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「死刑になりたくて、他人を殺しました」秋葉原通り魔事件、附属池田小事件…無差別殺傷犯の深刻な共通点

プレジデントオンライン / 2022年7月5日 9時15分

大阪府池田市の大阪教育大附属池田小学校で起きた殺傷事件から16年を迎えた2017年6月8日、同校で追悼式が行われた。犠牲となった児童と同じ数の8個の鐘が鳴らされ、在校生が献花、出席した教職員や遺族らが黙とうした。 - 写真=時事通信フォト

無差別殺傷事件の犯人は、いったいどんな動機をもっているのか。『「死刑になりたくて、他人を殺しました」無差別殺傷犯の論理』(イースト・プレス)を出した写真家・ノンフィクションライターのインベカヲリ★さんは「無差別殺傷犯とかかわる10人の取材を終えて日本にある“自殺の問題”を感じた。重犯罪を起こすことも、自殺の一つの形態ではないかということだ」という――。

■「2人以上殺して死刑になりたかった」

2021年の秋口から、「死刑になりたい」という動機での重犯罪がたて続けに発生していた。

はじまりは、2021年10月、京王線の車内で、映画「ジョーカー」の主人公をイメージさせる服を身にまとった服部恭太が、サバイバルナイフで一人に重傷を負わせ、車内を放火。「二人以上殺して死刑になりたかった」と供述した。

同年12月には、大阪・北新地のビルにある精神科クリニックで、谷本盛雄が放火し、27人(被疑者含む)が死亡した「北新地ビル放火殺人事件」が起きた。こちらは犯人が死亡したことで「拡大自殺」と言われている。

年が明け2022年1月、東京大学本郷地区キャンパス前の路上で、高校二年生の少年が包丁を振り回し、3人に重軽傷を負わせた。「医者になれないのなら、自殺する前に人を殺して切腹しようと考えた」と供述したという。

ほかにも未遂を含めると、ニュースで確認できるだけでも複数件ある。

インベカヲリ★『「死刑になりたくて、他人を殺しました」無差別殺傷犯の論理』(イースト・プレス)
インベカヲリ★『「死刑になりたくて、他人を殺しました」無差別殺傷犯の論理』(イースト・プレス)

こうした事件の連鎖を受けて、今年2022年5月『「死刑になりたくて、他人を殺しました」無差別殺傷犯の論理』(イースト・プレス)を上梓した。加害者と直接かかわった方を中心に声をかけ、各界の専門家など10人にインタビューをおこない、まとめた本だ。

しかし、多発する事件の印象とは裏腹に、この2021年は戦後もっとも殺人事件が少ない年だったという。一方で、コロナ禍真っただ中だったことによる心労や経済的不安定などにより、自死は若年層を中心に高止まりがみられる。

日本には大前提として自殺の問題があるということを、取材を終えて特に感じた。「死刑になりたい」と言って重犯罪を起こすことも、自殺の一つの形態ではないか、ということだ。

■なぜ「自殺」ではなく、わざわざ「死刑」を選ぶのか

こうした「死刑になりたい」動機による事件は「死刑存置社会の特徴」であると語るのは、京都大学大学院教育学研究科教授の岡邊健氏だ。

現在、先進国クラブと呼ばれるOECD38カ国のなかで、死刑制度が残っているのは日本と韓国とアメリカの一部の州のみ。死刑があるからこそ成立する犯罪なのである。

もっとも、アメリカで起こる銃乱射事件では、被害者が増えないよう、警察がその場で犯人を撃ってしまう。つまり犯人たちは、それがわかっていて犯行に及んでいるということだ。「射殺」か「死刑」かの違いだけで、「死を求めている」という意味では変わらない。

また岡邊氏は、日本の若年層の自殺率の高さについて「こんな国は日本しかない」と語った。これは「犯罪の少なさと裏返し」であり、アメリカと同じく「異常な社会」なのだと言う。

日本は他国と比べて犯罪率は低いが、だからといって安心して生きられる国とは言えないということだ。

では、なぜ「自殺」ではなく、わざわざ「死刑」を選ぶのか。

こうした無差別殺傷犯は、2001年に起きた「附属池田小事件」の宅間守がはしりだと言われている。元刑務官である坂本敏夫氏は、「これが失敗」だと述べる。

死刑になりたくて殺人を犯した人間を異例の速さで処刑したために、望めば確実に死刑になれることを証明してしまったからだ。

坂本氏は、自殺と他殺の最大の違いについて、無差別殺傷犯には「アピールしたいこと、話したいことがいっぱいある」と指摘した。確かに、自殺では誰にも知られずただひっそりと死んでいくだけだが、大量無差別殺傷事件を起こせば、社会は放っておかない。

事実、毎月続いたこの無差別殺傷事件の連鎖は、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が始まってからピタリと止まった。世界情勢が不安定になったことで、今事件を起こしても注目されないと感じたのかもしれない。

とはいえ、事件を起こす人間を無視すればいいという話でもない。放っておいても、彼らから他殺の願望が消えるわけではないからだ。

監獄
写真=iStock.com/DSGpro
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/DSGpro

■他殺願望は、どの人の中にも存在している

無差別的に誰かを傷つけたいという願望を持つこと自体、「おかしいことではない」と語るのは、こころぎふ臨床心理センターのセンター長で、公認心理士の長谷川博一氏だ。長谷川氏は、宅間守ら数名の確定死刑囚と面談したこともある人物である。

他殺願望はスペクトラム(連続体)として理解できるものであり、「どの人の中にもゼロに近いくらいだけども、存在している。そして、普通程度にある人と、かなり強くある人まで連続している」と、述べる。

願望を抱えていたとしても、そこにプラスαとして何か作用しなければ、行動化しないということだ。

また、長谷川氏は「どんなことが身に降りかかるかによって、人は何にでもなる」と語った。多くの人びとは、自分のことを「人殺しにはならない安全な人間」だと思っているかもしれないが、そうとは限らないということである。

では、どうすればいいのか。長谷川氏は、自殺の相談窓口として「いのちの電話」があるように、殺人願望に関する相談窓口を設ける必要性について言及した。

それに近いことを行っているのが、「秋葉原無差別殺傷事件」を起こした加藤智大の元同僚であり、友人の大友秀逸氏だ。彼がツイッターのプロフィールにそう記すと、特に呼びかけているわけではなくとも、他殺願望を抱えた人たちからメッセージが届くという。

大友氏は、そんな彼らとメールや電話でやり取りし、相手が望めば直接会って話を聞く。内容のほとんどは「止めてほしい」ではなく「話を聞いてほしい」なのだという。大友氏には、自分自身がうつ病だと気づかず、自殺未遂を繰り返してきた過去がある。

「加藤くんにも俺がそういうことをさらけ出せていたら、親の話とかできてたかもしれないっていうのがある。だから今は極力こういった話でもタブーなく語るようにしています」

誰しも心の奥底には、グロテスクな感情を抱えている。吐き出す場があるだけでも、大きく変わってくるだろう。

■道は一つしかないと思い込むことで、追い詰められてしまう

もっとも「死にたい」からといって、無差別殺傷に向かう人間は少数派だ。逆に、自殺願望を持つ人は、現実にたくさんいる。

学生団体YouthLINKが企画するボイスシェアリングは、学校へ行きづらいと感じている学生や、休学中の学生が、互いに悩みや生きづらさを語り合う場だ。

生きづらさを抱え自殺未遂を5度も繰り返した過去を持つ現役メンバーの大石怜奈氏は、中学校までは進学校に通っていたが、通信制高校に入ったことで、見える世界が大きく変わったと語る。

それまでは「大学に行かなかったら、なれる職業がないんじゃないかと本気で思っていた」というのだ。レールから外れたことによって、視野が広がったのである。

同じく、高校まで進学校に通っていたものの、大学進学を前に引きこもり経験をした団体OBの石神貴之氏は「社会からのメッセージとして、失敗しては駄目だと受け取ってしまう面はすごくある」と語る。

道は一つしかないと思い込むことで、人は追い詰められてしまうのだろう。

無差別殺傷事件を起こす人間は「自分を苦しめる本当の敵がわかっていない」と語るのは、市原みちえ氏だ。拳銃を使い男性4人を殺害し、「連続射殺魔」として逮捕。その後、獄中で作家となった永山則夫の、最後の面会者となった人物である。

市原氏は、貧困や虐待といった永山の悲惨な生い立ちについて「個人の責任ではなく、社会が生み出した問題」とし、現代社会の若者が起こす事件も同様だと述べる。進学校に通う少年が起こした「東京大学前刺傷事件」では、同じ東大を目指す高校生が標的となった。

学歴社会で闘うしか選択肢がなく、脱落すれば人生が終わると思い込んでいた少年。しかし、本当の敵は、そうした価値観に従わせる社会なのだ、と市原氏は主張した。

永山は、獄に入ったことではじめて安住のすみかを手にし、ベストセラー作家となり、恋愛を謳歌し、結婚もした。しかし、その先に待っていたのは死刑である。事件を起こしてからでは、遅いのだ。

■家族間殺人が『サザエさん』のような家で起こる理由

永山は、無差別殺傷を行う前まで家族との信頼関係を持てずにいたが、それは死刑囚に特有のことでもあるらしい。

25年以上にわたって教誨(きょうかい)活動を行う、聖イグナチオ協会助任司祭であるハビエル・ガラルダ神父は、これまで6人の死刑囚と接してきた。

家族と縁を切られている彼らは、「家族について話さない」、そして「死についても絶対に話さない」と言う。いつ執行されるかわからないため、四六時中「死」について考えているからだ。

その一方で「元気で、明るくて、あなた方と同じように話す」と言う。もっとも、神父が見てきた死刑囚の中には「死刑になりたくて」事件を起こした人は一人もいない。

彼らは死刑を待つ身ながらも「死にたくない」と思っている。自殺の多い社会においては、「死にたい」一般人より、「生きたい」死刑囚のほうが、心は健康なのかもしれない。

しかし、この健康さは、皮肉にも事件を起こし逮捕され、監獄という安住のすみかで教誨を受け、自分と向き合ったからこそ得られたものなのだろう。

加害者家族をサポートするNPO法人 World Open Heartの理事長である阿部恭子氏は、無差別殺傷犯の犯行動機の一つとして「家族への復讐」を挙げる。家族間での殺人であれば憎む相手が死ぬだけだが、無差別殺傷事件を起こせば、家族は生きていけなくなるからだ。

その理由として、日本には犯罪加害者の家族が連帯責任を問われたうえ、社会的に追い詰められるという特有の背景があると指摘する。そのことが結果的に「家族に対する復讐」としての無差別殺傷事件を引き起こさせているのだとしたら、まさに本末転倒だ。

また、家族間殺人は地方で起きることが多く「大体が本当に『サザエさん』みたいな、ああいう家」と語る。「家族へのこだわり」が強すぎると、離婚という選択肢がないまま、殺しに発展するケースがあるということだ。

元日に夕食を食べる3世代家族
写真=iStock.com/visualspace
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/visualspace

■「死刑になりたい」と「自殺したい」は表裏一体

もっとも、こうした問題のある家庭は、無差別殺傷犯に限らず世の中にたくさんあるだろう。

「どの家族もおかしいし、みんな相当無理して家族をやっているんだよ」と語るのは、家族機能研究所の代表で精神科医の斎藤学氏だ。無差別殺傷犯が育つ家庭は、家族関係のいびつさがみられることが多い。こうした「形だけの家族」にしていることが危険なのだという。

斎藤氏は「家族的な絆は絶対に大切」としたうえで、それは「突き詰めれば母と子の関係」だと述べた。

「まずはお母さんとの間での安定した関係。自己感情っていうものの安定性さえあれば、社会的な交流点を失っても、慌てないで内省的になれる」、そのためには夫婦制度に固執せず、里親里子制度やシングルマザーの経済保護など、子産みと子育ての環境を柔軟なものにしていかないといけないと語った。

世間が母を守ることで、巡り巡って事件を生み出さないことにつながるということだ。

日本は、EU諸国など他の先進国に比べて犯罪は少ない。しかし、反転して自殺は多い。人に迷惑をかけなければ良いという話ではなく、これらは表裏一体ということだ。

「死刑になりたい」無差別殺傷犯について考えることは、そのまま「自殺したい」と思わなくなる社会をつくることにつながるだろう。

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インベ カヲリ★ 写真家・ノンフィクションライター
1980年、東京都生まれ。写真家。短大卒業後、独学で写真を始める。編集プロダクション、映像制作会社勤務等を経て2006年よりフリーとして活動。13年に出版の写真集『やっぱ月帰るわ、私。』で第39回木村伊兵衛写真賞最終候補に。18年第43回伊奈信夫賞を受賞、19年日本写真協会賞新人賞を受賞。写真集に『理想の猫じゃない』、『ふあふあの隙間①②③』がある。ノンフィクションライターとしても活動しており、「新潮45」に事件ルポなどを寄稿してきた。著書に『家族不適応殺 新幹線無差別殺傷犯、小島一朗の実像』、『私の顔は誰も知らない』など。

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(写真家・ノンフィクションライター インベ カヲリ★)

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