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「いらないものは全部捨ててしまえ」漫画家・弘兼憲史が守るべきものはたった1つでいいと断言する理由

プレジデントオンライン / 2022年7月23日 13時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/BraunS

数年前から「持ち物を半分にしよう運動」と名付け、“身辺整理”を開始した漫画家・弘兼憲史さんは「持っているモノの多さで幸せは測れないし、人生には背負っていなくてもいいものがある。だったら、“いらないもの”は全部捨てちゃえば」という。このたび上梓したセブン‐イレブン限定書籍『捨てる練習』で明かした“捨てる”コツとは──。(第1回/全3回)

※本稿は、弘兼憲史『捨てる練習』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

■ぶれない“芯”がある人、ない人

最近はあまり耳にしませんが、「竹を割ったような」という表現があります。改めて辞書を引くと、「性質がさっぱりして、わだかまりがない。気性に陰険さや曲がったところがない」とありました。

いいですね。

複雑に入り組んだ現代社会だからこそ、せめて自分だけはシンプルでありたい。シンプルに生きたいと考える人が多くなっています。そんなシンプルなスタンスの究極は、“竹を割ったような人”かもしれません。

多くの人は、そんな生き方に憧(あこが)れを抱き、わだかまりがあって、陰険で、曲がった性格の人を嫌うのです。

では、シンプルでわかりやすい人と、複雑でわかりにくい人との根本的な違いは何でしょう。

それは「揺るぎない価値観」を持っているか、いないか。「ぶれない芯」があるか、ないか。「譲れない一線」を守れるか、守れないか──ではないでしょうか。

■「芯以外のものは、捨ててしまおう」

いま挙げた「揺るぎない価値観」「ぶれない芯」「譲れない一線」はほぼ同じ意味で、「何があっても、これだけは断固として守り抜く」という、“自分が生きていくための原理原則”と考えてください。

自分の根本=中心にあるべきものですから、「芯(コア)」と呼ぶことにします。

シンプルな人には、ぶれない芯がある。他人がいくら揺さぶっても、決して揺るがない強い芯を持っているのです。

その一方で、芯にかかわりのないことには、まったくこだわりません。守り抜くものは、たった1つ。自分の芯だけでいいと考えているからです。

芯だけは守る、あとはどうでもいい──という潔(いさぎよ)さが、わかりやすさ、シンプルさを生み出します。そこでぼくは「芯以外のものは、捨ててしまおう」と提案したいのです。

■ルールに縛られる生き方は「息苦しい」

若い人に向けた人生の指南書には、「自分を律するために、マイ・ルールを決めましょう」などと書かれていることが多いようです。

朝7時には起きる
夜更かしはしない
睡眠は6時間以上
朝食は抜かない
2紙以上の新聞に目を通す
やけ酒は飲まない
休日には体を動かす……

といった生活習慣に関することから、

その日の仕事は翌日に持ち越さない
一日に一度は上司と会話する
酒席で仕事の話をしない……

といった仕事にまつわることまで、推奨されるルールは多岐(たき)にわたっています。

このどれもが至極もっともなことなので、すべてのルールを守れば「しっかりした生活を送っている」と褒(ほ)められるかもしれません。

ですが、その一方で、「品行方正なのはわかるけれど、付き合いにくいやつ」と思われるかもしれません。そしてなにより、自分自身がたくさんのルールに縛られていることに、息苦しさを感じ始めるのではないでしょうか。

■守るべきは「たった1つ」

充実した生活を送るためにルールを決めたはずが、いつの間にか「ルールを守る」ことが目的になってしまっている。ルールを守るために窮屈な生活を送るなんて、本末転倒。まったく意味のないことです。

だからぼくは、「守るべきものはたった1つでいい」と言いたい。

たくさんのルールも、守るべき信条も流儀も、保つべき面子(メンツ)も要りません。「芯」さえ、ぶれなければいいのです。

ぼく自身は、たった1つ、「自分に負けない」あるいは「自分に勝つ」ということを、生き方の「芯」に据(す)えています。

言い方を変えれば、自分に負けなければ、自分を誤魔化さなければ、自分に妥協しなければ、あとはどうでもいい。そう割り切ってしまうことが、シンプルな考え方、生き方を生み出すのです。

■敗北は受け入れる

「自分に負けない」「自分に勝つ」という“ぶれない芯”を持っていれば、あとはどうでもいいと書きました。

弘兼憲史『捨てる練習』(プレジデント社)
弘兼憲史『捨てる練習』(プレジデント社)

言い換えれば、自分に負けないことだけを心しておけば、ほかの勝負には負けてもいい。それ以外の勝負、つまり、自分以外の誰かに負けを感じたとしても、落ち込んだり気に病んだりすることはないのです。

仕事をしていれば、目上の人に限らず、同期でも後輩でも、負けを認めざるを得ない相手と出会うこともあるでしょう。そんなとき、相手が自分より上だと思ったら、責任転嫁も言い訳もせず、素直に負けを認めるべきなのです。

「いいじゃないか、負けたって」です。

それを潔くできるのが、楽天家のいいところ。「この人はすごい」「まったく敵(かな)わない」とあっさり認めてしまい、立ち直りが早いのが楽天家の長所です。

■他人との勝負は勝った負けたのくり返し

「自分に勝つ」という勝負には、到達点がありません。常に今の自分を乗り越えようとし続ける、終わりのない戦いです。

対して、自分以外の誰かとの戦いは、目の前にあるほんの小さな戦いに過ぎません。負けは負けでも、一時の負けです。

人生は、勝ったり負けたりのくり返し。どんな人でも、勝ち続けることはできません。だからこそ、目先の勝ち負けに一喜一憂して、負けをズルズル引きずってはいけない。負けぐせがつくだけです。

「今回は負けました」と潔く認め、次の戦いに備える。次の勝負はすぐそこですから、悔やんだり落ち込んだりしている時間はありません。

■自分自身との長い長い戦い

目の前の戦いにこだわるのではなく、「自分に勝つ」、つまり「自分との戦い」だけにこだわればいい。うまくいかないのが人生、勝ちっぱなしの人生なんてないのですから。

誤解しないでほしいのですが、「自分を誤魔化さない」「自分自身に厳しい目を向ける」というのは、衝動や欲望を抑えつつ、修行僧のように歯を食いしばって生きていくことではありません。

自分の弱さや短所、足りないところ、目の前の戦いに負けてしまったという事実……などに向き合いながら、悠然とマイペースで生きていくことです。「自分に負けない」という“ぶれない芯”を意識し続けながら。

10年経っても20年経っても、「自分に勝った」「自分を乗り越えた」とはなかなか実感できないでしょう。それほど長い戦いだということです。

■誤魔化したことを自分は知っている…

ただ、戦いの断片は至るところに存在します。

○○部や××課という集団の中で、間違っているとは知りながら、自分を抑えて周りに合わせてしまったときの敗北感。

誠実な上司や実直な部下などが、正しい行動をとったばかりに組織の中で孤立してしまった。そのとき、彼らを守ろうともせず、「多勢に無勢」「長い物には巻かれろ」とばかりに多数派についてしまったという敗北感。

目先の戦いにおける小さな負けではなく、自分との戦いにおける大きな敗北です。自分自身は、自分を誤魔化したことを知っている。自分に負けたことを知っている。

■胸を張って自分自身を語れるか

そんなときに人は、その傷の痛みを誤魔化すために言い訳をします。

組織の中で生きていくためには、たぶん、やむを得ない選択だった。
彼らは正しいかもしれないが、やり方を間違えた。
勝ち組に留まるためには、そうするしかなかった。

しかし、いくらそんな言い訳をしても胸の痛みは消えません。他人を誤魔化すことはできても、自分は誤魔化せないのです。

そんな痛みを抱えたまま多数派に収まり、たとえ出世を果たしたとしても、自分に胸を張ることはできません。

胸を張って自分自身を語れるか──それが「自分に負けない」という生き方なのです。

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弘兼 憲史(ひろかね・けんし)
漫画家
1947年、山口県生まれ。早稲田大学法学部卒業後、松下電器産業(現・パナソニック)に入社。74年に漫画家デビュー。作品に『人間交差点』『課長 島耕作』『黄昏流星群』など。島耕作シリーズは「モーニング」にて現在『会長 島耕作』として連載中。2007年紫綬褒章を受章。

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(漫画家 弘兼 憲史)

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