なぜドイツの侵略戦争を見過ごしていたのか…真珠湾攻撃までアメリカが第二次大戦に参戦しなかったワケ
プレジデントオンライン / 2022年7月7日 11時15分
※本稿は、ジョン・ルイス・ギャディス(著)、村井章子(訳)『大戦略論 戦争と外交のコモンセンス』(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)の一部を再編集したものです。
■独裁者同士の約束は長続きしない
1940年春、ドイツは電撃作戦によってわずか3カ月で、ドイツ皇帝の軍隊が四年かけてもできなかったことをやってのける──デンマーク、ノルウェー、オランダ、ベルギー、フランスを制圧したのである。
ついにマッキンダーとクロウの悪夢が現実のものとなったように見えた。
大陸を制覇する単一の「悪魔」の出現である。ヒトラーとスターリンはいまや「満州からラインまで」を支配し、取り乱した側近の一人はルーズベルトに「手を組んだ独ソは、かつてかの地を支配したチンギス・ハンと同じで、もはや食い止めることはできない。もしできるとすれば、それはヒマラヤ山脈だけだろう」と口走ったという。
だがルーズベルトは冷静だった。スターリンが長年にわたりヒトラーを資本主義的帝国主義者と見なしてきたこと、ヒトラーはヒトラーでスターリンを長年にわたりユダヤ人の世界的な陰謀の仲介役と見なしてきたことをルーズベルトは知っていた。
西部戦線におけるドイツの圧倒的勝利はソ連の独裁者をあわてさせたにちがいない、と彼は予想した。西ヨーロッパを手に入れたドイツが次に狙う獲物が何かは容易に想像がつく。そう考えれば、独裁者同士の約束は根付かないし長続きしない。
早晩彼らは相手を破滅させようとするだろう。そう読んだルーズベルトは、スターリンがいつでも入ってこられるように扉を開けておいた。ちょうど四〇年前にソールズベリー侯がアメリカのためにそうしたように。
■参戦への布石…雇用創出の名目で軍増強
独裁者の同盟の結末をはっきりと予測していたからこそ、1940年春にヨーロッパで民主国家が次々に降伏しても、ルーズベルトの自信は揺るがなかったし、むしろ強まっていったのだと考えられる。
戦争が始まったとき、彼はアメリカが巻き込まれないように努力すると国民に約束した。だがルーズベルトのほうからウィルソン流の中立や思想の公平や感情の抑制を求めたことはない。それどころか、彼はすでに軍事協力についてイギリスと密かに協議していたし、フランスとも降伏するまで連絡をとっていた。
そして国内では雇用創出という名目で軍の増強に着手する。1940年は大統領選挙の年であり、その夏ルーズベルトは、民主党が前例のない3期目の出馬を容認する流れになるがままにした。
口実はいかにもとってつけたようだったが、そんなことは問題ではない。共和党の対抗馬がダークホースの国際主義者ウェンデル・ウィルキーに決まったことを歓迎し、秋には精力的に選挙運動を展開する。そして1941年1月の3回目の就任式の前日、彼は敗れた競争相手のウィルキーをホワイトハウスに迎え、特使としてロンドンに派遣した。
■チャーチル英首相の呼びかけ
このときウィンストン・チャーチルに手渡す親書を託すのだが、その親書には、アメリカの詩人ヘンリー・ワーズワース・ロングフェローが1849年に書いた詩「船をつくる」の一節が引用されていた。ルーズベルトはおそらくこの詩を暗唱していて書いたものと思われる。
![チャーチル像](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/f/a/1200wm/img_fa48861609c98e22786ec5cc98ec236c406479.jpg)
「乗り出そう、国という名の船に乗って! 乗り出そう、連邦は強く頼もしい! 恐怖に怯えながらも、未来への希望を捨てずにじっと耐えている人々がいる。汝がその命運を握っているのだ!」
リンカーンは南北戦争の初期にこの詩を読んだとき、「これは、そのような状況に陥った人々を勇気づけるために神が与えてくれた贈り物だ」と感激したという。そして今度は、ルーズベルトからチャーチルへの贈り物としてウィルキーに託されたのだった。
チャーチルはその8カ月前の1940年5月に首相に就任している。
フランスが降伏寸前でイギリス本土は空襲を受ける可能性が高かった時期だ。完成したばかりの短波ラジオ技術によって、シェイクスピアを凌ぐ規模で英語が世界を駆け巡るようになったのも、この頃である。
ラジオ出演したチャーチルは、ルーズベルトから贈られた詩の一節を読み上げたあと、「イギリス国民の名において」と語り出した。海の向こうではアメリカ国民もその声を聞いている。
「この偉大な人物、1億3000万の国民を持つ国において三度大統領に選ばれたこの指導者に私は何と答えただろうか」
そしてチャーチルは、鬼気迫る凄みのある声でゆっくりと言った。
「道具をくれ。あとの仕事はわれわれがやる!」
■動き出した米国、不可侵条約を信じ切ったソ連
最も差し迫って必要な道具は「レンドリース(武器貸与)」であるという点でチャーチルとルーズベルトは合意する。
レンドリース法は1941年3月に議会で可決され、アメリカの防衛にとって不可欠だと大統領が判断したいかなる国にも軍事援助を行なうことが認められる。同法の恩恵を受けるのは主としてイギリスだと考えられたが、ルーズベルトは受益国を特定しないことにこだわった。
反対者たちは、これではソ連にも軍事援助ができてしまうと批判したが、それはあり得ないと思われたため、反論は一蹴された。だがルーズベルトはすでに在ベルリン大使館から、ヒトラーが1941年春にソ連侵攻を計画しているとの報告を受けていたのである。
チャーチルにも確認のうえ、ルーズベルトは駐米ソ連大使に警告を発するが、大使もソ連政府も感謝はしたものの何の行動も起こさなかった。それどころか不可侵条約を信じきっているスターリンは、日本とも同様の条約を締結している。
■スターリンにとっての「悪魔の取引」
かくしてスターリンは、1941年6月22日にドイツに侵略されて驚愕(きょうがく)し、まったく不必要だった多大な犠牲を払うことになった。
いっこうに驚かなかったルーズベルトとチャーチルは、どうみてもイデオロギー的に矛盾することを考え始める。悪魔との取引である。このとき彼らは、ウィルソンとロイド・ジョージがまだましな悪魔だったニコライ2世を1917年3月以降見捨てて後悔したことを思い出していただろう。
ともかくも、当初は衝撃を受けてなす術もなかったスターリンはすぐさま立ち直り、彼自身のイデオロギーから義務と判断したことをする。あたかも独ソ不可侵条約など存在しなかったかのように、彼にとっての悪魔すなわち資本主義経済を奉じる民主国家からの支援を要求したのである。
ルーズベルトは外交上、軍事上の懸念をあえて払いのけ、交渉の名手であるハリー・ホプキンスとW・アヴェレル・ハリマンをモスクワに送り込む。ホプキンスはルーズベルトにとってのハウス大佐役であり、ハリマンは鉄道会社の経営者として1920年代にコーカサス地方でマンガン鉱山事業を運営した経験があった。
一方、元駐ソ大使のデービスは大統領の要請を受け、大車輪で『モスクワへの特使』を書き上げる。1937~38年のソ連を描いた著作で、機密事項はすべて取り除かれていたものの、ベストセラーになった。
さらに複数の情報源を通じてスターリンはドイツに降伏しないと確かめたうえで、ルーズベルトは1941年11月7日にソ連の安全保障はアメリカにとって必要不可欠であると宣言する。
ボリシェビキ革命から24年後、日本の真珠湾攻撃の1カ月前というタイミングだった。この発言にいたるまでに、ほとんど誰も気づかないうちに十分な手を打っていたわけである。
![アメリカ国旗を掲揚する兵士](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/e/e/1200wm/img_eec6c51ad99caeda5cafa3d2f21d26d0402288.jpg)
■チャーチル英首相「これでわれわれは戦争に勝った!」
ハワイからのニュースを聞いたチャーチルは、「これでわれわれは戦争に勝った!」と絶叫したという。「ついにアメリカが、その死に至るまで戦争に突入したのだ」と。
「ばかな連中は」アメリカ人があまりに弱腰で議論ばかりし、自国の政治で身動きのとれない「友か敵かさえはっきりしない地平線上の影」でしかないと考えている、とチャーチルは言う。
「だが私は南北戦争をよく調べてみた。あの戦争は最後の最後まで死にものぐるいで戦われた。そのアメリカ人の血は、私の血管にも流れている。30年以上も前に、エドワード・グレイが私に言ったことを思い出す。アメリカは巨大なボイラーだ。いったん火がついたら無尽蔵の馬力を生み出す、と」
だからこそチャーチルは、「その日の夜、興奮と感動で疲れ果てていたが、私は救われた人間、感謝の気持ちに溢れた人間として眠りにつくことができた」のだった。
ボイラーの比喩を引用したチャーチルは、じつに的確だった。グレイの時代にいったんついた火は大戦争に勝利した後に消えてしまっており、巨大なボイラーに再び火がつくまでには四分の一世紀を要した。それも、1917年よりはるかに深刻な危機の中で、である。
ウィルソンよりもずっと慎重に手段を目的に合わせなければならなかったルーズベルトには、時間が必要だった。その間、チャーチルにできるのは待つことだけである。イギリスは68カ月にわたり戦争を戦ううち、27カ月間、壮絶に待ち続けた。
■ルーズベルト大統領が参戦を決めた理由
ルーズベルトは三つのことを待っていた。
第一は、特定の同盟国に限定的な援助を行ないつつ、国民には参戦しないと希望を抱かせながら(ただし約束はしない)、自国の景気回復にもつながる軍備増強を完了させること。
第二は、ソ連が壊滅せず、小さな周縁国であるドイツと日本がもたらした大きな脅威にはさまれながらも、大陸国家として連合国側につくこと。独ソ不可侵条約を過信するというスターリンの愚かな選択のせいで、もはやソ連には他の選択肢は残っていない。ソ連は、英米の民主主義を救うために必要な戦いの多くを引き受けることになるだろう。
そして第三は、新たなサムター要塞(ようさい)である。あの要塞を南軍が攻撃したことが南北戦争の火ぶたを切ったように、アメリカ自体が攻撃されたという誰もが心情的に納得できる理由が必要だった。それがあれば、平和主義を唱える世論は一気に沈黙するだろう。
最終的に、ルーズベルトには二つの理由が与えられた。日本軍による真珠湾攻撃と、その4日後のドイツによる対米宣戦布告である。その後の4年間、民主主義と資本主義を救ったのは、他の誰にもましてルーズベルトだった。
![ジョン・ルイス・ギャディス(著)、村井章子(訳)『大戦略論 戦争と外交のコモンセンス』(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/8/3/1200wm/img_834b51fdb41909fa11843fe0b7ad52ec401804.jpg)
あらゆるところで、あらゆる面で救ったとは言わない。だが、20世紀の前半で後退した民主主義と資本主義が後半で巻き返すには十分な程度に、この二つを安定させたと言ってよい。彼は二正面で戦いながら、ほとんど同時に勝利を収め、しかもアメリカ人の死者数を全死者数の2%足らずに抑えている。
おかげでアメリカは、世界の工業生産能力の半分、金準備の3分の2、資本投資の4分の3、世界最大の海軍と空軍、世界初の原子爆弾を持つ国として君臨することができた。もちろんそのためには、悪魔との取引が必要だった。
戦略は政治と同じで、きれいごとでは済まないのである。だが歴史家のハル・ブランズとパトリック・ポーターが指摘するとおり、「これが成功したグランド・ストラテジーでないなら……そのようなものは存在しないことになる」
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1941年生まれ。テキサス大学で歴史学の博士号取得。冷戦史の権威として知られ、『ロング・ピース』『歴史としての冷戦』『歴史の風景』『アメリカ外交の大戦略』『冷戦』など著書多数。イェール大学の学部生向け講義で優秀教師賞を2度受賞、2005年に米国人文科学勲章を受章。2012年には『George F. Kennan: An American Life』で、ピュリッツァー賞(評伝部門)を受賞している。
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(イェール大学歴史学部 教授 ジョン・ルイス・ギャディス)
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