「便器まわりは尿の海」認知症老父の介護ストレスでついに心臓をやられた40代ひとり娘が心の中で叫んだ悪態
プレジデントオンライン / 2022年7月9日 11時15分
■金銭的に汚い父親と気性が激しい母親
都内のメーカーで一般事務の仕事をする増井貴子さん(仮名・40代・独身)は、ひとりっ子。今も実家で暮らし、1時間ほどかけて通勤している。
塾の講師だった増井さんの父親は36歳のときに、証券会社の事務員だった32歳の母親と見合いをし、同郷であることが縁で2人は結婚。翌年に増井さんが誕生した。
一見ソフトでおとなしい印象の父親だが、お金に執着するところがあり、家庭を持ったにもかかわらず家に生活費を入れることを渋るため、母親はとても苦労した。
「父は、『妻はただ働きのお手伝いさん、子供は水さえ飲ませれば一人で自然と育つか誰かが育ててくれる』と本気で信じていました。そう信じて疑わなかったがゆえに、給料を生活費として家庭に入れるという世間一般のやり方を父は受け入れがたかったようで、母や私がどれだけ説明しても最後まで納得していませんでした」
一方母親にも2面性があった。玄関を一歩出れば、性格は明るく、仕事もできるしっかり者。周囲からとても慕われていた。だが、家の中では気性が激しく完璧主義者で、粘着質なところがあった。
「当時としては2人とも晩婚だったと思います。父が独り者だったのは変わり者なので納得なんですが……。母は若い頃、いかに自分が美しくモテたかをよく自慢していました。モテていたのに、その年齢(32歳)まで婚期が遅れ、かつ見合いだったのは、母が相当選り好みをしたか、気性の激しさゆえに、当時の恋人から結婚相手として選ばれなかったということでしょう」
父親は仕事人間でも仕事ができる人間でもなく、真面目な勤務態度であることだけが取り柄。職場では敵を作らない中立派で、定年まで平社員。出世はせずとも給料はそれなりに良かったが、いかんせん家に生活費を入れたがらない……。両親は四六時中、お金のことでもめていた。
「子供の頃、わたしは母のことは好きでしたが、父のことは嫌いでした。父と2人、あるいは家族3人での良い思い出はありません。父がいると何かもめ事が起こるのではないかと、不安になったりイライラしたりして、父には消えてほしいと思っていました」
不仲な両親の姿しか見ていない増井さんは、40代になった今も、仲の良い夫婦というのがどういう生活をしているのか、いまだに想像すらできないという。
■早期リタイアを夢見る独身・一人っ子
2001年、60歳になった父親は定年退職を迎えた。もともと一人でいるのが好きな人で、他人と関わりたがらず、趣味も友だちもないため、一日中誰とも話さず、自分の部屋の中でテレビを見て過ごすようになる。
退職後も、受給された年金を家に入れたがらず、2カ月に1度の年金支給日のたびに母親ともめた。
2003年秋、20代後半になった増井さんに卵巣腫瘍が見つかった。両親とも心配し、父親は珍しく、「手術代はオレが出す!」と張り切ってシルバー人材の仕事を始めた。幸い、卵巣腫瘍は悪性ではなく、経過も良好。手術後、1週間で退院し、1カ月後に復職したが、父親は結局、手術代を出さなかった。
増井さんは、大学を卒業してからというもの、実家から都内の職場まで、片道1時間ちょっとかけて通勤していた。当時関東では、片道1時間前後は通勤圏内と考えられていたが、2011年3月の東日本大震災を経験したあとは、多くの人の価値観が変わった。増井さんも、「片道1時間は近いとは言えない」と思うようになった。
「私はあの日、自宅に帰ることができず、会社に泊まりました。とても怖かったです。震災も、働くことに対する意識が変わったきっかけのひとつですが、年齢を重ねるにつれ、体力の衰えだけでなく体質も急激に変わり、つらくなってきたことも理由のひとつです。通勤だけでなく、仕事で長時間拘束されることによる身体の疲れの他に、人間関係や会社に対する不信感、ストレスも、じわじわと心身にダメージを与えていました」
30代前半までは、ストレスを感じつつも、余力があった。しかし震災を経験し、30代後半に差しかかると、「このままでは難しい」と感じ始めた。
「20代後半での手術の経験も、価値観が変わるきっかけだったかもしれません。その後も体のさまざまな場所に症状が出てきて、病院で診てもらっても原因不明だったり、ストレス性とか自律神経の乱れが原因だとか言われたりして。『何のための人生だろう?』と疑問に感じていました」
そんな増井さんがこの頃(30代後半)に計画し始めたこと。それは、早期リタイアだ。
「低収入だけど、何とか早期リタイアできるんじゃないかと思った理由は、やはり私が独身で、子供がいないということです。育児という責任を持つ必要がないなら、ちょっと早く仕事からやめて、自由に解放的に生きてもいいんじゃないかと……」
増井さんは、酒も飲まず、タバコも吸わない。借金もなく、住むところもある。
「計画を立てた時に考えた理想のリタイア時期は47歳でした。(現在40代になって)もしかしたらもっと早く今の場所では働けなくなるかもしれないし、もっと長く働かないと無理かもしれない。目標の47歳まで、どれだけ貯められるかにかかっています」
父親に異変が現れ始めたのは、そんな計画を思いついた矢先のことだった。
■父親の性格が豹変
増井さんが30代後半だった2014年春、父方の祖母が亡くなった。
当時、73歳の父親と69歳の母親と3人で葬儀へ電車で向かったが、数駅先の降車駅に着いたとき、離れた席にいた父親の姿が見えない。
慌てて周囲を探すが、父親は見つからない。父親は携帯電話も持っていないため、とりあえず、葬儀場についてから自宅に電話をかけてみると、なんと父親は家に帰っていた。途中で電車を降り、ひとりで家に帰ってしまったらしい。
親戚が車で父親を迎えに行ってくれたが、今度は駐車場から葬儀場まで来る途中で、またもや父親が行方不明に。親戚が、「おじさん、こっちですよ」と振り返った瞬間、もう姿がなかった。すぐに見つかったが、その後もフラフラと落ち着きがなく、葬儀場を出たり入ったり、ほとんど葬儀に参列していないようなものだった。
「今思うと父は、70歳ごろからボケ始めていたのかもしれません。定年後、以前よりも私や母に話しかける頻度が増えたのは、自分でわからないことが増えてきて、家族に訊ねて解決しようとしていたということでしょう。もともと父は、人の話を要領よく理解できない人だったので、はっきりとした時期や状況はわからないのですが、徐々に『ボケて理解できていなくなっているのだな』と感じるようになりました」
2016年に入ると、父親は日に日におかしな言動が目立ち始めた。例えば、シルバー人材センターの給料日でもない日に、1日に何度もATMに行き、入金の確認をする。当然、給料は振り込まれていないわけだが、「振り込まれていない!」とキレながら帰宅。増井さんや母親が、「給料日はまだでしょ?」と言うと、「うるせー! お前は黙ってろ!」と怒鳴る。
「父はおとなしい性格でしたが、ボケ始めてから短気になりました。特に金銭的なことで自分の思い通りにならないと、暴力で押し通すのです。自分でトンチンカンなことを言ったりやったりしたにもかかわらず、すぐに勝手に『うるせー!』とキレていました」
増井さんや母親は殴られることもあり、顔にできたあざがしばらく消えないこともあった。父親の主な標的になったのは母親。増井さんはそれを防いだりなだめたりする役目だったが、高齢とはいえ父親の腕力には太刀打ちできない。拳を振り上げられると、一瞬ひるんでしまう。それがちょっとした優越感なのか、父親は面白くないことがあるとすぐに暴力の行使をちらつかせた。
70歳を超えてから、父親はどんどん早起きになり、朝4時ごろから活動を開始するため、増井さんは父親が何かしでかさないよう見張らねばならなかった。
シルバー人材センターの出勤日でないのに出勤してしまったときは、「誰も来てない!」と怒って帰って来たり、「おかしいなぁ~?」と不思議がって帰ってくるくらいならまだマシで、朝4時に他の仕事仲間の家に電話をかけてしまたったりすることがあった。
それを阻止するため、増井さんは平日だけでなく、休日も早朝から気を張らねばならない。それは母親も同じで、2人は精神的にも肉体的にも疲弊していった。
■おひとり様の苦悩
2016年5月。40代目前になっていた増井さんは、腸の不調を感じて大腸内視鏡検査を受けることに。
結果は、大腸ポリープも大腸の炎症も見つからず、不調の原因は不明。「ストレスによる過敏性腸症候群だろう」と言われた。
だが、同じ年の9月、増井さんは会社で受けた健康診断の心電図検査で不整脈がみつかり、その場で大きい病院への紹介状を発行された。もともと増井さんは、脈が勝手に早くなり、不規則に乱れる頻発性期外収縮があり、時々検査で「要経過観察」の判定が出ていた。
増井さんは、手術日が決まるまで両親には内緒にし、一人で通院や検査を進めた。
「私は一人っ子なので、両親が亡くなれば天涯孤独の身になります。そのため、一人で老後を過ごす練習として、手術日が決まるまでは両親には内緒にしていましたし、一人で過ごす老後の練習のために、『入院の付き添いはしなくていい』と言いました。手術日前日に知らされた母は、心配する時間もなかった感じで呆気にとられていました。父は、この頃は完全にボケており、説明しても理解できていないようでした」
9月下旬、増井さんは心臓のカテーテル手術を受け、4日後に退院。帰宅して、最初に増井さんがしたことは、父親が汚した小便だらけの便器と床の掃除だった。鼻をつく猛烈な尿臭と格闘しながら、何度も何度もふき取っていると、腹の底からこみあがってくるものがあった。
「なんで自分で始末しないのだろう?」
「なんで日頃から言っているように、便座を上げてしないんだろう?」
「なんで汚すのなら座ってしないのだろう?」
「何ひとつまともにできないのに、小便だけは一人前の男のように立ってするんだね?」
心の中で悪態をつきつつ、掃除をする手が怒りに震えた。
「心臓の手術をしたばかりで、心も体も安静にしていなければならないのに!」
そう思ったそばから、増井さんの不整脈は再発していた。例によって、父親が年金から生活費を出したくないとゴネ始め、「オレの年金はオレのものだ!」と逆上し、母親の背後から殴りかかろうとした間一髪のところを増井さんが阻止。父親を怒鳴りつけた。
「『このボケ老人が長生きすればするほど、私の寿命が縮まる。手術した意味がない』と思いました。世間ではよく、『おひとり様だと病気した時に困る』と言いますが、実際は足かせになる家族がいるぐらいなら、おひとり様のほうがよっぽどマシです。私のように、“独身だけど、同居家族はいる”という、“中途半端なおひとり様”というのが最もタチが悪いのだと痛感させられました」
増井さんは、父親がおかしくなってから、何度も後悔した。
「不仲なのに離婚しない両親に見切りつけて、家を出ておけばよかった。だけどそこまで無責任になれなかった。むしろ、母を連れて家を出ておけばよかった。だけどそこまで頭の回る私じゃなかった。過敏性腸症候群と不整脈の関連性は指摘されていませんが、どちらもストレスによるものだと自分では解釈しています。私は完全に、父に対する積年のストレスで心臓をやられたのだと思っています」
■母親が介護うつに
やがて、75歳になった父親の徘徊(はいかい)が始まった。朝4時ごろ、電動機付き自転車に乗り、勤務シフトが入っていなくても出かける。それだけでなく、一度仕事に行き、帰ってきたのにまた出勤しようとすることも増えた。
逆に、朝仕事に行ったと思ったら、職場からは「来ていない」と連絡が入ることもあったが、その場合はどこに行っていたのか、増井さんたちは検討もつかず、途方に暮れるしかなかった。
そんな中、71歳の母親は気分が沈みがちになり、食欲が落ち、どんどん痩せていった。かかりつけ医に相談すると、「介護うつではないか」ということで、抗うつ剤を処方。それでも母親は痩せ続けていった。
「このままでは母のほうが先に死んでしまうのではないか?」と心配になった増井さんは、遅ればせながら父親のことに関して地域包括センターに相談。すると、「とにかく認知症診断を受けて、介護認定をとってきてください。そうすれば道は開けます。まずはそこからです」と助言を受ける。
増井さんは、「何とかして父に認知症検査を受けさせなければ……」と強く決意した。
(以下、後編へ)
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ライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。
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(ライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)
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