アメリカは最初から負けていた…ホワイトハウスが20年間隠し続けた「正義の戦争」の不都合な真実
プレジデントオンライン / 2022年7月28日 10時15分
※本稿は、クレイグ・ウィットロック『アフガニスタン・ペーパーズ』(岩波書店)の一部を再編集したものです。
■アメリカの悲劇に全世界の支持が集まった
〔9.11から〕12日後の2001年10月7日、米軍がアフガニスタンに対して空爆を開始したとき、それがアメリカ史上最も長引く戦争になるとは――第1次世界大戦、第2次世界大戦、ベトナム戦争を合わせたよりも長くなるとは――誰も予想していなかった。
ベトナム戦争あるいは2003年にイラクで勃発することになる戦争とは異なり、アフガニスタンに対して軍事行動をとるという決定は、ほぼ一致した国民の支持に基づいていた。
アル=カーイダによる壊滅的なテロ攻撃に動揺し、激怒したアメリカ国民は、指導者たちが日本による真珠湾攻撃後と同様の決意で祖国を守ることを期待していた。
9.11同時多発テロの発生から3日もたたないうちに、米国議会は、ブッシュ政権がアル=カーイダとそのネットワークをかくまうすべての国に対して戦争に踏みきることを許可する法律を可決した。
北大西洋条約機構(NATO)は初めて「第5条」を発動した。攻撃を受けている加盟国を守るためのNATOの共同誓約である。国連安全保障理事会は「恐ろしいテロ攻撃」を全会一致で非難し、すべての国に加害者を裁判にかけるよう求めた。
敵対勢力までもがアメリカとの連帯を表明した。イランでは、数千人がろうそくを灯しての寝ずの祈りに参加し、強硬派は22年ぶりに、毎週の祈りの中で「アメリカに死を」と叫ぶのをやめた。
■自国の敗北を認めることができなかった
こうした強力な支援があったため、米国当局は戦争を正当化するために嘘をついたり作り話をしたりする必要はなかった。
にもかかわらず、ホワイトハウス、国防総省、国務省の指導者たちは、すぐに偽りの保証をしたり、戦場での失敗を隠したりしはじめた。歳月が経過するにつれて、隠蔽行為はより定着するようになっていった。軍司令官や外交官たちは、間違いを認め、公の場で明確かつ正直な評価をおこなうことが難しいと感じるようになった。
正義の名のもとに始まった戦争の戦況が悪化し、敗北しつつあることを、誰も認めたくなかった。ワシントンからカーブルまで、真実を隠蔽するための暗黙の陰謀が広まった。
怠慢はいやおうなく欺瞞へとつながり、最終的にはまったくばかげた結果を招くことになった。2003年と2014年に2度、米国政府は作戦の終了を宣言したが、それは現場の現実とは関係のない希望的観測が招いた出来事だった。
■「本当は負けていた」当局者たちの本音
自分の発言は公表されないと思いこんでいたため、米国高官たちは率直に語り、アフガニスタン復興担当特別監察官(SIGAR)に対してこう告白している(※) 。戦争計画には致命的な欠陥があり、ワシントンはアフガニスタンを近代国家に作り変えようとして数十億ドルを浪費した、と。
※軍関係者、外交官、アフガニスタン当局者など、戦争にかかわった数百人を対象に行われたインタビュー「学ばれた教訓」。国が将来間違いを繰り返さないように、アフガニスタンにおける政策の失敗の原因をつきとめることを目的に実施された。
インタビューはまた、蔓延する汚職を抑制し、優秀なアフガニスタン軍と警察を構築し、アフガニスタンで盛んなアヘン取引に打撃を与えるという米国政府の試みが失敗に終わったことを明らかにした。
インタビューを受けた人々の多くが、国民を故意に欺くため、米国政府が明確かつ持続的に尽力したことを語った。
彼らが述べたところでは、カーブルの軍司令部――そしてホワイトハウス――の高官たちは、明らかにそうではなかったにもかかわらず、米国が戦争に勝っているように見せるために、日常的に統計を歪めていた。
■「まともな戦略や計画は存在しなかった」
驚いたことに、司令官たちは、まともな戦略もなしに戦争をしようとしていたことを認めた。
「作戦計画はなかった。とにかくそういうものは存在しなかった」。そう不満を述べるのは、ブッシュ政権〔2001年~2009年のジョージ・W・ブッシュ政権〕時代に米軍司令官を二度務めたダン・マクニール陸軍大将である。
「一貫した長期的戦略はなかった」と語るのは2006年~2007年に米軍およびNATO軍を指揮したイギリスのデビッド・リチャーズ将軍だ。
「われわれは単一の首尾一貫した長期的アプローチを――すなわち適切な戦略を――手に入れようとしていたが、その代わりに手に入れたのはたくさんの戦術だった」。
その他の高官たちによれば、アメリカは最初から戦争でしくじっており、失敗を犯したうえに、誤判断や誤算を重ねていたという。
■「無駄だったなんて言えない」米兵2300人が死んでいった
「われわれは自分たちが何をしているのかわからなかった」と語るのは、ブッシュ政権で南アジアおよび中央アジアを担当したトップ外交官、リチャード・バウチャーだ。
同様に「われわれは自分たちが何をしているのか、皆目見当もつかなかった」と口にするのは、ブッシュおよびオバマ政権下でホワイトハウスの「戦争の皇帝」〔イラクとアフガニスタンでの軍事作戦を統括する大統領補佐官および国家安全保障問題担当副補佐官の、マスコミでの呼び名〕ダグラス・ルート陸軍中将だ。
ルートは、ひじょうに多くのアメリカ兵が命を落としたことを嘆いた。それどころか、中将として守るべき慣習を大きく逸脱して、ルートはさらに、政府がそれらの犠牲を無駄にしたことを示唆した。
「アメリカ国民がこの機能不全の大きさを……2400人の命が失われたことを知っていたら」とルートは言った。「まさかそれが無駄だったなどと誰が言えるだろう?」。
20年以上のあいだに、77万5000人以上の米兵がアフガニスタンに配置された。そのうちの2300人以上が現地で死亡し、2万1千人が負傷して帰還した。米国政府は、戦争関連費用の包括的な合計を計算していないが、1兆ドルを超えているというのが大方の見積もりだ。
■「ターリバーンの能力は低下している」はウソだった
当初、ワシントンの多くの高官たちは、ターリバーンが深刻な危機をもたらす可能性があるとは信じがたいと感じていた。現場の一部の軍指導者でさえ、ターリバーンを過小評価し、地方の小地域を支配しているかもしれないが、カーブルの政府には脅威を与えないと考えた。
「ターリバーンの能力は大幅に低下しているとわれわれは思っていた」と2004年から2005年までアメリカ軍特別部隊の副司令官を務めたバーナード・シャンプー准将は、陸軍の口述歴史インタビューで語った。
2005年にヘルマンド州で勤務した特殊部隊の大尉、ポール・トゥーランは、多くの米国当局者が戦争を平和維持と復興の任務だと誤解していた、と述べた。トゥーランは、戦闘が激化し、ターリバーンがその火力を強化していることを、耳を傾けてくれる人なら誰にでも説明しようとした。「われわれが正しく対処しなければ、やつらに長年ここで苦しめられつづけることになるだろう」とトゥーランは警告した。
■「もう1つの9.11が起きる」警告は無視された
しかし、ブッシュ政権は内部からの警告を抑えこみ、公の場で戦争を美化した。2005年12月のCNNのトークショーにおける司会者ラリー・キングとのインタビューで、ラムズフェルドは、万事うまくいっているので、国防総省はまもなく2千人から3千人のアメリカ軍部隊を帰還させる、と述べた。それはアフガニスタンに駐留する部隊の約10パーセントに相当した。
「あの国で達成されている進歩の直接の結果だ」とラムズフェルドは宣言した。
しかし、2カ月後、ラムズフェルドのオフィスおよびワシントンの他の高官たちは、駐カーブル大使から別の機密の警告を受けとった。2006年2月21日の悲観的な電報の中で、〔カーブル大使の〕ニューマンは、「今後数カ月で暴力が増加するだろう」と予測し、カーブルやその他の主要都市でさらに自爆テロが発生するだろうと述べた。
ニューマンはパキスタンのターリバーンの聖域を非難し、次のように警告した。もしもこれを対処しないままにしておくと、「4年以上前の介入へと……われわれを促したのと同じ戦略的脅威がアメリカにふたたび出現する可能性がある」――言い換えれば、もう一つの9.11だ。
■まるで民主化が進んだかのような宣伝が続いた
この電報の中で、ニューマンは、もし予測に対処しなければ、国民の支持が衰えるのではないかという恐れを表明した。「いきなり驚かないように、そしてすべてが逆転したと見えないように、アメリカ国民に覚悟させておくことが重要だと私は思った」とニューマンは外交口述歴史インタビューで語った。
しかし、国民はブッシュ政権からそのような率直な話を聞くことはなかった。大使が電報を送った直後のアフガニスタンへの大統領訪問で、ブッシュは暴力のレベルが上昇したとか、ターリバーンが復活した、といったことには言及しなかった。その代わりに、民主主義と報道の自由の確立、女子のための学校の設立、起業家階級の成長、といった改善点を宣伝した。
「われわれはあなたの国の進歩に感銘を受けた」とブッシュは3月1日の記者会見でカルザイに語った。
■戦争の縮小を訴えるも拒否されてきた
ブッシュ、オバマと同じように、トランプはアフガニスタンで勝つという約束を果たすことができなかった。あるいは、彼が「永遠の戦争」として嘲笑したものを終わらせることができなかった。
代わりに、彼は未完の作戦を自分の政治的ライバルであるジョセフ・バイデンに手渡した。バイデンはアメリカ史上最長の武力紛争を監督する4番目の最高司令官である。
バイデンは20年間、戦争の弧を綿密に追いかけており、2002年の初めにアメリカ上院議員として初めてアフガニスタンを訪れた。ブッシュ政権時代には、国を安定させるためにアフガニスタンにもっと多くの部隊と資源を送ることを要求した。
しかし、2009年にオバマの副大統領になる頃には、バイデンはアメリカがアフガニスタンで何を成し遂げることができるかについて、懐疑的になっていた。
ホワイトハウスでの内部審議において、バイデンはオバマに、戦争を拡大した費用のかかる対反乱戦略を拒否するように促し、代わりに部隊の増派の小規模化を要求した。2011年、オバマに対して、海軍の特殊部隊、シールズをパキスタンに送ってウサーマ・ビン・ラーディンを追い詰めないように助言し、任務は危険すぎると主張した。どちらの場合も、彼の助言は無視された。
■開戦20年を機にバイデンが約束したこと
2021年1月に大統領に就任するとすぐに、バイデンはブッシュ、オバマ、トランプを悩ませていたのと同じ難問に直面した。
彼が残りのアメリカ軍を帰国させた場合、ターリバーンは権力を取り戻す絶好のチャンスに立ち、アメリカは敗北してアフガニスタンを去る、1世代で2番目の超大国になる危険を冒すことになる。
代替案は、トランプの反乱勢力との合意を破り、カーブルの無力で腐敗した政府を支えるために、アメリカ軍を無期限に駐留させておくことだった。
3カ月間、バイデンは別の方法を探した。バイデン政権は、ターリバーンとアフガニスタン政府に、行き詰まった交渉を加速し、地域の大国との首脳会談を開くように促した。しかし、その努力はほとんど期待されず、支持も得られなかった。
4月14日、バイデンはその決意を表明した。ホワイトハウスの条約室からの演説で、2021年9月11日までに――9.11攻撃の20周年――すべてのアメリカ軍をアフガニスタンから撤退させることを約束した。
■こうして史上最長の戦争を終わらせた
前任者たちとは異なり、バイデンは20年間の戦争に冷徹な評価を下した。結果を勝利として美化しようとはしなかった。
代わりに、アメリカはアフガニスタンのアル=カーイダの拠点を破壊することによって、ずっと前にその当初の目的を達成した、と彼は言った。そして、2011年5月にウサーマ・ビン・ラーディンを殺害した後、アメリカ軍は立ち去るべきだった、と示唆した。
「それは10年前のことです。そのことについて考えてみてください」と彼は言った。
ホワイトハウスでの演説の後、バイデンはポトマック川を渡り、アーリントン国立墓地を訪れ、戦没者に敬意を表した。どんよりした空の下、たたんだ黒い傘を持って、アフガニスタンおよびイラク戦争に参加した兵士たちが埋葬されている墓地の第60区画をゆっくりと歩いた。記念の花輪の前に立って、十字を切り、敬礼をした。それから遠くのほうを見つめ、何列にもなって並ぶ白い大理石の墓石を見渡した。
「信じがたいことだ」と彼はつぶやいた。「彼らすべてを見ろ」。
----------
1968年、ニューヨーク州生まれ。ワシントン・ポスト紙、調査報道記者。2019年にはアフガニスタンに関する報道でジョージ・ポルク賞軍事報道部門、スクリップス・ハワード賞調査報道部門、調査報道記者と編集者の情報の自由賞、ロバート・F・ケネディ・ジャーナリズム賞国際報道部門を受賞。これまで60か国以上で取材を行い、ピューリッツァー賞の最終選考に3度ノミネート。メリーランド州シルバー・スプリングに暮らしている。
----------
----------
翻訳家
訳書に『アフガン侵攻1979-89 ソ連の軍事介入と撤退』(白水社)、『一四一七年、その一冊がすべてを変えた』(柏書房)、『ピュリツァー賞受賞写真全記録第2版』(日経ナショナルジオグラフィック社)、『ぼくはいかにしてキリスト教徒になったか』(光文社)など多数。
----------
(ワシントン・ポスト紙記者 クレイグ・ウィットロック、翻訳家 河野 純治)
外部リンク
この記事に関連するニュース
-
震災対応で世界への感謝足りなかった 心の支えとなったテイラーさんの両親 話の肖像画 元駐米日本大使・藤崎一郎<9>
産経ニュース / 2024年9月10日 10時0分
-
米のアフガン撤収「安全より外見を優先」 共和主導の下院外交委、討論会を前にトランプ氏援護射撃
産経ニュース / 2024年9月10日 7時50分
-
「ドルの武器化」という禁忌を侵したバイデン大統領を許さない…アラブ諸国がトランプ氏の再登板を望む本当の理由
プレジデントオンライン / 2024年9月9日 8時15分
-
トランプ氏、アフガン撤退巡りハリス氏批判 「混乱の責任追う」
ロイター / 2024年8月27日 7時59分
-
ロシア領侵攻でゼレンスキーは「勝ち馬」になれるか プーチン政権と軍部の溝も拡大中
東洋経済オンライン / 2024年8月21日 20時0分
ランキング
-
1遺体の頭を金属の棒で突き、頭蓋骨が崩れる…岐阜市斎苑「きれいに火葬するためだった」
読売新聞 / 2024年9月20日 12時33分
-
2歌舞伎町で若い男女2人死亡 ホテルの外階段から転落か
毎日新聞 / 2024年9月20日 11時17分
-
3「10・27衆院選」は小泉進次郎首相になっても困難か "本命"「11・10」だが、米大統領選後解散の可能性も
東洋経済オンライン / 2024年9月20日 9時30分
-
4死亡女児「知人に預けた」と説明 殺害疑いの24歳無職父親、群馬
共同通信 / 2024年9月20日 10時58分
-
5官僚に聞いた「首相になってほしい人物/なってほしくない人物」。“高圧的”と噂のある候補は軒並み不人気
日刊SPA! / 2024年9月20日 8時54分
記事ミッション中・・・
記事にリアクションする
記事ミッション中・・・
記事にリアクションする
エラーが発生しました
ページを再読み込みして
ください