プーチンの目論見は完全に裏目に出た…軍事的中立を保っていたフィンランドが西側に助けを求めたワケ
プレジデントオンライン / 2022年7月24日 9時15分
■「攻撃されたら国防に参加する」が82%
【増田】北欧のフィンランドとスウェーデンが申請していた北大西洋条約機構(NATO)への加盟が、認められる見通しになりました。難色を示していたトルコとの話し合いが、決着したためです。
私はこれまで20回以上、教育現場の取材でフィンランドへ行っています。初めて行った2005年、ヘルシンキ中央駅の前にある地下駐車場で、「ここは核シェルターになるんですよ」と説明されました。ムーミンや木製のデザイナーズ家具や「森と湖の国」のイメージには似つかわしくないので、びっくりしたことをよく覚えています。
教育現場の取材に回ると、核シェルターはどの学校にも作られていました。中は見せてもらえませんでしたけど、ドアを開けると地下へ下りる階段があるそうです。しかも普通の防空壕ではなく、核戦争に備えたシェルターですからね。地下鉄の駅をそのまま転用するなど、首都ヘルシンキ市内には5500カ所。国内だと5万4000カ所あって、全人口約551万人の8割を収容できるそうです。
NATOへの加盟は、選挙のたびにトピックとして挙がるのですが、大きな争点にはならず、現状維持という選択が続いてきたんです。それは、1300キロメートルも国境を接する大国ロシアを刺激しないように、という配慮のためでした。
国内の雰囲気を一変させたのが、ロシアのウクライナ侵攻です。公共放送「フィンランド放送協会」が行っている世論調査の結果を見ると、前回調査した2017年ではNATOへの加盟支持は21%でしたが、侵攻が始まった2月下旬に53%、3月は62%に上昇。5月には76%に達したんです。
フィンランド国防省が5月18日に行った世論調査では、「フィンランドが攻撃された場合、国防に参加する意思があるか」という問いに対して、回答者の82%が「ある」と答えています。以前から一般市民向けに行われていた軍事訓練には、参加希望者が急増しているそうです。
■フィンランドがロシアを心底恐れる理由
【池上】攻撃を受けたウクライナの多くの都市で、たくさんの市民が地下シェルターへ逃げ込んだ、というニュースがありました。平和慣れしているわれわれは、そうした備えがあることを知るだけで驚きます。ロシアと1300kmも国境を接しているフィンランドでも戦争は現実的で、ウクライナ情勢はまさに地続きの脅威なんですね。
【増田】ロシアに支配されていたフィンランドが独立したのは、ロシア革命が起こった1917年です。第2次世界大戦中にはソ連と2度も戦争をして、合計9万人の国民が犠牲になり、領土の10分の1を奪われています。
1度目は、1939年11月に始まって翌年3月まで続いたので、「冬戦争」と呼ばれています。オーストリアを併合するなど勢力を強めているナチスドイツを恐れたスターリンが、フィンランドに領土の交換を持ちかけたのが発端です。
しかし、ほとんど人が住んでいない不毛の地である東カレリア地方をフィンランドに譲渡する代わりに、ソ連軍がレニングラード湾(フィンランド湾)を自由に行き来するうえで極めて重要となる「レニングラード湾にある4つの島とカレリア地方の引き渡し」「カレリア地方にあるフィンランドの防衛施設の撤去」「レニングラード湾の入り口に位置するハンコ半島を30年間ソ連に貸し出し、ここにソ連海軍基地の設置と兵士の駐留を求める」など、あまりにもソ連に都合がよすぎる条件でした。
フィンランドが要求を拒否すると、ソ連は不可侵条約を破棄して侵攻を始めたんです。フィンランドは独立は維持したものの、ソ連に領土の10%を割譲する結果となりました。国際連盟はソ連を除名しました。
■ソ連が戦争を始めるときの手口
【増田】翌年、バルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)がソ連に併合されたため、ソ連に対する脅威はいっそう高まります。フィンランドの首都ヘルシンキからエストニアまでは船で1時間半くらいで行き来ができる距離で、目と鼻の先なんです。
1941年6月に独ソ戦が始まると、今度はフィンランドが、先の冬戦争で割譲したカレリア地方へ攻め込みました。フィンランドはソ連と戦うためにドイツの支援を仰ぎ、枢軸国側(ドイツ、イタリア、日本とその同盟諸国)として第2次大戦に参戦しました。44年9月に和平が成立しましたが、フィンランドの犠牲者は、不明者を合わせて6万6000人におよび、領土を割譲し、多額の賠償金を払う結果になったんです。この第2次ソ・フィン戦争は「継続戦争」とも呼ばれます。
【池上】ソ連が冬戦争を始めたのは、国境警備隊がフィンランド軍から発砲を受けて13人の兵士が死傷したため、という理由でした。ところがソ連崩壊後、この話は捏造(ねつぞう)だったことが、史料によって明らかになっています。
侵攻2日後には、親ソ連派による「フィンランド民主共和国」という国をでっち上げました。ウクライナ東部で親ロ派による共和国の独立を宣言させて、ロシア系住民の保護を口実に戦争を始めたのと、そっくりなやり方ですね。
■冷戦が終わっても、軍備を増強してきた
【増田】ソ連との間にそうした歴史的経緯があるので、東西冷戦で核開発競争が盛んになると、フィンランドは核シェルターを必要としたわけです。冷戦が終わってソ連がロシアに変わっても、フィンランドは軍事的な中立を保ちつつ、軍備には一貫して力を入れてきました。
【池上】防衛費はGDPのおよそ2%ですから、NATO加盟国の多くより高い水準です。兵力は28万人で予備役が87万人。男性には徴兵制度がありますね。
【増田】18歳から60歳の男性が対象です。半年から1年の兵役に就き、終えたあとは予備役となります。毎年、2万人以上の若者が徴兵されるそうです。女性は志願制です。
私が現地でいつも通訳をお願いしているのは、フィンランド人と結婚している日本人の女性なんです。
最初にお会いしたときは息子さんが10歳くらいで、
「うちの子も、10年もしないうちに軍隊に行くんです。日本人としては、いくばくかのためらいもあるんですよ」
と心配していました。成長して、実際に兵役に行ってみると、
「面白いのよ。いまの子たちは自分で何もできないから、ベットメイキングでシーツをピシッとするところから教わるみたい」
と笑っていました。
学校へ取材に行って、愛国心をどう教えているかと尋ねたら「日本人からは、必ずその質問が出る」と言われました。愛国心は教えるものではなく、国を大事に思うのは当たり前だという考えなんです。自分の国が独立して他国の支配を受けず、自分たちの言葉を話して国のあり方を決める。それをずっと守ってきたのだから、これからも守ろうと思うのは当然だということですね。
【池上】日本で愛国心と言うと、韓国や中国を見下すような感情とセットになりがちです。それぞれの国の人が自分の国を愛する気持ちを尊重するのが、本当の愛国心ですね。
■プーチンの目論見は完全に裏目に出た
【池上】お隣のスウェーデンは、2010年に廃止した徴兵制を、2018年に復活させました。志願兵の減少と、ロシアの脅威が高まったことが理由です。同じ年には、有事に対する備えを呼びかけるパンフレットを作って、国内の全470万世帯に配布しました。食料と水の備蓄や、冷戦時代に作った防空壕の再整備を求めたんです。
【増田】スウェーデンはロシアと国境を接していませんが、バルト海を挟んでロシアの飛び地の領土カリーニングラードと向かい合っています。ここにはバルチック艦隊の母港がありますし、短距離弾道ミサイル「イスカンデル」が配備されています。
【池上】ロシアのウクライナ侵攻は、あえてNATOと距離を置いて、ロシアを刺激しないようにしてきたフィンランドとスウェーデンに加盟を促す結果となりました。
ロシアは、もしも両国のNATO加盟が実現したら、カリーニングラードの「イスカンダル」に核弾頭を配備すると警告していました。しかし、フィンランドとスウェーデンがNATO加盟手続きに入ることが決まると、プーチン大統領は「スウェーデンとフィンランドに関してはウクライナとの間でわれわれが抱えているような問題はない。NATOに加盟したいならそうすればいい」「NATOの部隊と軍事インフラが配備されれば、相応の対応を取り、われわれへの脅威がもたらされた地域に対して同様の脅威を与えざるを得ない」と語りました(ロイター・6月30日)。
フィンランドやスウェーデンはロシアを刺激するような行動は取らないでしょう。ただし、NATOの東方拡大を阻止することが戦争の大義名分でしたから、プーチン大統領のもくろみは完全に裏目に出た形です。
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ジャーナリスト
1950年長野県生まれ。慶應義塾大学卒業後、NHK入局。報道記者として事件、災害、教育問題を担当し、94年から「週刊こどもニュース」で活躍。2005年からフリーになり、テレビ出演や書籍執筆など幅広く活躍。現在、名城大学教授・東京工業大学特命教授など。計9大学で教える。『池上彰のやさしい経済学』『池上彰の18歳からの教養講座』『これが日本の正体! 池上彰への42の質問』など著書多数。
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ジャーナリスト
神奈川県生まれ。國學院大學卒業。27年にわたり、高校で世界史・日本史・現代社会を教えながら、NHKラジオ・テレビのリポーターを務めた。日本テレビ「世界一受けたい授業」に歴史や地理の先生として出演のほか、現在コメンテーターとしてテレビ朝日系列「大下容子ワイド!スクランブル」などで活躍。日本と世界のさまざまな問題の現場を幅広く取材・執筆している。著書に『新しい「教育格差」』(講談社現代新書)、『教育立国フィンランド流 教師の育て方』(岩波書店)、『揺れる移民大国フランス』(ポプラ新書)など。
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(ジャーナリスト 池上 彰、ジャーナリスト 増田 ユリヤ 構成=石井謙一郎)
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