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なぜ日本人は田中角栄が大好きなのか…池上彰と佐藤優が考える「角栄神話」が語り継がれる理由

プレジデントオンライン / 2022年7月24日 18時15分

池上彰氏(写真提供=中央公論新社)

政治家「田中角栄」をめぐる企画は、テレビや雑誌などで何度も繰り返されてきた。なぜ日本人は田中角栄が大好きなのか。池上彰さんと佐藤優さんの共著『組織で生き延びる45の秘策』(中央公論新社)より一部を紹介しよう――。(第2回)
田中角栄(1918〜1993)
1972年、内閣総理大臣就任。就任直後に訪中し、「日中共同声明」を発表。74年、月刊誌が田中ファミリー企業の「錬金術」を暴くと一気に逆風が吹き、辞任。辞任後、76年に米・ロッキードの機種選定をめぐって収賄罪で起訴され、83年に東京地裁で有罪判決を受けた。

■いつまでも語り継がれる「角栄神話」の根強さ

【佐藤】2021年の初めに、小説家の真山仁さんが『ロッキード』という分厚いノンフィクションを出して、順調に版を重ねているようです。

【池上】元総理・田中角栄が収賄罪などで有罪判決を受けた「ロッキード事件」を再検証するという触れ込みです。中でいろいろ語っているNHKの社会部記者の人たちとは一緒に仕事をしていて、話を聞いてもいましたし、当時私自身も取材に関わったりしていたこともあって、驚くような新事実が明らかにされたという感想は、私は持ちませんでした。

【佐藤】こういう企画が成り立つということ自体、田中角栄という政治家の凄さ、「角栄神話」の根強さを証明していると思うのです。いつまでたっても人々に忘れられることなく、語り継がれる人物です。まるで菅原道真のようだと思っています。

当時はみんなが田中金権政治を批判したのですが、今から思えば、「あの時代は良かったなあ」という感慨のようなものが、私たちくらいの世代から上にはあるわけです。だから、そういうものと重ね合わせて、時代の節目みたいなタイミングで亡霊のごとく現れる(笑)。

■「コンピューター付きブルドーザー」という異名

【池上】「神話」の底流に田中角栄という政治家の「特異な」出自があるのは、言うまでもありません。新潟の寒村に生まれ、上京前の学歴は高等小学校卒。当時は尋常小学校の上が高等小学校でしたから、今のイメージだと中学卒でしょうか。

【佐藤】あの世代だと、高卒に近い感じがします。旧制中学への進学率は低くて、現在の大学ぐらいの感じだったはずですから。しかも、当時の高等小学校のカリキュラムというのもとてもしっかりしていて、算盤はもちろん簿記も習ったりしていた。いずれにしても、学歴が高くないとはいえ、頭脳明晰な人物だったことは確かです。

【池上】「コンピューター付きブルドーザー」などとも言われましたね。

上京してからは、中央工学校の夜学に通って建設業で名を成した後に、雪深い新潟の人たちのために、と政治家になった。そして、帝国大学卒のエリートばかりの中で、自分の力ひとつで総理にまで上り詰めました。

【佐藤】当時の日本の政治は、ヒトラー時代のドイツのようなものでした。ドイツで帝国の宰相になることができるのは、将軍か大学出か以外にはあり得なかった。日本でも、帝国大学や早稲田みたいなところで高等教育を受けていない人間が総理大臣になるなど、考えられないことだったのです。

【池上】だからこそ、田中角栄総理が誕生した時、国民は「今太閤」だと拍手喝采しました。学歴がなくても国の政治のトップに立つことができるんだ、と。ある種の夢を当時の人たちに抱かせるような存在になったわけです。

■なぜロッキード事件で罪に問われたのか

【池上】さっきの本の描写にあるように、何かあると「今の時代に角栄がいれば」という話になるわけです。その田中角栄が罪に問われ、裁判にかけられたというのは、どういうことなのだろう。たぶん、ロッキード事件と聞いて、そんな気持ちを持つ人たちも少なくないのだと思います。

簡単に振り返っておくと、この事件の発火点はアメリカでした。1976年2月に、上院外交委員会多国籍企業小委員会、委員長の名を取って通称「チャーチ委員会」の公聴会で、ロッキード(現ロッキードマーティン)社のアーチボルド・コーチャン副会長が、自社の航空機を売り込むために総額30億円の賄賂を日本の政界にばらまいた、と証言したんですね。田中角栄には、総理在任中に口利きの報酬として5億円が渡っていました。

【佐藤】賄賂は、右翼の大物児玉誉士夫、ロッキードの代理店丸紅、そして全日空の三つのルートで流れました。角栄が受け取ったのは「丸紅ルート」です。児玉誉士夫は、キーマンでありながら結局逃げ切りましたよね。病気を理由に国会にも出てこなかったし。

1972年に撮影された田中角栄元首相(1918-1993)のポートレート
写真=時事通信フォト
1972年に撮影された田中角栄元首相(1918-1993)のポートレート - 写真=時事通信フォト

■ひとことで言えば、田中角栄はちょっとやり過ぎた

【佐藤】ロッキード事件は、角栄が首相を降りてから発覚しました。74年暮れに退陣を表明した直接の原因は、「田中金脈問題」でした。

【池上】今でいう「文春砲」を浴びたのですが、スケールが違った。その年の10月に発売された月刊『文藝春秋』にジャーナリストの立花隆と児玉隆也の合計60ページに及ぶルポが掲載されたんですね。前者は角栄の資産形成の手口を、後者は角栄の秘書で、田中の後援会・越山会の「金庫番」と言われた佐藤昭との関係などを暴いたものでした。

角栄自身は、佐藤昭という存在が書かれてしまったことの方に、より衝撃を受けたと言われています。金脈問題は、そんなにたいしたことではないだろうと高をくくっていた。

【佐藤】日本のメディアもあまり騒がなかったのです。当時の「政治とカネ」の状況からすれば、「さもありなん」という感じだったから。

【池上】そうです。政治の世界では、今では信じられないくらい露骨に「実弾」が飛び交っていました。例えば、当時、中選挙区の群馬三区には、中曽根康弘、福田赳夫、小渕恵三がいました。選挙が始まると、それぞれの事務所の横に、毎回プレハブ小屋が建つんですね。そして、そこで支持者たちに食事を提供する。「福田食堂」「中曽根レストラン」などと呼ばれていて、「ただ飯」を食わせるのです。もちろん、立派な選挙違反ですが、群馬県警は知らん顔(笑)。そんな光景が、全国津々浦々に広がっていました。

【佐藤】選挙は「祭り」の感覚でしたからね。祭りに御祝儀はつきもの(笑)。政治家が多少汚いやり方で金を作るというのも、ある程度、許されていた。

【池上】ところが、あにはからんや、角栄は十月末の外国人記者クラブの会見で金脈問題の質問攻めに遭い、翌日各紙が記事にした。その結果、一気に風向きが変わって、内閣総辞職に追い込まれてしまったわけです。まあ、ひとことで言えば、田中角栄はちょっとやり過ぎた。

■「俺には金以外の武器はない」という割り切り

【佐藤】それでも、金脈問題で止まっていたら、まだ復活の目はあったのかもしれません。ロッキード事件で、返り咲きの夢はついえました。それにしても、河川敷を利用した「錬金術」は見事でした。

【池上】2019年の台風19号で、長野県を流れる千曲川が氾濫して、大きな被害が出ました。あの千曲川が新潟県に入ると信濃川になります。やはり氾濫しやすかったわけですが、そんな川の河川敷をある日突然、「売ってくれませんか?」という会社が現れた。しょっちゅう水に浸かる利用価値が低い土地だから、地主たちは喜んで売りました。ところが、その直後、当時の建設省が堤防工事を行うことになり、河川敷は水没することのない一等地に早変わりです。

佐藤優氏
佐藤優氏(写真提供=中央公論新社)

【佐藤】角栄のファミリー企業群がおよそ5500万円で取得した土地が、80数億円にハネ上がったと言われています。

【池上】上場直前の優良企業の株を手に入れるような「インサイダー取引」です。ただし、田中角栄が他の人と違ったのは、そんなことまでして金を作りながら、それが自身の蓄財のためではなかったことです。本物の苦労人であるがゆえに、人間心理をよく掴んでいた彼は、自分のやりたい政治を実現するためにお金を使いました。

【佐藤】もっとも一部は自分の家族のために残したと思います。佐藤栄作は、自分の後釜として田中と福田を競わせました。ただ、腹の中では、福田で決めていたのです。角栄としては、福田の後塵を拝するわけにはいかない。ならば、形勢をどう引っくり返すのか。俺には金以外の武器はない、というドライな割り切りもあったのだと思います。

【池上】その使い方がまた、上手だった。例えば、越山会の人たちが、密かに地元で集めたお金を、目白の「田中御殿」まで持っていく。そうすると、「いや、ご苦労さん」と言って、そのかなりの部分をがばっと掴んで、参上した人に渡すわけです。誰もが、この人のために頑張ろう、という気持ちになるでしょう。

あるいは、政治家などとの密会のために料亭にいけば、下足番に当時のお金で一万円を渡す。そうすれば、新聞記者が「誰と会っていたんですか?」と聞いても、絶対にしゃべりません。

■「政」だけでなく「官」もカネで動かそうとした

【佐藤】その保険は、ちゃんと効くのです。でも、一方でけっこう陰険なお金の使い方もしていたんですよ。角栄にかわいがられていた鈴木宗男さんは、そのあたりについても間近で見ていました。角栄は、当時赤坂にあった2軒のラブホテルの鍵番のおばさんにも「献金」していたのだそうです。それで、政治家や高級官僚が女性を連れ込んだら、その情報を届けてもらう。それを持って、「よっ、先週は頑張ったね」と、当事者を暗に脅すわけ。(笑)

【池上】それは、政治家にとって、ある意味金を受け取った現場を見られるよりも恐ろしい。(笑)

当然、政治家にも金をばらまいたわけですね。違う派閥の政治家にも、野党の人間にまで渡していた。熱烈支持にならなくても、敵にならなければいいんだ、という発想だったのでしょう。

池上彰・佐藤優『組織で生き延びる45の秘策』(中央公論新社)
池上彰・佐藤優『組織で生き延びる45の秘策』(中央公論新社)

【佐藤】政権の中枢に食い込んでからの角栄は、「政」の世界だけでなく、「官」も金の力で動かそうとしました。

【池上】大蔵大臣になった時には、職員全員に高級ネクタイをプレゼントして、大蔵省全体を買収したと言われました。

【佐藤】ただ、金の力で全てを抑え込める時代が転換点を迎えているというところは、見誤ってしまった。

【池上】だから、最後は、その金が命取りになってしまいましたよね。

【佐藤】政治家の露骨な「カネ問題」に一つのけじめをつけるという意味では、田中角栄という人は、時代的にちょうど必要な存在だったと言えば、言い過ぎでしょうか。

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池上 彰(いけがみ・あきら)
ジャーナリスト
1950年長野県生まれ。慶應義塾大学卒業後、NHK入局。報道記者として事件、災害、教育問題を担当し、94年から「週刊こどもニュース」で活躍。2005年からフリーになり、テレビ出演や書籍執筆など幅広く活躍。現在、名城大学教授・東京工業大学特命教授など。計9大学で教える。『池上彰のやさしい経済学』『池上彰の18歳からの教養講座』『これが日本の正体! 池上彰への42の質問』など著書多数。

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佐藤 優(さとう・まさる)
作家・元外務省主任分析官
1960年、東京都生まれ。85年同志社大学大学院神学研究科修了。2005年に発表した『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮社)で第59回毎日出版文化賞特別賞受賞。『自壊する帝国』(新潮社)で新潮ドキュメント賞、大宅壮一ノンフィクション賞受賞。『獄中記』(岩波書店)、『交渉術』(文藝春秋)など著書多数。

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(ジャーナリスト 池上 彰、作家・元外務省主任分析官 佐藤 優)

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