8月15日を「終戦の日」と思っているのは日本人だけ…「玉音放送」のあとも侵攻が止まらなかった本当の理由
プレジデントオンライン / 2022年8月14日 10時15分
※本稿は、貴志俊彦『帝国日本のプロパガンダ』(中公新書)の一部を再編集したものです。
■「玉音放送=戦争終結」ではなかった
日清戦争から約50年間つづいた「戦争の時代」は、いつ終わったのだろうか。
まず思い浮かぶのは、8月15日の、いわゆる「終戦の日」である。映画にもなった半藤一利の小説『日本のいちばん長い日』によって、8月14日の宮城事件(クーデター未遂事件)から翌15日の昭和天皇の「玉音放送」までの2日間に、戦争終結をめぐる攻防があったことはよく知られている。
では「玉音放送」が、戦争の終結であったのだろうか。政府・軍部でポツダム宣言の受諾が決定されたのは、確かに前日の8月14日に開かれた御前会議の場であった。しかし、15日の「玉音放送」は、昭和天皇が国民に向けて無条件降伏を受諾する意図があることを伝えた放送にすぎなかった。連合国側にとって実効性はなかったのである。
2番目にあげられる「終戦」の日は、米戦艦ミズーリ号上で降伏文書に調印がおこなわれた1945年9月2日である。天皇および政府の命により外務大臣重光葵、大本営(「大本営令」は11月30日に廃止)の命により参謀総長梅津美治郎の2名が全権代表となった。無条件降伏の具体的な内容は、日本軍および日本国民による敵対行為の停止、軍用・非軍用資産の温存、連合国軍最高司令官のすべての要求の執行など。これらの実行を帝国日本が約束するというものである。
降伏文書をもとに、同日に昭和天皇は「降伏文書調印に関する詔書」を発布。日本軍の武装解除が命じられる。この詔書に基づいて、陸海軍は武装解除するとともに、1945年11月に陸海軍両省は廃止され、翌月に陸軍省は第一復員省、海軍省は第二復員省に改組された(「朝日」1945年12月1日)。
■3つ目の終戦日候補は“4月28日”
しかしながら、この降伏文書は日本の無条件降伏を含めたポツダム宣言の受諾を定めたものであったために、連合国の対日戦闘行為を停止するかどうかは明文化されていない。
3番目にあげられるのは、日本と連合国との間で締結されたサンフランシスコ平和条約が発効した1952年4月28日である。平和条約の第1条には、日本が主権国家として「独立」するとの一文の前に、「日本国と各連合国との間の戦争状態は、……〔この条約が〕効力を生ずる日に終了する」とある。これによって、英米両国をはじめ、48カ国の調印国との間で終戦が了解されたわけである。一方、この条約に調印(批准)しなかった国々については、後述する。
では、日本の主権が回復したこの4月28日は、国民にどのように捉えられていたのだろうか。それを示唆するのが、図版1の記事に挿入されている、那須良輔の風刺画である。吉田茂首相が国民大衆をほったらかしにしたまま、「追放解除組」や「脱税組」と乾杯している挿絵には、台頭する旧勢力を茶化す意図が込められている。
![「毎日」日華条約締結の記事 1952年4月28日](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/3/d/1200wm/img_3de571c1bc6ec233f4fa6f9438f5db19391873.jpg)
那須といえば、日中戦争開戦の翌1938年に実業之日本社の従軍記者として中国に渡り、本隊から漢口(かんこう)の司令部報道班に転属して地元民向けの宣伝ポスターや宣伝ビラ(伝単)を作った人物として知られる。
帰国後は大本営参謀本部で宣伝ビラに漫画を描くなどプロパガンダ・メディアの製作にも従事。戦中にプロパガンダ工作に従事した那須のような人物でさえ、飢餓の時代を経て日本が迎えた主権回復には冷ややかな目を向けていたのである。
■平和条約に調印しなかった国々との決着
対戦国との「終戦」の問題について、もう少し掘り下げてみたい。
日本政府は、サンフランシスコ平和条約に調印(批准)しなかった/できなかった国々――ソ連、中華民国、中華人民共和国、大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国、フィリピン、ビルマなどとは、個別に外交交渉を進めていく。戦後賠償をODA(政府開発援助)に代替させるなどして、外交関係の樹立や平和条約の締結を進め、各々と「終戦」を結実させている。
たとえば、日本と中華民国の場合、1952年4月28日のサンフランシスコ平和条約発効と同日に、日華平和条約が締結された(図版1)。第1条には、日本国と中華民国との間の戦争状態は、この条約が効力を生ずる日(8月5日)に終了すると明記されている。
ところが、1949年に大陸の「中国」を継承した中華人民共和国との関係は未定のまま。のちに冷戦下の米中宥和(ゆうわ)の流れのなかで、1972年9月29日に中国とは日中共同声明が調印され、国交が結ばれる。図版2の記事には「戦争終結を確認」という言葉が見られる。日中共同声明によって、ようやく日中両国の「不正常な状態」=法的な戦争状態が終了したのである(川島真・貴志俊彦編『資料で読む世界の8月15日』)。
![日中平和友好条約締結の記事 1972年9月29日](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/1/f/1200wm/img_1f58ece6878012689e331ec75cfec9ab397576.jpg)
■いまだに“停戦状態”が続いている国がある
同時に次のようにも考えられる。
![貴志俊彦『帝国日本のプロパガンダ』(中公新書)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/3/6/1200wm/img_3672f3453382a204a0687a3e34f00b2d229720.jpg)
日本は1945年に片務的に「終戦」を唱えたものの、中華人民共和国は建国の1949年から20年あまり、日本との関係を停戦状態にあると認識し、有事の準備を怠っていなかった。
中華人民共和国に限らず、サンフランシスコ平和条約に調印(批准)しなかった国々は、日本との間で平和条約を調印するまで、いずれも同様な認識を持っていたとも考えられる。朝鮮民主主義人民共和国とは、いまだに停戦状態がつづいている、といえようか。
さらに、沖縄の場合を見てみよう。沖縄の「終戦」は、日本本土よりも早く、1945年9月7日に宮古島の第28師団の納見敏郎中将、奄美大島の陸軍少将高田利貞、海軍少将加藤唯男らが米軍に対して降伏文書に署名したときだといわれている。しかし、1972年5月15日に日本への本土復帰を果たすまで、米軍による軍政統治がつづく。
■北方領土に“戦後”はまだ来ていない
このように、「終戦」のあり方はじつに多様であった。それは国内各地域によって様相が異なっていたことにも見られる。
背景にあったのは、東西冷戦の影響である。日本本土は1952年に主権が回復したものの、沖縄の状況は先述したとおりであったし、伊豆諸島(1946)、トカラ列島(1952)、奄美群島(1953)、小笠原諸島(1968)、北方四島(未返還)は、1945年以降も米国やソ連の占領が継続していた(カッコ内は本土復帰の時期)。
また、「終戦」の受け入れ方も、各地で違ったものであった。日本国内では、米軍によって原爆が投下された広島や長崎、直接の戦争の場となった沖縄、大規模な空襲を受けた東京、横浜、大阪、名古屋、北九州など。これらの都市と、空襲をほとんど経験しなかった札幌、福島、京都、金沢、松江などとは、占領統治への感情や思いに違いがあったのは当然であったろう。
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京都大学東南アジア地域研究研究所 教授
1959年兵庫県生まれ。広島大学大学院文学研究科博士課程後期単位取得満期退学。島根県立大学教授、神奈川大学教授、京都大学地域研究統合情報センター教授などを経て、現在、京都大学東南アジア地域研究研究所教授。東京大学大学院情報学環客員教授、日本学術会議連携会員、日本学術振興会学術システム研究センター主任研究員などを兼業。専門は東アジア近現代史。著書に『満洲国のビジュアル・メディア』(吉川弘文館)、『東アジア流行歌アワー』(岩波書店)、『アジア太平洋戦争と収容所』(国際書院)などがある。
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(京都大学東南アジア地域研究研究所 教授 貴志 俊彦)
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