仕事は「法律を調べる」だけ…特別な権限を持たない「内閣法制局長官」が官僚のトップに君臨する理由
プレジデントオンライン / 2022年7月21日 9時15分
※本稿は、倉山満『検証 内閣法制局の近現代史』(光文社新書)の一部を再編集したものです。
■内閣法制局長官は「事務次官」よりも偉い
普通の官庁では、上には政治家が○○省大臣や△△庁長官にいても「お客さん」で、官僚のトップは事務次官です。ところが法制局では官僚が出世して、「長官」という事務次官より偉い副大臣級の職を得ます。閣僚ではありませんが閣議に出られます。
そんな内閣法制局はどんなところなのでしょうか。「法制局」というからには法律をあつかう局であることは明らかですが、具体的に何をする役所なのか。
昭和二七年に制定された内閣法制局設置法によると所掌業務が次のように規定されています。
【内閣法制局設置法】
(所掌事務)
第三条 内閣法制局は、左に掲げる事務をつかさどる。
一 閣議に附される法律案、政令案及び条約案を審査し、これに意見を附し、及び所要の修正を加えて、内閣に上申すること。
二 法律案及び政令案を立案し、内閣に上申すること。
三 法律問題に関し内閣並びに内閣総理大臣及び各省大臣に対し意見を述べること。
四 内外及び国際法制並びにその運用に関する調査研究を行うこと。
五 その他法制一般に関すること。
■実は権限を持たない謎の官庁
第一項では、政府が出す法案や条約のすべてに関して意見を言う機関であるとしています。第二項では、内閣法制局が法律や政令を作る機関であることが書かれています。とはいうものの、「自分で作って良い」となっているだけで、基本的には他人の作った法案を添削するのが仕事です。
第三項は、法案以外にも法律問題に関して相談を受け、意見を述べることが示されています。第四項は法律の調査をすること。第五項は「その他」でまとめています。これらを「審査事務」「意見事務」と言います。
要するに「調べて意見を言う」だけです。実はこれといって特別な権限は何もないのです。
では、法的に定められた役割からは想像もつかないほど内閣法制局が強大な力を持っているのはなぜでしょうか。
法制局の強さの秘密は六つあります。
一、法律知識
太政官以来の法令がすべて頭に入っていて、やたら法律に詳しい人たちの集団です。法律の本というと素人は六法全書を思い浮かべます。分厚い本ですが、あれはダイジェストです。ダイジェストではない法律文書をそらで覚えている……。
もちろんすべての法律が頭に入っているなどということは考えにくいのですが、とにかく、そういう設定になっていて、実際に相当詳しい。
■合憲か違憲かを決めているのは最高裁ではなく…
二、憲法解釈の独占
法律の中の最高峰である憲法の解釈を独占しています。すべての法律の最上位にあるのが憲法です。法律も、政令も、省令も、すべて憲法に従わなければなりません。
形式上は、合憲か違憲かを決めるのは裁判所です。憲法解釈に異議があるなら裁判所に訴えて一審、二審、三審と上がって最終的には最高裁判所が決定する……のが建前です。
ちなみにフランスの最高裁は破毀院(破棄院)といいます。つまり下級審が決めた憲法解釈の誤った判決を破棄するから破毀院。
最高裁の最大の仕事が憲法解釈であるはずなのですが、最高裁が憲法判断をしたなど、あまり聞いたことがないと思います。実際、判断していません。その証拠に最高裁が憲法判断を“しそうだ”というだけで新聞の一面に掲載されます。
最高裁が憲法判断をする時は、必ず大法廷と言って一五人の判事全員が集まる法廷が開かれるので、大法廷が招集されたニュースは「最高裁が憲法判断をするかもしれない」を意味するので、新聞の一面を飾るのです。もっとも、不要と判断されれば、憲法判断はされませんが。
■最高裁判事ポストは天下り先の「指定席」
実際に憲法判断しているのは、内閣法制局です。彼らは日常的に「判断」しています。そして事実、最高裁よりも法律に詳しい人々がそろっています。
また最高裁判事の一人は、内閣法制局長官の天下り先として、指定席と化しています。要するに、変な判決を下さないように監視しているのです。内閣法制局の解釈に傷がつくような訴訟が最高裁まで上がってきたら、そこで阻止します。判決は多数決で決まるのですが、仮に内閣法制局の解釈をくつがえすような判決を出そうとしたら、長官出身の判事を説得しなければなりません。その人の仕事について、その人以上に詳しくなって論破しなければなりませんが、そんなのはほとんど不可能です。
最高裁判事は一五人で、「いっちょ上がり」の人たち。一方、内閣法制局は七〇人で、日常的に法令実務に取り組んでいます。
■予算を握る財務省相手にもへっちゃら
三、予算統制が利かない
財務省、とくに主計局の武器は予算です。これがあるから他の官庁も政治家も財務省に頭が上がらないのです。ところが内閣法制局の予算は人件費一〇億円程度だけなので、「予算を出さないぞ」という脅しがききません。しかも公務員の人件費は人事院勧告を出さなければ削れないので、そう簡単に減らすことができません。
一方、防衛省などの場合、戦車や潜水艦、飛行機など、金のかかる装備が山ほどあり、巨額の予算の一部を削られたら役人のクビが飛ぶ話になってしまいます。戦前も軍艦一隻作るのに、何人もの海軍大将の首がかかっていました。彼らは予算を争奪するために人生をかけていたのです。
防衛省でなくても、たいていの役所は大規模予算を計上しており、「その予算を認めない」と言われたら、土下座に近いようなありとあらゆる手段を使って主計局に頭を下げなければいけません。
ところが法制局にはそんな大掛かりな予算がまったくないので、財務省に頭を下げなければならない弱みはありません。
財務省主計局が内閣法制局にできる嫌がらせは、せいぜい残業後のタクシー代をケチるぐらいでしょうか。
■大臣クラスの政治家も頭が上がらない
四、法案審査への拒否権
本来、内閣法制局は調査して意見を言うだけの役所のはずです。しかし、新しい法律を作ろうとするときに、内閣法制局から「それは今ある法律と矛盾します」と指摘されたら、たいていの国会議員は「できないんだ」と納得してあきらめてしまうのです。大臣クラスの政治家でもこの調子です。むしろ自民党政治家など、役人から聞いてきた知識で有権者に説教を垂れるような人が増えてきました。そんな人にとって法制局の見解は、とてつもない権威です。
本来の法制局は、新しい法律を作るときに、現行の法令のうち矛盾するものを調査する役所であるはずなのに、逆のことをして、現行の法律をたてに立法を阻害しています。
そして「太政官以来の法令がすべて頭に入っているらしい法制局に従わなかったら、矛盾が生じた時に責任をとらなければならない。それは困る」と大物政治家たちは及び腰になってしまうのです。
■衆参の法制局では議員立法も作れない
有権者の代表である国会議員が、しょせんは税金で雇われた公務員にすぎない官僚にいいように流されないように、そして本来の仕事である立法を支えるために、衆参両院にも法制局があります。しかし、権威は及びません。
一九八九(平成元)年、社会・公明・民社・社民連の四党が参議院法制局に依頼して消費税廃止法案を作成し、たった二カ月足らずで仕上げましたが、国会審議で七カ所の法案の不備や誤記を指摘されてしまいました(西川伸一『知られざる官庁 内閣法制局』五月書房、二〇〇〇年、二二五頁)。「内閣法制局に頼らないと法律は作れない」という幻想を拡大強化した事件でした。
なお法曹家の間では、しばしば「あの法律は議員立法なので重大な不備がある」と言われるそうです。
■法制局がしゃしゃり出るから新法も時間がかかる
五、後法優先主義の無視
「日本では、ある法令の規定を新設したり改正したりする場合には、他の法令にその規定と矛盾抵触する規定がないかどうかを精査し、新しい規定との調和が図られるように他の法令の規定も改正するという法体系全体の整合性を常時確保するための作業が行われていますが、アメリカなどでは現在の法律の規定と矛盾する内容をもった新法が作られても、この新法の規定に抵触する他のすべての法律の規定は無効とする、といった趣旨の一条を置くだけです」と内閣法制局長官経験者の阪田(さかた)さんは書いています(阪田雅裕(まさひろ)『政府の憲法解釈』有斐閣、二〇一三年、三二二頁)。身も蓋もない。
二つの法律が矛盾したら後からできた法を優先する。これを後法優先主義といいます。世の中は変わっていくのだから、そのほうが自然かつ合理的です。
たいていの国には後法優先の原則があるのですが、日本にはそれがないに等しい。それで法制局がしゃしゃり出てきて面倒くさいことになっているのです。
後法優先主義をとれば、法制局の仕事のうち、ほとんどは必要ないものとなります。
■かつていた天敵もいなくなった
六、天敵不在
戦前、法律関連で鍵を握る機関は枢密院でした。『内閣法制局百年史』(四九頁)でも「戦前の法制局にとっての鬼門は、帝国議会ではなく、むしろ枢密院であった」と書かれています。いわば天敵です。
戦前の法制局は枢密院に監視されていて、チェック・アンド・バランスがきいていました。現代のようにやりたい放題できる状態ではありませんでした。
枢密院には現代的に言えば歴代事務次官経験者のような人が顧問官として入っています。重要な法案や条約を審査するところで、内閣が法律上おかしなことをしようとしたら指摘してくる機関でした。法制局も、衆議院や貴族院の議員を相手にするときは、あまり法律を知らない連中としてナメてかかっていますが、枢密院では厳しい質問をされるので、しっかり準備していくのでした。
戦後、日本国憲法体制下に移ったとき、衆議院はそのまま残りましたが、枢密院と貴族院は廃止されて参議院になりました。しかし、枢密院の機能は参議院にうまく吸収されませんでした。
したがって、その後の(内閣)法制局には天敵がいなくなったのです。
■新卒採用はなく、各省のエースが出向していたが…
そんな内閣法制局の定員は七七名にすぎません。財務省や法務省など何万人もの人員を抱えている大官庁と比べるとはるかに小さい。ただし、特徴的です。
七七名のうち、内閣法制局の仕事の中心である意見・審査を行う職員を参事官といいます。他省庁では国家公務員試験合格者を採用して育てますが、参事官には他省庁から行政経験を積んだ者を迎え、新卒を採用することはありません。ただし、環境省と防衛省からは出向を受け入れていません。
さらに長官になるのは、法務省、財務省、総務省、経済産業省の四省の出身者が、第一部長→次長→長官という履歴を経て就任します。この人事慣行は戦後法制局が一九五二年に復活して以来、踏襲されてきました。例外は第二次安倍内閣で外務省出身の小松一郎長官が就いた時だけです。
影の権力を持つ法制局、さぞかし大勢の人が行きたがるかと言えば、実はそうでもありません。
たしかに昔は各省がとりわけ優秀な人物を送り込んでいて、参事官出向を命じられた当人も栄転として鼻高々だったらしいのですが、最近では「トップは出さずに、二、三番手あたりを出す省庁も多」く、あまりの激務に内閣法制局OBが「最も人気のない部署」と指摘するほどです。当の参事官にも「好んでやりたいとは思わない」と言われています(前掲『知られざる官庁 内閣法制局』八三頁)。
■2~3日の徹夜に耐えられるのが「不可欠な資質」
内閣法制局の激務ぶりについて、少し長いですが『知られざる官庁 内閣法制局』より引用します。
(中略)
期限があるため、深夜までやっても間に合わなければ、徹夜仕事となる。それゆえ、「徹夜の二日や三日やっても耐えられる」体力が、参事官としての「不可欠な資質」だと、内閣法制局幹部は真顔で指摘する。……(中略)……
当然、深夜業ばかりでは健康を害する。かつては、審査の途中で眼底出血を起こして入院したり、脳貧血で卒倒して頭を階段にぶつけてけがをしたり、といった事故があった。あるいは看護婦を付き添わせ、ビタミンを注射しながら徹夜で審査を続けた参事官もいたらしい。
いまでも、法案審査から解放される五月、六月には持病を悪化させる参事官は多い。「参事官」とは、忙しいときには三時間しか眠れず、暇なときは三時間だけ働けばよいという意味だ、との笑えない冗談もある。(『知られざる官庁 内閣法制局』一〇七~一〇八頁)
こんなところに入りたいと思うのは相当な変わり者です。
■修行僧のような人たちがゴロゴロいる
各省のトップである事務次官には、政治家や他の役所との折衝がうまい人が就任します。「法律の条文にはこう書いてあるけれども、このあたりで妥協しよう」と現実に合わせて利害調整ほか妥協できる人。さらに言うと、都合が悪い法律を変えるようなことができる人が事務次官になるのです。
しかし同じエリートでも法制局に行く人は、法律をこよなく愛する人です。
ある省から法案作成希望があると担当が一人決まり、事実上の軟禁状態となります。ひたすら法案を作るために調査、調査、また調査。六法全書をはじめ資料に囲まれて、書類とにらめっこ。過酷な環境下での作業です。
それがこよなく快感だという人が法制局に行きたがる。修行僧のような人たちです。
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憲政史家
1973年、香川県生まれ。中央大学大学院文学研究科日本史学専攻博士課程単位取得満期退学。在学中より国士舘大学に勤務、日本国憲法などを講じる。シンクタンク所長などをへて、現在に至る。『並べて学べば面白すぎる 世界史と日本史』(KADOKAWA)、『ウェストファリア体制』(PHP新書)、『13歳からの「くにまもり」』(扶桑社新書)など、著書多数。
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(憲政史家 倉山 満)
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