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「読み書きはバッチリなのに、まったく話せない」難関を突破した東大生の英語スキルが残念であるワケ

プレジデントオンライン / 2022年7月12日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/XiXinXing

難関入試を突破してきた東大生の英語力はどのようなものなのか。現役東大生ライターの布施川天馬さんは「1年生全員が受講する英語のプレゼンの授業がある。そこでは受験英語で培った英語力はほとんど役に立たなかった」という――。

■英語を勉強してきても「英語ができない」

みなさんは東大生の英語能力というと、どんなイメージを持っているでしょうか。

僕自身はと言われますと、そこまで得意ではないものの、そこそこできるほうではあると思っています。授業などで英語論文を取り扱ったり、英語の講義ビデオを視聴する機会も多く、それなりに英語を使用する機会も多いからです。

ですが、例えば仕事の面接などで「あなたは英語ができますか?」と質問をされれば、僕は「できません」と答えるでしょう。というのも、英語の能力には大きく分けて4つの能力が存在するからです。

その4つの能力とは、①リーディング(読む)②ライティング(書く)③リスニング(聞く)④スピーキング(話す)――を指します。どれも英語を使う上で欠かせない大事な能力ですが、一般的に「英語ができる」というと、外国人と英語である程度会話ができるような状況を指すような気がしています。すなわち、先に挙げた4つの能力のうちでは③と④の能力が重視されているのです。

それなりに英語を勉強してきたはずなのに「英語ができない」という理由はここにあります。受験勉強の中で①リーディング②ライティング③リスニングの能力はある程度育っているという自負はあるのですが、一方で外国人と話すとなるとカチンコチンに緊張して固まってしまいます。それは、④スピーキングの能力が自分には全く欠けていることがハッキリとわかっているからです。

■読み書き能力は受験英語で養うことができた

まず、一つ最初に述べておくと、現状の大学受験制度は非常に優れています。ペーパーテストで大人数に公平な立場から試験を課すことができる利点を取りつつ、最大限さまざまな角度から受験者の英語運用能力を試しています。

勉強する制服の女の子
写真=iStock.com/miya227
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/miya227

しかし、そうした制度でも手が回らない分野は存在します。それこそが、スピーキング能力なのです。

受験者がどれだけ流暢に英語を話すことができるかを試すには、その試験が高度になればなるほどに、試験を課す側の負担が指数関数的に増加していきます。なぜならば、公平性を担保しつつ採点を行うとなれば、究極的には採点基準揺れを防ぐためにも、採点者はたった一人で全受験生との面接(もしくは面接ビデオ)に臨んで能力を確認する羽目になってしまうからです。全国で数十万人にも上るであろう受験者すべてのスピーキング能力をテストするのは現実的には不可能であると言わざるをえません。

ここまで見ると、まるで受験英語は役に立たないかのように見えるかもしれません。とはいえ、先ほど述べたことは、裏を返すのであれば、冒頭で述べた4技能のうちの3つはカバーできているということを表しています。

実際、専門家には遠く及ばないまでも、英語の読み書きの能力は受験英語を通して培うことができました。辞書さえあればなんとか英語の本やレポートでも読み進めることができますし、字幕などの補助があれば、なんとか洋画や海外ドラマなども吹き替えなしで視聴できます。

これは間違いなく受験勉強の中で英語の読み書き、そしてリスニング能力を鍛えたが故の恩恵であり、受験英語は英語力の向上に役に立たないなんてことは、全くありえないと僕は考えています。受験英語が役に立たないのではなく、大学以降の世界で要求される英語運用能力のレベルが急上昇していると考えるほうが適切でしょう。

というのも、大学に入学するまではリーディング、ライティング、リスニングの3能力が問われるにもかかわらず、大学入学以降の世界ではこれら3技能は当然としたうえで、スピーキング能力のレベルが大きく影響してくるためです。

■大学のカリキュラムからは英語は避けて通れない

研究分野や内容にもよるのですが、例えば僕の学んでいる言語学などは、日本国内よりも海外の方が研究が大きく進んでいる分野として有名です。となると、教科書や資料の論文などはほとんどが海外のものを使うことになり、もちろん英語を避けて通ることはできません。

ここまでは大学で少しでも研究をしたことがある方なら「そんなの当たり前だろう」と思われるかもしれません。ですが、今の大学では僕ら言語学専攻のような英語をバリバリに使っていくような学生以外でも、英語の使用から逃げられないようなカリキュラムが組まれていることが非常に多いのです。

■東大1年生の心を折る英語の必修科目

例えば、東京大学の場合、ALESA(理系学生はALESS)やFLOWと呼ばれる授業があります。これは大学入学直後の1年生の時に受講する必修科目で、それぞれ「英語で小レポートを書く」「英語でミニプレゼンを行う」という内容になっています。

東大赤門
写真=iStock.com/ranmaru_
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/ranmaru_

これら授業の最大の特徴は、指導教員が英語のネイティブスピーカーであり、基本的に授業中の日本語での発言は禁止、英語オンリーでの指導、受講が義務付けられているということです。講義に使用される言語はもちろん、講義中に配られる資料も英語オンリーですし、学生が発言する際にも、その発言に別の学生が質問するときにも、すべてを英語で行わなくてはいけません。

読み書きはともかく、スピーキングなんて東大生であろうとも全くの未知数の分野ですから、いざ発言や質問をしようにもうまく言葉が出てこない、なんていうのもざら。期待に胸を膨らませて東大に入学してきた学生たちは、大体これらの授業にぶつかって心が折れます。

もちろん、こうした事態を見越してなのか、救済措置はあります。しかし、その救済措置の中にとんでもない罠が仕掛けられているのです。

先ほども述べた通り、受験で英語を話す能力が試されない以上、個人的に英会話を習うなどしていなければ、スピーキングについてはほとんど素人の状態で放り出されてしまいます。一方で、東大には帰国子女だったり長期留学帰りだったりするような学生も数多く在籍しています。

普通に考えて、英語のずぶの素人と帰国子女とをいきなり英語で議論をさせようというのも、なかなか無謀なことでしょう。まず間違いなく会話になりません。

ですから、ALESAやFLOWには個々人の英語運用能力によってクラスが分けられます。それぞれの運用能力を考慮して、なるべく同じような英語力の集団ができるように、入学時点で調整するのです。

■「受験英語を勉強してきた」というプライドが邪魔をする

この調整には二つの要素が加味されます。一つは東大入試の英語の成績。そして、もう一つは自己申告による5段階の英語スピーキング能力テストの結果です。この自己申告制のテストが非常に曲者で、これのせいで多くの東大生は自己責任のままに苦しみの中に叩き込まれることになります。

この自己申告制のテストが今でも行われているかは定かではないのですが、少なくとも僕が入学した数年前には、入学手続きの際に一緒に行われていました。これは5パターンの英語の音声が流れてきて、そのうちのどれに一番自分の能力が近いのかを自分で判断して申告するという仕組みで実施されます。

レベル4とレベル5の音声は、ほとんどネイティブスピーカー、もしくはそれに準ずるような流暢さで話されます。相当自信がなければこれらを選択することはないでしょう。一方で、レベル1とレベル2はといえば、これらはまた曲者で、“I like cats.”というような非常に簡単な文章を一つ述べるにも何度も突っかかってしまうような有様であり、これらを選ぶにはプライドが邪魔してきます。

そこで、僕を含めた多くの学生はその中間であるレベル3に流れます。レベル3の音声は、なんとか片言で会話が可能かな、という程度であり、受験勉強を終えたばかりのおごり高ぶった自信も手伝って、これくらいは話せるだろう、と高をくくってしまうのです。

■必死のリハーサルもむなしく「時間の無駄」

そうしていざ授業に臨んだ自称レベル3の学生たちは、自分たちがいかに背伸びをしてしまったかを痛感することになります。レベル3ともなれば、一応片言ながら話せるということもあり、ある程度の発言ができて当たり前、というような空気感の中で授業が始まってしまうのです。

もちろん先生方は容赦しません。「英会話はできるもの」という前提で授業は進行するので、それなりに早口ですし、扱うトピックも高度なものばかり。僕の周りにいた自称レベル3の学生たちからは、結構な割合で「レベル選びを失敗した」という声が聞こえてきていました。

僕の場合は、さらに最悪なことに、レベル4の準ネイティブレベルで話せるような学生たちとの合同クラスに入れられてしまいました。そもそもレベル3でもなんとかついていけるような実力で、流暢な英語が飛び交う合同クラスの講義についていけるはずもありません。

それでも必死に食らいつきながら授業に臨んでいましたが、どうしても忘れられない出来事があります。英語でミニプレゼンを行う授業“FLOW”にて、僕は英語ができないなりに必死で作ったスライドを使いながら片言の英語で発表を行いました。

慣れない英語を用いたプレゼンですから、それはもちろん入念な準備をしています。この時は、事前に帰国子女の同級生の前でリハーサルをし、これならなんとかなりそうだ、と思っていました。

ですが、プレゼン後、先生からは“It’s waste of time.”(「時間の無駄」)という評価が。それ以降、どうやって授業が進行したのかは覚えていません。気が付いたら授業は終わっており、大学の厳しさを知った瞬間でした。

同級生たちに助けられ、なんとか単位を得ることはできましたが、ほとんど死に体という有様でした。レベル1やレベル2を選択した学生たちの授業の様子を聞くと、非常にゆっくりしたペースで授業が進んでいるようで、うらやましく思ったものです。

■「読み書きはできても全く話せない学生」ばかりが生まれてしまう

ここまで読まれた方の中には「そんなの東大だからでしょう」と思われた方もいらっしゃるかもしれません。確かにALESA(ALESS)やFLOWといった授業は東大特有のものですが、英語オンリーで進行する講義は、もはや東大に限らずさまざまな大学で採用されているのです。

もちろん大学や学部によって必修であったり選択科目であったりと多少の幅はありますが、英語で行われる講義はこれからどんどん浸透していくことでしょう。それどころか、留学も一部の限られた人のものではなくなりつつあります。

例えば、国立大学の千葉大学などは、2020年入学者から卒業要件として海外留学を必須としています。極端な例を出していると言われればそれまでですが、「自分は英語なんて使わなくても大丈夫」なんて悠長に構えている暇がないのは確かです。

実際に大学での英語教育にギャップを感じた当事者として語るならば、現状では、幼少期からの英会話レッスン通いや、留学、海外滞在の経験がある一部の人々はともかく、それ以外の人にとってハンデがありすぎるように感じます。大学までに英語で話す機会にどれだけ恵まれていたかどうか、たったそれだけの要素で差がついてしまうように思うのです。

布施川天馬『東大式時間術』(扶桑社)
布施川天馬『東大式時間術』(扶桑社)

繰り返すようですが、現状の受験制度ではスピーキング能力のテストを公平かつ迅速に測定することが難しいのは確かでしょう。むしろ、スピーキング以外の3技能がある程度測れているという部分を評価して然るべきものであると思います。

とはいえ、この記事内で述べたように、大学に入るまでに問われる能力と、大学に入ってから問われる能力には差があるということもまた、歴然たる事実として存在します。受験では使わないからといって放置しておくと、受験では勝ち越すことができたとしても、僕のような「読み書きはできても英語を話せない学生」が誕生してしまいます。

もはや、大学で行われる教育は、従来通りの英語教育では対応できないフェーズに移行しつつあります。中学校や高校においてもアクティブラーニングの試みが積極的に取り組まれているようですが、特に英会話を軽視せず、英語のスピーキング能力を伸ばすような授業カリキュラムの構築が急務ではないでしょうか。

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布施川 天馬(ふせがわ・てんま)
現役東大生ライター
世帯年収300万円台の家庭に生まれ、金銭的余裕がない中で東京大学文科三類に合格した経験を書いた『東大式節約勉強法 世帯年収300万円台で東大に合格できた理由』の著者。最新刊は『東大式時間術』。

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(現役東大生ライター 布施川 天馬)

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