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中学3年生なのに「トイレに行きたい」と言えずに失禁…「自己主張のできない子」を変えた塾講師のひとこと

プレジデントオンライン / 2022年7月9日 13時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Cunaplus_M.Faba

不登校の子に、周囲はどんな声かけをすればいいのか。中学3年生のA君は、不登校で留年の瀬戸際に追い込まれていた。進級のため作文指導を頼まれた塾講師の河本敏浩さんは、なにをアドバイスしたのか。河本さんの著書『我が子の気持ちがわからない 中流・富裕家庭の歪んだ親子関係を修復に導く17のケーススタディ』(鉄人社)より、一部を紹介しよう――。(第1回)

不登校気味で留年の瀬戸際にあったA君親子

A君とのつながりは、懇意にしている教育関係者の仲介で、一つの依頼を寄せられたことがきっかけだった。

その依頼とは、中学の卒業制作で作文を書かねばならず、締め切りが迫りながらも、どうしていいかわからない、そこで個別指導にて原稿用紙10枚にわたる探究型の作文を仕上げる手伝いをしてもらいたい、というものだった。中学3年生で原稿用紙10枚というのは相当な分量で、頼る人もなく、母親が必死に適切な指導者を探し出そうとして行き着いたのが私だったのである。

当時、東京の恵比寿にあった私の事務所に、A君は母親と共に現れた。詳しく聞いたところ、それは単に卒業制作ではなく、中高一貫校に通う彼は長らく不登校気味で、併設の高校に上がるギリギリの状況にあり、10枚の作品を仕上げることが卒業・併設持ち上がりの条件となっていた。

A君は特有の雰囲気を持つ中学生だった。長身、猫背で、度の強い眼鏡をかけ、おどおどとした態度で、最初の顔合わせで私の問いに答えたのは全て母親である。

文章を書くという行為は、自分を前面に押し出すことである。

私は母親を早々に帰し、A君と2人きりの時間を作った。締め切りまで7日間。予備校の仕事の都合で、私に割(さ)ける時間は金曜日の夜、土曜日、日曜日の実質2日半しかない。さらに、まだテーマすら決まっていない。明確に白紙の状態からのスタートだった。そのなかで、何とか自分の力で10枚の探究型作文を仕上げてもらう。しかも、それは自分の心に適う、満足しうるものでなくてはならない。

こういった場合、最も簡単な方法は「代筆」である。関心のあることをインタビュー形式で聞き出し、私が書いてしまえば、それで当面の問題は解決する。作品提出はA君を卒業させるために学校が提示した条件で、学年全体の課題でもなく、厳しい審査があるわけでもない。となれば、誤魔化してこの局面さえ乗り切ればいい、という考え方は決してよろしくはないが、十分に成り立つ。もしかすると、仲介者も母親もそれを望んでいたかもしれない。

しかし、不登校気味で文章を書くことが苦手、国語の成績も不良、であるにもかかわらず、明らかに別人が代筆したとわかる文章が突如として現れたなら、学校側の不信を買う可能性は高い。いやそれ以上に、こういった甘えた対応は決してA君のためにはならない。私が指導する以上、文章術の何たるかを欠片(かけら)でも会得(えとく)し、自信の一つも持って帰ってもらいたい。私はそこに目標を置いて2人きりの指導を始めた。

何事にも興味がないA君

金曜日の夕刻、作文指導はスタートした。

まずはテーマ選びだが、話をしてみると、彼の生活には全く起伏がなかった。学校生活もままならず、ゲームをやってぼんやり1日を過ごす。部活にも入らず、特別な趣味もない。端的に言えば、A君には関心を寄せる何事もなかった。

彼は大人と2人きりでいることに対し、あからさまにプレッシャーを感じていた。おどおどしている姿から、作文のテーマが存在しないことに対して私が怒り出すのではないかという不安さえ抱いていると危惧された。

そこで、まずは三原則を掲げた。決してキレない、怒らない、叱らない。そのことをA君に告げ、さらに普段早口の私はゆっくり語りかけることを心がけた。A君は少し安堵したようだったが、それで関心のあるテーマが浮上するわけではない。彼はただひたすら考え、やがてそれは明らかに考えるふりへと移行していった。虚しい時間である。

欠落していたのは家族との心豊かな経験

テーマは何でもいい。学校が求めているのは「10枚の作文」という形である。押し黙ったままのA君に対し、私は一緒に10歳からの年表を作ることを提案した。彼にとって心に残る出来事を、時間を追って思い出してもらうための苦肉の策である。

実際に10歳の春、夏、秋……とたどったところ、驚くほど動きのない生活に直面した。そこに欠落していたのは、その年齢の子供ならば持っているであろう、友人や家族と共にある心豊かな体験だった。A君は他人との関係を結ぶことが苦手で、かつ、親側の問題として、悪意のない、ある種のネグレクトにさらされ続けてきたのではないかという疑念まで抱いた。

それでも何かはあるはずだ。問いかける私に、彼が心に残るたった一つの楽しい出来事として挙げたのは、小学校6年生の夏の東京ドームでの野球観戦だった。

東京ドームシティ
写真=iStock.com/naotoshinkai
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/naotoshinkai

A君は父親と2人でドームに赴き、そこで当時、読売巨人軍に所属していた松井秀喜のホームランを目撃していた。その頃は、小学生でまだ不登校が顕在化することもなかったが、普段あまりコミュニケーションのなかった父親と一緒に松井のホームランに喝采したあの日のことは、今も心に残っているという。彼にとって松井のホームランは、起伏のない生活のなかで極めて稀な、心が躍る瞬間だったのだろう。

テーマは野球でいいだろう。だが、それでは探究にならない。野球というワードではまだ抽象度が高く、探究の的としては絞り切れていない。

A君に寄り添いテーマが出るのをひたすら待つ

探究型作文のテーマは、単に好きだ、興味がある、ということで決めてはいけない。

2枚ならばそれで事足りるが、10枚ではどうしても探究の線が必要である。「○○が好き」は単なる出発点に置いて、その○○が何であるのか、どのように成り立つのか、なぜそうなるのかを考えていくことが重要だ。縦軸に自分が選んだテーマがあり、横軸に探究の「線」を置き、初めて作文を書くための資料集めを始めることができる。

そんななか、A君が松井秀喜自体をテーマにしてはどうかと提案してきた。会話のなかで見えた初めての自分の言葉、自分の判断で、私は尊重してもいいと思った。しかし、困っているときの第一感は安易なものになりがちで、いざ探究に向かうと掘り下げが難しく、とても10枚には届かないことが起こる。そこで、このテーマは補欠として、さらに焦点を絞り込むよう提案した。

「松井秀喜」ではなく、「松井秀喜の何か」がないか。

2人でさらに会話を重ね、インターネットで松井秀喜の記録や画像を見ていると、A君がふと松井のバットに着目した。大きなアーチを描く松井はどういったバットを使っているのだろう、という疑問である。

「松井秀喜」で書けば、単なる年表の後追いになり、その輝かしい経歴に称賛の念は湧くが、驚きはない。それは私にしてもA君にしても、作文を読む教師でも同じだろう。しかしバットならば、探究の「線」は描けそうだ。場合によっては「松井秀喜のバット」から離れ、「バット」一般で書くことも可能である。そもそも私は、バットがどういった木材でできているのか知らなかった。もちろんA君も知るはずがない。

野球、野球のバット、木製のテーブル
写真=iStock.com/Tatomm
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Tatomm

私は彼の決断を促すことなく、何にする? という問いにA君が答えるまで待っていた。すると、話し合いが始まってからカウントして3時間経過したところで、ようやく彼は「バットで10枚書けますか?」という質問に到達することができた。

母親の言葉から感じる子供への苛立ち

テーマは「バット」と決まり、金曜日の夜はこれで解散としたが、二つのことを私はA君に提案した。一つは、翌日の土曜日は図書館に集合すること、もう一つは、親に進捗状況を聞かれても「順調」の一言で答え、詳細は語らないこと。前者は、10枚の作品を仕上げるために先行資料を集めること、また引用文を多彩に用意することが必要になるからだ。土曜日は資料探索に閉館時間までかかるだろうと私は考えた。

後者は、母親の介入を防ぐためである。決して過干渉の親ではなかったが、「うちの子はぐずぐずして何もできない。私があれこれ手を焼かないと……」という気持ちが、母親の言葉からひしひしと感じられた。心に寄り添うように指導を進めるためには、別の人間の思惑、介入は百害あって一利もない。ゆえに心配させないため、介入を防ぐために「順調」の一言で押し切らなくてはならない。真意が伝わっているかどうかはさておき、A君は私の提案を受け入れてくれた。

大切なのは自分で作り上げる過程

翌日は、図書館での資料探索となった。

ここからは私にできることはさほどない。バットとは何かという哲学的な問いはさておき、バットはどのようにして作られるのか、という質問には資料が答えてくれる。バットは「アオダモ」という木材で作られるのだが、なぜアオダモが使われるのか、さらに当時、アオダモから「ホワイトアッシュ」へと原材料が変化していく時期で、それはなぜか、を探究するだけで原稿用紙の規定数枚を費やすことができる。

図書館で勉強する男子中学生
写真=iStock.com/paylessimages
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/paylessimages

さらにA君は、当時の松井秀喜のバットを作る職人の紹介記事まで見つけ、10枚で収まりきれないほどの資料を集めた。土曜日はこれで終わり、翌日の日曜日は朝10時集合で、実作にかかることにした。インターネットでさらなる資料探索することを、その日の夜の宿題とした。

詳細は割愛するが、翌日、使う資料と使わない資料を振り分け、全体の構成に添って書く作業へと入っていった。

私が指導として最も介入したのは、この構成決めである。構成に従って引用箇所を定め、自分の所感を付け加えながら書き進め、詰まったら相談に乗るという形で、作品は坦々と完成に向かっていった。私は安易に解決案となる文言を示すことを避け、自力で原稿用紙を埋めることを求め続けた。A君の横で読書をして時間をつぶし、様子を見ながら、時折投げかけられる質問に短く答える。たどたどしく書き進める彼の文章は引用文が多く、お世辞にも上手いとは言えない。出来は中学3年生としては「普通」である。しかし「普通」の出来であっても、大切なのは、自分で作り上げてきた過程にある。

言葉を出るのを待ってくれる人がいなかった

A君は、私が本当に怒らず、苛立たず、バカにもしない人間だとわかると、休憩時間の間、少しずつ自分の境遇を語り始めた。

学校には行きたい、でも自分がなぜ学校に行く気持ちが持てないのかわからない。言葉を上手く選ぶことができない、迷っている間に言葉を待っている人が苛立つことがわかり、そうなるとますます話せなくなる。

これがA君の苦しみの源だった。

私は頷きながら彼の話を聞き、アドバイスをすることを避け、課題に取り組むことを促し続けた。A君は、私がよく自分の話を聞いてくれる存在だと思ったのか、あるいは強者特有の上からのアドバイスがなかったからか、休憩時間に、ぽつりぽつりと自分語りを重ねるようになっていく。

足元に広がる失禁の水溜まり

日曜日18時のタイムリミットが近づき、原稿は章によってはまとまりきれない部分を持ちながらも完成の目処が立つまでに至った。

ここで、ようやく途絶えた部分をどうつなぐか、章の終わりをどう結びにまで持っていくかという具体的なアドバイスを行った。メモを取りながら神妙にA君は聞いていた。完成させるのは彼で、その瞬間はA君のみが立ち会うべきだと思い、赤を入れず、校正を施して無理に完成させることも避けた。

私は「あとは自分でまとめなさい、下手でも何でもいいから、とにかく完成させて学校に提出しなさい」と告げた。私がA君に聞いたのは、たった一つ、この作品は君の気持ちに適っているか、ということだった。対して彼は肯定の意を示したが、そのとき、ふと足元に、水溜まりが広がっていることに気づいた。それはA君が失禁した跡だった。途中から尿意を催していた彼は、私の話の腰を折ることを恐れて我慢し続け、結果、しくじってしまったのである。

私は、A君の自尊心を損なわないように一緒に雑巾を使い、その水溜まりを処理した。下着を買いに走り、ジャージを貸し、着替えさせ、じっくり話をしてみることにした。

清掃
写真=iStock.com/Asobinin
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Asobinin

私が告げたのは、この「しくじり」と「作文課題の切迫」は同じだ、ということである。自分が追い詰められた状況にありながら放置するという点で共通し、かたや中学生にはそぐわない失敗をし、かたや大人を巻き込んでぎりぎりの綱渡りで事態に対応することになる。

ひとえに自己主張ができないことが原因である。そして、「これはいい機会だ、自己主張を押しとどめて自我を奥底に引っ込めようとしたときには、今日の失敗を思い出しなさい」とも告げた。言うべきときは、はっきり自分の意志を伝えなければならない。

親に愛情はあったが表現していなかった

後日、母親が仲介者に伴われ、挨拶にやってきた。私は彼の失敗を包み隠さず話し、このことについてA君に言及しないことを約束してもらい、なぜA君がここまで自分について語ることができない状況になったのか、心当たりがないか問うてみた。

A君の父親は家庭を省みない人だった。野球観戦が心に残ったのも、それが稀有な出来事だったからである。一方、母親は10年にわたり義父と実母の介護に奔走していた。確かに介護疲れが見て取れるような風情だった。当時なお介護の渦中にあり、気にはなっているが、我が子のことを半ば放置するに甘んじていた。夕食の用意もままならぬ日々だ、と。

恐らくA君は、いい意味でも悪い意味でも優しい子だった。しかし、小学校に入学する前の段階から、親からの愛着を失っていた。親に愛情はある。しかし、スキンシップや愛情のある称賛や叱責をほぼ受けられない状況で、小学校、中学校の期間を過ごしてきた。愛情があり、それを具現化したものが愛着だが、その愛着が欠落しているのだろうと私は感じた。

忙しい母親のことを考え、自分を抑え、大人の思惑を推測し、自己をとにかく埋没させるように心がけてきた。大人の意志を曲げてはいけない、これがA君の信条にもなっているのだろうと思われた。

思春期の子供にはスキンシップの代わりに美点を語る

私は母親に言うべき言葉がなかった。介護疲れと言われれば、なるほどと思われるその佇まいに、責めるような言葉は控えなければならない。

今思えば、A君は軽度の発達障害を抱えていたのだと思う。言葉を選ぶことが難しく、人の意志を理解しようとしながら、的確に読み切れない。しかしこれは彼の責任ではない。そのように生まれたことに微塵も自己責任などない。これを見出しフォローするのは親の仕事である。だが、親に甘える機会もなく、親がその稚拙なコミュニケーション能力を苛立ちの対象と見たとき、A君は八方ふさがりになったのだ。

小学校、中学校でも戸惑いの連続だったのだろう。周りのテンポと合わず、コミュニケーション不全がクラスメートの笑いの対象にもなったことが予測される。それは継続的ないじめではなく、ちょっとした悪意に過ぎないが、度重なれば不登校の原因に十分なりうる。

親は子供への愛情の発揮を、まずは愛着行為から出発するべきだ。子供を愛おしいと感じ、その肌に触れるスキンシップは、巷間言われるように実に大切な行為である。

しかしその幼児期のスキンシップは思春期に至ると難しい。子供の身体をべたべた触るわけにはいかない。ゆえにスキンシップの代わりに、親は生き生きとした言葉を子供にかけてやらなければならない。具体的に言えば、子供の個性を見出し、その欠落した部分を愛情をもって指摘する言葉であり、長所を大いに称える言葉である。

笑顔でリビングルームに座っているアジアの子供と両親
写真=iStock.com/allensima
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しかしA君の家庭環境では、それが置き去りにされていた。ゆえに私は、さらに後日、完成し提出した作品を見分する名目で、再び恵比寿の事務所にA君に来てもらうことにした。

気持ちを代弁してくれる友を持て

私のリクエストどおりA君は1人でやってきた。一通り完成した作文を読んでみると、やはり少なからず欠点が散見された。しかし、学校側はそれでいいということになり、無事卒業し、高校に持ち上がることが内定したと相変わらず抑揚のない話し方でA君は報告してくれた。

私は素直に喜びを伝えた後、改めて彼と向き合い語った。

自分の気持ちを出せないならば、本を読む、マンガを読む、映画を見る、ドラマを見る、絵を見る、立体芸術を見る、このなかのどれかに自分の気持ちに適うもの、それをもってこれが自分だと言えるものを見出しなさい。

高校に入学したならば何か部活に入りなさい。高校に上がったらクラスでも部活でもいい、誰か優しい人と関係を結んで、自分の気持ちを代弁してもらいなさい。必ずそういう人はいる。そもそも今回書いた作品の大半は引用だ。それでもその引用を含めて自分の気持ちに合うならば、それは自己主張に代わる、君の分身とも言えるものだ。同じマンガに笑う、同じ映画、同じ本に感動する。そうした自分の嗜好に合う人が少なくとも1人はいることを信じて行動しなさい。

それができず、学校に行けなくなったら、あるいは本当に困ったことになったら、私にメールをくれるか、直接電話をしてきなさい。相談に乗ろう。そのときも決してキレない、怒らない、叱らない。ただし一つ約束してほしい。私は一度関わった以上は、喜んで協力するが、それは本当に困ったときに限ってのことだ。これは肝に銘じてほしい。

A君は黙って頷き、私が渡した連絡先を受け取った。

短いコミュニケーションのなかで私は、A君は自分の書いたものが気に入っていることがわかった。自分が10枚もの作文を書ききったことが信じられないのだとも見てとれた。1人ではできないが、誰か協力してくれる人がいれば、難解な局面を切り抜けることができる。親が当てにならないならば、高校生になる以上、自分でなんとかしなければならない。学校は、自分の心に適い、自分をわかってくれる人を見出す、唯一にして最適な場である。だからまずは学校には行ったほうがいい。しかしそこに何も見出せなければ、すでに協力者になった私に、相談を寄せればいい。私がA君に伝えたかったことは以上である。

その後、A君から連絡が来ることはなかったが、3年が経過した頃、仲介者から彼が併設の大学に進学したことを聞いた。A君は無事に高校に通うことができたのである。

忙しい親は食事の時間を大切にしよう

このケースにおいて、卒業制作を締め切り7日前のギリギリまで放置していたのはA君だが、両親は忙しさのなかで座視していた。特に母親は切羽詰まった状況で、義父と実母の介護に忙殺されていた。

河本 敏浩『我が子の気持ちがわからない』(鉄人社)
河本敏浩『我が子の気持ちがわからない』(鉄人社)

ではどうすれば良かったのか。まず食事の時間を大切にすべきだろう。週に一度でもいい、無理を押してでも親が子供のことを考え、子供と向き合って見つめる食事の場を設けることは非常に重要である。A君の家では、日曜日も父親は仕事と称して出かけ、母親は手間をかけた料理を作る気にもならず、息子が食べている時間にも背を向けて洗い物をし、A君が食べる傍そばから食器を下げるような慌ただしい状態だったようだ。

A君は親の愛情ある言葉に飢えていた。ゆっくりと食事をし、彼の美点を言葉にして語る、あるいは、幼少の頃のA君の子育ての最中で感じた小さな感動を思い出しながら語るのもいいだろう。いつも同じ話だ、はいはい、と言われても避ける必要はない。いい思い出、自分の長所、幼少期の頃の親の感動、これらが語られるとき、子供の中には自尊感情が芽生える。

不登校の危険性が高まっている子供に、私がA君に言ったような忠告は間違いなく効果的だ。ゆっくり話し、心配や侮蔑を消去し、本当に愛情をこめて話す。これがコツである。

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河本 敏浩(かわもと・としひろ)
医学部専門予備校インディペンデント代表
同志社大学法学部卒業、同大大学院文学研究科新聞学専攻修士課程修了。東進ハイスクールなど塾講師を経て、現職。著書に『名ばかり大学生 日本型教育制度の終焉』『医学部バブル 最高倍率30倍の裏側』(いずれも光文社新書)など。

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(医学部専門予備校インディペンデント代表 河本 敏浩)

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