「離党しても除名されても死ぬ前には戻りたい」自民党に有象無象の議員が沢山いる本当の理由
プレジデントオンライン / 2022年7月13日 10時15分
※本稿は、蔵前勝久『自民党の魔力 権力と執念のキメラ』(朝日新書)の一部を再編集したものです。
※役職名は当時のものです。
■離党した野中広務氏を復党させた二階氏の幹事長権限
16〜17年、二階幹事長が旗を振って、かつて離党したり、除名されたりした元議員が相次いで自民党に復党した。
16年6月に復党したのは、野中広務氏。1945年に戦争で召集され、高知で終戦を迎えた。戦後、地元の京都府園部町(現・南丹市)に帰り、51年に町議に初当選。33歳で町長になった。府議を経て衆院選に初当選したのは83年。国会議員としては57歳という遅咲きだったが、権力のありかを見抜く政局観の鋭さを武器に、官房長官や幹事長といった権力の階段を駆け上がった。その後、郵政民営化を掲げた小泉純一郎首相と対立して2003年、政界を引退した。
引退後も全国土地改良事業団体連合会(全土連)の会長を務めるなどしていたが、11年、民主党政権が土地改良関連予算を大幅削減したことを受け、自民党を離党した。与党民主党の小沢一郎幹事長が全土連について「政治的態度が悪い。そんな所に予算をつけるわけにはいかない」と敵視したことが大きく、野中氏は離党に際して「国から補助金をもらっている団体の会長は政党色がない方がいい」と語った。
その野中氏の後任として全土連会長に就いたのが二階幹事長だった。二階氏は「参院選までに復党手続きを」として、幹事長の権限をフル活用し、野中氏の「復権」を主導した。
■「除名」された綿貫民輔氏を復党させた慣例変更
次いで党に戻った大物は、幹事長や衆院議長を務めた綿貫民輔(たみすけ)氏だった。綿貫氏を復党させるため、自民党は、慣例を変更した。綿貫氏は郵政民営化法案の採決で造反し、05年9月の郵政選挙では国民新党を結成して出馬。明らかな反党行為であり、自民党は離党届を受理せず、綿貫氏は「除名」された。
■綿貫氏のために新設された「除名者の復党に関する審査基準」
自民党の党紀委員会が行う処分には、党則の遵守の勧告▽戒告▽党の役職停止▽国会及び政府の役職の辞任勧告▽選挙における非公認▽党員資格の停止▽離党の勧告▽除名――とあり、除名が最も重い。それまで除名された国会議員で復党者はゼロだった。このため、党は綿貫氏の復党にあたり、「除名者の復党に関する審査基準」を新設。以下のように定めた。
1.復党審査の対象者を、除名処分の効力が生じた日から原則として10年を経過した者とする。
2.党紀委員会において下記事項について審査する。
①党活動に対する協力及び国家への貢献が顕著であること。
②当該都道府県支部連合会及び所属国会議員の相当数の賛同があること。
③刑事事犯により有罪となった者でないこと。
3.党紀委員の3分の2以上が出席し、かつ、その3分の2以上の多数で議決することにより、除名者を復党させることができることとする。
この文書のうち、除名から「10年」「3分の2以上」という表現以外は、「原則として」や、党への協力や国への貢献が「顕著」、国会議員の「相当数」などと、極めてあいまいだ。状況に応じて、いかようにも解釈できるようにしているのが自民党らしい。
■「自民党に迷惑はかけたくない」綿貫氏の党への想い
綿貫氏の復党を説明する山東昭子党紀委員長は16年11月の会見で、「綿貫氏が国民新党を立ち上げる際も、新党の党員を作ろうとしなかった。要するに自民党に反する行為は避けた。自民党に迷惑をかけたくないという気持ちがあったんだろうと。地元では『本当に立派な方だった』ということがどんどんわき上がっている」と語った。
党富山県連関係者も「普通の議員なら自民党を離れるとき、『お前も辞めろ』と関係の深い地方議員や党員に求めるだろうが、綿貫さんはそれをしなかった」と証言する。綿貫氏は議員引退後は、富山と永田町を行き来し、自民党内の調整にも奔走し、党と綿貫氏との溝は、次第になくなってきたという。
■除名後に復党を求めた与謝野馨氏
17年4月30日には与謝野馨(かおる)元官房長官が自民党に復党した。与謝野氏は1938年、東京都生まれ。歌人の与謝野鉄幹・晶子は祖父母で、中曽根康弘元首相の秘書を経て、76年に衆院旧東京1区で初当選した。小泉政権で党政調会長、第1次安倍政権で官房長官、麻生政権で財務相を歴任した重鎮だったが、政権転落後の2010年3月発売の月刊誌への寄稿で、谷垣禎一総裁ら党執行部に「本気で政権を倒す気概が見えない」と刷新を要求。
変わることができなければ「新党を含め新しい道を歩む決断をせざるを得ない」との考えを表明し、同年4月に党を離れた。
その後、平沼赳夫(たけお)元経済産業相らとともに新党「たちあがれ日本」を結党し、自民党を除名された。民主党の菅政権で経済財政相を務めたが、下咽頭がんを患った影響で声が出にくくなり、療養に専念するために12年に政界を引退。その後、自民党に復党を求めていた。
■与謝野氏の復党から見える自民党の「いい加減さ」
自民の「いい加減さ」は、与謝野氏の復党にもよく表れている。先述した「除名者の復党に関する審査基準」によると、「復党審査の対象者を、除名処分の効力が生じた日から原則として10年を経過した者とする」としているにもかかわらず、与謝野氏が除名されたのは2010年4月。復党まで7年しか経過していない。
山東党紀委員長は会見でこう説明した。「審査基準には10年という内規があるが、与謝野元衆院議員は7年経っている。国政選挙や地方選挙において自民党に何年も前から積極的に支援をしてくださった実績、そして、ご自身の政治家としての実績がある。また、我が党も(結党から)60周年を超えたところだ。ご本人からも強い要望があった。以前から、私どもや党、東京都連、それぞれの支部からも、ぜひ、復党させて欲しいという要望がございました」。10年という基準があるのに、なぜ7年で復党できるのか、山東氏は何も説明していない。結党60周年も何の関係もない。
■「死ぬ前には戻りたい」元自民党議員のふるさと
一方で山東氏はこうも語った。「ゴールデンウィーク明けから、本格化する東京都議選もございます。やはり、港区、千代田区、新宿区という激戦区もある。そうした地元の議員たちにも、復党は非常に大きなインパクトを与えることになる。ぜひ、お力を貸して頂きたい」。審査基準を厳格適用するよりも、港区など衆院1区を地盤とした与謝野氏に近い関係者からの選挙支援を優先させることを露骨に語っている。与謝野氏本人に死期が迫っていたことも大きかった。復党の決定は、療養中で意識がない本人に直接伝えることはできず、党本部から秘書に連絡。同年5月21日、肺炎で死去した。
自民党関係者はこう語った。「自民党にいたことがある人にとっては、最後は戻りたい。自民党はふるさとなんだろう」。野中氏、綿貫氏、与謝野氏。自民党政権で、幹事長や衆院議長、数々の閣僚を務め、世間では十分な功績が認められている。それでも、強者が集う自民党で最後を迎えることこそが自らの強さの証明であり、政治家としての誇りの回復、という意味があるのだろうか。
■自民公認で出馬する旧民主党議員たち
22年夏の参院選でも、かつて民主党議員だった複数の政治家が自民党公認を得た。野党議員だった政治家自らが自民党に接近し、自民党側も強者を求めるように吸い寄せていく。典型は、改選数1の宮城選挙区の桜井充氏である。世論調査で優勢な方を自民候補に決める手法は、まさに「強者をのみ込むブラックホール」である自民党の「らしさ」がつまっていた。
桜井氏は1998年参院選に民主党公認で出馬し、42歳で初当選。当時の宮城選挙区の改選数は2だった。続く04年、10年は自民、民主両党で分け合う形で当選を重ねた。
転機は4選をめざした16年。定数是正を受けて改選数は1に減り、再選を狙う自民現職と民進党の桜井氏が現職同士でぶつかり合った。桜井氏は野党がバラバラでは勝ち目がないと判断し、全国に先駆けて同年の3月には野党共闘態勢を確立。共産党の演説会にも登壇した。選挙戦では「野党統一候補として、共闘で戦う」「相手陣営から(野合と)責められているが、組んで何が悪い」と強調し、「憲法9条の改正は絶対に反対だ」「アベノミクスの恩恵は宮城には来ない」「安倍政権を引きずり下ろすため、絶対に勝たなければいけない」と自民批判を繰り返した。自民現職との激戦を制して、桜井氏は4選を果たした。
当選後の桜井氏は、安倍首相を直撃した加計学園問題を追及してきたが、19年9月、国民民主党に離党届を提出。無所属のまま、立憲民主や国民民主でつくる参院の野党統一会派に所属していた。ところが20年5月には「新型コロナ対策一つとっても与党にいかないと仕事が出来ない」として参院の自民会派に入った。
■選挙で勝てるかどうかを最優先するのが自民党らしさ
宮城で反発が広がるのも必然だった。16年参院選で桜井氏を野党統一候補として支えた市民団体からは「私たちの政策協定を裏切るもの。支援した県民への許しがたい行為で強い怒りを感じる」「ただちに辞職して、選挙をして欲しい」との批判が上がった。宮城自民も「敵」として戦った桜井氏をすんなり受け入れられるはずもなく、「共産と手を組んだ人と自民が組めるわけがない」(自民系県議)など非難が広がった。
自民党宮城県連は21年12月、翌年の参院選での地元県議の擁立を決定した。この方針を事前に伝えるために党本部に赴いた県連幹部に茂木敏充幹事長が言ったのは「白い猫でも黒い猫でも、ネズミを捕る猫がいい猫なんだ」。中国の鄧小平氏の言葉を使って、良い悪いよりも好き嫌いよりも、選挙で勝てるかどうかを最優先する考えを示した。「県連が擁立しようとしている県議で参院選に勝てるのか」という強い牽制だった。
さらに党本部側は、桜井氏と県議との間で、一般県民を相手にした世論調査で決着をつけることを提案した。調査で物を言うのは、知名度だ。県議は自らの選挙区以外では広がりを欠く一方、98年から全県での選挙を戦ってきた桜井氏が有利なのは明らかだった。予想通り、桜井氏が、県議を上回って自民公認を勝ち取った。
6年前に共産と組んだ政治家であろうと、次に勝てるとみれば、どんな理屈をつけてでものみ込んでいく。そんな融通無碍(むげ)な自民党らしさが、桜井氏擁立に現れていた。
(朝日新聞論説委員 蔵前 勝久)
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