「痛みが取れたら夫婦でパチンコに行きたい」末期がんの女性が選んだ人生最後のシナリオ
プレジデントオンライン / 2022年7月10日 11時15分
※本稿は、萬田緑平『家で死のう! 緩和ケア医による「死に方」の教科書』(三五館シンシャ)の一部を再編集したものです。
■「治療しないとたいへんなことになります」という定番フレーズ
医師が患者さんに治療を勧めるときの定番フレーズが「治療しないとたいへんなことになります」です。
私はいろいろな意味で、このフレーズが腑に落ちません。まず、「たいへんなこと」とは、つまり「死ぬこと」もしくは「苦しいこと」になります。そもそも、治療をすれば死なないのでしょうか。いいえ。治療してもしなくても、人は必ず死にます。むしろ、治療することで命が短くなることもあります。また、治療すれば苦しいことが起きないのでしょうか。いいえ。むしろ、治療すると患者さんは副作用や後遺症で苦しむこともあります。
それなのに、なぜ医師の多くが「治療しないとたいへんなことになります」と言うのかというと、じつは病院の医師のほとんどは、治療しなかったときどうなるか知らないからです。病院には治療を希望しない人はほとんどやってきません。医師が知っている「治療しなかった人」は、治療を拒否したのちに、やむをえず病院に運ばれてきた重症患者だけです。
すると、彼らはほんの一部の事例から「治療しない=重症化する」と思い込んでしまいます。治療せず、たいへんなことにならなかった人は病院に運ばれてこないから、知らないのです。だから、「治療しないとたいへんなことになりますよ」となってしまうわけです。
■緩和ケアにかかわったからこそ言えることがある
私の患者さんは、全員がんを放置しています。目に見える大きな腫瘍を、首や胸、腹部などに抱えて生きている人もいます。治療するよりも、生きることを上手に支えてあげたほうが、むしろ長く生きられると思っています。病院の医師はこのことを知りません。でもそれは、仕方がないことです。
このフレーズに関してのもう一つの疑問が、「治療したとき」と「治療しなかったとき」をくらべてもいないのに、「治療すれば大丈夫」「治療しなければたいへんなことになる」と伝えている点です。
医師は、治療した場合の生存率や死亡率を提示することはできます。しかし、治療しなかった場合の生存率や死亡率を伝えることはできません。そんなデータは取られていないからです。つまり、「治療しなければたいへんなことになる」は、医師が自分で経験してきた限定的な治療経験だけを根拠に話しているフレーズだといえます。
しかしこれは、医師が責められることではありません。医師は一般市民にくらべて、恐ろしい場面をたくさん見てきているため、それが真実、それがすべてだと思って「善意」から説明しているのです。人は自分で経験したり学んだりした狭い範囲の事柄から、物事の見方ができあがっていきます。私を含めて、誰にでもいえることです。
だから私は、わからないものはわからない、と正直であろうと思っています。私は患者さんに「治療したらどうなるのか」「治療しなかったらどうなるのか」を自分がわかる範囲で説明します。どちらか一方だけに限定せず、それぞれの場合のメリットとデメリットをすべてお伝えするようにします。
私にこれができるのは、治療をやめた人が家で暮らして亡くなっていく過程を誰よりも知っているからです。同時に、以前は外科医として治療の最前線に立っていたので、治療した場合の死への過程も知っています。だから、死から逆算して「治療した場合」「治療しなかった場合」を説明することができます。
■「あなたの場合は余命がわかりません」
乳がんを治療しなかった彼女の最期~望月明美さん
望月明美(仮名)さんは65歳のときに乳がんのステージ4、肝転移もあり、余命4カ月と診断されましたが、「治療しない道」を選びました。その1年後には多発性骨転移が見つかるも、何度も告知された余命を超えて生き続け、そのうち主治医から、「あなたの場合は余命がわかりません」と言われたそうです。
明美さんは、内服の抗がん剤治療を受けているふりをしていました。「治らないのだから飲んでもしょうがない」と、飲んだふりをしてこれまですごしてきたそうです。飲んでいないことがバレると病院で診てもらえないため、薬をもらうだけはもらっていました。
そんな明美さんも67歳をすぎてから、がんの疼痛(とうつう)で全身が痛み出してきました。とくにお尻のあたりが痛く、そのため椅子に座れず、仰向けで寝られなくなってきました。萬田診療所を旦那さんとともに訪ねてきた明美さんは、「あたしら夫婦でパチンコ好き。痛みが取れたらパチンコに行きたい」と言います。
病院の主治医に痛みを訴えたところ医療用麻薬を提案されましたが、怖くて拒否したそうです。私はいつものようにたっぷり20分かけて、医療用麻薬の説明を丁寧にしました。
そのプレゼンは成功したようで、「へえ!」と納得の声をあげた明美さんに、さっそく飲み薬と貼り薬の医療用麻薬を処方しました。近所の薬局で現物を購入してもらい、使い方をレクチャーしました。痛みの度合いから通院は難しそうだったので訪問診療を提案すると、「家が汚いから訪問はダメ! お金もないし、通院でお願いします」と言います。
■痛みや吐き気が辛く「早く逝きたい」と訴える明美さん
通院してもらいながら、医療用麻薬で痛みをコントロールしていくと、明美さんは「大好きなパチンコに行けた」と喜んでいました。椅子に座ることもできないほど痛みがひどかったので、それをやわらげてくれる医療用麻薬の効果に驚いていました。
その後、2週間経っても、明美さんは外来に来ませんでした。看護師が電話を入れてもいつも留守です。夫婦揃っていろいろな場所に外出していることがわかりました。明美さんは終末期の患者さんです。いつ亡くなってもおかしくない状況です。だとしても、死と向き合って逃げていない人は、病状のわりに案外ふつうに生きていけるものなのです。
最後の外来から数えること18日目に、明美さん本人から電話がありました。「とうとう動けなくなったから、訪問してほしいです」「わかりました。これから行きます」「ありがたいけど、今日はダメ」「どうしてですか?」「部屋が汚い。なんとか部屋を片づけるから、明日にして!」明美さんの声は、いつものように威勢がいいものでした。
翌日、ご自宅にうかがうと、明美さんは痛みや吐き気がつらく、「早く逝きたい」と口にします。すると、旦那さんや娘さんは「そんなこと言うなよ」「頑張ろうよ」「食べて栄養をとらなきゃ」と励まします。私は、枯れるように痩せていくのが体に負担がかからないと家族に伝え、今は本人の心にいいことを支援してあげようと提案しました。
■「あとどのくらいなら『もういい』と思えますか?」
「私のつらさをわかってほしい、という気持ちを『早く逝きたい』という脅し文句を使って表現しているのだと思います。明美さんの気持ちをわかってあげてください。もちろん、明美さんはまだそんな状態ではないと思いたいでしょう。でも、あとどのくらいなら『もういい』と思えますか? 1年? 半年? 1カ月?」
明美さんの寝ているベッドサイドでそう伝えると、旦那さんも娘さんも黙り込みました。そのときです。
「あと2、3日!」
明美さんが大きな声で叫びました。旦那さんも娘さんも目を丸くします。私自身、まさか本人から返事が来るとは思っていませんでした。しかし、その返事を借りて、明美さんの心情を代弁しようと試みました。
「明美さんは、いつまでも生きているわけじゃないことを伝えたいのではないでしょうか。本人が自分の体のことは一番わかっています。今家族にできることは、『頑張れ』でも、『食べて』でもなく、感謝の言葉を伝えることではないでしょうか。いっぱい泣いてあげてください。だけどその涙は、後悔の涙ではなく、感謝の涙にしてください」
明美さんは「うんうん」とうなずいていました。朗らかな笑みを浮かべているように見えました。
その2日後、医療用麻薬をはじめとする緩和ケア処置の効果もあり、明美さんは眠っている時間が長くなっていきました。旦那さんも娘さんも、すでに明美さんに感謝の気持ちを伝え終わっていて、このまま目覚めなければ亡くなってしまうことを受け止めています。
■人生の最終章を見事に演じ切って亡くなった
そして日付が変わった深夜1時、明美さんの呼吸は止まりました。親戚家族がみんな集まって、大勢に囲まれながら亡くなっていきました。「自分であと2、3日と宣言して、本当にそのとおり逝っちゃった。母はわかっていたんですねえ。でも、母の最後の望みが叶えられてよかったです」娘さんの言葉を聞き、私は明美さんと初めて会ったときの会話を思い出しました。
「入院している患者さんは死ぬまで病院から出られなくて、みんな『ムンクの叫び』だよ。あたしが死ぬときはみんな別れを惜しんで泣いてくれて、あたしは笑って死ぬ。そうするんだって決めているんだ」
もし明美さんが「治療する道」を選んでいたら、大勢の親戚たちに囲まれて亡くなっていくことはできなかったでしょう。明美さんは、人生の最終章のシナリオを自分で書き、見事シナリオどおりに演じ切ったのです。それを実現させるための時間は「あと2、3日」しかないことを、あのとき明美さんはわかっていたのかもしれません。
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医師
1964年生まれ。群馬大学医学部卒業後、群馬大学附属病院第一外科に勤務。手術、抗がん剤治療、胃ろう造設などを行なう中で、医療のあり方に疑問を持つ。2008年から9年にわたり緩和ケア診療所に勤務し、在宅緩和ケア医として2000人の看取りに関わる。現在は、自ら開設した「緩和ケア 萬田診療所」の院長を務めながら、「最期まで精一杯生きる」と題した講演活動を日本全国で年間50回以上行なっている。著書に『家で死のう! 緩和ケア医による「死に方」の教科書』(三五館シンシャ)などがある。
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(医師 萬田 緑平)
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