「戦争は始めるより終わらせるほうが難しい」独裁者ヒトラーを生んだ"世界最悪の平和条約"
プレジデントオンライン / 2022年8月2日 12時15分
※本稿は、出口治明『戦争と外交の世界史』(日経BP)の一部を再編集したものです。
■日露戦争を終わらせたい伊藤博文が頼った相手
1904年に日露戦争が始まったとき、明治政府の元老だった伊藤博文はただちに前司法大臣の金子堅太郎をアメリカに派遣しました。金子はハーバード大学に留学したとき、セオドア・ルーズベルトと同窓でした。そのとき以来、金子とルーズベルトは親友でした。そして日露戦争が始まったとき、ルーズベルトはアメリカ大統領だったのです。
この関係を知っていた伊藤博文は、金子にルーズベルトとの旧交を温めさせ、日露戦争を早期に終わらせるよう斡旋してくれることを、ルーズベルトに依頼する任務を託したのです。国内に革命の危機につながる政治不安があっても、当時のロシアは世界に名だたる強国でした。総合的な国力を考えれば、本来、日本の勝ち目はうすい戦争です。
伊藤博文は痛いほど、このことを熟知していたので、なるべく早く有利な条件で停戦条約を結ぶことが、日本の死活にかかわることだと考えていました。戦争の早期終結のために、当時、日の出の勢いで国力を増大させている大国、アメリカに一役買ってもらおうと画策したのでした。
■ポーツマス条約を結べただけで大成功のはずが…
伊藤の目論見は成功しました。ロシアはルーズベルトの斡旋に応じ、両国は1905年にポーツマス条約を結んで講和しました。日露戦争が始まった時から、終結に向けてしっかりした計画をして策を立てた伊藤の外交センスは特筆に値すると思います。
けれどそれから第二次世界大戦で無条件降伏するまでの、日本の外交戦略はまったく別の国家になったように、無策で稚拙でした。
また政府も報道機関も、日露戦争の実情を国民に開示しませんでした。すなわち、1年間の総力をあげた戦いで日本は、戦力も戦費も兵力も底をつき、ほとんど継戦能力が無くなっていたので、もしロシアが新しい戦力を投下してきたら、敗戦の可能性が極めて高かった。だからともかく停戦し、一定の戦果があっただけで良かったのだという事実を、国民には知らせなかったのです。
■日本人はアメリカを逆恨みし、アメリカでは日本脅威論
その代わり、「我が軍は宿敵ロシアを叩きつぶした」といった論調の情報ばかりを流しました。祖国のため、多くの若者の命を失った国民は、その事実を知らなかったので、賠償金も取れなかった講和に怒りました。そして日比谷公園の焼き討ち事件まで起こしています。
さらに日本政府も報道機関も、停戦のために尽くしてくれたルーズベルト大統領の努力を、きちんと国民には伝えなかったのです。そのため、日本が賠償金も取れないような講和条約を結ばされたのはアメリカのせいだという、アメリカを逆恨みする声まで生じました。このために、それまで日本びいきであったルーズベルトの親日感情は無くなり、やがてアメリカ全体に日本脅威論が生まれる原因となります。
たとえば激烈な市場獲得競争を続けてきた企業同士が、手打ち式をやったとします。そのとき、どこかの銀行が仲介の労を取ってくれたとします。しかしこのとき、たとえ円満に解決したとしても、手打ちの経緯や背景について、従業員に何も知らせなかったら、どうなるでしょうか。想像してみてください。
「終わらせる」とはどういうことか。戦争に関係したすべての人に、情報の共有化を徹底することが大切だと考えるべきでしょう。
■ケンカ(戦争)の後の仲直りの仕方(平和条約)が難しい
職場における出世競争や恋人の争奪戦など、僕たちの人生には望まずしてケンカ状態に巻き込まれることも少なくありません。このようなとき、円満に仲直りし将来も良好な人間関係を続けていくためには、次のようなことが必要になると思います。
もつれた糸をほぐすには、ケンカの原因を冷静に考えてお互いの非を認め合うことが大切です。それと同時に、相手の心を思いやる心遣いも大切になるでしょう。
出世競争に敗れたり恋人を奪われてしまったりすると、ともすれば冷静になれず、そのために相手をきちんと正視せず、憎しみの感情で評価するなど、偏見でしか見られなくなります。これでは怨念ばかりが残って、仲直りにはなりません。
■左遷されても絶望しなかったのは世界史を知っていたから
僕自身の体験でいえば、最初に働いていた会社で将来の企業方針について、トップと異なる企画を考えていたことが引き金となって、まったく別業種の会社に異動させられたことがありました。
正直なところ適材適所ではないと思いましたが、そのときの僕を救ってくれたのは、世界史の知識でした。実に多くの優秀な政治家や軍人が、理不尽な理由で左遷されたり殺されたりした事実を知っていたからです。それに比較すれば自分のケースなど、ささいなことだと思ったからでした。
僕が体験したような勝算のない異動でも絶望しないためには、世界の知恵を広く深く身につけておくことだと思い、このような体験を話しました。理不尽な状況に置かれても自分を失わないタフネスは、豊富な知的財産から生まれると思います。換言すればそれが、最善の仲直りの仕方を導いてくれるのではないでしょうか。
■平和条約ワースト・ワンはヴェルサイユ条約
世界史の大きな戦争の後で、立派な平和条約が結ばれた例は残念ながら少ない。本著を読んで頂くと、そのことに気づくと思います。逆に悪しき例はたくさんあります。その中でワースト・ワンといえば、第一次世界大戦後のヴェルサイユ条約かもしれません。
自ら提案した「14カ条の平和原則」を、会議の主題にしようと考えていたアメリカ代表のウィルソン大統領、ドイツに対する怨念だけに凝り固まったフランス代表のクレマンソー首相、自国の利害だけ考えていた大英帝国代表のロイド・ジョージ首相。考えてみると、英仏米の3カ国首脳は、戦争全体の総括と敗戦国の罪状の分析そして敗戦国民の心情の理解など、戦勝国側が検討すべき項目についてどこまで追求したのか。その点に大きな疑問が残ります。
これでは戦争後の効果的な平和条約など、構築できなかったのは当然ではないか。
その結果として締結されたヴェルサイユ条約は、ヒトラーを生み出す最大の原因となってしまいました
逆に優れた平和条約として記憶すべきひとつに、澶淵(せんえん)の盟がありました。軍事力は強大ですが文明に遅れを取っているキタイと、圧倒的な文明大国であった宋が結んだ条約でした。宋が兄となりキタイが弟となるODA型の同盟として、今日的意味でも評価されています。両国はこのシステムで、300年の平和を築きました。
さらに付記しますと、ヴェルサイユ体制の反省の上に立ち、第二次世界大戦後、今日の世界体制を支える国際連合とIMF・世界銀行を設立した人物として、フランクリン・ルーズベルトを忘れたくはありません。
■タレーランの理念に支配されたウィーン会議
理念のある者とない者が交渉した場合、理念のある者のペースになりがちである――。
ここで言う理念とは、筋の通った考え方とか納得がゆく理屈と考えても、あるいはもっと高次元の思想や信仰と考えてもいいかと思います。どのようなテーマの交渉ごとであっても、明確な理念が示せる側が有利であるということです。
ナポレオンが敗退した後で開催されたウィーン会議のフランス代表、タレーランの正統主義を思い出してください。
「いま必要なことは、すべてをフランス革命以前のヨーロッパに戻すことである」
このタレーランの理念に、ウィーン会議の参加国はみんな説得されてしまいました。ヨーロッパを血で染めたナポレオン戦争の震源地であったフランスが何ひとつ失うことなく、ヨーロッパは王政復古してウィーン会議は終わりました。タレーランの主張は彼の理念であったのか、フランスの国土を守るための方便にすぎなかったのか。
いずれにしても人間は、どのような場合であっても筋の通った理念で一貫して主張されると、ついつい納得してしまいがちなのです。マクロンの『革命』(ポプラ社)を読むとそのことがよく分かります。
■戦争の歴史から学べる「理念と順序の大切さ」
ヨーロッパの各国は昔から、さほど広くない大陸にひしめきあいながら競い合い、外交戦術や交渉技術を高めてきました。その知恵をアジアやアフリカを侵略するのに、役立ててきました。
理念は僕たちの日常の仕事の上でも、必要不可欠です。そのとき、何を言うべきかは大切ですが、それと同時に何を言わないでおくかも重要なことです。そして言うべきことの順序も考える必要があると思います。
囲碁や将棋の世界には「手順前後」という言葉があります。いかに有効な攻撃方法であっても、打つ手の順番を間違えると意味をなさない、という意味です。いずれにせよ、いかなる交渉ごとにおいても自分の理念を持つことは交渉ごとの必須条件であると考えてください。
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立命館アジア太平洋大学(APU)学長
1948年、三重県生まれ。京都大学法学部卒業後、日本生命保険に入社。2006年、ネットライフ企画(現・ライフネット生命)を設立、社長に就任。12年に上場。18年からは立命館アジア太平洋大学(APU)学長に就任。ベストセラー『還暦からの底力』など著書多数。近刊に『戦争と外交の世界史』(日経BP)がある。
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(立命館アジア太平洋大学(APU)学長 出口 治明)
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