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なぜ自宅にいるのに「家に帰る」と言い出すのか…認知症の夫に困り果てた妻に脳科学者はどう答えたか

プレジデントオンライン / 2022年7月16日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/shapecharge

認知症の人は自宅にいるのに「家に帰る」と言い出すことがある。脳科学者の恩蔵絢子さんは「認知症の人は不安を抱えているため、安心できる存在や場所を求める。不安が募っていくと『自分がいるべき場所はここじゃない』という感覚が生じる」という――。

※本稿は、恩蔵絢子・永島徹『なぜ、認知症の人は家に帰りたがるのか 脳科学でわかる、ご本人の思いと接し方』(中央法規出版)の一部を再編集したものです。

■家にいるのに「家に帰る」と言う認知症の高齢男性

【事例】
市司さん
・男性
・83歳
・アルツハイマー型認知症 
・要介護2
・夫婦2人暮らし

市司さんは、中学校の校長まで務めた教育者でした。退職後も地域の活動を積極的に行い、妻と2人、忙しくも充実した日々を過ごしてきました。80歳を過ぎた頃から気になる言動が増え、かかりつけの医師より、認知症の診断を受けました。

その後、引きこもりがちになってしまったので、デイサービスの利用を検討しましたが、気が進まないという理由で利用することはなく過ごしてきました。しかし、やがて妻が困り果ててしまう言動が目立ってきました。毎日、夕方になると荷物をまとめて、「家に帰る」と言い出すようになったのです。

妻は驚いて「ここが家でしょ」と伝えると、「何を言ってるんだ!」と大声を出して怒り出してしまいました。もともと物静かで、頑固ながら大きな声など出したことのない人だったので、妻は驚き、ショックを受けてしまいました。

【脳科学からの解説】
「心が安心できる場所」を求める

多くのアルツハイマー型認知症の人に「親への固執(parentfixation)」という症状が表れることが知られています。家にいるのに「家に帰りたい」と言ったり、もう亡くなっている親について「お母さんはどこ?」と言ったりする症状です。

アルツハイマー型認知症では、新しい出来事の記憶を作ることには問題が表れるけれども、記憶を作ることと、記憶を蓄えることは別の組織が担っていて、すでに蓄えられていた大昔の記憶は無事だというが知られています。

現在のことは海馬の萎縮のせいでうまく覚えられず、把握しにくい。だから、昔の記憶の方が現在よりも鮮やかになります。そのために、「家」という言葉も、今暮らす家ではなく、たとえば、結婚前に暮らしていた実家や、小さな頃に暮らしていた家を意味するようになってきたり、親が亡くなっていることを忘れて、ずっと以前の姿で親が存在しているような気がしてしまったりすることがあるのです。

■子供の頃の記憶だけが鮮明に残っている

どうして昔の家や亡くなった親にこだわってしまうのかという理由は、昔の方が鮮やかだからということに加えて、「安全基地」という考え方からも説明されています。人間にはだれでも、失敗をして自分が脅かされているときは、安心できる存在を求める心の働きがあります。健康な人でも、不安なときは恋人や家族にそばにいてほしいと思うでしょう。

それと同様に、アルツハイマー型認知症の人は、日々の生活の中で失敗することが増え、(現在の)家族からその失敗に対してびっくりしたような反応をされると、不安が募ってきます。そんなときは、安心できる存在を求めて、「実家」や「親」という単語が出てくることになります。

長年一緒に暮らしてきて、現在もそばにいる家族のことはもちろん忘れたわけではありません。しかし、毎日一緒にいる家族は、ご本人のみせる症状に慣れるのに時間がかかって、どうしても初めの頃は驚いた顔を向けてしまったり、戸惑ったりしてしまうものですから、安心を与える存在になれないことがあるのです。

自分を完全にわかってくれる人を心の中で必死に求めたときに、子どものとき、自分を守ってくれていた、絶対的な存在である「親」が思い出されてきます。「親」以外にも、過去の、仕事が一番うまくいっていたときの記憶や、子どもを守って家事の一切を切り盛りしていたときの記憶など、自分に一番自信があったときの記憶を突然思い出して語ることがあります。

日本の1歳の女の子の古い写真
写真=iStock.com/SetsukoN
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/SetsukoN

今はたくさんのことを人前で失敗してしまって、脅かされているからこそ、そのような鮮明な記憶を手がかりに、自分を保とうとするのです。

■「家」が指し示しているのは「心が安心できる場所」

そして次第に、「家」という言葉が実家でもなくなり、とにかく「安心できる場所」という意味で使われることがあります。

実家を求めているのだろうと思って、そこへ一緒に行ってみても、「ここではない」というような反応で、あまりピンときていない。それは、もうそこには昔のような姿で親がいるわけでも、家が残っているわけでもないからで、そこに行っても安心がないからです。アルツハイマー型認知症の人だけでなく、時間が経てばどんな人も、どんな場所も変わるものです。

「家」が指し示しているのは、具体的な昔の家ではなく、「心が安心できる場所」なのです。

市司さんは、校長先生まで務めた教育者だったとのこと。積極的で人に頼られていた人だからこそ、デイサービスで人に助けてもらうことに抵抗があるのかもしれません。しかし、だからといって家でじっとしていると、かえって自分の中で「何もできない」という気持ちや、焦燥感が募り、何か生き甲斐のようなものを求めて外に出ようとするのかもしれません。

「家に帰る」というのは、「自分がいるべき場所はここじゃない」という感覚が生じてしまっているということで、本当は「何かやりたい」という気持ちの表れであることもあります。

物理的な家ではなく、自分の居場所を求める気持ちがだれにでもあります。それがないと「何かやらなきゃ!」と外へ出て行ったり、「家に帰る!」と言うことになります。探し求めて外に出たものの、途中で目的がわからなくなって迷ってしまうこともあります。安全基地にだれかがなることが必要なのです。

■顔や名前を覚えられなくても「親しみ」を感じることはできる

対策としては、体を動かせる場所や人と会える場所を作ることです。最初にデイサービスなどの施設に行くことを決めるのは、どうしても「老いてから行く場所」といったイメージがあり、勇気がいるのかもしれません。しかし本当は、施設は「習い事」ができる場所なのかもしません。

新しく絵を描き始めてみる、歌を歌ってみる、手芸をやってみる、囲碁をやってみる、そんな挑戦がある場所です。あるいは、施設は「ジム」のような場所で、体を動かせる器械もあり、見守ってもらいながら、筋肉が衰えないようにトレーニングできます。そして何より、新しい友達ができる場所です。その仲間内で、新しい役割が生まれることもあります。

囲碁をする老人
写真=iStock.com/xavierarnau
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/xavierarnau

アルツハイマー型認知症は、新しい出来事を記憶することに問題が出る病気と述べてきました。だから、新しい場所に行くのは難しいのではないか、と思うかもしれません。しかし、驚くべきことに、何度も施設に通うと、その場所に慣れてきます。そしてそこにいる人たちにも慣れてきて、友達ができるのです。

施設や人の名前は覚えられないかもしれない。名前は、海馬の司る宣言的記憶だからです。また施設へ行っても「今日、あそこで○○をしてきたよ」と帰ってから出来事を語ることは難しいかもしれない。しかし、繰り返しそこへ行き、顔を合わせていると、体はその場所や人を覚えて「親しみ」を感じるようになります。それは、大脳基底核や小脳の司る体の記憶が無事だからです。

■居場所ができれば「帰りたい」という気持ちは癒やされていく

アルツハイマー型認知症の人も、新しく会う人には警戒をして体を触らせたりしませんが、大脳基底核や小脳の働きのおかげで、繰り返し会っていると徐々に慣れてきて、他人に手伝ってもらうことを受け入れられるようになります。そして、他の利用者が困っていたら、今度は自分が手伝ってあげようという気持ちが芽生えます。

このように、施設で自分よりそのとき体の状態が悪い人の面倒をみることができたり、なんらかの役割を得れば、その中で居場所ができていくでしょう。自分には居場所があるとわかれば、「ここではないどこかへ行きたい」「帰りたい」という気持ちも癒やされていくはずです。

■不安な気持ちに寄り添ってあげることが重要

【アシストポイント】
家にいるのに、「家に帰る」と言ってしまったら……

安心したいという思いに応えるようなかかわりをしてみましょう。

ご本人の思い:状況がわからず不安。早く安心したい……
恩蔵絢子・永島徹『なぜ、認知症の人は家に帰りたがるのか 脳科学でわかる、ご本人の思いと接し方』(中央法規出版)
恩蔵絢子・永島徹『なぜ、認知症の人は家に帰りたがるのか 脳科学でわかる、ご本人の思いと接し方』(中央法規出版)

「家に帰る」という言葉は、安心したいという気持ちの表現と考えられます。ここで大切なのは、ご本人の思いに目を向けてみることです。「家に帰る」と言うときは、なぜここにいるのかわからなくなり、混乱して不安になっています。

アシストポイントは、安心したいという思いに応えるようなかかわりをすることです。想像してみてください。もしも、一瞬でも、今いるところや状況がわからなくなったら……。ご本人の状況を自分に置き換え、相手の不安な思いを察することができるかがカギです。

「少し待っていてね」などのマニュアル的な声掛けではなく、「大丈夫だよ」のたった一言であっても、本人のことをわかろうとする思いが伝われば、今いるところが安心できると感じてもらえるかもしれません。

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恩蔵 絢子(おんぞう・あやこ)
脳科学者
1979年神奈川県生まれ。専門は自意識と感情。2007年東京工業大学大学院総合理工学研究科知能システム科学専攻博士後期課程修了(学術博士)。東京工業大学大学院で脳科学者の茂木健一郎氏の研究室に入る。現在、金城学院大学、早稲田大学、日本女子大学で非常勤講師を務める。著書に『脳科学者の母が、認知症になる 記憶を失うと、その人は“その人”でなくなるのか?』(河出文庫)、『なぜ、認知症の人は家に帰りたがるのか 脳科学でわかる、ご本人の思いと接し方』(中央法規出版)がある。

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永島 徹(ながしま・とおる)
ソーシャルワーカー
1969年栃木県生まれ。2003年にNPO法人風の詩を設立。同法人理事長、認知症単独型通所介護デイホーム風のさんぽ道施設長、居宅介護支援事業所ケアプランセンター南風所長、社会福祉士事務所風のささやき代表を務める。認定社会福祉士、主任介護支援専門員、認知症ケア専門士などの資格を持つ。主な著書に『必察!認知症ケア 思いを察することからはじまる生活ること支援』『必察!認知症ケア2 実践編 生活ること支援に必要な5つの対人力』『だいじをギュッと!ケアマネ実践力シリーズ サービス担当者会議』(ともに中央法規出版)他多数がある。

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(脳科学者 恩蔵 絢子、ソーシャルワーカー 永島 徹)

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