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「元ファーストレディー」安倍昭恵さんは、この先の人生をどう生きるのか

プレジデントオンライン / 2022年8月11日 11時15分

安倍晋三元首相のひつぎをのせた霊柩車で通夜の行われる東京都港区の増上寺に向かう妻の昭恵さん。2022年7月11日撮影 - 写真=AA/時事通信フォト

安倍晋三元首相が銃撃され亡くなってから1カ月余り。妻、昭恵さんの動向にも注目が集まっている。以前、執筆した記事について昭恵さん本人から連絡を受けたというコラムニストの河崎環さんは「これからも、『モリカケ』などの大きな問題を引き起こした元ファーストレディーであるという事実は消えない」という――。

■MORINAGAへの屈折した思い

後述するちょっとした事情があって、私は個人的に森永乳業・森永製菓の製品に対して屈折した思いがある。不買運動だなんて、そんな大層なことは考えない。哲学的でもなければ政治的ですらない。ちょっとした、ごく個人的で卑近で矮小(わいしょう)なわだかまりというか、「森永ほど日本を代表する大食品グループなら、私なんかが数百円買わなくたって、十分に売上あるじゃない?」というほとんどただの僻(ひが)みから、同じようなものがあるならば競合他社製品を買おうとする。だが私一人がそんな消費行動をとったところで、塵や花粉、いやウイルスレベルの選好にすぎず、すなわち日本を代表する食品会社、大企業森永グループからすれば「無」である。

というのも、日本の食品界というのは、国民に長く愛される、優れた森永製品であふれ返っているのだ。

「マウントレーニア カフェラッテ」や「リプトン」の紅茶飲料が森永乳業だって、ご存じでした? 私が「これなしではティータイムにあらず」と信じているおいしいバタークッキー「チョイス」は森永製菓で、同じほどの高コスパ製品は他に見当たらない。幼い頃から親しんできた「チョコボール」も「ハイチュウ」も、ヨーグルト「ビヒダス」も森永だ。「チョコモナカジャンボ」のない日本の夏なんて、夏じゃない。「ピノ」はハートや星型が当たると小さく嬉しいんだよねぇ。そうか、クラフトやフィラデルフィアのチーズ製品は、日本では森永乳業だったのか……。そして私なんかがどう抗(あらが)おうとも、ココアはやっぱり森永なのである!

そして所詮(しょせん)はうっかりぼんやりした人間である私は、いつもおいしく食べたり飲んだりしてから、ふと手の中のパッケージの隅に羽を広げた天使のマークと「MORINAGA」の文字を発見し、「これも森永か……」と悔しがる日々である。

モリナガ・イズ・エブリウェア(森永はあちこちに存在する)。すみません森永さん、やっぱり御社すごいです、日本国民の食生活をこんなに豊かにして下さってありがとうございます。他社のを買うぞなんて言ってごめんなさい、ぜひ今後ともお世話にならせてください……(弱い)。

カンのいい読者の皆さんなら、既にお分かりであろう。私が森永製品に屈折した抵抗を見せるのは、そう、森永が元首相夫人・安倍昭恵さんの実家という、うっすらとした苦手意識からである。

■ファーストレディーの社会的責任

2020年5月のことだ。コロナ感染拡大が深刻化し、当時の安倍政権の判断によって、日本は初の緊急事態宣言下にあった。この連載コラムではその頃、週刊誌で報道され、事情を知る人々から私の耳にも入っていた安倍昭恵さんの「社会貢献活動」に苦言を呈したのである。(「日本のファーストレディー安倍昭恵が、国家の緊急事態に超KYな行動に走るワケ」)

新型コロナウイルスの感染拡大が深刻さを増す中、日本のファーストレディーたる安倍昭恵さんの周辺がまた賑やかになった。森友学園問題で、国有地売却に関する文書改ざんへの関与に苦しみ、自殺した近畿財務局職員・赤木俊夫さんの遺書が公開されて、2017年のいわゆる「モリカケ劇場」における安倍昭恵さんのプリマドンナぶりを思い出した人も多かっただろう。

そこに、コロナ禍という言葉も定着して国民が広く自粛要請を受け入れ始めた3月下旬にセレブリティーを集めて開催していた花見社交パーティーが露見し、さらに3月中旬、安倍首相の「コロナ警戒発言」翌日に催行された50人規模のスピリチュアル大分旅行もすっぱ抜かれ、それを報じるマスコミ側も額に青筋を立てて追及をするというよりは、理解に困り「何を考えているんだ?」と純粋に当惑している様子がありありとわかる。


重大な社会的責任と人生の行く末を共有しているはずの夫でさえも、側近でさえも、取り巻く友人さえも、誰も本気で怒らず苦言を呈さず安倍昭恵さんの交友や言動の天衣無縫ぶりを泳がせるということは、誰も彼女の存在や影響力を重要視しておらず「存在を軽視されている」ということなのではないのだろうかと、私は彼女に対してしばしば寂しさを感じるのだ。


なぜ、ファーストレディーには「お嬢さん育ちだから仕方ない」が成立してしまうのか?

かなりキツいことを書いたのは、私は、象徴たる皇室の女性像や配偶者像にはほぼ意見を持たないが、国民に選挙で選ばれ、しかも国政を率いる首相の、配偶者なる立場の人には、むしろ大いに社会的責任があると極めてシビアに考えていたからだ。

その頃、私は怒っていたのである。仮にも民主主義国家の私たちは、あなたの夫を選挙で(間接的に)首相として選んだかもしれないが、あなた(夫人)に票を投じたのではない。なのにその立場を「私は総理の妻ですから、私の知名度をどんどん使ってください」と利用し、夫の把握していない「社会貢献活動?」を展開した結果が、「モリカケ」や有象無象の「スピリチュアル」だったのか、と。

国会議事堂
写真=iStock.com/Korekore
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Korekore

■「夫人」の肩書はどう使うべきなのか

明治以来、男性優位で構築されてきた日本社会が根底に持つVIPの妻、「○○夫人」なる立場の女性たちに対する独特の視線は、女性の地位や、女性なる存在に対する価値観を著しく損なってきた。夫の権力を妻の側にも無条件に劣化コピーして渡すことで、それは結果的に「女は(結婚さえうまくいけば)愚かでもいい」との歪んだ社会的合意を生んだ。

自分の手柄ではない、自分の仕事でもない、夫の肩書きに「夫人」をつけて名乗り社交に生きる女性が、ひと昔前までの日本では「いいところの奥様」としてうらやまれたのかもしれない。だがそれを、男女が平等に就職し、結婚出産後も当たり前に仕事を続ける共働き世帯がマジョリティーを占める現代の価値観では、「他人の褌(ふんどし)で相撲を取る」という。

ファーストレディーの社会的責任、それは「(自分が国民から選挙で与えられたわけではない)“総理の妻”としての知名度を利用しようとチヤホヤ群がってくる民に請われるまま、あちこちに名前を貸して回る」ことではない。

仮にも私たちが参政権を行使した結果としての総理の仕事を邪魔せず、公式の場で配偶者として傍らに立つことを求められるときは「夫人」の顔でその役割をまっとうし、だがその舞台以外では「夫人」の人生ではなく、独立に高潔に自分個人の人生を生きることではないのか。だがそのためには、妻が「夫とは独立した何者かであること」が前提となるのだが。

私が発表したコラム記事は、現代の多くの老若男女から「よく書いてくれた」とのコメント、反響を頂戴した。自民党や安倍首相(当時)への支持者からも、そうでない人からも。保守革新関係なく、同じように思っている人々は多かったのだと、私は知った。

■直接届いたメッセージ

すると、当時まさに渦中の人だった安倍昭恵さん本人から、私のSNSへ直接メッセージ(DM)がきたのである。しかもぼんやり生きている私がなかなか気づかないので、間に人を介して「読んでください」とわざわざ知らせてこられるほどだった。

私信となるので詳細は省くが、批判したりまさか脅したりされるではないにせよ「記事を読みました」「どういう方なのかな……と思って」との内容に、もちろんご本人が記事を愉快に思われたわけがないということが伝わってきた。

それで、私は再びひどく失望したのである。

「だから、そういうところなんですけど……」

ウェブであれ週刊誌であれ何であれ、公のメディアに署名で記事なりコラムなりを書いている筆者を「(当時)現役の首相夫人が」ネットで検索し、直接二者間のDMを送ってしまう。

これは匿名のブログ記事ではない。Twitterのアカウントで無責任に好き勝手に吠えているのでもない。公器であるメディアで、きちんと編集者からテーマの打診があり、それに筆者が応えて執筆し、編集者やデスクや編集長、編集部内の校正と内容チェックを経て、「筆者と編集部の調整・合意のもと」、この媒体の正式な記事として世に公開され、原稿料が発生しているものである。

■昭恵さんへの返事

炎上上等の物書きキャリア20年超、自分の「作品」である記事についてお話しさせていただくのは、正門を叩いて来られた客人のみだ。

「正式に公開されている記事へのお問い合わせ」は、その媒体へ正式にお問い合わせください。編集部で正式に扱わせていただきます。私は、「ご連絡ありがとうございます」としながら、安倍昭恵さんへそうお返事をした。そしてこのプレジデントオンライン編集部に「このようなことがありました」と経緯を報告し、マスコミ人としての使命感から、一番売れている週刊誌と老舗のワイドショーにも相談した。社会人の基本、報告連絡相談のホウレンソウである。

■「元ファーストレディー」の今後

安倍晋三元首相が、旧統一教会に恨みを持つ山上徹也容疑者の手製銃から発された凶弾によって帰らぬ人となったのは、もう約1カ月前のことになる。憲政史上最長政権を担った元首相。経済重視の安定保守政権ゆえの順当な国力復調を支え、いまだ激しい論争を呼んではいるが、新しい日本の方向性を明確に示すリーダーシップを発揮した、平成令和日本を代表する政治家。政治的な賛否は一旦措(お)き、その貴重な命が理不尽にも奪われたことに無念を感じ、心から哀悼の意を表したい。

事件当初、世論はこれを政治テロと捉えた。「民主主義への挑戦」「言論封殺だ」「政治は暴力には屈しない」との反応であふれたが、事件の詳細が明らかになるにつれて一転、世論は大きく3つの方向へと分離した。

一つめは安倍元首相を「日本国の威信を取り戻すべく尽力した」と美しく英雄視する流れ、二つめはそれを阻止する意図でモリカケ問題を再燃させ、かつ旧統一教会と政界の「真の関係」を追及する流れ、そして三つめが、秀才でありながら40代にして非正規労働者であったと報道される山上容疑者を「弱者の時代の不遇な英雄」視する流れである。

政治一家に生まれ育った安倍晋三氏は、その死すらも政治的に遂げた。ご遺族の悲しみたるや、そしてマスコミ対応、国葬をめぐる論争での疲弊たるや、想像に難くない。だが安倍元首相へのひとりの個人としての哀悼の念と、政治家としての評価は別の軸で考えねばならない。日本だけではない、世界がこの劇的な死をどう悼むのが適切か、探っている。

そして配偶者の安倍昭恵さんは、世間が彼女の存在を「安倍晋三夫人」と自動的に定義したほどに揺るがぬ存在であった「ご主人」の亡きあと、どのような生き方をされていくのか。不明瞭な社会貢献活動の結果、あの「忖度(そんたく)」という言葉を一躍有名にし、国民の反感を煽り内閣支持率を急落させた元ファーストレディー、という事実までをも埋葬することはできないのである。

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河崎 環(かわさき・たまき)
コラムニスト
1973年、京都府生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。時事、カルチャー、政治経済、子育て・教育など多くの分野で執筆中。著書に『オタク中年女子のすすめ』『女子の生き様は顔に出る』ほか。

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(コラムニスト 河崎 環)

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