メールで「させていただく」を連発…敬語マシマシは無意識に"自分を美化"するナルシシズム現象
プレジデントオンライン / 2022年7月26日 11時15分
■イントロダクション
言葉は時代とともに変化するものだが、近年、とみに使用が目立つようになった言い回しに「◯◯させていただきます」がある。
この「させていただく」とその類似表現は、丁寧だが慇懃無礼に聞こえる場合もあり、敬語として違和感を覚える人も少なくないようだ。それでもつい使ってしまうのはなぜなのだろうか。
本書では、言語学者である著者が、「させていただく」のさまざまな使用例を挙げながら、意識調査やコーパス調査(実際に使用された言語データをもとにした調査)の結果をもとに、日本語や敬語の変化とその原因、社会的背景などを分析している。
著者によると、「させていただく」は他者への敬意を表す伝統的な敬語の枠外にある、別のタイプの敬語であり、その使われ方が変化してきている。相手との距離感を調節できる便利な言葉であり、自分を丁寧な人間に見せるために使われている表現なのだという。
著者の椎名美智氏は法政大学文学部英文学科教授。専門は言語学、特に歴史語用論、コミュニケーション論、文体論。ランカスター大学大学院博士課程修了(Ph.D)。『「させていただく」の語用論』(ひつじ書房)などの著書がある。
2.ブームの到来――「させていただく」の勢力図
3.違和感の正体――700人の意識調査
4.拡がる守備範囲――新旧コーパス比較調査
5.日本語コミュニケーションのゆくえ――自己愛的な敬語
■敬意がすり減り、「敬語のインフレ」化が
今、「させていただく」は本当によく使われています。記者会見では、不祥事を起こした政治家が「反省させていただきます」「謝罪させていただきます」と言い、芸能人が「○○さんと入籍させていただきました」「このたび結婚する運びとなりました事をご報告させていただきます」と言っています。「させていただく」なしに日常生活を送るのは難しいのではないかと思えるくらい、氾濫していると言えるほどです。
私が興味を持っているのは、人々が「普通の敬語だと敬意が足りない気がする、さて、どうしよう?」とあえぎながら、これでもかこれでもかと「させていただく」を連発している敬語のインフレ現象です。
■昔「お話しいたします」、今「お話しさせていただきます」
日本語の敬語研究では、尊敬語、謙譲語、丁重語、丁寧語、美化語といった、いわゆる正統的な敬語の歴史的研究が長年なされてきました。そうした従来の敬語があり、もう一方に「授受動詞」と呼ばれる「やりもらいの動詞」があります。「やる・あげる・さしあげる/くれる・くださる/もらう・いただく」という3系列7語で一つの体系を成しています。
授受動詞を「友達に本を貸してもらった」のように、「て/で」を前に付けて「てもらう」という形にして、「貸す」といった動詞の後ろに付けて使う場合、これを「補助動詞」と呼びます。授受動詞の前に「させて」が付いた使い方も補助動詞用法に含めます。
補助動詞の使用状況を時代的に観察すると、昔「お話しいたします」とか「お話しさせてください」と言っていたところで、今「お話しさせていただきます」と言うようになってきたことがわかります。じつは、こうした語彙交代には「敬意漸減の法則」が深く関わっています。「敬意漸減の法則」とは、敬語に含まれている敬意が使われるうちに少しずつすり減っていく現象です。
例えば、「司会をいたします」といった場合の「いたす」は元々へりくだりの言葉(*丁重語)なのですが、使われていくうちに敬意がすり減って、今では格式ばった言い方になっています。話し手が偉そうに聞こえる場合さえありますが、これは敬意漸減が起こっている証拠です。
敬意が減少してくると、人々は敬意が足りないと感じるようになり、敬意を高めようと敬語を追加していきます。例えば、もののやりとりには与える側を上位に、もらう側を下位に位置づける上下関係が伴うので、上位の「やる」側が尊大化する傾向があります。「やる」が尊大で野卑な言葉になってしまったために、敬語形の「あげる」が使われるようになります。しかし、その「あげる」も敬意漸減のために敬意不足となり、さらなる敬語形「さしあげる」が要請されたわけです。
■使いやすくなる一方で、定型表現化
「させていただく」とその類似表現が、過去と現在のテキストの中で、どのように、どんな頻度で使われているのかを調査しました。また、「させていただく」だけでなく、その前後にくる表現についても、その形と頻度を調べました。
調べたところ、時代の流れの中で「させていただく」の使い方が変化していることがわかりました。まず、「させていただく」の前にくる動詞の種類が多様化していました。元々「させていただく」は、「見る」「聞く」「解釈する」といった受動的なコミュニケーション動詞と一緒に使われる(*「見させていただく」「聞かせていただく」「解釈させていただく」)ことが多かったのですが、時代と共に、「言う」「報告する」「説明する」などの「能動的コミュニケーション動詞」とも使われるようになってきていました(*「言わせていただく」「報告させていただく」「説明させていただく」)。
また「させていただく」の後ろの活用形を比較したところ、いくつかの特徴が浮かび上がってきました。過去のデータでは願望(*「させていただきたい」)や提案(*「させていただきましょう」)・意思表示(*「させていただこうじゃないか」)など、多様な活用形で使われていましたが、現在ではほとんど「させていただきます」という言い切りの形でしか使われていません。ほとんど定型表現になっています。つまり、双方向的で交渉的なコミュニケーションスタイルが、一方向的な宣言や報告へと限定化してきているのです。
■「させていただく」には相手との距離を調節する機能がある
そもそも敬語とは、尊い相手に触れないように距離をとるために使う言葉です。つまり、私たちは相手に対する敬意を距離感で示しているわけです。敬意が大きければ大きいほど距離を大きくとることになります。遠ざかることを「遠隔化」というので、敬語には遠隔化作用があると言えます。
逆に、タメ語(*敬語を使わない常体の言い方)は相手と距離をおかず、相手に近づく言葉です。近づくことを「近接化」というので、タメ語には近接化効果があると言えます。ここでいう距離感とは、もちろん物理的な距離感ではなく心理的な距離感のことです。
また、主語が一人称の自分だと、言語的に相手に触れずに相手から距離をとることができますが(遠隔化)、主語が「あなた」だと言語的に「あなた」に触れてしまうので、近接化が起こります。
「させていただく」は話し手が主語なので、聞き手に言及しません。そのため言葉の上で、相手から距離をとることになるのですが、(*前述の調査結果によると)実際に使われる時には、相手の存在や関与への意識を示す能動的コミュニケーション動詞と一緒に使われることが多くなっているのです。
「させていただく」の前に「説明する」といった相手に関係する(*能動的コミュニケーション)動詞がくると、近接化の性格を帯びることになります。ということは、元々の遠隔化作用に近接化作用が加わったことになり、遠近両方向の距離調節機能を持つようになっています。
「させていただく」の話し手は相手に近づくと同時に遠ざかるのですから、近づきすぎて相手への敬意がすり減ることもなければ、遠ざかりすぎて自分が尊大化することを避けることもできます。つまり、敬意漸減がうまく回避できるのです。
すなわち「させていただく」を使うと、話し手と聞き手は近づきすぎず遠ざかりすぎず、絶妙の距離感を保ってコミュニケーションができます。このつかず離れずの距離感は、現代社会に暮らす私たちが心地よいと感じる他者との関係性や距離感にぴったり合っています。
ただ、一文に何度も使われる最近の「させていただく」の多重使いの様子を見ていると、対人配慮に気を遣うあまり、敬語盛り盛りで距離感を出しすぎて、他者と繋がることを回避するコミュニケーションスタイルへと傾斜しているような気もします。他者と直接繋がると、他者を傷つけたり自分が傷ついたりします。そうしたことを回避するために直接的な表現を避けて間接的な表現を使ったり、過剰な敬語を使ったりしているのかもしれません。
■自分のことだけを述べる「させていただく」は自己愛的な敬語
「させていただく」は、相手に向ける丁寧さを表現しながら、じつは自分のことだけを述べる敬語になっています。自分を丁寧に示す品行の敬語、「私ってちゃんと人と丁寧に話すことのできる人間でしょ」というポーズを示す自己愛的な敬語で、敬語のナルシシズム現象なのかもしれません。
敬語とは、そもそも尊い他者に対して敬意を向けるものでした。それがいまや、人々は敬意を他者に向ける代わりに謙虚な自分を示すことにひたすら注力しています。その先にあるのは、自分の丁寧モードと普段着モードの切り替えだけでコミュニケーションがすませられる敬語の世界ではないでしょうか。
また、「させていただく」使用増大の背後には、直接顔を合わせないまま不特定多数の人と対話をするコミュニケーション形態が増えているといった事情もあるでしょう。私たちは今SNSのおかげで、世界中の不特定多数を相手に話をする時代に生きています。相手がどんな人かわからないから、失礼のないように無難な物言いにしておこうという気持ちから「させていただく」を使って安心・安全な距離をとっているわけです。
※「*」がついた注および補足はダイジェスト作成者によるもの
■コメント by SERENDIP
本書には椎名氏が収集した「させていただく」の実際の使われ方が豊富に紹介されているのだが、その中でも「警察に通報させていただきました」や、昔からよくある「実家に帰らせていただきます」は、交渉の余地のない一方的な宣言であり、「自分は悪くない」ことを強調しているように思える。自分を守りながらコミュニケーションを拒むという、「させていただく」の「距離調節機能」を、無意識だとしても、絶妙に使った例といえるだろう。安易に使われすぎるという批判もある一方で、「使い方」の幅が今後広がっていく可能性もあるのではないだろうか。
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(書籍ダイジェストサービス「SERENDIP」)
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