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うちはポテチ界の「負け犬」になっていた…湖池屋がプレミアム路線でヒット連発企業に生まれ変われたワケ

プレジデントオンライン / 2022年7月9日 10時15分

パッケージデザインも商品名も斬新な「プライドポテト」のラインナップ。 - 写真提供=湖池屋

キリン出身でヒット商品を数多く手掛けた佐藤章氏が湖池屋の社長に就任したとき、同社は「負け犬」状態だった。就任後、短期間で業績を回復させた佐藤社長は、湖池屋をどうやって立て直したのか。ヒット商品の作り方、チーム作り、今後の経営戦略などを聞いた。

■王者カルビーばかり見ていた「負け犬」だった

——キリンビバレッジ社長を退任し、湖池屋に来たとき、会社はどんな状況だと判断しましたか?

【佐藤】2016年5月に来て、ジーっと3カ月ほど社内を観察していました。一つわかったことは、“負け犬”になってしまっていた、ということ。社内の各所で説明を聞いても、遠吠えにしか聞こえなかった。

トップメーカーであるカルビーの低価格戦略に巻き込まれてしまっていて、どうすることもできなくなっていたのです。業績は低迷し、お客様ではなくカルビーの動向ばかりを、みんな気にしていた。

湖池屋は1953年に創業、62年に「ポテトチップスのり塩」を発売。67年には日本で初めてポテトチップスの量産に成功する。もともと先駆者だったのです。

——名門企業が赤字に転落し窮地に陥ることはよくあります。負けの状況から、どのように再建していこうと計画されたのでしょうか。

【佐藤】僕がよく使う手法ですが、「バック・トゥ・ザ・ベーシック」を考えました。創業時代の基本に戻ろう、と。日本の伝統料理である天ぷらに、創業者の小池和夫は着眼。高温でサッと揚げて、ポテトチップスが立つと油ぎれがよいことを見いだし、料理を作る感覚の延長で「のり塩」を開発しました。

高温短時間の調理法をはじめ、もう一度、創業者に習おうじゃないか、と。

■オタク商品がセンターを張る時代

——その結果生まれたのが、17年発売の大人向けのポテトチップス「プライドポテト」ですね。

【佐藤】そうです。創業期に戻り、現代でも通用するプレミアムなスナック菓子を作ろう、と意図したのです。

製品開発だけではなく、社名をフレンテから湖池屋に戻し、さらに六角形に「湖」を入れた会社のロゴも一新します。創業家である小池孝会長とも侃侃諤諤(かんかんがくがく)に議論し、「湖池屋を名乗り直しましょうよ」と合意した。経営陣から新入社員まで人心が一つになって、新生・湖池屋としての再スタートを切ったのです。

おかげさまで「プライドポテト」はヒットし、社員は自信を持ちました。キリン時代に培ったものを、僕はすべて使い切りました。

——ヒットの一発で終わるのでなく、新ブランドを連続して立ち上げ、リニューアルも行いました。佐藤さんらしいですね。

【佐藤】僕が来てから、プライドポテトのほか、「THE KOIKEYA」「PURE POTATOじゃがいも心地」「湖池屋STRONG」を新たに立ち上げ、「カラムーチョ」「スコーン」「ドンタコス」をフルリニューアルした。「ポリンキー」はこれからリニューアルします。

既存商品を安く売っているだけでは、明日はありません。不毛な戦いに終始すると、お客様は離れていく。どんなヒット商品でも、ブランドを磨き続けなければ飽きられていくものです。

——社長でありながら、マーケティング部長の役割も佐藤さんは担っていますね。

【佐藤】経営方針とマーケティング基本戦略は、僕が作っています。ただし、基本戦略にのっとり、いまのマーケ部長はきめ細かく現場で動いてくれています。

コーポレートブランドのリブランディングを行うとき、商品ブランドとの有機的な結びつきは求められます。

——安売り競争に陥りやすい「手軽で必要とされるもの」ではなく、高価でブランド力が問われる「上質で愛されるもの」を中心に、展開していくのでしょうか。

【佐藤】その通りです。人口が減少していく日本だけではなく、海外市場も同じように捉えています。これからは、新しいニッチ市場の創出が求められていきます。オタク商品がセンターを張っていく時代が来ます。

■メーカーは商品でしか変われない

——湖池屋の波状攻勢は、キリンビバレッジで「ファイヤ」「生茶」「アミノサプリ」と、99年から02年にかけて短期間にヒットを連発させたのと重なります。

【佐藤】メーカーは演歌歌手によくある“一発屋”であってはならない。サザンオールスターズの桑田佳祐さんやユーミンのように、ヒットを出し続けなければダメ。桑田さんの楽曲を、若い人がカラオケで唄えば、世代を超えた循環が形成されていく。

僕たちメーカーは商品でしか変われません。新商品を毎年出して、その中にヒットが生まれ、大きな定番ブランドに成長していく。やがて、定番もリニューアルして勝負する。すると、世の中での存在感が生まれていくのです。狙わないと、できないことです。

——昔の大ヒット商品だけに依存するのは、リスクを伴いますね。

【佐藤】キリンの「ラガー」、キリンビバレッジの「午後の紅茶」だけでは、やっていけなかった。商品はコモディティ化して安売り競争という消耗戦に入るのは、最悪の展開なのです。

スナック菓子を含め食品の市場はいま、多層化、複雑化しています。特にZ世代(90年代半ばから2010年代初めに生まれた世代)に対応した商品開発は、課題ではあります。

「マーケティングが販促だけのツールになったなら、明日はない」と語る佐藤章社長。
撮影=大沢尚芳
「マーケティングが販促だけのツールになったなら、明日はない」と語る佐藤章社長。 - 撮影=大沢尚芳

■優等生的な商品は売れない

——佐藤さんはキリン時代に、「ヒットを狙うのではなくホームランを狙え。二番煎じはやるな」と話していました。

【佐藤】ヒットを打とうと考えたら、ヒットは打てません。合わせにいくと、差別化は難しくなるからです。当てにいくのではなく、スタンスを思い切り大きくとってホームランを狙うのです。理屈が正しい優等生的な商品は売れません。他社のヒットに追随しても、短期的に売れても長続きはしませんから。

——上から命じられたら、どうしていましたか。

【佐藤】拒否するか、作り込んでまったく新しいものに変えていました。

キリン時代、僕はお客様の不満を徹底的に聞き、解決策をいかに商品に投影するかを、ものづくりの基本としていました。

プロジェクトを組む際には、まずはリーダーを決める。社内の各部署、さらに外部からメンバーを集めてチームを作る。問題解決への仮説を設定し、徹底的に意見を出し合ってもらう。ただし、最終的にはリーダーに決めさせます。

リーダーにはいつも「構造を見ろ」と話していました。

ノンアルコールのビールテイスト飲料は09年にキリンが発売しますが、企画が始まったのは07年秋。僕がビバレッジからキリンビールのマーケ部長に異動した半年後でした。

僕は、日用品メーカーから転職してきた20代女性社員をリーダーに起用する。彼女は、メンバーとフラットな立場で議論を重ねる一方、警察の研究所にも取材し、「アルコール度数0.00%」という新しいカテゴリを見出し、新市場を創出します。それまでのノンアルコールビール飲料は0.5%未満のアルコールが含まれていた(酒税法上、アルコール1%未満は清涼飲料)のですが、この構造を一新させました。

■飛び級制を導入し20代の次長と課長が誕生

——湖池屋での人づくりについて、聞かせください。

【佐藤】昨夏稼働を始めた九州阿蘇工場の現場は、高卒の新入社員ばかりにしました。(17年以降の)大卒では「若くともチャンスをもらえる会社」「こんなことをしたい」という意欲から入社する人が増えています。現実に、やりたいことをすぐにやらせていまして、20代の次長と課長が誕生しています。

永井隆『キリンを作った男』(プレジデント社)
永井隆『キリンを作った男』(プレジデント社)

次代の湖池屋を背負える人材を育成するのは、急務であります。2年連続して、人事評価で「S」を獲得すると、“飛び級”となり、若くして昇進できるようにしました。チャレンジ目標を、社員全員に作ってもらっているのですが、必達目標を大きくクリアするとSとなります。ヒット商品の開発、大口取引先の開拓など、最終的には僕が認める形です。

スナック菓子は若手のセンスがなければ、うまくはいかない事業なのです。

自由で放牧した会社に、僕が社長になった16年から導入しました。実はキリンビバレッジ社長の時から、ずっと考えてきた体制なんです。いまの若手にとって一番いけないのは、ピリピリした職場にしてしまうこと。僕らが20代の頃とは、時代は違うのです。

■日本のスナック菓子が海外で売れる理由

——人口減から国内市場は縮小していきます。海外事業はどうしていきますか?

【佐藤】実は海外事業が前期(22年3月期)、初めて黒字になりました。

アジアでは台湾やタイが好調で、工場があるベトナムの単年度黒字化も、もう少しで実現できます。ベトナムは近代的な小売形態であるモダントレードの割合が大都市で高まり、コスト削減できてきたのが大きい。

欧米市場は、もともと値崩れしないので健闘できています。スナック菓子の大手であるペプシコ系のレイズにどう対抗していくかはポイントです。

僕が就任した16年6月期の売上高は約300億円でしたが、5年で約400億円まで成長しました。22年3月期は決算月を変更したため、9カ月間で304億円の規模。このうち海外は43億円。3年後の25年には全体の売上高700億円として、このうち海外事業を100億円にしていきたい。

——積極策ですね。いま、日本は半導体をはじめ液晶、リチウムイオン電池、さらにEVなど先端分野が劣勢になっています。

【佐藤】日本製スナック菓子が海外で売れる理由は、二つあります。

一つはレイズにない味わいのスペックがある。

もう一つは、日本品質に対する信頼度が、アジアをはじめ海外では高いから。先端分野はともかく、自分たちが思うよりも、日本ブランドは外国人から認められています。

ただし、例えば厚切りのポテトチップスは、芋がどうして濃厚なのか、といったエビデンスをきちんと発信する必要はあります。店頭やSNSを通して。売りっ放しではダメ。スナックは日本円で1000円しない商品です。うまさと品質に、徹底してこだわっていく。

僕は日清食品ホールディングスの常務執行役員も兼務しています。日清食品と湖池屋との相乗効果をつくっていくのも、課題です。

——スナック菓子の将来性は高いのでは?

【佐藤】僕が子供の頃、日本人は一日に3食をきちんと摂っていた。ところがいま、若い世代では5食も6食も食べている若者もいる。僕は、“食のシームレス化”が起きていると読んでいます。

健康に配慮したスナック菓子のニーズは高く、一方で災害時でもスナック菓子は有効なんです。16年まで、ビールや清涼飲料と脇役の飲み物をやってきました。が、主役である食べ物に来た。スナック革命をグループとして実現させていきたいです。

新生・湖池屋の企業ロゴの前に立つ佐藤章社長。
撮影=大沢尚芳
新生・湖池屋の企業ロゴの前に立つ佐藤章社長。 - 撮影=大沢尚芳
佐藤 章(さとう・あきら)
湖池屋 社長
1959年生まれ。82年にキリンビールに入社し、群馬県を担当する営業マンに。90年にキリンビールマーケティング部に異動、「ブラウンマイスター」を手掛ける。97年に清涼飲料のキリンビバレッジに部長職で異動し、「ファイア」「生茶」「聞茶」「アミノサプリ」とヒットを連発。07年にキリンビールマーケ部に戻り、08年に部長に。09年に「一番搾り」を麦芽100%にリニューアルし、これが奏功して同年アサヒを抜いてキリンは業界首位に。キリンビバレッジ社長を経て、16年に湖池屋社長。17年に「プライドポテト」をヒットさせ、湖池屋を上昇気流に乗せる。

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永井 隆(ながい・たかし)
ジャーナリスト
1958年、群馬県生まれ。明治大学経営学部卒業。東京タイムズ記者を経て、1992年フリーとして独立。現在、雑誌や新聞、ウェブで取材執筆活動をおこなう傍ら、テレビ、ラジオのコメンテーターも務める。著書に『キリンを作った男』(プレジデント社)、『サントリー対キリン』『ビール15年戦争』『ビール最終戦争』『人事と出世の方程式』(日本経済新聞出版社)、『国産エコ技術の突破力!』(技術評論社)、『敗れざるサラリーマンたち』(講談社)、『一身上の都合』(SBクリエイティブ)、『現場力』(PHP研究所)などがある。

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(ジャーナリスト 永井 隆)

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