線路に降りれば5秒で回収できるのに…駅員が「線路内の落とし物」をすぐに拾わないワケ
プレジデントオンライン / 2022年7月12日 7時15分
※本稿は、綿貫渉『怒鳴られ駅員のメンタル非常ボタン 小さな事件は通常運転です』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
■改札で駅員を怒鳴り散らす乗客
「俺は暴力団の一員だ。お前と、お前の家族も全員ぶち殺してやるからな!」
これは、私が言われた苦情の中で最も印象に残っている言葉である。
ある日のこと。50代くらいの男性が、自動改札機に切符を投入した。しかしエラー音とともに、改札の扉は閉まってしまった。確認すると、「券詰まり」を起こしている様子。自動改札機の内部で切符が詰まっているのだ。切符が曲がっていたり、手汗で湿っていたりすると、稀に発生する。
すぐに客のもとへ向かい声をかけたのだが、様子がおかしい。その方は、自動改札機を「この野郎!」と言いながら蹴り続けている。明らかに常軌を逸しているので、危険を察知した私は改札窓口の室内に戻った。すると、その人は興奮した様子でこちらに向かってきた。
「切符が機械の中で詰まっているようで……」私が言いかけると、「違うだろ! なんでそこから出てこないんだ! すぐ来るのが普通だろ!」と喚く。
いやいや、すぐに向かったけど相手にされず、蹴りを入れ続けていたんだけど……。攻撃してくるかもしれない相手から離れた私の行動は、間違ってはいないだろう。
男の怒りは、まったくおさまらず、同じようなことをずっと怒鳴っている。駅員が怒鳴られることは日常なので、同僚も助けに来ない。10分も経つとおかしいと思った助役が出てきて一緒に対応してくれたが、男はまったく落ち着かない。
■「バカ」「死ね」と言ってくる人はたくさんいる
怒鳴り続ける男を見て通りすがりの人が通報してくれたのか、警察官が来た。「助かった!」と思ったが、男は「話をしてるだけで、悪いことをしてるわけではない。そうだよな⁉」と言う。その勢いに圧倒されて、「そうです」と応えてしまった。
それを聞いた警察官が引き上げたのを確認すると、男はこう言った。
「ここで俺が手を出したら、俺が悪くなって捕まっちまうんだよ」
「俺は暴力団の一員だ。お前と、お前の家族も全員ぶち殺してやるからな!」
血の気が引いた。正直、「バカ」とか「死ね」と言ってくる人はたくさんいる。暴言を吐かれることにも慣れている。なので、先程までは少し長引いているくらいにしか思っていなかった。しかし、ここで空気が変わった。駅には防犯カメラがあり、その前で暴力を振るったら、証拠が残ってしまう。だからここでは手を出さない。
そして私単体ではなく、「お前と、お前の家族」を殺すと言っている。家族にまで殺意を向けられたのは、後にも先にもこの1回だけだ。これは本気であることが伝わってきた。この男は、本当に証拠が残らない方法で私や家族を殺しに来るかもしれない……。
トラブル発生から30分ほど経ったとき、その男に電話がかかってきた。直前まで怒り狂っていたのだが、男は通話しながらどこかに行ってしまった。誰かと待ち合わせをしていたのだろうか。
■鉄道は客を選ぶことはできない
鉄道を利用する人は、「何時にどこに行きたい」という目的をもっている人がほとんどだ。
だから長時間苦情を言い続けて立ち去らない人は珍しく、気が済んだら大抵は去っていく。このときは数十分対応することになったが、駅で起きる苦情は時間が解決することが多い。
鉄道は、運賃を支払えば誰でも平等に利用することができる。それが、公共交通機関としての役目である。自分が嫌っている人も使うし、反社会勢力の一員であっても使うし、逃走中の犯罪者も使う。
こちらから客を選ぶことはできないのは小売店も同じなのだが、絶対数が違う。このときのように特殊な相手に対応することは滅多にないが、「もしかしたらそういう場面に遭遇するかもしれない」という覚悟も必要だ。
この日から1週間ほどは、一人で歩いていると「殺されないか」と不安だった。周囲の状況に大変気を遣ったが、何事もなく生還できた。「殺すぞ」と言われると委縮してしまうが、大抵の場合は本当には殺されない。
でも「もしも」があるかもしれないのも、事実である。
■「あそこに倒れている人がいます!」は一大事
「すみません、あそこに具合が悪そうな人がいます!」
駅員が困るセリフトップ3くらいには入るだろう。乗客からしたら、具合の悪そうな人を見かけてどうしていいか分からず、とりあえず駅員に知らせたというところだろう。
現場に急行するも、それらしい人が見当たらない場合が多い。数十秒~1分程度しゃがみこんだものの、すぐに治ってその場を立ち去ったのだろう。また、それらしい人がいて駅員が声をかけても「ちょっと休めば治るので大丈夫です」と言われることも多い。
ただ、次の場合は別である。
「あそこに倒れている人がいます!」
具合が悪いではなく、倒れているとなると一大事なのは明らかだ。現場に急行すると、乗客が意識を失って倒れている場合や、意識はあるものの全く動けなくなっている場面を何度も見てきた。
また、意識を失っている乗客に同僚がAEDを使用して救命を行ったこともあった。駅にあるAEDは決して飾りではなく、現実に使う場面がやってくるのである。こういう場合は駅員にできることには限界があるので、すぐに119番通報し救急車を手配する。最初は緊張するが、何度もあるのですぐに慣れる。
ただ、急病人のこともあるが、酔って寝ているだけという場合も多い。駆けつけたら酔っぱらいだった、というのはちょっと拍子抜けしてしまう。私の最も記憶に残っている「倒れている人」も酔っぱらいだ。
■嘔吐物にまみれた泥酔客、局部は丸見え…
「あそこに倒れてる人がいます! ヤバイのですぐ行った方が良いです!」
乗客から現場の状況を伝えられたが、そんなことがあるのかと信じられなかった。が、行くしかないので現場に急行した。
到着すると、70代くらいの男性が酔っぱらってホーム上で寝ている。それだけならよくある光景なのだが、自分で吐いたと思われる吐瀉物で衣類がかなり汚れている。しかも、なぜかズボンを下ろしている。局部が丸見えだ。さらに、靴は履いていない。周りに見当たらなかったので、だいぶ前にどこかに脱ぎ捨ててきたのだろう。
幸いにもズボンは紛失はしていなかったので、局部露出は何とかなりそうだ。最初は起きる気配がなかったが、何度か声をかけると目を覚ました。
「どうされましたか? ズボン脱げちゃってますけど穿けますか? ここは人がたくさんいますからこのままじゃ良くないですよ」
自分は何をしているのだろうと思いながら、乗客に声をかける。幸いにも、自力でズボンを穿いてくれた。ひと安心したものの、このままずっと駅のホームで寝られていても困る。
「どちらまで行かれますか? この駅の近くがご自宅ですか?」
とりあえず目的地に向けて案内して、何とかここから動いてもらわなくてはならない。ホームでずっと寝ていたとして、終電が行ってしまったら駅を締め切るので最終的には出てもらう必要がある。今の時刻は23時。まだ電車が動いているうちの方が彼の目的地にたどり着きやすいだろう。
■「何でこんなことしているんだろう」という気分になる
「C駅まで……行きたいんだ……」
目的地の駅名を答えてくれた。この駅から他社線に乗り換えて3駅ほど行ったところだ。それなら他社線の駅員に引き継ごう。
「立ってください、C駅に行く電車はこっちですよ」
と声をかけるも、自力では立てないようだ。手を貸して立ち上がるのを手伝いたいが、彼の服は吐瀉物で汚れている。でもここはもう仕方ない。
ポケットに入っていた白手袋(*)を気休めに手に装着し、手を貸す。一人で歩くことも難しいようで、手と肩を貸しながら改札へ向かう。何とか他社線に乗り換える改札にたどり着いた。他社線の駅員には大変申し訳ないものの、今の状況と目的地がC駅であることを引き継ぐ。これにて何とか一件落着となった。
電車に乗っていて体調が悪くなるのは多少仕方ない面もあると思うが、酔客に対応していると「本当に何でこんなことしているんだろう」という気分になった。酒の飲みすぎには十分気を付けてほしい。
*筆者註:白手袋……白手袋はホーム上での列車看視や車いす対応のために常にポケットに入れている。
■線路に物を落としても、簡単には拾えない
「線路に物を落としてしまったのですが」
こう言われると、だいぶ待たせることになるので少し申し訳なく感じる。
電車とホームの間には隙間がある。少し油断すると簡単に物を落としてしまう。特に携帯電話や靴、最近ではワイヤレスイヤホンを落とす方が多い。
電車が来ていないタイミングでホームから線路に降りて拾えばいいと思うかもしれないが、そう簡単にはいかない。電車は時刻表どおりに来るとは限らず、遅れて来る場合もある。
また、時刻表に載っていない回送列車が突然来る場合もある。電車が近付いてくる音で気付きそうなものだが、他のことに集中していると気付かないものである。
私も一度経験がある。ある日、駅のホームを清掃していた。点字ブロックギリギリの所を掃除していたら、電車が警笛を鳴らして猛スピードで通過していった。このタイミングでよろけて線路側に転倒するなんてことがあったら大事故である。
もちろん電車が通過しますという自動放送も入っていたし、音も聞こえていたはずなのに、警笛を鳴らされるまで気が付かなかった。
このように、何かに集中してしまうと電車が近付いてきても気付けないことがある。単独で線路内に降りて拾得するなんてもってのほかだ。
実際に落とし物を拾得する様子を見たことがある人ならご存じかもしれないが、線路内の落とし物は基本的にマジックハンドを用いて拾得する。これにより、危険な線路上に降りず拾得することができる。それでも、一人で作業していると気付かずに電車が接近して、マジックハンドと電車が接触するなど事故につながる可能性がある。
■乗客を待たせてしまう理由
ではどうするのかというと、二人で作業を行うのだ(*)。一人は拾得に専念し、もう一人は見張りに専念する。これにより、安全に拾得することができる。
*筆者註:二人で作業……この作業手順はあくまでも私が所属していた会社のもので、会社ごとに多少の作業手順の違いはあると思われる。
しかし、私の勤務駅には改札に駅員は一人しかいない。でも落とし物を拾得するには2名必要になる。そうなると、休憩中の同僚を呼びつつ、有人改札は無人にするしかない。休憩中の同僚を呼ぶために1~2分かかる。
同僚が手を放せないときは、一人で作業する方法もある。指令所に連絡し、駅に電車が入ってこないようにするのだ。これはこれで、駅から指令所に連絡、指令所から運転士に連絡といった手順を踏むのでGOサインが出るまで少々時間がかかる。
これだけ時間がかかるとなると納得いかないという人が大半だろう。
■「今は電車来ないから取れますよね?」
ある日も、乗客から線路内に携帯電話を落としたと申告を受けた。乗客にとって大事なものなので、なるべく早く拾得してあげたい。そのためこう考えた。
無線で休憩中の同僚に連絡を入れる。
「こちら綿貫です。線路内に落とし物で、1番線の中ほどとのことです。私は先に行ってますので、準備でき次第来てもらえますか?」
私と乗客で先に現場に行き、詳しい場所を確認しておくことにした。
「携帯電話を落とされたのはどのあたりですか?」
「えーっと、あ! ここです、ここで落としました!」
事前に把握できたので、あとは同僚の到着次第拾得に入るだけだ。
「安全のため一人では拾得作業ができませんので、もう一人到着するまで少々お待ちいただけますか? もうすぐ来ますので」
「今は電車来ないから取れますよね? 急いでるので早めに取りたいのですが」
「その通りなのですが、万が一……あっ!」
その瞬間、乗客はホームから線路に飛び降りて自力で携帯電話を拾得、そしてものの5秒も経たないうちにホームに戻り、去っていった。
■電車が来ていなくても線路内は危険
本来は乗客が線路に降りた時点で非常停止ボタンを押し、電車を止める必要があるが、あまりにも一瞬だったためできなかった。
しかももう戻ってきているので今さら電車を止めても意味がない。しかし、もしここで乗客が電車に轢かれるなんてことがあったら私も責任を問われたかもしれない。それ以降、二人が揃ってからでないとホームへは行かないと考えを改めた。
安全を確保するため、時間をかけて拾得を行う必要はもちろんあるが、やろうと思えば乗客が線路に降りて5秒程度で拾得できてしまうというのも事実である。
駅員の目の前で線路に降りる人は滅多にいないだろうが、見ていないタイミングで線路に降りて自力で拾っている人は結構いるだろう。線路内に立ち入るのは本当に危険なのでご理解いただきたい。
■痴漢トラブル発生、駅員はどうする
鉄道で発生するトラブルにおいて真っ先に想像するのが、痴漢ではないだろうか。
私が勤務していた乗降10万人クラスの駅では、さぞ多くの痴漢対応を経験したのだろうと思われるかもしれないが、滅多になかった。私の勤務駅ではホームに駅員が常駐していないため、痴漢が発生した後、被害者が加害者を改札まで連れて来ないといけない。
が、被害者が加害者を連れてくるというのはそう簡単なことではない。なんとか改札まで加害者を連れてきて駅員に申告されたとしても基本的に駅員はほぼ何もすることができず、警察を呼ぶしかない。
駅員は痴漢の現場を直接目撃した訳ではないので、加害者と決めつけることはできないからだ。『それでもボクはやってない』という映画が2007年に話題になったように、痴漢冤罪(えんざい)というものもある。
また、取り調べや裁判の過程では無罪推定の原則(*)がある。加害者とされる人を、有罪と決めつけて対応して冤罪だった場合、「駅員に犯罪者扱いされた」ということでトラブルに発展する可能性がある。
*筆者註:無罪推定の原則……有罪判決を受けるまでは、被疑者や被告人を無罪として扱わなければならないという原則。
痴漢となると、直接現場を目撃するのは難しく、冤罪をでっち上げることもやろうと思えばできるだろう。そのため、駅員ができる対応としては警察を呼ぶこと、警察が到着するまで加害者とされる人が逃げないようにすることだけである。
■泣いている女子高生と2人の男性が改札に…
では実際の痴漢対応の流れはどのようなものなのか。私の経験した内容を振り返ってみる。
平日の朝ラッシュ時間帯。特に電車の遅れもなく、このままラッシュが終われば無事に退勤だなと考えていると、泣いている女子高生と共に40代くらいの男性が20代くらいの男性を連れて改札にやって来た。明らかにただならぬ空気だ。
「この人が痴漢をしたそうです」
「だから知らねえって言ってんだろ」
20代の男性が女子高生に痴漢をし、女子高生が助けを求め、40代くらいの男性が加害者とされる人を連れて改札まで来たようだ。しかし加害者とされる男性は否認している。唯一助かったのは、加害者が逃げる様子ではなかったことだ。
『それでもボクはやってない』が上映された頃に、痴漢冤罪の容疑がかけられた場合はどうすべきなのか? というテーマで、よく挙げられた答えは「逃げる」である。当時は「逮捕されたら冤罪であってもそれを証明するのが難しく有罪になってしまうので、逃げた方がマシだ」と言われていた。
最近では逃げるのは良くないという考え方が広まってきたが、それでも痴漢の加害者が逃走したという事件はいまだに聞く。逃げる場合には駅員のいる改札口に来る前にホーム上から線路に立ち入って逃げる場合が大半なので、駅員のもとまで大人しく来た加害者がここに来て逃げようとするということは少ないだろう。
私も何度か痴漢の対応はしたが、加害者が逃げる素振りをしたことは一度もなかった。
■駅員は警察に通報することしかできない
まずは同僚の応援を呼び、被害者と加害者とされる人を別室に分ける。同時に警察に通報する。あとは警察官が来るまでの10分程度を逃げられないように待つだけだ。
加害者側も、改札に連れてこられたときは否認していたが、警察を呼んだとなると大人しくなり、ただその場で待っていた。
そして警察官が到着した。警察官が加害者、被害者それぞれから事情を聴取する。ここでも加害者は容疑を否認していた。その後、30分くらい警察官と加害者は話をし続けていたが、結局、加害者は罪を認め、パトカーに乗って警察署に連行されることになった。
この30分間は私も改札での他の乗客の対応をしていたため、警察官と加害者の詳しい話の内容は聞いていない。加害者は見逃してもらえるかもしれないと考えて否認を続けたものの、警察官の追及に負けて自白したのかもしれない。
駅員は、痴漢が発生したと報告があったら警察に通報するしかできない。それ以上でもそれ以下でもない。もちろん冤罪よりも実際に痴漢を行っていた場合の方が多いだろう。ただ、それが現場では分からないのがどうも後味が悪い。
近年ではスマートフォンのアプリを使って痴漢を通報する実験(*)が行われている。痴漢を撲滅するのは大変難しいとは思うが、最新の技術でどうにか減少していってほしいものだ。
*筆者註:痴漢を通報する実験……JR東日本が、車内での痴漢被害をアプリで車掌に通報するシステムを開発している。
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元鉄道員、YouTuber
元鉄道員でチャンネル登録者数8万人超の交通系YouTuber。大学卒業後、バス会社勤務を経て、JRで2021年まで鉄道員として働く。2015年にYouTubeチャンネルを開設、2017年に動画投稿を本格的に開始。鉄道プレスが選ぶ、鉄道系YouTuberチャンネル登録数ランキングではトップ10にランクイン。著書に『怒鳴られ駅員のメンタル非常ボタン 小さな事件は通常運転です』(KADOKAWA)がある。
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(元鉄道員、YouTuber 綿貫 渉)
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