「7歳になると精液を体内に注入される」ニューギニアのサンビア社会の少年が必ず受ける通過儀礼の意味
プレジデントオンライン / 2022年7月7日 15時15分
※本稿は、奥野克巳『これからの時代を生き抜くための文化人類学入門』(辰巳出版)の一部を再編集したものです。
■ボノボはなぜ“ハーレム”を作らず“乱交”するのか
ボノボは、ハーレム型ではなく乱交的な集団を形成しています。チンパンジーの仲間は基本的に発情したメスをめぐってオス同士が争いますが、ボノボはそうした争いがほとんど見られず、非常に「平和的」な特徴を有していることで知られています。ボノボたちの間では、相手の口に舌を差し入れるディープ・キスや、メス同士が性器をこすりつけ合う「GGラビング」、オス同士が互いの尻をくっつけ合う「尻つけ」などの性的な行為が頻繁に観察されます。
動物行動学者のフランス・ドゥ・ヴァールは、ボノボはこのような乱交的なセックスを行うことで、結果的に父親が誰であるのかわからなくなるような社会を作り上げたと言います。そして、それにより悲惨な「子殺し」を回避することができたという仮説を唱えています。
また、メス同士が性的な行為を主体的に行っていることからもわかるように、ボノボの社会では、メスがイニシアティブを握っています。同性間で行われる性的行為には、わだかまりを解消する意味合いもあるのです。
■父親をはっきりさせないことで「子殺し」を回避する
その意味では、セックスとは生殖行為であるだけでなく、個体間の関係を安定的に保つ、社会的な機能も有するものでもあると言えるでしょう。ボノボは父親を判然とさせないことで、「子殺し」を回避したと見ることもできるでしょう。
それではヒトの場合はどうでしょうか。ヒトは男と女がペアとなって継続的な関係を築いて、セックスの相手を一人だけに限定しました。ヒトは子の父が誰であるのかをはっきりさせることによって、ボノボとは違う道を歩んだのです。男と女は一夫一婦的につながることによって、男による「子殺し」行動を回避したのではないかという仮説がドゥ・ヴァールから出されています。
■“発情”を示すニホンザル、示さないオランウータン
霊長類において性行為、つまり交尾が起こるにはまず、発情というきっかけが必要になります。文化人類学が扱う、人間の文化の比較に入る前に、この発情と交尾(セックス)の関係について見ておきたいと思います。この発情というものは、何に興奮するのか、その対象やきっかけという点においても、大いに人間の性にも関わっているからです。
ヒトを含めた霊長類の仲間にとって、発情というのは、エストロゲンやプロゲステロンといった、ホルモンによって引き起こされます。しかし、発情徴候の現れ方は、霊長類の中でもさまざまです。霊長類では、基本的にはまずメスが発情の徴候を示すとされます。それによって、オスが刺激され発情するわけです。逆に言えば、オスはメスの発情徴候がなければ、発情することはないのです。
例えば、ニホンザルのメスの場合、発情すると顔と尻の皮膚が紅潮するのが特徴です。また、ゲラダヒヒの場合、胸にある半月状の露出した肌の部分がピンク色に染まります。その他、ブタオザル、アヌビスヒヒ、マントヒヒ、チンパンジーやボノボなどは、性皮が膨張してくるのが一般的です。これがテナガザル、オランウータン、ゴリラなどでは発情しても外見上の変化は、ほとんど見られなくなります。ヒトの場合は、もう発情徴候はなくなります。このようにヒトに近い類人猿になると、発情徴候が見られなくなる傾向があるというわけです。
こうした発情徴候の有無や長さといったものは、実はそれぞれの種の交尾のあり方と大きく関係しています。例えば、乱交型の集団を作るチンパンジーやボノボは、オス同士は常にメスの獲得に対して競合関係にあります。結果、メスは遠くからでもわかるように、はっきりとした発情徴候を示す必要があるため、性皮が大きく腫れ、発情期間も2週間と長いのです。
他方、一夫一婦の関係を作るオランウータンや、ハーレム型の社会を形成するゴリラなど、独占排他的な交尾を行う種は、メスが常に近くにいるわけですから、目に見えてはっきりとわかる発情徴候を示す必要がありません。そのため、発情徴候はほとんどなく、交尾も排卵日前後の2日程度しか行いません。
■なぜヒトには発情徴候が存在しないのか?
さて、高等霊長類であるヒトにもまた、発情徴候がありません。いったいこれはなぜでしょうか。精神分析学者のジグムント・フロイトは、ヒトは二足歩行へと進化したことによって、嗅覚から視覚が優位となり、結果、発情徴候がなくなったという「直立二足歩行と視覚の優位」説を唱えました。
多くの哺乳類は、生殖器や肛門から発情徴候時の独特のにおいを発します。そのため、四足歩行に近ければ近いほど、鼻を性器の周辺に近づけて、そのにおいを嗅ぐのです。ところが二足歩行となった人類は、鼻は上の方に移動していますから、性器からのにおいを嗅ぐことは難しくなります。このために嗅覚が退化し、代わりに二足歩行によって視界が拡大し、視覚から得られる情報処理能力の向上のために脳が発達していくこととなります。このようにして、ヒトは発情徴候を必要としなくなったというのです。
また、フロイトの説とは別に、人類学者のヘレン・E・フィッシャーは「性の強者(つわもの)」説を唱えています。人類の祖先は乱交的な性を営んでおり、女性が自分と子を守る保護者として特定の男性をつなぎとめるために、日常的に性交渉を可能にし、しかも排卵の徴候を隠蔽(いんぺい)する「性の強者」になったのだ、とフィッシャーは言います。そして、男性は妊娠可能な日を特定できないまま、子を残すために特定の女性と性交渉を続けます。性の相手であり続けることで、女性は男性から保護と食料の供給を保証されるというわけです。
■発情のサインがわからないゆえに性的な想像力が高まった
また、人類学者のオーウェン・ラブジョイは、人類は直立二足歩行を得たことで、男性が食料を確保して家族へと供給し、女性は子育てをするという分業体制が生まれたとしています。その過程で、女性は男性をつなぎとめるために発情徴候を失い、日常的に性交が可能になったとしています。
これらの見解に対して、日本の霊長類学者である山極壽一さんは、人類は、メスは性皮が膨脹しないテナガザルやゴリラなどの性質を受け継ぎ、オスはメスの発情によって刺激を受けなくても性的に興奮できるというオランウータンやゴリラの性質も受け継いだのだ、と主張しています。
これらの説はあくまでも仮説であり、本当のところはよくわかっていない、というのが現状でしょう。しかし、いずれにせよ、人間は、発情徴候がないという特徴の結果、発情のサインが目に見えてはわかりませんから、それを補うために性的な想像力が高まったと考えられます。人間の文化・社会における性の多様さは、このような生物進化の歴史の中で育まれてきた先にあるものだということを、ここでは押さえておきたいと思います。
■オランウータンにもゴリラにも同性愛傾向がある
多様な性という点で、人間の文化・社会を見ていく前にもうひとつ、霊長類全体の性として考えてみたいのは「ホモセクシュアル(同性愛)」です。これはしばしば人間だけの現象と考えられがちですが、実はそうではありません。例えばイルカにも部分的にはホモセクシュアル的な側面があると言われています。よりヒトに近い種で言うならば、オランウータンやゴリラなどの高等霊長類にもホモセクシュアルの傾向を見ることができます。
オランウータンとゴリラのメスは発情徴候を示さないというのは先述した通りです。オスの性的興奮はメスの発情徴候に左右されないわけです。その結果、性の対象を異性だけに限定せず、同性間にも広げる可能性が生まれたのです。
■生物進化の歴史的産物としてのホモセクシュアル
このような生物進化の過程で、人間もまた発情徴候がないため、性的魅力を感じる特徴を、性のシグナルではなく、個人的特徴に限定するようになったと考えられます。つまり人間は特定の相手の、特殊な特徴に魅力を感じるように進化した結果、男性にとって性的魅力を感じる相手は、女性という枠組みを超えるようになります。
こうして私たちは発情徴候に対して興奮するのではなく、声やしぐさ、身体のある部分といったものに性的興奮が喚起されるようになります。これが「胸フェチ」とか「尻フェチ」「脚フェチ」というような、いわゆるフェティシズムにつながってくるわけです。そしてそれは、異性であるということが、性愛の必要条件ではなくなったことを意味しています。
LGBTQの運動や理解などをつうじて、今日では異性愛以外の性のあり方についても比較的、理解が進んできていると思います。しかし、かつては異性愛以外の性というものは、次世代を作ることのできない、生物の原理からは反する異常な性愛であるとみなされることが多かったようです。ところが、生物進化の軸を入れて考えてみると、ホモセクシュアルというのは、性交の「障害」なのではなく、むしろ人類進化の歴史的な産物だと言うこともできるのです。
■「ゲイ」という概念を理解できない社会がある
とはいえ、人間以外の生物のホモセクシュアル行動は、地球上の人間諸社会におけるホモセクシュアルの多様さに接すれば、平板だとさえ見えるかもしれません。
人間の多様な性のあり方を語る上で、ここではまず、高地ニューギニアに住んでいるサンビア(仮称)の人々の同性愛についてお話ししたいと思います。
サンビアの人たちは、私たちが考えているホモセクシュアルやゲイというものを理解することができないと言われています。私たちはそういった言葉を用いて、ある人の性的傾向という社会的な属性を理解しています。基本的にはホモセクシュアルなどは、持続的な性的傾向であるとみなされるからこそ、「私はホモセクシュアルだ」とか、「あの人はゲイだ」とか、それを人の属性として表現するわけです。
ところが、サンビア社会ではそうではありません。彼らのホモセクシュアル、ホモエロティックな関係というのは、人生の一時期における男性のセックスのあり方なのです。
■精液を体内に取り込むことで生殖能力を“獲得”する
サンビア社会では生まれてきた子どもは、生物学的に男性であっても女性であっても、女性性を備えているものだと考えられています。これに対して、男性性、男らしさというものは自然に獲得されるものではありません。そのため、少年が大人の男になるには、儀礼を行わなければならないのです。この「儀礼」、特に人生の節目節目で行われるものを「人生儀礼」、あるいは総じて「通過儀礼」と人類学では呼びます。
さて、サンビアにおける少年から大人の男性へと変わる儀礼とはどんなものかというと、それは少年たちに男性の精液を飲ませることを含むものです。7歳前後になった少年は、年長の男にフェラチオ(口唇性交)をすることで、精液を体内に注ぎ込まれます。中には食べ物にかけて食べたりもするともされています。
ともかく、このように男性性の源である精液を体内に溜め込むことによって、少年は男性としての生殖能力とたくましさを獲得していくのです。やがて15歳前後に成長した少年たちは、今度は年少の男の子たちに対しての精液の与え手となります。
■結婚後も少年との関係を続ける場合もある
このような儀礼が行われる期間は、サンビアの男たちの間では同性愛的な性行為が行われるわけです。それは少年にとっての通過儀礼であり、サンビアの男たちにとってのホモセクシュアルな期間と言えます。
その後、男性は女性と結婚します。精液を授与される儀礼はあくまでも、男性性を獲得し、女性と結婚するために行われているのです。また、男らしさというものは、たくましさのことであり、それは端的に戦闘能力にもつながります。優れた戦士になるためには、年長の男性から精液を得て、それを充満させて一人前の男になることが必要だとされます。
女性と結婚をすることは当然、ヘテロセクシュアル(異性愛)に基づくわけですが、他方で妻をめとった後も、少年との関係を続ける場合もあります。その場合、夫はバイセクシュアルな状態にあると言えます。しかし、やがて妻が自分の子どもを妊娠し、出産すると、男性は父になります。それと引き換えに少年との性的関係は解消され、サンビアの男たちはヘテロセクシュアルのみとなるわけです。
■一生の中でさまざまなセクシュアリティを生きる
7歳〜15歳の期間においてはホモセクシュアルとして、結婚してまもない期間にはバイセクシュアルとして、その後、父となるのと引き換えにヘテロセクシュアルとして、サンビアの男たちは、一生の中でさまざまなセクシュアリティを生きるのです。ですから、私たちがある特定の人の属性として「ホモセクシュアル」だとか「ゲイ」だとか「バイ」だとか名指すことは、サンビアの人々にとっては意味のないことになります。
このように、人間の性は、生物進化的な縦軸において進化してきた性から大きく逸脱して、比較文化的な横軸において多様な性の文化を開花させてきたのだと言えるのかもしれません。
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立教大学 異文化コミュニケーション学部 教授
1962年生まれ。文化人類学者。単著に『絡まり合う生命』『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』(共に亜紀書房)など。共著・共編著に『マンガ人類学講義』(日本実業出版社)、『今日のアニミズム』『モア・ザン・ヒューマン』(共に以文社)など。
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(立教大学 異文化コミュニケーション学部 教授 奥野 克巳)
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