「ロース、サーロイン、モモ、カルビを高い順に並べよ」本当に焼肉が好きな人ほど、この問題に困惑する理由
プレジデントオンライン / 2022年7月10日 12時15分
※本稿は、松浦達也『教養としての「焼肉」大全』(扶桑社)の一部を再編集したものです。
■2010年に急浮上した「焼肉店におけるロース問題」
小さな肉片を焼く「焼肉店」だからこそ発生する問題もある。「焼肉店におけるロース問題」と聞いてピンとくる人は、少なくとも10年以上、焼肉に注意と関心を払ってきた焼肉リテラシーの高い人だろう。
まずこの問題は何かというところから紹介したい。この事案が世の中に可視化されたのは、2010年10月7日のことだった。当日付の新聞はこんなふうに伝えている。
そう、焼肉店で出されるような小さな肉片では一般の客には部位の見分けがつかない。本書の第3章でも紹介しているように、牛の部位は覚えきれないほど多い。肩ロースやサーロイン、ヒレなど食肉小売品質基準での大分類でも11部位ある。精肉店の場合は、この11分類に沿った部位の名前で売ることが定められている。
■100近くある部位を正確に表示することは不可能
もっとも肉の部位はそれほど簡単に割り切れるものではない。
例えば、背中側を貫く「ロース」などは、リブロースとサーロインのようにひと続きでも、名称が切り分けられている。
焼肉店で見かける「イチボ」「カイノミ」のような部位は無数にある。小さな部位も含めると正肉だけで40以上、名前のついていないような細かな部位も含めると100近くになるという。
「えっ、そんなに?」と口走りたくもなるが、四肢を含めて筋膜や骨、脂肪で隔てられた筋肉の数だけ部位はあるわけで、そこまで細かく分けると、店頭で正確に分割し、表示することは事実上不可能だ。だからこそ、大分類で11に分けるのだが、これはあくまで「食肉小売品質基準」に基づいた精肉販売の店舗の話。飲食店はその網の外にある。
■精肉店で販売する「ロース」にはヒレも含まれる
長らく焼肉店は「カルビ」「ロース」など、客にとってわかりやすい名称をつけてきた。そもそも「カルビ」(韓国語由来で「あばら」の意味)は原典に忠実で、11分類だと「バラ」でいい。「ロース」は一般的な認識としてはリブロースとサーロインになるが、精肉店などで複数部位を混合して販売する場合には肩ロース、リブロース、サーロイン、ヒレを含めてもいいことになっている。
確かに肩ロースからリブロース、サーロインはひと続きの部位なので「ロース」と称していいに違いない。ヒレが含まれるようになった経緯は不明だが、ロース芯もヒレもやわらかい部位ではある。どことなく食感が近いから「ロース」にまとめてもいいことになったのか……。
精肉店でさえそうなのだから、焼肉店が長らく「似た食感・味わいの部位」をひとまとめにしてくくってきたのも無理はない。
焼肉店は、客がイメージする肉質に近い部位を店が選んで名前をつけてきた。店によってそれぞれ味に特徴があるし、特にカルビの「上」や「特」などは店がふさわしいと思う部位を選定してきた。
■消費者庁は「不当表示」をする業者に改善を要請
先のニュースをもう少し詳細に伝えていたのが、日本経済新聞だ。
焼き肉店で牛肉の「もも肉」や「ランプ」を「ロース」と表示するのは景品表示法違反(優良誤認)にあたるとして、消費者庁は7日、全国焼肉協会(東京)に対し、不適切な表示をする業者に改善を求めるよう要請した。外食チェーンなどでつくる日本フードサービス協会(同)にも改善を要請する。
消費者庁は今年2月ごろ、ある業者がロース部位でない肉をロースとして販売しているとの情報を得て調査を開始。実際に「ランプ」「そともも」の部位を「和牛ロース」として販売していた焼き肉店を確認した。「肩ロース」の価格は一般的に「もも肉」より3割程度高い。
同庁は「焼き肉店の正肉はロースとカルビくらいしか表示がない。長年業界全体で部位と違う表示をしていた可能性がある」とみている。(2010年10月7日付日本経済新聞)
「焼肉店の正肉はロースとカルビくらいしか表示がない」とは、いったいいつの時代の話をしているのかと首をひねりたくもなるが、仮にこのコメントが消費者庁のニュアンスを正確に表しているのだとすれば時代錯誤も甚だしい。
本当は「焼肉店の正肉として象徴的なカルビとロースについて、あまりにも自由に他部位の名前をつけすぎている」くらいの話が、記者のバイアスと紙幅の都合で雑なまとめになったのだろうか。いずれにしても、この件についての消費者庁は少し軽率だった。
■「ロースは特徴を表すメニュー名だ」と焼肉業界は猛反発
ことの発端はたった一人の客からの消費者庁への通報だったという。
愛知県内の焼肉店で「ロース」を注文した客が店員に使用部位を聞いたところ、「ロースはもも肉で、上ロースがロース肉」と回答。すると客が「表示がおかしい」と消費者庁へ苦情を申し立てた。
通報を受けて、消費者庁は調査を実施。多くの店の「ロース」メニューに「ロース」部位が使われていなかったため、「不当表示(優良誤認)」だとして、業界団体である全国焼肉協会に改善を要求したのだ。
業界にとっては寝耳に水だし、「焼肉店における『ロース』とは赤身を意味する。部位名というより特徴を表しているのに、ただ部位名に変えろというのは乱暴すぎる」と猛反発。「モモをロースと喧伝するのは優良誤認だ」とする消費者庁など霞が関と、「部位ではなく、特徴を表すメニュー名だ」と抗弁する焼肉店との間の溝は深かった。
■懲役や罰金のリスクに「ロース(もも)」表記案が浮上
もっともこの時点では話し合いへの道筋もあった。総務省のホームページによれば、「行政指導」とは「役所が、特定の人や事業者などに対して、ある行為を行うように(又は行わないように)具体的に求める行為(指導、勧告、助言など)をいい」、「行政指導は処分ではないので、特定の人や事業者の権利や義務に直接具体的な影響を及ぼすことはありません」と明記されている。しかし、当時の消費者庁は矛を収めなかった。
農水省の外郭団体も歩調をそろえた。
消費者庁表示対策課の担当者は「消費者にとって『ロース』は高級肉のロース。業界の慣行は言い訳にならず、消費者の認識と乖離があれば適正化を図ってもらうのは当然」と強い語調で言うが、ここで言う消費者とは誰だろう。
■「ロースとサーロインどちらが高いか」にどう答えるか
むしろ、消費者庁も農畜産業振興機構も、焼肉店を訪れる消費者のことを知らないのではないか。はっきり言って、焼肉好きには「ロース=優良」だという認識はほとんどない。
冗談ではなく、ロースが肉の部位を指しているということすら知らない人もいるかもしれない。もし「ロース、サーロイン、モモ、カルビを仕入れ値の高い順に並べよ」という意地の悪い設問があっても、設問に問題があると看破できる人はごくわずかだろうし、ざっくりした仕入れ値の順序を並べられる人もかなり少数だと思われる(ちなみにこの設問は、サーロインはロースの一部に含まれていて、「ロース」が何を指すかが不明確。設問として成立しないという意味においてたいへん底意地が悪い)。
焼肉店において、肉の良しあしは部位によるものではない。「上」や「特上」という各店舗による格付け上位のもの、もしくは近年、良質なものの入手が著しく難しいハラミやタンなどの人気の部位を指す。「ロース」だけをやり玉にあげたところでそもそも焼肉店には悪気がなく、消費者メリットもない。取り締まりの方向が根本的にズレているのだ。
■焼肉好きとって「ロースがどこの肉か」はささいなこと
そもそもこうした苦情自体がどうか。焼肉店における「ロース」が「部位としてのロースかどうか」という焼肉好きの消費者には重箱の隅とも言えることにめくじらを立てている時点で、どことなく気持ち悪く感じられる。
ことの真偽は不明だが「同じ商材を扱っているのに、規制がゆるいように見える焼肉店に腹を立てた精肉店の筋違いな腹いせでは」との話も聞こえてくるほどだ。
実際、消費者庁には端緒となった通報以外に苦情は寄せられていないという。唐木教授は「規制の必要性について、消費者庁は少なくとも事前に消費者たちと意見交換するべきだったのではないか」と話している。(2011年1月10日付中日新聞朝刊)
※文中の「唐木教授」は東京大学名誉教授の唐木英明氏を指す。
■大衆店の「ロース」「カルビ」表示は変えてほしくない
この“事件”から10年以上が経過した。焼肉店のメニューを眺めてみると、「ファミリーロース(かた・うで肉を使用)」「黒毛和牛ロース(もも・かた肉を使用)」と表記する安楽亭のような大手チェーンもあるが、消費者庁の解釈どおりに「優良誤認を招くから」という理由で、メニューの厳正表示に取り組んでいる店はそう多くない。それでも客は喜んで「ロース」を注文し、いつもどおりの「ロース」に舌鼓を打っている。
僕としては、高級店ならばメニューはできるだけ正確な部位名で知りたかったりもする。正確な部位がわかれば、特徴もわかるかもしれない。そうすればよりおいしく焼くことができるからだ。他方で長く通う信頼する大衆店ならば、メニューの「ロース」「カルビ」という表示を変えてほしくない。焼肉店においては、そうした味のある郷愁感も含めてごちそうなのだ。
物事にはさまざまな見方がある。ただ正しいというだけで、消費者の暮らしに寄り添っているとは限らない。もちろん店はできる限り、まっとうに営業してほしい。でも、たった一人の客に気に食わないことがあった程度のことで、いきなり通報されるような相互監視社会では息苦しくて仕方がない。
焼肉店はおいしく、楽しく食べる場所であってほしい。この件は昨今よく見聞きする「××警察」「▲▲ポリス」に象徴される、息苦しさと正確さの狭間のどこで私たちが生き、個人として、社会としてどう受け入れるか(もしくは拒絶するか)など、現代社会で問われがちな“寛容性”についての先行事例として、そして自らへの戒めとしても覚えておきたい。焼肉を通じて、こんなことにも思いを馳せることができるのだ。
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ライター/編集者/フードアクティビスト
東京都武蔵野市生まれ。食専門誌から新聞、雑誌、Webなどで「調理の仕組みと科学」「大衆食文化」「食から見た地方論/メディア論」などをテーマに広く執筆・編集業務に携わる。テレビ、ラジオで食トレンドやニュースの解説なども行い、食にまつわるコンサルティングも。著書に『大人の肉ドリル』『新しい卵ドリル』ほか。共著のレストラン年鑑『東京最高のレストラン』(ぴあ)審査員、「マンガ大賞」の選考員もつとめる。日本BBQ協会公認BBQ上級インストラクター
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(ライター/編集者/フードアクティビスト 松浦 達也)
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