の突破力!』(技術評論社)、『敗れざるサラリーマンたち』(講談社)、『一身上の都合』(SBクリエイティブ)、『現場力』(PHP研究所)などがある。

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(ジャーナリスト 永井 隆)

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