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「暴力・徘徊の認知症老父」待ちに待った臨終後、40代娘が病院から受け取った医療費請求明細の"衝撃の数字"

プレジデントオンライン / 2022年7月9日 11時30分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/liebre

認知症の症状が出始めた70代の父親の症状は日に日に悪化し、暴力や徘徊も日常茶飯事に。病院や施設への入所が決まり、40代娘の介護の負担は減ったが“介護後遺症”のような症状に悩まされた。その後、父親は80歳で他界。「悲しいという感情はなかった。父の臨終は望んでいましたが、うれしいという気持ちもなかった。ただ『これで終わった』とほっとした」と話す――。
【前編のあらすじ】関東在住、都内のメーカーで一般事務を務める増井貴子さん(40代・独身)はひとりっ子で実家から通勤している。小さい頃から両親はお金のことで常に揉めていたが、父親が定年したあと、家庭の雰囲気はさらに悪化。父親の認知機能が低下し始め、家族に暴力を振るった。その後、父親の異常な言動が増え、その介護ストレスによって増井さんは不整脈で入院。徘徊(はいかい)が始まると、母親は介護うつになってしまった。

■救急搬送とテレビ損壊

(前編から続く)

父親はますますおかしくなった。

都内メーカーで一般事務を務める関東在住の増井貴子さん(仮名・40代・独身)の父親(76歳)は、2017年5月のある早朝、徘徊に出た。やっと探しあてたのもつかの間、今度は「会社から呼び出された」と言い出したため、ひとり娘の増井さんは72歳の母親とともに必死に制止した。だが、父親はスキをみてこの日2回目の徘徊に出た。

電動機付き自転車で転倒し、頭から血を流して気を失っているところを通行人に発見され、搬送先の病院から連絡が入る。母親と増井さんが駆けつけると、父親はストレッチャーに横たわり、点滴を受けていた。

そのとき増井さんは、看護師から耳打ちされた。

「認知症をお持ちですか? 救急車の中で、自宅の電話番号は言えたのですが、ご自分の生年月日は言えなかったんです」

「まさか、自分の生年月日もわからなくなっていたとは!」。増井さんは愕然とする。その後、医師が来て増井さんと母親に言った。

「頭を打って出血はしていましたが、擦り傷程度です。心電図やCTに異常は見られませんでした。おそらく一時的な脱水症状や貧血で倒れたのでしょう。認知症の症状がみられるので、受診はしておいたほうが良いですよ」

それを聞いた増井さんが、「認知症の検査をしたくて予約も入れてあるのですが、本人が行こうとしてくれず困っているのです」と相談すると、医師は父親に、「今日、頭を打ったから、また今度詳しく頭の検査をしますからね。予約入れときましたから、ちゃんと行ってくださいね」と言い、父親は「はい!」と元気に返事をした。

その様子を眺めながら増井さんは思っていた。

「脳梗塞とか心臓発作とか、そういう大ごとだったらよかったのに。もういい加減、母と私を解放してほしい」

帰宅すると、翌朝も早朝から徘徊に出かけた父親。増井さんたちは困り果てていた。そんな5月下旬。再び父親は外出中に転倒し、通行人に救急車を呼ばれ、病院から連絡があった。平日の昼間で、増井さんは仕事中だったため、母親が対応。やはりCTなどの検査を受けたが、どこにも異常はなく、家へ帰された。

それから認知症検査までの数日の間に、父親はテレビを2回も壊した。テレビの付け方やチャンネルの変え方がわからず、勝手にリモコンや本体の裏側をいじり、壊してしまったのだ。1度目は近所の電気屋さんに直してもらったが、2度目はわざと放置した。

■父親の医療保護入院

そして迎えた認知症検査の日、結果は30点満点中6点。父親は重度認知症であることが判明。医師は提案した。

「奥さん、これ以上一緒に生活するの無理でしょう? このままだと奥さんも娘さんも倒れてしまいますよ。入院させましょう!」

増井さんが、「本人が入院したくないと言うかも……」と心配すると、「医療保護入院の形なので、本人の同意がなくても大丈夫ですよ」と医師。即入院が決定し、増井さんはこの時、「医師が神様に見えた」と話す。

入院先の病院では、担当になった相談員から費用やスケジュールなどの説明があり、「おそらくお父さんは要介護1か2。条件的に特養(特別養護老人ホーム)には入れないので、このあとは民間の老人ホームか老健(老人保健施設)に入所させては?」と助言された。

介護認定の結果は要介護1。

「当時父は、(ケガをした)頭以外はとても元気。トイレは頑なに立ってするため、便器や床をすごく汚していましたが、一応自分でできていました。でも、後から部屋を片付けていて発覚したのですが、小便の入ったプラスチック容器をいくつも押し入れに隠していて、『父の部屋から漂う悪臭のもとはこれか!』と合点がいきました」

トイレでさえ、床を汚すほどだ。便器より小さいプラスチック容器に小便をこぼさず入れるのは難しい。おそらく布団や床にこぼしていたに違いない。増井さんと母親は、父親の入院後、父親の布団を捨て、床を張替えるなど、家の大改修を計画。

その改修をしていたある時、増井さんはこう叫んだ。

「アイツには二度と、この家の敷居はまたがせない! 今度この家に戻って来る時は、骨壺に入った時だ!」

横にいた母親も言った。

「甘いよ! 骨になってもこの家には入れない。『即・納骨』だ!」

増井さんとともに長年介護をしてきた母親にはうつ症状があったが、夫(父親)の入院後はすっかり元気になっていた。

父親は医療保護入院を1カ月した後、同じ精神病院の認知症病棟に移動。増井さんと母親が病院に行くと、主治医は、「今のところ病院では暴言暴力はありません。暴言暴力をするのは、妻や娘をバカにしているから。気心の知れている家族には暴言暴力をし、他の人にはしないのは、男性の“認知症あるある”です」と説明。さらに、「お父さんの認知症は少なくとも5年前には始まっていた」と予想。「ここまで進行していると、治すとか進行を遅らせるとかいうレベルではありません。もう在宅介護は無理でしょう」と首を振った。

しかし、要介護1では特養には申し込めない。そのため、費用面など含めて、保護入院先のソーシャルワーカーに相談すると、隣県の老人ホームを紹介され、10月には父親を移した。

終末期患者とその家族
写真=iStock.com/KatarzynaBialasiewicz
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/KatarzynaBialasiewicz

■積年のストレス

2019年1月。40代前半となった増井さんは、救急車で運ばれた。

突然激しい頭と首の痛みに襲われ、嘔吐を繰り返し、全く動けなくなったため、74歳の母親が救急車を呼んだのだ。

診断は、筋緊張性頭痛。首・肩・背中の筋肉が硬直してしまったことで、頭痛や首の痛みが引き起こされるというものだ。増井さんの場合は、顔面の筋肉も硬直し、まぶたや目の周り、頬骨の下などもズキズキと痛み、しばらく上体が起こせないにもかかわらず、有効的な手術の方法がなかったことから、入院はしなかった。

方に違和感を覚える女性
写真=iStock.com/bee32
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/bee32

結局、数週間もの間、在宅でほぼ寝たきり状態となり、食事も歯磨きも母親に介助してもらいながら寝たままおこない、唯一トイレだけは自力で行った。

「過去の卵巣腫瘍や心臓(不整脈)のときよりも、症状が一番重くつらく感じました。治療は、硬直してしまった筋肉を解くための筋弛緩剤と、対処療法としての痛み止めの服用のみで、回復は遅く、仕事復帰まで1カ月半もかかりました」

この時はすでに父親が紹介された隣県の老人ホームに入居していたため、母親は増井さんの介助に専念。だが、母親も増井さん自身も、いつ治るのか先が見えず、とても不安な日々を過ごした。

■父親の危篤

父親は老人ホーム入居後、まもなくインフルエンザで高熱を出したのをきっかけに、急速に衰えて、要介護4になった。

2021年5月。80歳になった父親は老人ホームで突然容体が悪化し、大量下血。救急車で病院に運ばれ、そのまま入院に。入院先の病院は、コロナ禍で面会は一切禁止。何かあったら病院から連絡が入ることになっていた。

6月下旬に病院から電話があり、「主治医から電話で病状の説明をするので、その予約を取ってください」と言われ、増井さんは7月初旬に予約。その予約日の前日。就寝中の増井さんは、午前4時頃に鳴った自宅の電話で起こされた。別室にいた76歳の母親も、電話に出ようとリビングに来たところで、2人は鉢合わせる。

増井さんが受話器を取ると、「お父さんが現在、呼吸も脈もとても弱い状態です。急いで病院に来てください。もしかしたら、間に合わないかも……」と、看護師が言った。増井さんのスマホには、病院からの着信履歴が複数残っていた。

増井さんは、「これからすぐに向かいますが、自宅から病院まで電車で2時間かかります……」と伝え、母親と身支度をして家を出る。

電車の中で母親は緊張した面持ちで言った。「今日で決着がつくのかな?」

慎重派の増井さんは首を縦には振らなかった。「危篤になりつつもまた持ち直して、これから何度も病院に呼び出される日が続くかもしれないよ」

この時の心境を増井さんは振り返った。

「それまで、父が弱ってきたという連絡は一度も無く、むしろ病状は安定していました。私が、積極的治療の拒否や看取りなどの説明を希望しても、主治医からは、『まだそういう段階ではない』と否定されていたので、突然の危篤の知らせに驚きました」

梅雨明け前のじめじめした天候の中、病院に着いたのは午前8時少し前。病室へ向かうと、父親は酸素マスクなど何も着けない状態で横たわっていた。看護師から見せられたモニタの波形は、横一直線。

瞬間、増井さんは、「あ、終わったんだ」と思い、母親と顔を見合わせると、小さくうなずき合った。増井さんが電話を受けた、約10分後に息を引きとったのだと言う。

「正直、悲しいとかそういう感情は一切ありませんでした。とはいえ、父の臨終はずっと望んでいたことですが、うれしいという気持ちもなかったです。ただただ、『これで終わった』という、白黒ついてホっとした気持ちでした」

父親は80歳で死去。葬儀はコロナ禍ということもあり、火葬式を選択。母親と増井さんの2人だけで、ひっそりと送った。

■一卵性母娘

後日、父親の入院費の明細と領収書が届き、増井さんは、父親が大量に下血したとき、1.8リットルも輸血されていたことを知り、愕然とする。

「正直、輸血の無駄遣いだと思いました。平時なら、輸血によって延命することで、家族や親戚が最期のお別れをすることができるなど、輸血の意味は大きかったと思います。でも、コロナ禍で延命したとしても、誰も会わせてもらえないにもかかわらず、父は1カ月半ほども1人で苦しく生きながらえました。下血の日に逝かせてもらったほうが、父は楽だったと思います」

確かに、輸血で生きながらえても、また認知症で寝たきりの要介護4の生活に戻るか、それ以上に悪い状態の生活になるかしか道はなかったのだ。

「私は、延命も輸血も拒否していました。それは、私の意向が8割ですが、父の身体的苦痛を思ってというのも2割ぐらいはありました。父にはさんざん振り回されましたが、最終的には、『1.8リットルも輸血してもらって大変だったね。まぁ、お金を捻出するこっちも大変だったけど……。あの世でゆっくり休みなよ』と声をかけたいと思います」

水に浮かべてある火のついたアロマキャンドル
写真=iStock.com/George Melin
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/George Melin

2014年に父親の異変に気づいてから約7年。増井さんは途中、仕事と父親の介護の疲れやストレスから、体調を崩して救急車で運ばれたり、手術を受けたり入院したりしたこともあったが、母親との二人三脚で支え合って乗り越えた。

「行動力、決断力という点において、私がいなかったら、あんなにスムーズに父を施設に入れられなかった。母の監視力がなかったら、父の介護問題から目を逸らし気味だった私では、電動機付き自転車で徘徊する父が、もっと重大な事故を起こしていたかもしれない。。母と私はお互いのためを思うからこそ、頑張ることができました。ただ、精神的自立をしているかというと、していないのかもしれません」

増井さんは現在45歳。当初は47歳で早期リタイアを計画していたが、コロナ禍を経て、勤務先が在宅勤務制度を導入し、労働環境が改善されたため、「もう少し働いてもいいかな」と思えるようになったという。

「私は一人っ子だったので、“ボケ父の娘”という宿命をもろに背負わされてしまい、そうこうしている間にもう40過ぎのオバサンになってしまいました。けれど、ボケ父から解放され、コロナ禍という災いが転じて理想の就業形態を手にでき、“目指していた自分”の状態に近づいてきている感があります」

先日、勤務先で受けたストレス検査では、「ストレスは見受けられませんでした」という結果が出た。これまでは例年、「心身に深刻なストレス症状の疑い」とか、「重度のストレス症状がみられる」とか、「カウンセリングの勧め」など、“ストレス人間”の烙印を押されていた増井さんだが、父親との死別と在宅勤務制度の影響は大きかったようだ。

「介護は、割り切りが大切だと思います。『施設に入れるなんてかわいそう』と思わないこと。周りからどう思われるかは気にせず、自分と一緒にいる家族(私の場合は母)の心と体を守るほうが、はるかに大切だと思います」

それでもやはり、「定年まで働く気はない」という増井さん。まずは父親のいない空間を存分に満喫したあと、仲良しの母親と2人、旅行に出かけるのが夢だと語る。

途中、「父を捨てて母と逃げればよかった」と後悔を口にした増井さんだったが、その表情や口調からは、最期まで介護しきったことによる充実感がにじみ出ていた。

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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。

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(ライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)

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