「むしろ米英のほうが政府債務は増えている」財務省の主張を正面から否定した経団連シンクタンク報告書の中身
プレジデントオンライン / 2022年7月8日 15時15分
■経営者感覚で「クローズドシステム」は語れない
日本に限らず、経営者や経営者団体は、財政政策・金融政策といったマクロ経済政策に冷淡であることが多い。
これは経営とマクロ経済の違い、すなわち、「オープンシステム」と「クローズドシステム」の差に由来する。
例えば、個別企業の経営にあたっては能力に劣る労働者を整理し、無駄な支出を切り詰めるのは、個別企業の利益増進のために有益なこともあるだろう。
このように、問題をシステムの「外部」に出すことができる状況を、「オープンシステム」という。個別企業は典型的なオープンシステムだ。
一方、「日本経済」は個別企業より、はるかに閉鎖的なシステムである。つまり、典型的な「クローズドシステム」といえる。
能力の劣る社員をリストラしたとしても、彼が日本国民でなくなるわけではない。
経費を削減すれば、その分の資材を販売する取引先の売り上げを低下させてしまう。
経営者とは、オープンシステム(である企業)の運営に手腕を発揮してきた人たちだ。いわば、オープンシステムの世界におけるエリートである。
しかし、時として、「オープンシステムの論理」と、「クローズドシステムの論理」は、互いに相反することもある。
例えば、「お金は使ったらなくなる」というのは、オープンシステムでは自明の理である。
何かを買ったら、その代金分、あなた(というオープンシステム)の資産は減少する。
しかし、日本経済というクローズドシステムにおいては、「お金を使っても、なくならない」。取引を通じてお金の「所有者」が変わるだけだ。
日本経済の問題を考えるときは、経営者に限らず、私たちが日常慣れ親しんでいる、「オープンシステムの思考法」から離れる必要がある。
■「経団連系シンクタンクが積極財政を提言」の衝撃
一方、そうした状況に変化が起きつつある。
さる6月2日、経団連のシンクタンク・21世紀政策研究所より政策提言報告書「中間層復活に向けた経済財政運営の大転換」がリリースされた(以下、「経団連報告書」とする)。
永濱利廣氏(第一生命経済研究所)を研究主幹として、昨年来開かれてきた、同研究所の経済構造研究会の研究成果をまとめている。
これからの日本経済における積極的な財政出動の必要性を主張し、望ましい財政支出の使途について論じる内容となっている。
経団連に限らず、経営者団体による政策提言は、財政再建色が強いといわれている。
そのため、積極財政を主張する報告書が、経団連系シンクタンクから発表されたことを、意外に感じるむきもあるようだ。
もっとも、21世紀政策研究所における研究プロジェクトは、経団連やその会員企業の意向に左右されることなく、参加者の自主的で自由な研究の成果として発表されるものだ。
その意味で、経団連報告書は、経団連の公式な政策見解を示すものではないという点には、ご注意いただきたい。
ちなみに、経団連報告書に基づき、経団連会員やその関係者向けのセミナーが開催されたが、参加者(経営者や幹部社員)の反応は好意的だったようだ。
これまで、経団連をはじめとする経済団体が、「緊縮財政」を提言しがちだったとはいえ、個々の経営者が、必ずしも緊縮財政を志向しているとは限らない。
「オープンシステム」ではなく、「クローズドシステム」による問題整理の必要性に目を向ければ、論理的に「緊縮財政」から「積極財政」へと、見解が変化する可能性もあるだろう。
■「借金を残すな」は「資産を残すな」と同じ意味
積極財政の主張への主要な批判は、日本の財政状況は悪化を続けており、これ以上の財政支出は財源の点で不可能であるというものになるだろう。
しかし、この主張にはいくつかの見落としがある。
日本国債の多くは、金融機関や家計、そして日本銀行といった、日本国内の経済主体が保有しており、保有者にとって国債は資産である。
そのため、財政再建のスローガンとして用いられる「子孫に借金を残すな」という表現は、一面的な見方というべきだろう。
子孫の代に政府の「負債」を残すことは、同時に民間金融「資産」(としての国債)を残すことでもあるからだ。
そもそも、日本の財政状況が、本当に悪化を続けているのか、検証が必要だろう。
データの切り口を変えると、メディア等で喧伝(けんでん)される日本の財政状況とは、異なる理解が得られるからだ。
2001年以降の政府純債務伸び率を概観すると、米英で5倍を超える純債務残高の増大が見られるのに対し、日本のそれは2倍に満たない。
つまり、日本の財政は米英と比べても健全な状態だと見ることもできるのである。
■いわゆる「ワニの口」論はウソである
また、いわゆる「ワニの口」論にも注意が必要だ。
「ワニの口」とは、日本の税収と歳出の差が年々拡大しており、グラフ化すると、ワニが口を開けたように見える、というものだ。
![【図表1】バイアスのかかった典型的な「ワニの口」の歳出と歳入の乖離](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/b/3/1200wm/img_b3bd7b49e91e0c95421b106a622904a2306987.jpg)
しかし、この「ワニの口」論には少々注意が必要だ。
そのことを明らかにしたのが、「経団連報告書」の第2章に収録された、会田卓司氏の論考である。
その内容を簡単に説明すると、以下のようになる。
日本政府は、いわゆる「60年ルール」に基づいて、国債残高のうちの数%を毎年償還(返済)している。
ただ、これはあくまで形式上の措置で、実際にはその大半は代わりに国債を発行して、借り換えを行っている。
また、その返済費用を、一般会計の「歳出」に計上している。
しかし、「借り換え」のために国債発行した分は、「歳入」に計上されていない。
そのため、毎年の「国債償還費」の分だけ、歳入と歳出のギャップが広がって見えてしまうのだ。ほとんどの国でこのような歳出ルールは存在しない。
このギャップが積もり積もったのが、「ワニの口」だというのである。
■繰り上げ返済のために借金をする?
これは、いわば住宅ローンを繰り上げ返済するために、毎年借金をしているようなものだ。
もし、住宅ローンを繰り上げ返済するために、借り入れをしていますという人がいたら、「繰り上げ返済をやめなさい」とアドバイスされるのが普通だろう。
金利が趨勢(すうせい)的に低下する中なら、借り換えによって利子負担を軽減できるが、現在はゼロに近い金利で推移しているため、その必要性は薄くなっている。
ちなみに、米国等では、こうした不思議な扱いはない。
先述の「ワニの口」グラフを、グローバル・スタンダードにあわせて見てみると、次のようになる。
![【図表2】グローバル・スタンダードに基づく適切な手法の歳出と歳入の乖離](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/b/5/1200wm/img_b55df2ed51f21f82530317b47e1a19e9391585.jpg)
見事に「ワニの口」が消滅してしまうことがわかるだろう。
■政府がケチっている金額は「内閣府推計で年33兆円」
一方で、財政支出を無限に拡大できないのもまた確かだ。
ここで注目すべきは日本経済の供給能力――財・サービスの潜在的な生産能力と総需要の関係だ。総需要が供給能力に匹敵している状況で、さらに政府による支出を増加させるとその分民間が利用可能な財・サービスは減少する。
この時、政府支出の拡大は、ディマンドプル型のインフレと民間経済活動のクラウディングアウトをもたらす。
その意味で、財政支出の限界は債務残高ではなく、(国内の生産活動に関する)インフレにある。
供給能力と総需要の差は、内閣府(GDPギャップ)や日本銀行(需給ギャップ)によって推計されている。
これらの推計での潜在GDPは、供給能力の天井ではなく、平均的な供給水準を表している。そのため、現実のGDPが潜在GDPを超過することも可能である。
あくまで目安ではあるが、これらの推計で、GDPがその潜在水準を2%以上超過するようになると、国内の財・サービスに不足感が生じ、それ以上の財政支出の拡大には弊害を考慮すべき状態になる。
ちなみに、内閣府が推計するGDPギャップは2021年末時点でマイナス4%ほど、日銀の推計ではマイナス1.6%ほどだ。
これに基づくと、日銀推計に依拠する場合は年20兆円、内閣府推計に依拠する場合は年33兆円ほどの財政拡大余地がある、ということになる。
もちろん本年後半は2021年よりも民間経済活動が活発になると考えられるが、5月31日に成立した2.7兆円の補正予算案はあきらかに過小だろう。
■再考に値するアーサー・オーカンの「高圧経済論」
国内経済の需給ギャップを埋め、国内の潜在的な供給能力がフルに活用される状況を維持することは長期的な経済成長にとっても大きな意味を持っている。
その根拠となるのが高圧経済(High Pressure Economy)の議論だ。
1973年のアーサー・オーカンによって提唱された高圧経済論は、2016年にFRBのイエレン議長(当時)によるスピーチで再注目されるようになった(なお、イエレン氏は過去にも経済学者として高圧経済に関する学術論文を執筆しており、アカデミックな意味ではそれほど意外感のある言及ではない)。
元々の高圧経済論は、労働市場に注目することが多かった。
総需要が供給能力を上回る経済は人手不足傾向になる。人手不足経済においては、より多くの労働者が職を得ることができる。そして職についていることそのものが経験を通じて労働者の能力を向上させていく、というわけだ。
能力・経験面で失業しやすい労働者が、働くこと自体を通じて、その能力を向上させていくことは、長期の経済効率にとってプラスの効果を持つ。
つまり、短期的な経済政策と思われがちだが、いわゆる「景気対策」は、長期の経済成長政策の側面もあわせもつというわけだ。
また、人手不足環境では、労働者の自発的な転職が活発化する。
生産性の低い地域・産業から、成長の見込まれる地域・産業への労働力の移動は、経済全体の平均生産性を向上させるだろう。
なお「経団連報告書」の拙稿では、高圧経済下での人口移動、なかでも東京一極集中の是正が長期的な経済成長に資すること、そのための財政支出を惜しんではならないことを主張している。
さらに人手不足はそれを補うためのIT投資やAIの導入を促進するといった利点もあるだろう。
オーカンによる高圧経済の提言は、その後のオイルショックによって、継続的な研究プログラムとなることはなかった。
また、近年の高圧経済論も直近の資源価格高騰によってその興味・関心が低下しつつあるようだ。
しかし、現在生じている外発的な資源価格高騰と国内経済活動に対する需給ギャップはわけて考えなければならない。
資源価格高は家計の資金的余裕を奪う。これが国内で生産される財・サービスへの需要を一層低下させるならば、むしろ資源高の現在こそ、国内経済における需要喚起の必要性に注目する必要があるだろう。
ではどのような需要喚起手段があり得るのか。
経団連報告書では「新しい価値観に基づく投資」「労働市場・社会保障改革」「公共部門の賃上げと競争政策」「地域再生」に関する各論も併記されているため、ご興味の向きにはぜひ一読いただきたい。
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明治大学政治経済学部准教授
1975年生まれ。東京大学経済学部卒業、同大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。専攻はマクロ経済学、経済政策。『経済学講義』(ちくま新書)、『日本史に学ぶマネーの論理』(PHP研究所)など著書、メディア出演多数。noteマガジン「経済学思考を実践しよう」はこちら。
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(明治大学政治経済学部准教授 飯田 泰之)
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