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アメリカは中国と裏で繋がっているかもしれない…日本が対中外交で強気になりきれない歴史的な理由

プレジデントオンライン / 2022年7月18日 10時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/DorSteffen

新疆ウイグル自治区や香港など国際社会で横暴な振る舞いを繰り返す中国に対し、なぜ日本は強気になりきれないのか。その理由は、過去にアメリカ高官が2度にわたって極秘訪中したことにある。北海道大学大学院の城山英巳教授の著書『天安門ファイル 極秘記録から読み解く日本外交の「失敗」』(中央公論新社)より一部を紹介しよう――。

■海部元首相の前で漫画を描いていたアメリカ国務副長官

学生や市民の民主化運動が武力弾圧された天安門事件から半年が経過した1989年12月。

7月に極秘で鄧小平に会ったスコウクロフト米大統領補佐官が東京へ来るので、同月10日(日曜日)に海部俊樹首相に会いたいと、米国大使館から事前に、外務省に電話があった。外務省では「総理に日曜日に時間を空けろ、なんて失礼な話だ」として週明けにしてもらいたいと伝えたが、「どうしても会いたい」と譲らなかった。

その一方で、スコウクロフトは北京から来ることが分かり、アジア局で対応することになった。結局、海部は米側の要求通り10日夜、スコウクロフト一行と会談し、谷野作太郎アジア局長と阿南惟茂中国課長が同席した。谷野は、「(同行した国務副長官の)イーグルバーガーはけしからん人で、私の前に座って漫画を描いていた」と振り返った(谷野インタビュー)。イーグルバーガーにとって日本など眼中になかったのかもしれない。

■極秘訪中をまるで知らされなかった日本は怒り心頭

「7月極秘訪中」が明るみに出たのは、約1週間後の米時間12月18日で、ホワイトハウスも認めた(「読売新聞」12月20日)。

スコウクロフトが実は、7月にも北京に行っていたと報道されると、米国では対中強硬論が渦巻く議会で問題となった。谷野は、12月10日の会談で7月訪中の話が出なかったことから、「僕らは怒り狂ったわけです。米国に抗議しなくてはならんと、北米局から米側に電報を出して釈明を求めた」と回顧した。

米政府は、12月の訪中は「エクスチェンジ(交流)」であったから知らせたが、7月の訪中は「コンタクト(接触)」だったから、知らせる必要はないと弁解した。阿南も谷野に対して「北米局がよく日米同盟なんていうが、所詮こんなことなんですね」と漏らした(谷野インタビュー)。

■天安門事件で凍結された対中円借款を再開させたい中国

北京駐在大使となった橋本恕は11月18日、外交部長も務めた呉学謙副総理を表敬訪問し、約40分間会談した(橋本大使発外相宛公電「日中関係[本使の呉学謙との会談]」1989年11月20日)。

「暴乱(注)の平定に関連して、中日関係をはじめ西側諸国との関係に困難が生じたが、各国とも根本的、戦略的利益を考え、いかに中国との関係を回復し発展させるかをよく考える必要がある」と最初に釘を刺した呉学謙は、米国の変化を持ち出した。

※注:学生らの民主化運動を指す

「ニクソン(元大統領)、キッシンジャー(元国務長官)訪中時に、中国の指導者、なかんずく、鄧小平はこの点ははっきり述べた。米国の政府の中にも一部の人は中国に対し積極的な対応をしている。日本は中国の近隣で伝統的な関係もあるので、米国等よりもっと積極的に対応すべきであると思う」

天安門事件を受けて凍結された第3次円借款再開に向けた動きが遅々として再開しないことへの牽制だと橋本は感じたのだろう。こう返した。

「残念ながら、日中関係は現在不自然な状況にある。問題は、高官の往来と第3次円借款の二つであろう。〔中略〕いま本国政府内部で慎重に検討されているが、率直に言って、二つ問題がある。一つは、日本国民の中に、6月の天安門事件に関連して中国に対する批判的意見が少なからず存在すること。二つ目は、日本には日中友好の政策とともに、西側の一員であるとの基本政策があり、他の西側諸国の意向を考慮に入れる必要があることである」

嘘と偽善の概念
写真=iStock.com/Pict Rider
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Pict Rider

■ニクソンは「中国は日本をおさえる役割を果たすべき」と言ったのか

橋本は公式見解を述べるにとどめた。鋭い勘を持つ橋本は、7月のスコウクロフト極秘訪中の事実を知らなかったとしても、10月下旬から11月上旬にかけてのニクソンとキッシンジャーの相次ぐ訪中を受けて、対中強硬姿勢に見える米国が中国と「机の下」でがっちりと手を握り、日本を牽制するのではないかと疑っていた。こんな内部情報を手に入れていた。橋本は会談の最後に呉に尋ねた。

「ニクソンが訪中時に、在北京米大(使館)の館員に対し講話をしたおり、『アジア・太平洋の最大の問題は、経済大国日本がやがて政治大国、軍事大国になることであり、かかる日本をおさえるため中国が積極的役割を果たすべき』旨、述べたと聞き及んでいる」

これに対して呉学謙は、ニクソンが米大使館で何を話したかは承知していないと述べた。ただ「ニクソン、キッシンジャーの訪中は、中米関係の改善のために役立ったと思う」と付け加えた。

■日本の対中外交には常に「アメリカの頭越し」がある

橋本は米中接近という自身の直感を確信しただろう。ニクソンとキッシンジャーが環境を整え、その約1カ月後の12月にスコウクロフトの2回目の訪中が実現した。

しかし7月中旬の仏アルシュサミットでG7首脳が確認した中国とのハイレベル接触停止に背く密使訪中の発覚が、日本の対中外交を動かしたのだった。

当時の栗山尚一外務事務次官は筆者のインタビューにこう明かした。

「(スコウクロフトの極秘訪中に)日本としては怒り心頭だったが、他方において日本は日本で、早く円借款を凍結解除したいという思惑があった。アメリカがああいうことで割合に柔軟な姿勢を持っていることはある意味で渡りに船で、今度は日本がそれを利用したという面はある」

日本を頭越しにした米国の対中外交があって初めて、日本政府も対中独自外交を展開できたのである。これは、日本を頭越しにした1971年のキッシンジャー極秘訪中にショックを受けた日本政府が、米国より先に対中国交正常化に走ったのと同じ構図だ。

■ブッシュは鄧小平や中国共産党と緊密につながっていた

対中円借款再開に向けようやく動き出した1990年3月2日。

海部首相とブッシュ大統領が、米西部カリフォルニア州の保養地パームスプリングスで会談した。夕食会で天安門事件後の中国情勢について意見交換した。限定配布の外交記録「総理訪米(夕食会での両首脳の意見交換:中国)」(1990年3月3日)の極秘指定が解除され、2021年12月22日に公開された。

ブッシュ「中国とのコンタクトを維持しつつ、中国の変革を促していくべきというのが、引き続き自分の基本政策であるが、対中関係の先行きを心配している。中国の人権状況が改善されることを希望(する)」
海部「我が国は、中国の孤立化回避のためにも米中関係を含む中国と西側諸国との関係改善を望んでおり、そのために中国から積極的なメッセージが出されることが必要と考えており、機会をとらえてこの旨を中国側にも伝えている。対中新規円借款は、残念ながら未だ進め得ない状況である」

「コンタクトを通じて中国の変革を促す」というブッシュの対中アプローチは、日本のチャイナスクール外交官のそれと同じだった。ブッシュが鄧小平や共産党指導部と緊密につながっているという状況は、海部との会談記録にも表れている。ブッシュは海部にこう明かしている。

「(ルーマニアの)チャウシェスク政権の崩壊(89年末)以前に鄧小平から受け取った一、二の内々の連絡から、中国が人権に関する規制を緩和するとの心証を得ていたが、チャウシェスク政権の崩壊が中国の政策に大きな影響を与えた」
「自分は、鄧小平を気に入っている(like)」
「李鵬(総理)は強硬派であるが、江沢民(党総書記)は現実的であり、後者とは、いずれ上手くやっていけるような気がする。(民主化要求の学生に理解を示し失脚した前総書記の)趙紫陽も党籍を剥奪されてはおらず、そのうちに中国に穏健な政権が成立するかもしれない」

■天安門事件を正当化する中国に耳を傾けるブッシュ

「知中派」を自認し対中政策を自ら仕切ったブッシュは相変わらず、鄧小平とのパイプを大切にしている。その上で、鄧小平から得た情報を基に中国の人権問題は改善され、鄧小平・江沢民の体制で中国に「穏健な政権」が成立し、中国は「変革」すると期待している。

さらに次の海部に対するブッシュの発言からは、前年6月3~4日に民主化運動を武力弾圧したことを正当化する中国側の主張に耳を傾けようとしていることが分かる。

「中国側から自分に対し、プライベートなルートを通じて、昨年6月には、学生や労働者が中国指導層が住んでいるコンパウンド(敷地)の回りにあるフェンスを乗り越えて侵入しようとしたのであり、同様のことがホワイトハウスで起こればどうするのかと問いかけてきたり、ヴィエトナム戦争当時に、米国の大学で警察が学生を1名乃至数名射殺したこともあったことを指摘したりしてきている」

民主化運動の際に学生や市民が、共産党指導者が執務・居住する中南海の新華門を取り囲んで侵入しようとしたり、新華門前の軍用トラックの武器を奪ったりしたことを指している。その上で、ブッシュは米中関係の本格的改善のタイミングにも触れた。

アメリカと中国の国旗柄のボール
写真=iStock.com/MicroStockHub
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/MicroStockHub

■アメリカが動かないと独自対中外交を展開できない日本

鄧小平が民主化運動の「黒幕」と敵視した民主派天文物理学者の方励之は天安門事件直後、北京の米大使館に保護を求め、かくまわれ続けたが、この問題は極度に緊張する米中関係の核心だった。

「方励之問題、学生の釈放等の一、二の措置が取られれば、米国も少し動くことが出来、その結果、確たる見通しがある訳ではないが、趙紫陽の復権、江沢民の李鵬離れ等の事態に繋がり、対中関係を改善できる状況が生まれることを期待している」

「趙紫陽の復権」など、ブッシュの対中分析はかなり楽観的である。一方、日本政府は、米側が「少し動く」ことができなければなかなか対中独自外交に踏み出せない。ブッシュ大統領は、1990年5月24日に中国に対して低い課税を適用する「最恵国待遇(MFN)」延長を決定し、中国政府は6月25日、方励之の出国を認めたが、こうした中で7月に海部はサミットが開かれた米ヒューストンでブッシュに円借款凍結解除を表明する環境が整ったのだ。

■鄧小平「国権が人権を圧倒する」

こう楽観的な「中国期待論」を語るブッシュに対して海部は、悲観論で応じている。

城山英巳『天安門ファイル 極秘記録から読み解く日本外交の「失敗」』(中央公論新社)
城山英巳『天安門ファイル 極秘記録から読み解く日本外交の「失敗」』(中央公論新社)

「中国側から自分に、個人に基本的人権があるように、国家にも基本的な『国権』があり、中国の統一を維持するためには、『国権』が尊重される必要があると説明するので、自分からは、国家は国民があって初めて国家なのであるから、個人の人権の方がより重要であると言った」

「人権」と「国権」の議論をめぐっては1989年11月、日中経済協会訪中ミッションと会見した鄧小平が「国権が人権を圧倒する」と述べたが、中国側は海部に対しても引き続き同じ論理を展開していた。ブッシュはこう話す海部に対して中国は「(人権の方が重要であると)未だ理解していない」と述べ、会談記録は終わっているが、人権重視を表明した海部は翌1991年8月、西側諸国首脳の中でトップを切って訪中し、中国共産党・政府を喜ばせた。

■アメリカの顔色も窺う対中外交の姿勢は変わらず

翌1992年10月には天皇、皇后両陛下まで中国の土を踏む。腫れ物に触るように中国共産党に気を遣いながら、米政府の顔色も窺い、薄氷を踏むように進めた日本の対中外交――。

日本を頭越しにした米国の対中外交が、日本政府を独自の対中外交に向かわせることは歴史が証明しているが、中国のみならず米国の「呪縛」からも逃げられないその本質的な日中関係の構図が天安門事件から33年が経過しても大きく変わったとは言い難い。

(敬称略、肩書は当時)

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城山 英巳(しろやま・ひでみ)
北海道大学大学院 教授
1969年生まれ。慶應義塾大学文学部卒業後、時事通信社に入社。中国総局(北京)特派員として中国での現地取材は10年に及ぶ。2020年に早稲田大学大学院社会科学研究科博士後期課程修了、博士(社会科学)。現在、北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院教授。著書に『中国臓器市場』(新潮社)、『中国人一億人電脳調査』(文春新書)、『中国 消し去られた記録』(白水社)、『マオとミカド』(同)がある。

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(北海道大学大学院 教授 城山 英巳)

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