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東大・京大に2ケタ合格の「タカタカ」史上最弱の野球部が私立強豪にギリギリの勝負ができた文武両道力

プレジデントオンライン / 2022年7月8日 17時15分

高崎高校野球部主将の村松健心選手 - 撮影=清水岳志

通称「タカタカ」――群馬県立高崎高校は東大・京大を含む国公立大や有名私大に毎年、多くの合格者を出す。生徒は勉学の傍ら部活にも全力投球。野球部員は夜8時まで練習し、朝は7時に登校し勉強する。どのように両立させるのか。フリーランスライターの清水岳志さんが夏の大会直前に監督や部員に密着した――。

■群馬県民がタカタカ、マエタカ、タタカを尊敬する理由

群馬県内では県立の前橋高校を「マエタカ」、太田高校を「タタカ」、そして高崎高校を「タカタカ」と呼ぶ。その独特な略称には県を代表する進学校に対する尊敬の念が含まれている。

高崎高校(以下、タカタカ)は1879年創立。福田赳夫、中曽根康弘という2人の総理大臣を輩出したことで知られ、東京大や京都大に毎年合わせて2ケタの合格者を出すトップ校だ。文部科学省から「スーパー・サイエンス・ハイスクール(SSH)」にも指定され勉学、部活に励む文武両道の男子校である。

1学年280人、40人学級が7クラスある。

「群馬県は全県1区の入試です。タカタカは北の渋川、沼田地区からも電車での通学がしやすい。マエタカ、タタカの3校だとうちが一番倍率は高いです」

野球部顧問の飯野道彦さん(40歳)が教えてくれた。

そのタカタカが先日開かれた公式戦の春季大会で3勝を挙げ、県ベスト8に進出した。準々決勝は強豪私学の桐生一に食い下がった。

3年生16人、2年生14人、1年生18人をまとめるのが村松健心主将だ。チームではトップバッターでライトを守る。

今年の3年生は高校野球を「最も経験していない」学年だ。2020年4月、コロナ禍と同時に入学し、直後の3カ月間はオンライン授業や分散登校。部活は禁止だ。

「野球部に入ってもチームメートが誰かもわからない。7月に全員がそろって練習かと思ったらすぐに独自大会を迎える状況でした」

と村松主将が入部当時を振り返る。

■“史上最弱”のチームに監督「俺は何もしないから」

ここまで2年数カ月の高校生活で、延べ6カ月間は全体練習ができなかった。昨夏に新チームが立ち上がった際も分散登校で部員半分半分の練習が続いた。

「秋の大会の本番も久しぶりに会って、こういう(守備の)シフトがあったねとか、こんな(投手からランナーへの)牽制球があったよねとか。当日に確認するような感じでした」

そんな現場慣れしていない状態での初戦。コールド負けを喫したのもしかたなかったかもしれない。

「史上最弱の学年と言われてました」(村松主将)

そこからどう、立て直したのか。当時のタカタカの境原尚樹監督は思い切った宣言をする。

「ここからは俺は何もしないから」

放任することにしたのだ。

「これまでのタカタカは先生(監督)の意図を深く感じることなく、ただ言われたことをやっていました。休校期間も先生の指示に従うままでした。でも、その時から何も言われなくなった。今から思うと自主性を求めていたのかなと思います」(同上)

選手の考える力、向上心が試されることになった。

ベンチに掲げられたスローガン「打って打って打ちまくれ!」
撮影=清水岳志
ベンチに掲げられたスローガン「打って打って打ちまくれ!」 - 撮影=清水岳志

オンライン練習でトレーナーに指導してもらって、各自が自宅で体作りを実践した。

日曜日の9時から部員同士でオンラインミーティングを行った。おのおののトレーニングの報告、どういう食事がいいか、野球哲学などを伝え合った。雑談も含め3時間に及ぶこともあった。

薄れかけていた一体感が生まれ、チームとして目標が明確になったはずだ。

「監督に突き放されたことが大きかった。自主練で何ができるか、を自分たちで考えました。1週間単位で練習内容を報告するので、自然とやらざるをえない。野球をずっと考えていて、そこでどの学校よりも伸びたと思います」(同上)

そうやって迎えた2022年春季大会。いずれも2ケタ得点で3勝し、私立・強豪の桐生一には3対5と惜敗した。

「ただ、ベスト8ということだけじゃなくて、打倒私学を目標にあと一歩というところまで近づけた。結局、私学にボコボコに負けたんじゃ、その差を感じて終わっちゃうだけですけど、勝ち上がって、挑戦権を得てギリギリの勝負ができたのは大きな成果だったと思います」

こう春季大会を評価するのはタカタカ新監督の高島喜美夫(50歳)さんだ。

タカタカの練習風景
撮影=清水岳志
タカタカの練習風景 - 撮影=清水岳志

■今春突然の教員人事異動で新監督が就任した

実はこの春、県内の高校野球界関係者の間に激震が走る出来事があった。

これまでタカタカを指導した境原監督が中央中等教育へ、中央中等教育の松本稔監督が桐生へ、桐生の高島監督がタカタカへ、“三角トレード”の教員の人事異動があったのだ。

高校野球ファンなら松本監督を知っている方もいるかもしれない。母校のマエタカ時代、投手として1978年センバツで甲子園唯一の完全試合を果たした。指導者となってからも87年に中央高校、2002年には母校をセンバツに導いた。

今回、タカタカから中央中等教育へ異動した境原監督はもともとタカタカOBで81年センバツに選手として同校の初出場に貢献。監督になって12年センバツでは母校を率いた。

長年、群馬県の公立校を引っ張ってきた功労者の配置転換は大きな話題になった。

タカタカに赴任した高島監督にとっても、それは思いもよらない出来事だった。

「桐生で9年間、監督をしましたので、そろそろ異動かなという予感はありました。ただ、通勤のことなど総合的にみても、タカタカに、というのは考えてもいなかった」

面白い巡り合わせで、春季大会の1回戦は、「高崎―桐生」。この時、高島監督はまだ桐生の監督で、その抽選から数日後に異動の内示が出たのだという。

タカタカの監督に就任して、試合の4月16日まで部員の顔と名前を頭に入れた。チーム事情は、それまで指導してきた桐生を熟知しながら、タカタカのベンチに座ったわけだ。

今年のテーマは「サイコロジカルベースボール」。相手選手の心理を読みながらのプレーが信条
撮影=清水岳志
今年のテーマは「サイコロジカルベースボール」。相手選手の心理を読みながらのプレーが信条 - 撮影=清水岳志

タカタカの前任・境原監督は、16年間指揮を執ったいわばカリスマ(途中闘病のため入院期間あり)。3年、2年生にとっても境原野球の比重は大きい。

村松主将も「部員全員が境原先生への思いは強いものが残っていた」と認める。

■自主性に任せた新旧監督の選手への信頼が「ベスト8」に

赴任早々の高島監督が取るべき采配は“触らない”ことだった。

「春は、指導はしてないです。彼らも初戦に勝った勢いを2、3回戦につなげていった。ピッチャーもそうですが、勝っていくうちにそれが自信になった。正直、彼らが自分たちで考えてやる、こうやりたいというのがあったので、その気持ちとか、その野球に僕が尊重して乗っかったという感じです。打順も入れ替えなかったです。いい形で回っているので、あえていじる必要はないなと」

部員にとっては指揮官変更の一大事。“新顔”の高島監督には繊細で難しいかじ取りが求められたはずだ。

「指導者が変わって、それだけでもいろんなストレスを感じやすい。いかにして気分よく戦わせてやるか、ということでした」(高島監督)

村松主将は、やりやすかったと話す。

「高島先生に自分たちのやってきた野球を尊重していただいて、後押ししていただきました。境原先生と同じように自分たちのやってきたものに任せる、となったので成長できたし、勝ち進めたと思います」

コロナ禍で部員の心身は着実に成長していた。そこに自主性に任せた新旧監督の選手への信頼がベスト8という成果をもたらした。

6月下旬、タカタカは1学期の期末試験を控えていた。基本的に試験前から試験期間中は部活禁止になる。だが、大会が間近に迫る部は特例を認められている。野球部は普段は20時ぐらいまで練習するが、この期間はその半分、2時間ほどの練習時間になる。

サッカー部との接触を避けるため、外野にネットを置く作業から練習はスタートする。

この日はバッティングとウエートトレーニングの2つの班に分かれて行われた(他に控え部員は応援練習)。練習メニューは部員たちが決めたものだ。バックネットに向かって打つフリーバッティング組と外野では数人がロングティーを打った。

高島監督は練習も部員に任せている。

「部員が自分たちでしっかり引き締まった雰囲気をつくろうとしています。この学校は生徒たちが自らやっていく校風があるんです」

投手陣の練習にも熱がこもる
撮影=清水岳志
投手陣の練習にも熱がこもる - 撮影=清水岳志

生徒主体で大人の力を借りずになんでも取り組むのだという。

顧問の飯野さんが付け加える。

「学校として部活を一生懸命にやる土壌がある。SSHに指定されていて文化部も活発。兼部もありますが、加入率が100パーセントを超えている。入ったら辞めずに続けるし、目的を持って部活を選んでいる」

部活だけではなく、6月上旬の伝統の文化祭『翠巒祭(すいらんさい)』も実行委員会を中心に生徒主体に代々、引き継いできた。

■学年280人中成績上位50人に野球部員も数人入っている

毎冬に実施される群馬県の高校入試には、前期と後期がある。前期は、いわば推薦試験で、その裁量は各学校に任される。タカタカ野球部でも年に数人の合格者がいる。もちろん、かなり高いレベルの学力が求められる。

野球と勉強をどう両立させているのか。普段、帰宅してからは練習で疲れていてなかなか勉強はできないという。

ならば、と朝は6時前に起きて7時に登校して自習室で勉強する。また「疲れているけれど、帰りに(部員)みんなで自習室に行こうということもあります。テスト期間中はカフェに行って勉強しようとか。勉強もみんなで頑張る」(村松主将)という。

テストの上位成績者50人は張り出されて称えられるそうだ。タカタカでは全員が国公立大や有名私大が目標になる

高島監督は口うるさく、勉強しなさい、と言わないという。

「わきまえていて、自分たちでやるでしょうし、文化祭など行事の前は行事に集中しているし学校の雰囲気も時期によってメリハリがある」

ユニフォームは白にエンジ
撮影=清水岳志
ユニフォームは白にエンジ - 撮影=清水岳志

野球部は今のところ、上位50人に名を連ねるのは数人だ。

「夏の引退後から頑張るのが野球部なので。でも、(学年の)280人、全員が頑張りますからね」

村松主将そう言って笑った。

「残り30分、自主練」

全体練習の後、村松主将の声が響いて、数人に分かれてティーバッティングなどが行われた。

内野ではノックを受ける数人のグループがあった。「打っているのは、レギュラーにはなれない部員なので、率先してノッカーをやってると思います」と、飯野さん。

■運命のベンチ入りメンバー発表…監督・部長の言葉

取材で学校を訪ねた日は夏の地区予選のメンバー発表の日だった。ベンチ入りメンバーを読み上げた後に高島監督が思いを伝える。

「われわれスタッフは長年、高校野球に関わってきて最後は3年生に頑張ってもらいたい、全員でベンチに入って戦い抜いてもらいたいと思っている。でも野球はポジションがあって、適性がある。漏れた3年生も別の形で貢献できる。あと数カ月しか高校野球はないから、ベンチに入るか入らないかにかかわらず高校野球をまっとうしてもらいたい」

井田郁浩部長(50歳)が続ける。

「俺がここにきて5年。一番、発表が遅かったかな。それは最後まで3年生に頑張ってもらいたかったから。でも、俺らは戦う集団で、なれ合い集団じゃないんで。背番号がもらえないからといっても、できることは必ずある」

そして、実力で背番号をもぎとった2年生には、ベストパフォーマンスを出すことが出られない3年生のためにできること、とげきを飛ばした。

村松主将に「言っておきたいことはある?」と尋ねた。ここぞとばかりに口調が強くなった。

「最近、長髪解禁の学校が増えています。丸刈りだから頑張れないとか、丸刈りじゃないのが新しいとか、髪型で野球を頑張れないのは違うのかなと。丸刈りを拒んでいるのは野球への思いが弱いのかなと思う。

タカタカは伝統がある学校で、丸刈りがカッコいいと思っています。こういう考えが古いと言われてもいい。偏見と言われることは重々承知して、タカタカはあえて丸刈りでいきます。

今回、初めての試みなんですが、部員のお父さんに美容師さんがいて、大会の1週間前に来ていただいて五厘(約1.65cm)刈りにします。強制ではないんですが、みんなやると思います」

夏の大会前には5厘刈りにした
撮影=清水岳志
夏の大会前には5厘刈りにした - 撮影=清水岳志

時代に逆行して、熱く訴えた村松主将の決意は新鮮だった。

学校の西側にある観音山に高崎観音が立っている。高崎市のシンボルだ。基礎トレのため1年生は往復1時間のランニング、通称“山ラン”をしてきた。

高島監督が言った。

「部員たちがグラウンドに入る時に二度、挨拶をするんです。なんで、と聞いたら、一度はグラウンドに、もう一度は観音様にしてるというんです」

タカタカの部員にとって観音様はそれほどの存在なのだ。その観音様に日々の努力を披露する夏の大会の初戦は、この7月10日に迫っている。

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清水 岳志(しみず・たけし)
フリーランスライター
ベースボールマガジン社を経て独立。総合週刊誌、野球専門誌などでスポーツ取材に携わる。

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(フリーランスライター 清水 岳志)

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