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こんなに勉強してきたのに…試験で失敗しがちな人に東大生が教える「8掛け振り返りの法則」

プレジデントオンライン / 2022年8月1日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/MonicaNinker

自分では頑張ってきたつもりでも、なかなか結果が出ないことがある。現役東大生ライターの布施川天馬さんは「ほとんどの人は自分を過大評価してしまう。客観的な点数はせいぜい自己評価で出した点数の8割ほどだ」という――。

※本稿は、布施川天馬『東大式節約勉強法』(扶桑社新書)の一部を再編集したものです。

■勉強はばっちりしたはずなのに「思い出せない」

勉強は「やったから終わり!」というものではありません。

例えば、社会人の方は学生時代を思い出してみてください。きたる定期テストのために、たくさん勉強をしたあなたは、それぞれの単元を「よし、これできっと大丈夫だ!」というところまで詰めて、意気揚々と床に入ります。

そして、運命の日。自信満々だったはずのあなたは、テスト用紙を前に固まるのです。

「あれ? ここ、やったはずなのに思い出せない!」と。確かに勉強したはずなのに、白紙じゃマズい、何か書かないと、でも何を? いったい何が起きているんだろう、とパニックになるあなたを尻目に試験時間はどんどん経過していき……全国100万人の学生の心の叫びが聞こえてくるようです。

ですが、これは勉強の方法が悪いわけではありません。神に祈ろうが、「あること」をしなければほぼ確実に起きうることです。その「あること」とは、ずばり「復習」です。

■「自撮りカメラ」は実物よりも綺麗に撮影してくれる

みなさんは、「自撮り」をしたことはありますか? 海外では「セルフィ」と呼ばれるこの行為はもはや世界中で大流行しており、最近では観光地に限らずあちらこちらでパシャパシャと写真を撮っている男女の姿が散見されます。「自撮り」専用の「自撮り棒」なんて印象的なアイテムが登場したのも、もはや随分前のことです。

聞いた話によれば、有名観光地や遊園地などでは待ち時間の間に自撮り動画を撮っている人であふれているとか……。いいヒマつぶしができたようで何よりですが、自分の顔以外にも見るべきものが溢れている状況で敢えて自撮りをするという選択ルーチンは、なかなか興味深いものがあるように思えてしまいます。

僕はといえば、友人に誘われるなどよほどのことがなければ自撮りは行いません。なぜならば、そこまでして自分の姿を見たいと思えるほど自分自身の容姿に自信がありませんし、そこまで特別なものだとも思えないからです。ところが、最近のカメラアプリは性能が非常に向上しており、実物よりもさらに綺麗に美しく映る加工がなされる機能がデフォルトで付属しているケースも多いのだとか。

確かに、実物よりも美しく映るのならば、わざわざ自分で自分を撮影するという行動にも納得がいくような気がします。ここでいきなり手のひらを返したのは、同じようなケースが脳裏に浮かんだためです。

■復習で振り返った先にいる自分は2割増しに見える

例えば「お風呂上がりのシャワーを浴びたばかりの自分を鏡越しに見ると、朝の寝起きの自分よりも2割増しくらいでシャキッとして見えた」なんて経験はありませんか? 「意外と悪くはないな……」なんて思ったりして調子に乗るのですが、その3分後には魔法は解け、残るのはいつもの残念極まりない自分……。鏡越しに見る自分は無意識に補正がかかるので、実物よりも多少マシに見えるという話を聞いたことがありますが、もしもそうなら我々の脳みそは優しすぎるウソつきです。

洗面所の鏡に映る自分の姿を見つめる男性
写真=iStock.com/Zinkevych
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Zinkevych

さて、どうしていきなり自撮りやお風呂上がりの鏡越しの自分のようなことを話し始めたのかと言えば、これもまた復習時の「あるある」だからです。つまり、「復習で振り返った先にいる自分は2割増しに見える」のです。だからこそ、振り返った先にいる自分からは、敢えて2割の減点を食らわせなくてはいけません。そうでもしなくては、美化された誤った自分像を評価することになってしまい、客観的な視点でのより正確な振り返りにならないからです。

例えば、僕の場合は、自分で振り返ったときに「今日の自分は100点だったな」と思ったのであれば、その点数を0.8倍して「今日の自分は客観的には80点だった」として評価します。もし自分が100点だと思っていても、周りの人から見れば粗が目立つということだって、ざらにあるからです。だからこそ、最初に思った数字を0.8倍した点数こそが、周りの人々から見た自分の動きの評価点だと思ったほうがよいのです。

■人類の多くは「自分に優しく他人に厳しい」

そんな大げさな、と思われるかもしれません。それは自撮りや鏡の話であって、行動や思考についてはこれが適用できるはずもない、と思いたい気持ちも分かりますが、僕はむしろ「行動や思考」だからこそ、2割増しに見える傾向が強いと思っています。

立派な人物像として「自分に厳しく他人に優しい」というものがあります。他人の失敗や不出来には寛容に接してくれるが、自分自身のそれについては何倍も厳しく確認し、己を律するという人物は、確かに立派で偉大な人柄を持っているといえます。ですが、この人柄が「立派で偉大」と言えるということは、すなわち、こうした人物が非常に少ないということをも表しています。つまり、僕を含んだ人類の多くは、非常に残念なことに「自分に優しく他人に厳しい」のです。

■すべてがお見通しになった状態での判断にはバイアスがかかっている

こういったケースで典型的なのは、スポーツ観戦などでやたらとヤジを飛ばす人です。特に高校野球の観戦などへ行くと、なぜか関係者でもないのに自信ありげな名采配を下している方がいらっしゃるのを、目にした経験はありませんか? 自分が別に一流としてプレイできるわけでもないのに、「アレはだめだ」「自分ならこうする」という意見を並べるような方はこの典型と言えるでしょう。

布施川天馬『東大式節約勉強法』(扶桑社新書)
布施川天馬『東大式節約勉強法』(扶桑社新書)

面白いのは、こういった方々に対する偏見があることです。先ほどの例では、多くの場合で受け手の方が勝手に「年配者に多いだろう」と解釈してしまうそうなのですが、実はこういった人は老いても若くても、もちろん男女も関係なく発生しうるようなのです。これは、実際に僕が最近経験した出来事からもわかりました。

僕は最近「Apex Legends」という、eスポーツにも起用されるような対戦型ゲームにハマっています。このゲームのプレイヤーのボリューム層はおそらく10代~20代と思われますが、一流プレイヤーのプレイングを記録した動画をYouTubeなどで観ていると、ほぼ確実に「こいつはへたくそだ、自分ならこうする」と、聞いてもいないのに「最善手」を教えてくれる方がワラワラと沸いてくるのです。

もちろん、こういった意見の中にも「正解」があったり参考になるものがあったりというケースもあることにはあります。しかしながら、プロやセミプロレベルのプレイヤーならそこまで想定しての一手であることも珍しくないですし、実際にやっている人とそれを見ている外野では状況も立場も何もかも異なります。

そして、何よりも、こういった自称アドバイザーの方々は、結果まですべてを把握したうえで事後的に采配を下すことができますが、現場で戦っている人々は手探りでより良い未来を選択しているのです。

すべての結果が明らかになっている状況で「あの時はこうするべきだった」と意見するのと、1秒後すらどうなっているのか分からない状況下で「こうしよう」と判断を下すのは、かかるコストに天と地ほどの差があります。全部が「お見通し」になっている時点から過去を振り返って色々と並べたてるなんて、赤ん坊でもできるほどに簡単なことだと思いませんか?

ですが、残念ながら、検討を重ねている本人は、自分自身の判断にそのバイアスがかかっていることに気づけません。むしろ、「どうしてあんなに他人の判断は劣っているのだ」と見えてしまいがちなのです。

■「他人の視点から見た自分の点数」を予想する

これは復習についてもやはり例外ではありません。しかし、他人の判断に口出しするのと大きく異なるのは、観察の対象が「あの時の自分自身」であるということでしょう。自分を自分で裁断することの難しさはここにあります。どうやっても自分自身への色眼鏡を消すことができないのに、なるべく客観的な視点から自分で自分の判断を検討しなくてはいけません。

では、客観的な視点から己を見つめなおすコツはどういったものなのか。まず、完全に客観的な視点を己の脳内にインストールすることは、おそらく不可能です。「完全な客観」とは、己の主観的な判断が1ミリも入っていない状況ですが、思考・判断をするのが自分自身である以上は、主観的な要素を完璧に排除することはかなわないからです。

ですが、「客観的な評価」を得る方法はあります。それは、「他人の視点から見た自分の点数」を予想すればよいのです。結局、大事なのは「客観的に評価する」というプロセスではなく、「客観的に評価された自分」の結果です。ですから、疑似的に客観評価を得るために、「復習の際の2割減」を行うことで、自分への甘さを消しながら、他人から見た自分像をとらえることができるようになるのです。

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布施川 天馬(ふせがわ・てんま)
現役東大生ライター
世帯年収300万円台の家庭に生まれ、金銭的余裕がない中で東京大学文科三類に合格した経験を書いた『東大式節約勉強法 世帯年収300万円台で東大に合格できた理由』の著者。最新刊は『東大式時間術』。

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(現役東大生ライター 布施川 天馬)

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