なぜ安倍元首相はプーチンに会いに行かなかったのか…鈴木宗男「私に語っていた本当の理由」
プレジデントオンライン / 2022年7月26日 14時15分
■なぜ奈良に…いまでも私は信じられない
安倍晋三元総理のお通夜と告別式に参列しました。奥様の昭恵さんに「いまでも私は信じられない。信じたくない思いです」とご挨拶すると、丁重にうなずいて頭を下げてくれました。奥様のほうがもっと、そのような思いをされていたことは当然です。
あの日、私は小樽で遊説していました。11時39分に、電話で知らせが来たんです。返す返すも悔やまれるのは、選挙応援の予定が、前日になって長野から奈良へ変更になったことです。警備の隙を突かれたと言いますが、急に日程を変えたら、じゅうぶんな体制を取れなくても仕方ありません。
予定が変わった理由は、長野から出ていた候補者に関するスキャンダルが週刊誌に載ったことです。変更が誰の決定だったか知りませんが、選挙戦では、誹謗(ひぼう)中傷はよくあります。週刊誌の記事なんかで右往左往しちゃいけません。安倍元総理は予定通り長野へ行っていたら、あのような犯罪に巻き込まれずにすんだかもしれないんです。選挙の勝ち負けは本人の責任であり、本人の問題です。
■駐日ロシア大使から電話「プーチン大統領から弔文が届いています」
まだ67歳でした。私は定期的にお会いしていましたが、体調は回復されて、顔色もよく元気いっぱいで、自信に満ちていました。
総理を辞任する理由となった持病の潰瘍性大腸炎は、新しい薬がよく効いているとおっしゃっていました。果たすべき仕事が、これから先もたくさんあったはずです。
翌日、駐日ロシア大使から私に電話がありました。「プーチン大統領より心のこもった弔意が安倍元総理のお母様、昭恵夫人に届いておりますので、安倍事務所のファクスと連絡先を教えてください」と言われました。土曜日だったため、私の事務所から大使館に連絡先を伝えました。
■晋太郎先生のご自宅で、まだ学生だった晋三さんと出会った
私は中川一郎先生の秘書だった若い頃、安倍元総理のお父上の晋太郎先生にずいぶんかわいがってもらいました。中川先生が自殺されたときは私に同情して、自分の秘書になれと声をかけてくれたほどです。晋太郎先生のご自宅へお邪魔する機会もあり、若き晋三さんにもお会いしています。
2016年の「新党大地・鈴木宗男と鈴木貴子を叱咤激励する会」というセミナーで、現職の総理だった安倍さんがこんな挨拶をしてくれました。
「中川一郎さんと私のおやじは、無二の親友でございました。しょっちゅうゴルフに行くにも、いろいろなところに出かけるにも、一緒でありました。そのときにいつもそばについていたのが、鈴木さんでありました。当時私は、まだ高校生や大学生くらいだったわけであります。中川一郎先生にも『晋三君、晋三君』とかわいがっていただきました」
ですから安倍元総理と私のお付き合いは、およそ50年に及ぶわけです。神戸製鋼に勤めていた安倍元総理は、お父上の晋太郎先生が外務大臣に就任したとき、サラリーマンを辞めて秘書官になりました。その頃から、また私とも頻繁に顔を合わせるようになりました。1991年5月に晋太郎先生が亡くなって以来、選挙区回りを始め、1993年の総選挙に出馬されたんです。
■娘・貴子の結婚式で「夫婦円満の秘訣」を披露
挨拶の続きです。
「その後、私が初当選をいたしました。自民党の農林部会に出席をいたしましたら、鈴木さんが激しい議論を展開しているんですね。当時の自民党の農林部会というのは本当に激しい方が多くて、鈴木さんとか前の幹事長の武部(勤)さんとか。私はそこに出て、農林部会はもうあきらめよう、この激しい議論の中でずっとやっていくのは大変だなと思って、社会部会の方に移っていったことを今でも覚えているわけであります」
私の娘で自民党の代議士である貴子に関しては、ご自分を引き合いに出して、こう持ち上げてくれました。
「先般、参院選の時に初めて演説を聞きましたが、すごい迫力ですね。普通、私もそうですが、2世タイプというのはおっとりした人が多いのですが、貴子さんの場合は虎の穴で育った。鍛えられ方が違うなと思いました」
総理大臣は、党の派閥のパーティーには出ても、政治家個人のパーティーには出ないものです。キリがないからです。なのであのとき、わざわざ出席して、通り一遍ではないお話をしてくださり、感激したものでした。
同じ年にあった貴子の結婚式でも、スピーチをお願いしました。
「鈴木宗男先生をお父さんと呼ぶのは、大変なことです。新郎の勇気を買います」
と場を和ませてから、こうおっしゃいました。
「家庭の幸福は、妻への降伏です。これがわが家の、夫婦円満の秘訣です」
ハッピーとギブアップを重ね合わせて笑わせたのですが、「幸福」と「降伏」は、聞くだけだとわかりにくいでしょう。「降伏」と言うとき、安倍元総理はわざわざ万歳のジェスチャーをして見せたので、披露宴会場がドーッと湧いて大きな拍手を受けました。このときも、非常に人間味を感じさせるスピーチだったと感謝したものです。
■「トランプ大統領の相撲観戦」秘話
2019年5月にアメリカのトランプ大統領が来日して、安倍総理は国技館でトランプ大統領と大相撲観戦をされました。千秋楽でした。
この件で、相撲協会の八角理事長から私に連絡があったのは、3カ月前のことです。「警備について警察がうるさいが、きちんとやるので、鈴木先生から安倍総理に伝えてほしい」という話でした。元・横綱北勝海の八角理事長は、15歳で角界に入ってから私が後援会長です。翌月、安倍総理に会った際に、「理事長が心配しないでくださいと言っています」とお伝えしました。
千秋楽当日、相撲観戦がつつがなく終わったのを国技館で見届けて、私はがん研有明病院に入院しました。食道がんの手術をするためです。
ちょうど病室に着いたとき、安倍総理から電話が来ました。
■多忙な中での心遣いのお電話
「八角理事長によろしくお伝えください。トランプ大統領が大変喜んで、感激したと言っていました。私も本当にホッとしてます」
相撲が終わった直後なのに、心遣いのお電話をくれたのです。さらに、
「あれっ、まだ入院してないんですか。さっき国技館にいましたよね」
「いやいや、直行して、いま着いたところです」
「ああ、そうですか。鈴木先生のことだから、がんなんか吹っ飛んでいきます。心配ないですよ」
と安倍総理は言ってくださいました。後日、八角理事長を総理公邸へ招いて、慰労会も開いてくれました。
慰労会と言えば、これは表に出ていない話ですが、元外務省職員で作家の佐藤優さんと私を公邸に呼んで、食事会を開いてくれたことも忘れられません。そこには、3人しか知らない深い経緯がありました。
■最高級キャビア100個をどう用意するか
安倍晋三元総理が外交問題に積極的だった理由は、お父上の晋太郎先生が外務大臣の時に政治の世界へ入ったためでしょう。さらに、お父上が総理の座まであと一歩に迫りながら病に倒れたことも、政治人生に大きな影響を与えたことは間違いありません。
晋太郎先生は、日ソ関係の構築に尽力されました。1990年には100人もの国会議員を連れてモスクワを訪問し、ゴルバチョフ共産党書記長と会談しています。晋三先生も、このとき同行しています。
晋太郎先生が、議員たちにお土産として持たせるため、最高級のキャビアを100個用意するようモスクワの日本大使館に頼みました。大使は「自分には集められません」と断わり、ナンバー2の公使も「できません」と言いました。最高級のキャビアは、当時のソ連ではなかなか手に入らない代物だったんです。
■30年前の感謝を忘れない、それが安倍さんだった
しばらく経ってから公使が「ちょっと待ってください。用意できる人が一人いるかもしれません」と名前を挙げたのが、外務省の職員でモスクワに駐在していた佐藤優さんです。公使が連絡したら、佐藤さんはさっそく次の日、100個の最高級キャビアを抱えて来たそうです。ロシアの現地事情に精通し、何事にも抜かりのない佐藤さんらしい対応です。
安倍総理は2017年3月、総理公邸に私と佐藤優さんを招いて、食事会を開いてくれました。30年近くも前の、晋太郎先生のモスクワ訪問での出来事をちゃんと覚えていて、佐藤さんに向かって「あのときは大変お世話になりました」と頭を下げたんです。立派なものだなと思いました。
安倍さんの気骨を私が最初に感じたのは、2000年秋のことです。飢饉(ききん)が伝えられた北朝鮮への人道支援として、日本政府は50万トンの米を送ることを検討していました。世界食糧計画(WFP)が要請したのは約19万5000トンでしたから、日本単独で大幅に上回る量を決めようとしていたのです。
■まだ当選2回の若手だった時でも、怯まずに筋を通してきた
当時は森喜朗内閣で、私は自民党の総務局長でした。党内の議論で「北朝鮮との間には拉致問題がある。人道支援であっても、そんな国に米を送るのはダメだ」と、真っ向から反対したのが安倍さんです。若手の議員は上の顔色ばかり伺ってモノを言わない中で、当選2回の安倍さんだけが怯みませんでした。筋の通ることを言うと思ったものです。
安倍晋三の名前が一般に浸透したのは、その拉致問題です。北朝鮮によって理由もなく連れ去られた人たちがいることを、世間に広く知られる前からいち早く叫んでいた政治家です。官房副長官だった2002年には、小泉純一郎総理と一緒に北朝鮮へ行き、被害者を初めて帰国させることに成功しました。
■オバマ大統領に「日本には日本の立ち位置がある」と毅然と対応
2014年にロシアがクリミア半島を併合すると、欧米はロシアに対して制裁を始めました。アメリカのオバマ大統領は日本にも加担するように迫りましたが、総理大臣になっていた安倍さんは、「日本には北方領土問題がある。日本の立ち位置があるんだ」と話されました。日本が行ったロシアへの制裁は、独自の内容になったんです。
その翌年の12月28日、私は官邸に呼ばれ、安倍総理からこう言われました。
「来年からロシアをやりたい。ついては協力していただきたい」
わかりましたと即答すると、もう2つ提案がありました。「鈴木貴子さんを自民党で育てたい」というのが1つ目。「来年4月に町村(信孝)さん亡き後の補欠選挙がある。7月には参議院選挙がある。どちらも鈴木先生の応援がなければ勝てないから、よろしく頼みます」というのが2つ目でした。そのときから、私と安倍さんの蜜月はスタートしたと言っていいでしょう。
■安倍さんの心残り、変わらざる思い
総理辞任の記者会見で「やり残した仕事は何か」と訊かれ、安倍総理は次の3点を挙げました。
・拉致問題を解決して、日朝国交正常化を成し遂げること。
・憲法改正
この3つができなかったことは心残りだとおっしゃいました。
政治家にとって大事なのは、自分はこれをやるんだという信念と目標をもって働くことです。国家の基本を、安倍晋三という政治家は考えていました。ある程度のポストに就いてから考えようとする政治家が多い中で、若いときから一貫して国の軸となる問題について発言してきた安倍さんは、やはり大したものだと思います。
この3つの課題は、まさに安倍さんの遺言になってしまいました。残されたわれわれが、しっかりと引き継いでいかなければと思います。
安倍総理の政権は未来志向で、プーチン大統領と27回もの首脳会談を重ねました。世界の大国であるロシアと日本の間に、平和条約が結ばれていない。国境線も決まってない。これは普通ではないというのが、安倍元総理の変わらざる思いでした。
さらに私は、ロシアと仲良くしていけば中国との関係もよくなると進言し、賛同してくれました。あと1年健康状態がよくて、あのまま総理の座にとどまることができれば、北方領土問題は解決していたと思います。残念でなりません。
■安倍さんが岸田総理に言ったこと
岸田さんが総理に就任して以降、安倍元総理は「シンガポール合意をよく読むように」と言ったそうです。2回言ったと、安倍元総理は私に教えてくれました。
2018年11月の安倍・プーチン会談で、かなり突っ込んだやり取りを行い、結果として「1956年宣言を基礎として、平和条約交渉を加速させる」ことを確認したのが、シンガポール合意です。1956年宣言には、「平和条約締結後、ソ連は歯舞群島、色丹島を日本に引き渡す」と明記されています。
ところが岸田総理の国会での答弁は、北方領土について「固有の領土」「不法占拠」といった言い回しがあったため、安倍元総理はアドバイスをしたわけです。
ウクライナ問題への対応を見ても、バイデン大統領からロシアに制裁をすると言われたら、従ってしまいました。インドのように、独自の立ち位置、判断というしたたかさが必要であり、何よりも将来の日本の国益を考えての外交を展開してほしいと思います。
■総理になっても変わらずに、いつも明るく周りに気を配る人だった
私が最後にお会いしたのは、6月8日です。ちょうど、亡くなる1カ月前です。
「いま日ロ関係は最悪になっているけど、ウクライナでの戦争が終わらない限りは、動かせない」
と安倍元総理は言っていました。プーチン大統領とは気心の知れた仲ですが、外交は政府の専管事項です。非友好国になってしまったし、岸田総理のやり方に軽々しく口を挟めば、岸田政権に影響を与えると考え、安倍元総理は発言にも配慮していました。
私は「とにかく早く停戦に持ち込むことです。日本が主導的な役割を果たしたほうがいいです」と話しました。岸田政権や自民党の党内事情も話題になって、安倍元総理は前向きに、自分の為すべきことをきちんとやっていきたいと言っていました。
政治家・安倍晋三は真っ直ぐに筋を通す人で、政策では絶対に引きませんでした。人間・安倍晋三は、昭恵夫人がおっしゃるように、優しくて気遣いの細やかな人でした。総理大臣という地位まで上り詰めるとぶっきらぼうになる人も多いですが、安倍さんはいつも明るく、周りに気を配りました。
いま頃は天国で、お父上の晋太郎先生が、「晋三、どうしてこんなに早く俺の側に来た」とビックリされながら、ニコッと笑って「晋三、俺が果たせなかったトップの座に就いて、しかも歴代で最も長く立派に務めた。よくやったな」と褒められているに違いありません。
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参議院議員/新党大地代表
1948年、北海道足寄町生まれ。拓殖大学政経学部卒業。1983年、衆議院議員に初当選(以後8選)。北海道・沖縄開発庁長官、内閣官房副長官、衆議院外務委員長などを歴任。2002年、斡旋収賄などの疑惑で逮捕。起訴事実を全面的に否認し、衆議院議員としては戦後最長の437日間にわたり勾留される。2003年に保釈。2005年の衆議院選挙で新党大地を旗揚げし、国政に復帰。2010年、最高裁が上告を棄却し、収監。2019年の参議院選挙で9年ぶりに国政に復帰。北方領土問題の解決をライフワークとしており、プーチン大統領が就任後、最初に会った外国の政治家である。
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(参議院議員/新党大地代表 鈴木 宗男 構成=石井謙一郎)
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