「安倍元総理を救えていたかもしれない」専門家が指摘する"見過ごされた2つの死角"
プレジデントオンライン / 2022年7月11日 13時15分
■【死角①】発生後10分以内
この事件で医療関係者からの論評は少ない。医療従事者は他の医療従事者のことをとやかく言わないという「不文律」があるからだ。そのため日本を代表する医師らに話を聞いたが、「匿名なら」という条件になった。
安倍元総理が銃弾に倒れたのは7月8日午前11半ごろだ。救急車は5~6分で到着した。この後は、首都圏や大都市で大学病院等が近くにある場合なら、すぐに治療を開始できたはずだ。今回は、高度な医療機関が限られている地方都市で起きたため、条件は異なった。
それでも、東京都内の大学付属病院の熟練救急医は、これまでの治療経験を踏まえて指摘する。「10分以内に適切な医療ができていれば、助かった可能性はゼロではなかった」。
■ドクターヘリという選択
今回の事件では、安倍元総理が銃弾に倒れた直後、周囲にいた人々と駆けつけた医療関係者とで、心臓マッサージとAED(自動体外式除細動器)による蘇生が試みられた。
続いて到着した救急隊は、緊急医療の“常識”であり、切り札であるドクターヘリに安倍元総理を引き継ぐことになった。
事件現場は奈良市内の繁華街なのに、なぜ、僻地(へきち)や離島などで使わることが多いドクターヘリが使用されたのか。
事件現場の近鉄大和西大寺駅前(奈良市西大寺東町)から、奈良県立医科大学附属病院(奈良県橿原市)までは約22キロ。
「普通の道路状況なら30分くらいで着くけど、渋滞なら1時間以上かかり、渋滞は日常的に多い。それでドクターヘリが出動したに違いない。現場から約1キロの平城宮跡歴史公園に運ばれ、そこで安倍氏をヘリに乗せたのだろう」と奈良県の医療関係者は地元の事情を解説する。
※編集部註:初出時、「西大寺駅周辺にはヘリポートはなく、河川敷で救急車と合流してそこで安倍氏をヘリに乗せた」とありましたが、「現場から約1キロの平城宮跡歴史公園に運ばれ、そこで安倍氏をヘリに乗せた」と修正しました。(7月11日18時34分)
■「奈良か、大阪か」
一方で、ドクターヘリは大阪赤十字病院や大阪大学医学部附属病院など大阪の病院に飛ぶと予想した地元関係者も少なくなかった。
「私もそうですが、奈良の人は医療機関なら大阪に行くことが多く、今回もドクターヘリなら大阪に飛ぶと思っていた」(奈良県の主婦)
奈良県民が大阪の医療機関を頼る傾向があるのは、奈良県では過去に妊婦の救急搬送のたらい回し事件があり、県内の医療機関の信用を落としたことがいまだに尾を引いているようだ。
この事件は2006年に起こったものだが、体調を崩した妊婦の救急搬送で、県立医科大附属病院を含めて奈良県内の医療機関から受け入れを次々に断られ、最後に大阪の病院に運ばれ、死亡した。
「奈良県には3次救急医療機関(重篤な患者に高度な医療を提供する機関)がいくつかあるが、元総理の緊急治療だから、県内トップの医療機関に搬送しようということだろう。大阪の病院に移送したら、奈良県のメンツにも関わりますから」(先の奈良県医療関係者)という見方もある。
■病院到着まで50分近く経過…
県内トップの医療機関なら安心というのも、“常識”を踏まえての判断だろう。だが、救急車到着から、途中ドクターヘリを使い、病院到着まで50分近くが経過していた。
安倍元総理の容体は、「病院に搬送された時にはすでに心肺停止だった」。事件当日夕方の記者会見で県立医科大の福島英賢教授らはこのように話し、止血や大量の輸血など手を尽くしたことも明らかにした。
ドクターヘリを出動させ、トップの医療機関に運び、医療関係者たちの懸命な努力にもかかわらず、救命はかなわなかった。
■「医療的な勝負は、ドクターヘリの前にあった」
「安倍氏はおそらく、銃弾を体に受けて心タンポナーデの症状になっていたと思われる。これは、心臓の中に血液が入ってこなくなる重篤な症状。この状態だと、目の瞳孔は散大し、脳にも血液が行かなくなる」と先の熟練救急医は推測する。
そして「医療的な勝負は、ドクターヘリで運ぶ前にあった」と続ける。
県立医科大は死因を「失血死」とし、県警は司法解剖の結果、「上腕部から体内に入った銃弾が鎖骨下の動脈を損傷したことが致命傷になった」と発表した。銃弾は体の中に入ってから動くため、体のどこから出血しているのかを見極めるのは難しいとされる。
「撃たれた後、10分以内に止血をする必要があった。経験が豊富な医師なら適切な止血ができたはず。止血によって大量の出血を防ぎ、脳の血流を途絶えさせず、脳を麻痺させない措置ができていれば、一命を取り留めた可能性があった」(同熟練救急医)
■困難を可能にするための2つの方法
そのための治療にはエクモ(体外式膜型人工肺)の活用が必須だ。エクモは新型コロナ感染症の重症患者の治療で有名になった医療機器で、こうした大量出血の治療にも威力を発揮するという。
緊急治療を可能にするには2つの方法があるかもしれない。1つは、現場から近隣の医療機関に運び、そこにエクモがなければ、急いでそれを配備する。経験のある専門医がその医療機関に合流して治療を応援する。
安倍元総理を50分近くかけて移動させるのでなく、医師や医療機器を移動させて治療するという方法だ。
もう1つは、昨年のTBS系テレビドラマ「TOKYO MER~走る緊急救命室~」で描かれたような「手術室のある医療車両」を作る案だ。
ドクターヘリは遠隔地でも患者を迅速に運ぶ機能があるのに対し、「動く手術車両」が実用化されれば、現場に到着してその場で応急的な手術が可能となる。
■経緯の検証と救急救命体制の整備の検討を
どちらの案も、医療界では常識外れかもしれない。だが、現状の医療体制では元総理を救えなかったという歴然とした事実がある。
近くに設備の整った医療機関がなく、今回のように一刻を争う治療に対応するには、新たな即応体制を整える必要があるのではなかろうか。
医療界のみならず、政府も積極的に検討してほしい。
■【死角②】要人警護のあり方
一方、警備面でも「死角」があった。
今回、安倍元総理の警護が不十分だったという議論が噴出している。警護面で、日本の“常識”と疑問点を検証したい。
山上徹也容疑者は、自作の銃を1発撃った後、さらに安倍元総理に接近して2発目を撃ち、これが体に命中し致命傷となった。
米村敏朗・元警視総監はテレビ出演し、「要人警護はゼロ点か100点。今回はゼロ点だった」と警視庁の後輩らをかばうことなく、厳しい意見を披露した。
■2~3秒の判断ミス
1発目と2発目の間に2.5秒から3秒あった。「警視庁SPや県警の警護担当は、なぜ、安倍氏に覆いかぶさらなかったのか」という意見が専門家らの間で続出した。
その後、事件発生時の画像が公開され、SPらが安倍氏と、山上容疑者の間に飛び込む場面が明らかになった。実際、要人警護の要諦の1つに、発砲があった際、瞬時に警護対象の要人に覆いかぶさったり、要人を引き倒したりして、次の銃弾が当たらないように守ることがある。
1981年、米国のレーガン大統領(当時)が銃撃にあった際、SPらが身を挺(てい)して大統領を守ろうとした。この映像が世界に放送されたため、記憶している人も多いだろう。
■国松警察庁長官狙撃事件では実行された
日本の警察にも、過去にレーガン氏警護に勝るとも劣らない要人警護の実例があった。国松孝次・警察庁長官狙撃事件(1995年)だ。
銃撃を受けた際の現場の再現映像が後年になってNHKの番組で放送された。銃弾が発射された後、秘書官が国松氏を倒し、国松氏の上に覆いかぶさった。
その後も発砲が続く中、秘書官は覆いかぶさりながら、匍匐(ほふく)前進するように国松氏の体を安全な場所に移動させた。
こうした警護のおかげで、国松氏は重傷を負ったものの、一命を取り留め、事件から4年後にはスイス大使に派遣されるまで回復を果たした。
■十分に開かなかった折り畳み式防弾盾
今回の事件では、警護上、疑問の残る行動があった。その1つは、防弾機能があるSP用のかばんが有効活用されなかったという疑いだ。
SPらが山上容疑者をラグビーのタックルのように引き倒し、その体に覆いかぶさった場面で、SPと思しき男性が所持していた黒色で薄型のかばんが、報道で映し出されていた。これは、防弾機能があるSP用のかばんとみられる。
「このかばんは、銃撃があった際、さっと広げるよう訓練されている。これを盾にして次の銃撃を守るはずだったが、今回は開かなかったようだ」(警視庁の警備担当OB)
このかばんが機能するのは、映画の世界だけなのか。
■「がら空き」だった背後
もう1つの疑問は、演説場所だ。安倍元総理はガードレールで囲まれ、360度視界が開かれた場所で演説した。とりわけその後方は車道を挟んで、がら空きの状態だった。
山上容疑者は車道を歩き、安倍元総理に近づき発砲。さらに接近して2発目を発砲した。山上容疑者が車道を歩いて接近した段階で不審者として確保できなかった落ち度がある。その以前に、犯人が容易に近づける場所を演説会場にした警備計画にも落ち度があった。
奈良県警の鬼塚友章県警本部長は7月9日になって、「警備上の問題があったことは否定できない」と責任を認めた。そのうえで、安倍元総理は6月28日にも銃撃現場近くで応援演説をしていることから、「今回の警備計画書に修正すべき点を感じなかった」と了承したことを明らかにした。
■警護の鉄則より前例踏襲を優先しなかったか
鬼塚本部長は、警察庁警備局警備課警護室長など警備の要職を歴任しているが、今回はその経験は生かされなかった。過去にも使われていたから大丈夫という安易な前例踏襲は、日本的な“常識”の弊害だろう。
警護の世界では、背後を空けないというのが鉄則だ。
スナイパーが活躍する劇画『ゴルゴ13』でも、安全対策として壁があるところに背中を向けることが描かれている。『ゴルゴ13』の大ファンとして知られる麻生太郎・自民党副総裁なら、当然知っていることだろうが、警察の警護担当者らには伝わっていなかったようだ。
■海外なら私的警護も雇用
今回、安倍元総理の警護が手薄だったことから、要人警護の人員を増やすべきではないか、との議論が出ている。ただ、何でも公費で賄うべきという考えは、どこまで実現可能であろうか。
「選挙応援演説は政党の利益のための行為でもある。議員や総理経験者は公共の目的で警護できるが、党の利益という側面があるなら、党でも独自に私的な警護を付けるべきかもしれない」(ある政治評論家)という意見も聞かれる。
安全にカネをかけないのは、日本の悪しき“常識”ではないか。海外では、要人に私的なSPも付けるのが当然だ。
「ハリウッドのスターは当たり前だが、どこの国から来日しても、私的なSPを引き連れて来る」と語るのは、全国紙の映画担当記者だ。
この記者は、韓国ドラマ『愛の不時着』などで知られる韓国の女優、ソン・イェジンを取材したときも、屈強なSPを従えていたことが強く印象に残った、と語る。
「ソン・イェジンを都内のホテルで取材した際、SPの数は半端じゃなかった。スタッフも含めて総勢10人以上がホテルの廊下、部屋の前などに張り付き、張り詰めた雰囲気だった」
■「交通整理員のような警備員」には限界
今回の安倍元総理の警護には、警視庁SPや県警の警備担当以外にも、民間の警備会社の警備員が配備されていた。
だが、民間の警備員については報道で見る限り、工事現場で交通整理をするような高齢の警備員が演説現場の近くに立っているだけで、これは海外のSPとはまったく違う性質のものだった。
安倍元総理の悲劇は、警護・警備が不十分な体制で、しかも医療機関が手薄な地方都市という環境で起きてしまった。日本の“常識”は美徳にもつながり素晴らしいものはたくさんあるが、現代に通用しなくなった“常識”は改める必要があるだろう。
失われた尊い命はけっして戻ってこない。しかし、悲劇を再び繰り返さないためにできることはあるはずだ。
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医療・社会ジャーナリト
全国紙記者として医療、科学、事件、スポーツ、国際報道を担当。新聞社退職を機にオールラウンドのコラムニストとして活動中。
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(医療・社会ジャーナリト 佐々木 正志郎)
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