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「あの人の結婚はうまくいかない」「あの人の始めた事業は失敗する」…他人の不幸を願う人の正体

プレジデントオンライン / 2022年8月16日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/fabervisum

なぜ私たちは「他人の不幸」が気になるのか。早稲田大学名誉教授の加藤諦三さんは「日本人はマイナスな情報に興味をもつ『ネクロフィラス』な傾向が強いのではないか」という――。(第2回)

※本稿は、加藤諦三『パワハラ依存症』(PHP新書)の一部を再編集したものです。

■元気に生きることを阻害する3つの傾向

人間は基本的に成長欲求と退行欲求の葛藤の中にある、という認識が重要である。

元気に生産的に生きることの障害になるのは、エーリッヒ・フロムのいう衰退の症候群である。

衰退の症候群とは死を愛好するネクロフィラスな傾向、悪質のナルシシズムの傾向、近親相姦願望、の3つの傾向が結合して形成されるものである。

成長の症候群の要素は、それぞれに反対のことである。

たとえば、ネクロフィラスとは死を愛することであるが、それに対するのは生を愛するバイオフィラスである。ネクロフィラスな傾向とは、死を愛する傾向である。「死を愛好する者は必然的に力を愛好する」とフロムはいう。

そして、ネクロフィリアという用語は、性的倒錯や女性の死体を性交のために所有したいという欲望を表現する。ネクロフィラスな人の夢には、殺害、流血、屍体、頭蓋骨、糞便などが頻繁に現われるという。死を愛する傾向などというと、多くの人は自分とはまったくなんの関係もないと思うかもしれない。それは心の病んだ特別な人の話と思うかもしれない。

しかし、決してそうではない。フロムによると、ネクロフィラスな人は病気や埋葬や死について語ることが好きな人である。

■「将来の暗い見通し」「他人の不幸」にしか関心を示さない人

子どもの適性や願望を無視して、子どもを塾通いさせることに狂奔する母親に、このネクロフィラスな傾向がないと誰がいえるであろうか。

次第に学歴社会でなくなってきているという話には耳も傾けないで、将来の「暗い見通し」にばかり関心を示す母親の心に、ネクロフィラスな傾向がないと誰がいえるであろうか。パワー・ハラスメントする人にネクロフィラスな傾向がないと誰がいえるであろうか。

ネクロフィラスな傾向が強い人は、話題が常にマイナスのことである。人についても自分についても、不幸になるというようなマイナスな情報に興味を示す。

あの人の結婚はうまくいかない、あの人が始めた事業は失敗する、あの家庭は今はうまくいっているが、そのうち子どもが問題を起こす、あの人は今はエリート・コースだが、そのうち燃え尽きる、などなどが話題としては興味ある。

ネクロフィラスな人とバイオフィラスな人とが恋愛をすると、興味ある話題が違う。離婚原因で性格の不一致などはほとんどない。表面的、形式的には性格の不一致だろうが、本質的には単に両者の情緒的成熟の度合いが違うだけである。別の言葉でいえば、両者の心理的成長のレベルが違うだけ。

人は、あの人たちは不幸になるというようなマイナスな情報に興味をもちやすいが、子どもや部下の適性を見つけるのは難しい。

■あなたもひとごとではない

死を愛する傾向などというと、自分とはまったくなんの関係もない「心の病んだ人」の話と思うかもしれない。しかし、決してそうではない。

愛されることなく、たった1人で生きてきた人は、誰でもネクロフィラスな傾向をもっていると私は思っている。

愛されることなく、たった1人で生きてきた人というのは、山の中で1人で生きてきたということではない。偽りの子煩悩の親に育てられた人は、心の世界ではたった1人で生きている人である。大家族の中で生きていても、心の中ではたった1人で生きている人は多い。みんなから、いいように都合よく利用されて生きた人はそうである。

たとえば、うつ病を生み出しやすい家庭の特徴である。主権的人物を中心に、服従依存の関係が成立している。こうした家で服従依存の中で成長した人は、心の中ではたった1人で生きている。だから、人々が想像するよりもはるかに多くの人が、ネクロフィラスな傾向を強くもっている。

早稲田大学名誉教授・加藤諦三氏。
早稲田大学名誉教授・加藤諦三氏。

■朝ごはんを食べながら、残虐な殺人事件の報道を平然と見てしまう心理

昔、赤軍が軽井沢の山荘に立てこもって機動隊と銃撃戦をした時、日本中の人がテレビの前に釘付けになった。オウム事件を見ても同じである。

朝の情報番組が、なぜあそこまで残虐なことを取り上げなければならないのか。女の遺体が埋められていた現場とか、小さな子どもの遺体がゴミ捨て場に捨てられていたとか、残虐なことが次々と報道される。

そして、それを人々が見る。しかも、「朝」見ているのである。食事をしながら、平気で見ているのである。

この現状を考えれば、フロムのいうネクロフィラスな傾向を、特殊な人々の傾向とはとてもいえない。ネクロフィラスな傾向とは、今の日本で普通に生活している人の傾向であろう。だからこそ、テロリストに対する怒りが日本には少ないのである。

また、私は最近の推理小説ブームというのも、この傾向と関係があるような気がする。フロムによるとネクロフィラスな人は、病気や埋葬や死について語ることが好きな人である。これは、無力な人について語るのが好きということではないだろうか。

つまり、私たちの殺人に対する関心は意外に強い。「あなたも私も善良な市民ですよね。でも人を殺す方法については関心をもつ」というような主旨の推理小説の広告が、地下鉄の中吊り広告に出ていたことがあった。まさに、この通りではなかろうか。

私たちの多くは善良な市民であるが、いや防衛的に善良な市民であるがゆえに、人殺しに関心をもつ。

■日本社会では「不幸は売れる」

このネクロフィラスな傾向と神経症とが結合して、他人の不幸への関心が生じる。週刊誌は有名な人々の不幸を、繰り返し繰り返し、しつこく報道する。これでもかこれでもかと報道する。

ある週刊誌の記者が私に、「不幸は売れるんですよ」と言ったことがある。中には不幸の報道を超えて、恵まれた人々の幸福を破壊することに執念を燃やす記者までいる。恵まれた人々を傷つけることに快感を覚える。ネクロフィラスな記者である。ある記者は「ずいぶん、いろんな人の人生をおかしくしたな」と言っていた。

ネクロフィラスな人がいる以上、その週刊誌の記者が言ったように「不幸は売れる」。猫がネズミを瞬時に殺さないで、何回もネズミが苦しむのを楽しむようなことを、私たちは人間同士でしていないか。

そして、日本では悲観論の方が楽観論よりももてはやされる。どんなにその悲観論の予想が外れても、飽くことなく悲観論が繰り返される。まさに、フロムが母親の子どもに対する態度について言うごとく、「良き変化には感動せず」である。

■「子どもが問題を抱えると、急に元気になる親」の正体

「ネクロフィリアという用語は、性的倒錯や女の死体を性交のために所有したいという欲望を表現する」などと書かれた本を読めば、誰でもこれは自分とは関係ないと思う。これは特別に病的な人たちの話であると思う。

たとえば、ある企業の社長の御曹司がフランスに留学してフランスの女性と恋に落ち、それがうまくいかなくて恋人を殺して、その死体を下宿で食べていた、というような話が新聞に載ったことがある。

しかし多くの人は、それは特別に心理的に異常をきたした人の話で、自分とは関係ないと思ったであろう。私もそう思った。

多くの人にとっては、それはショッキングな話で、自分とは関係ない話として受け取られる。しかし、そのような行為を実際に私たちはしないということであって、ネクロフィラスな傾向そのものと自分とはなんの関係もないということではない。

たとえば、弱者へのいたぶりなどはどうであろうか。弱者をいじめることで、自分が上に立っている。

子どもが問題を抱えた時に、嬉しくなる親がいる。いつも元気のない親が、急に元気になる。それは、劣等感の強い親である。自分の子どもであっても不幸が嬉しい。そこに親としての自分の役割が出るし、自分の劣等感が癒される。だから、子どもの不幸で、今までになくエネルギッシュになる。

暗い廊下に座り込んでいる男児
写真=iStock.com/kieferpix
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kieferpix

■「お金を出せば役員にしてあげる」

パワー・ハラスメントする人はパワー・ハラスメントをすることで心を癒す。パワー・ハラスメントの中に、自分の上司としての役割が出るし、自分の劣等感が癒される。実際に人をいじめて心を癒している人もいる。パワー・ハラスメントで部下をいじめる人はいじめることで心を癒す。

加藤諦三『パワハラ依存症』(PHP新書)
加藤諦三『パワハラ依存症』(PHP新書)

しかし、いじめたくてもいじめられない人は、心の傷を癒すことができないで、ネクロフィラスな傾向を自分の中に維持し続ける。生産的にも生きられず、憎しみも晴らせない人は、ネクロフィラスな傾向を維持し続ける。

たとえば、最近テレビや新聞などを見ていて驚く事件がある。リストラされた中高年の退職金を狙った詐欺である。いくら出せば役員にしてあげるという詐欺である。いくらなら課長、いくらなら部長という値段がついている。

こういう詐欺をする人は、ネクロフィラスな傾向が強い人であろう。リストラされて心は傷ついている。プライドは傷ついている。そうしたリストラされた状態では、会社の役員というのは、何かものすごく価値があるように思える。その弱点をついた詐欺である。

■根底には強烈な劣等感がある

人は、追い詰められると人生の道を間違える。リストラされて弱気になると、役員は大きく見える。リストラされると、役員はすごい人に見える。そして「あの会社を辞めて○○会社の役員になった」と人に言いたい。その弱点をつかれて騙されたのである。

先に書いたように、子どもが問題を抱えた時に嬉しくなる親がいる。それは劣等感の強い親である。自分の子どもであっても、不幸が嬉しい。そこに、親としての自分の役割が出るし、自分の劣等感が癒される。

出番のない親にとって、子どもの不幸は生きがいになる。出番のないビジネスパーソンにとって、部下の不幸は生きがいになる。無意識で自分に絶望している役員に、「パワー・ハラスメントするな」と言っても無理である。

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加藤 諦三(かとう・たいぞう)
早稲田大学名誉教授
ハーバード大学ライシャワー研究所客員研究員。『人生を後悔することになる人・ならない人』など著書多数。

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(早稲田大学名誉教授 加藤 諦三)

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