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若い女性ひとりを10人で強姦してから撃ち殺す…韓国軍がベトナムで犯した知られざる戦争犯罪の数々

プレジデントオンライン / 2022年8月18日 11時15分

78丘の陣地で作戦を展開する韓国青竜師団第3大隊(ベトナム・ツィ・ホア=1966年) - 写真=時事通信フォト

1964年~73年、韓国はベトナム戦争に延べ30万人以上の兵士を派遣し、米国を支援した。その際、多数の民間人を虐殺したことがわかっている。フォトジャーナリストの村山康文さんは「地元の新聞社を訪ねて、虐殺の手口を聞くことができた。韓国軍の行動は、正気の沙汰とは思えないものばかりだった」という――。

※本稿は、村山康文『韓国軍はベトナムで何をしたか』(小学館新書)の一部を再編集したものです。

■韓国軍が犯したとされる事件を取材するためにベトナムへ

2014年2月の渡航から4カ月後の同年6月、私はフーイエン省の省都トゥイホア市に初めて降り立った。

前回訪れたビンディン省タイソン県とクアンナム省ディエンバン県のフォンニ村・フォンニャット村、そしてハミ村での聞き取り調査を終え、日本での仕事のためいったん帰国をしていた。帰国後に聞き取りをした資料をまとめ、金賢娥氏の書籍などと照らし合わせることで、少しずつだが、ベトナム戦争中に韓国軍が犯したとされる事件のいくつかが見え始めてきた。そして今度はフーイエン省で聞き取りをしようと思い、再び渡越したのだ。

通訳は「お義母さんが田舎から来て、子どもの面倒を見てくれているから大丈夫」と、いつものダオが同行してくれた。フーイエン省は、ビーチリゾートで有名なニャチャン市があるカインホア省の北に隣接している。ビンディン省に次いでマグロの漁獲量が年間約4000トン(2013年)(※1)と、遠洋漁業が盛んな省だけあって、新鮮なマグロ料理が安く食べられる専門店がトゥイホア市内には数軒ある。

南北統一鉄道のトゥイホア駅に降りると、ダオがドライバーをつかまえて、いつも通りホテルまでのタクシー料金の交渉を始めた。気が利きくダオは、明日からのレンタカーの交渉も同時にしてくれているようだ。

ダオが駅前広場で最初に声をかけた35歳のドライバー、ホー・ミン・サン兄は、「酒」「タバコ」「ギャンブル」を一切しない真面目で堅実な男だった。インテリアのセールスマンをしていた時代に貯めたお金で、15人乗りのワゴン車を購入し、転職。利用客の少ないフーイエン省の田舎町で妻と三人の子どものためにレンタカーのドライバーとして必死に働いていた。

(※1)岡山県ベトナムビジネスサポートデスク「ベトナムにおけるマグロ漁業」『岡山県ベトナムビジネスサポートデスクレポートVol.78』2014年

■「外国人を乗せるのは初めてだ」

駅前からホテルに向かう車のなかで、サン兄は「外国人を乗せるのは初めてだ。このあたりにはあまり来ないから」と言った。

フーイエン省には、海岸沿いに推定3万5000本の浅黒い玄武岩が形づくるダーディア岩礁や、ベトナムで一番早く朝日が見られるという本土最東端、ムイディエン岬などの美しい景勝地がいくつもあるが、交通の便があまり良くないうえ、リゾートホテルのような宿泊施設もなく、外国語も通じにくい。外国人が短期間の休暇でベトナムを訪れるなら、ハノイ市、ダナン市、ホーチミン市の三大都市を選ぶのが一般的だろう。

ベトナムのトゥイホア市のパノラマ
写真=iStock.com/Pavel Sipachev
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Pavel Sipachev

「ここには遊びに来たのか?」。

サン兄が聞いた。「仕事1割、遊び9割だ」と私が半ば冗談で返すと、サン兄はぷっと噴き出し、「明日はどこに行く予定だ?」と続けた。

「ドンホア県だ」
「えっ? ドンホア県? 何もないところだぞ。友だちでもいるのか?」
「いや、いない……」

そう話をしている間にホテルに到着した。ダオと私が荷物を降ろすと、サン兄は「明朝9時だな」と言いながらも、私の答えが曖昧(あいまい)なままだったためか当惑した顔で去っていった。翌朝9時前、私がロビーに下りると、ホテルの前に車を停め、外のベンチに腰掛けているサン兄の後ろ姿が見えた。

近付くと、ベンチの下に落ちていた枯葉の葉柄を左の指でつまみ、葉をくるくると回しながら口笛を吹いていた。サン兄は私に気付き、「朝ごはん食べたか?」と聞いてきた。ベトナムでは「朝ごはん食べたか?」が「おはよう」と同じ意味合いを持つ定番の挨拶だ。私は「食べたよ」と笑顔で返した。

■事件の詳細を報じた地元に新聞社に向かう

トゥイホア市の朝は、ゆったりとした時間が流れていた。小鳥のさえずりで目が覚め、窓を開けると微かに潮の香りがした。南部の大都市ホーチミン市のようなけたたましい音も、街に溢れる生ゴミが混じりあう異臭もない。

ダオと私は、香草をたくさん入れたチャオガー(鶏肉入りおかゆ)の朝食で久しぶりの爽やかな朝を迎えた。「今日はドンホア県に行くのか?」。サン兄が聞いてきた。「うん。その前にフーイエン新聞社に行ってほしい」「フーイエン新聞社?」と、サン兄は何か言いたそうだったが黙っていた。

韓国軍によって事件が引き起こされたとされる事件の現場はフーイエン省に点在しているうえ、広範囲に及ぶ。ある程度、目標を絞らないと取材費用も時間もかさんでしまう。そのため、まずは、『フーイエン新聞』のオンライン版にあった「韓国兵との戦い」(※2)という、1966年にフーイエン省ドンホア県の2社で韓国軍青龍部隊が行った作戦の詳細が書かれた記事を手掛かりに、情報を得ようと思ったのだ。

フーイエン新聞社は、チャンフービーチ近くの区画整理された官庁街の一角にあった。かなり大きな敷地のなかにクリーム色をした3階建ての社屋がどっしりと構えている。受付で事情を説明すると、すぐにひとりの男性が「編集長のファン・タン・ビン(54歳=2014年6月時点、2021年7月時点では前編集長)です。ようこそ!」と笑顔で出てきた。

(※2)『フーイエン新聞オンライン』韓国兵との戦い/“Phú Yên Online” Giáp chiến với lính đánh thuê Nam Triều Tiên(21-06-2013)

■村人30人を射殺し、手榴弾で爆破して事件を隠蔽

私はビン編集長と握手を交わし、ロビーのソファーで訪問理由を話した。すると「少し待っていてくださいね」と立ち上がり、編集局長室から2冊の書籍を持ってきた。それは、ビン編集長が編纂(へんさん)したという地元の郷土史をまとめた本だった。

田園風景
写真=iStock.com/picturist
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/picturist

「私は歴史が大好きで、約2年かけてフーイエン新聞社の記者や友人らと一緒に資料研究・聞き取り調査を行いました。これらがその集大成です。タイホア県のホアドン社とホアミー社の郷土史をまとめたものですが、他県も現在進行中です」

ビン編集長は、書籍をペラペラとめくり、「韓国軍による虐殺事件についてはこのあたりに書かれていますね」と説明した。ともに3センチメートルほどの分厚い本のそれぞれに、ベトナム戦争時代に起きた事件に関する証言の記録があった。以下はその概要だ。

・ホアドン社フーミー村では村人30人全員を撃ち殺したあと、3つの井戸に放り込み、手榴弾を投げ込んで、何事もなかったかのように隠蔽(いんぺい)した。
・韓国兵10人がひとりの若い女性を集団でレイプし、女性はその後、撃ち殺された。
・ホアミー社チュオン村では16人が殺害された。一家6人が死亡した家では、高齢者2人、妊婦1人、障がい者1人が含まれていた。
・ホアミー社ミートゥン村とクアンフー村では7人の女性を捕らえ、兵士らが代わる代わるレイプしたあと、女性ふたりの喉を銃剣で突き殺害。残り5人の女性を森へと連行し、裸にさせてきつく縛り、韓国兵のトップらが輪姦をした。その後、5人の女性と乳児ひとりを刺し殺した。

目を覆いたくなるような惨劇が克明に描写されていた(※3)

(※3)ファン・タン・ビン編纂『ホアドン社党委員会の歴史』/Đọc sửa bản in : Phan Thanh Bình “LỊCH SỬ ĐẢNG BỘ XÃ HÒA ĐỒNG”(1930-2005)(ĐẢNG BỘ XÃ HÒA ĐỒNG, 2010)159~160頁とファン・タン・ビン編纂『ホアミー社の歴史』/ Sửa bản in : Phan Thanh Bình “LỊCH SỬ XÃ HOA MỸ” (ĐẢNG BỘ XÃ HÒA MỸ ĐỒNG / ĐẢNG BỘ XÃ HÒA MỸ TÂY HÒA MỸ, 2013) 139~140頁(ホアドン社とホアミー社は、いずれもフーイエン省タイホア県)。

■「兵士が持つ銃剣に、輪投げのように乳児を投げて殺害」

「この2冊の本には書かれていませんが、作成中の他県の聞き取り調査では、『婦女を輪姦し、乳房をナイフで切り取ったあと、女性器を銃剣でかき回して殺害』『兵士が持つ銃剣に、輪投げのように乳児を投げて殺害』など信じられないような証言をいくつも聞いています」と、ビン編集長は静かに話した。事件が起きたとされる村で韓国兵がとった行動は、とても正気の沙汰とは思えないものばかりだ。

「今日はこのあと、どちらに行かれますか?」
「昨年6月の『フーイエン新聞』の記事を参考に、ドンホア県のホアヒエップナム社(※4)に行こうと考えています」

「ホアヒエップナム社ならダグウ村のヴンタウ集落(現フーラック村)に1975年に建立された石碑があります。それと、ヴンタウ集落近くのトーラム村に住む彼を訪ねたらいいでしょう」とビン編集長は胸ポケットからスマートフォンを取り出し、事件の生存者、ファム・ディン・タオ(57歳=2014年6月時点)という男性の電話番号を教えてくれた。ベトナム戦時下で起きた韓国軍による民間人殺害事件に関する証言を、地元新聞社がまとめていることを、私はこのとき初めて知った。

その情報を惜しげもなく提供してくれたビン編集長。フーイエン新聞社への訪問は、想像していた以上の成果があった。「私は日本が、日本人が大好きなんです。美しい街並みと自然に囲まれ、人びとは真面目で、謙虚で、親切で。私でお力になれることがあれば、なんでもおっしゃってくださいね」と、ビン編集長は満面の笑みで私の肩を抱いた。

(※4)ベトナム戦争時代、ホアヒエップ社はトゥイホア県(現トゥイホア市)に属し、北(バック)、中(チュン)、南(ナム)の3つに分かれていた。

■瞬く間に37人の住民が韓国軍に殺された

フーイエン新聞社でビン編集長に事件の詳しい情報をもらった私は、いつも以上に取材に向かう志気が漲(みなぎ)っていた。私たちは、ホアヒエップナム社に向かって、トゥイホア市内を南下した。トゥイホア市近郊を流れるダラン川を越えて海岸沿いの道路を走る。国道29号線と交わった先を山手の方へ少し入ると、ドンホア県のヴンタウ集落に到着。車でおよそ30分だった。

村山康文『韓国軍はベトナムで何をしたか』(小学館新書)
村山康文『韓国軍はベトナムで何をしたか』(小学館新書)

村の入口にある鬱蒼(うっそう)とした森の陰に高さ2メートルを超える石碑が人知れず建っていた。風雨にさらされ、ところどころ黒ずんだ石碑が、建立されてからの長い年月を感じさせる。フーイエン省ドンホア県ホアヒエップナム社ダグウ村ヴンタウ集落(※5)で事件が起きたのは、1966年1月1日(旧暦1965年12月10日)朝7時ごろとされる。

村の北側から押し入ってきた韓国軍の攻撃により、瞬く間に住民37人がその場で命を落とした。そのほとんどが老人、女性と子どもたちだったと、私は先ほど訪れた『フーイエン新聞』のビン編集長に聞いた。

ヴンタウ集落のあるダグウ村に住む元ベトコン兵士ファム・トゥアさん(75歳=2017年3月時点)の話によると、韓国軍は、ダグウ村一帯の森を切り拓いて基地を作る予定だった。当初、韓国軍は民間人とベトコンを分けて、民間人を保護しようとしていたが、韓国兵らは両者の区別ができず、村人の殺害に及んだという。

(※5)一般的に“ブンタウ村の虐殺”として知られる「ブンタウ」は伊藤正子と金賢娥の著書、いずれも「ホアヒエップナム社ブンタウ村」としている。しかし「ブンタウ」はダグウ村に属した小集落のため、 筆者はここでは「Xóm」を「集落」とし、また「V」で始まるため「ヴンタウ集落」と表記した(Xóm Vũng Tàu, Thôn Đa Ngư, Phường Hòa Hiệp Nam)

■慰霊碑ではなく「憎悪碑」が建てられていた

「慰霊碑があるな。写真を撮っておこう」と私が言うと、ダオが「これ、慰霊碑じゃないですね。『憎悪碑』って書いてあります」と指摘した。近付いてみると、確かに石碑の上部にベトナム語で「憎悪碑」と刻まれている。今まで私が取材をしてきた他の慰霊碑のように、石碑の下部にあったと思われる犠牲者の名前は、明らかに故意に削り取られていた。

金賢娥氏の前掲書には、〈主に、虐殺現場に建つこの碑は、大部分は地方政府が建てたものである。1986年のドイモイ以前に建てられた碑は、憎悪碑という名前がつけられ、事件が起こった年と日時、死んだ人の名前が記されている〔こともある〕。しかし、ドイモイ以後に建てられた碑は慰霊碑と刻まれている。過去に蓋をし未来を見ようという社会的な雰囲気が碑にも現れたものとみられる〉との記述がある(※6)

ヴンタウ集落の石碑は、終戦後間もない1975年に建立されたというから、「慰霊碑」ではなく「憎悪碑」と彫られたのだろう。私が「憎悪碑」の写真を撮っていると、バイクで通りがかった中年男性が「何をしてるんだ?」と声をかけてきた。

私が男性にここに来た事情を説明すると、「この路地の奥に事件を知る、グエン・ティ・マン(68歳=2014年6月時点)という女性が住んでるよ」と親切に案内までしてくれた。「憎悪碑」がある広場の横を入り、コンクリート舗装された小道を少し歩くと、私を出迎えるかのように一羽の鶏が「カ、カ、カケコー」と飛び出てきた。鶏が出てきた家の前で「マンさん、お客さんだよ」と男性が声をかけた。世話好きな男性の姿に、私は「田舎の人は全員知り合いなのかな」と思い、くすりと笑った。

(※6)金賢娥、前掲書、337~338頁。ドイモイとは、1986年に政治・経済体制の活性化を図るためにベトナムがとった政策(刷新政策)。以下4点の刷新を党のスローガンとした。思考、経済発展戦略、経済体制、対外戦略。

■命乞いをする住民を銃殺し、最後に手榴弾を投げ込んだ

洗い物をしていたのか、手をタオルで拭きながらマンさんが家のなかから出てきた。マンさんは、私を見るなりほころんでいた顔を急に強張(こわば)らせ、「韓国人かい?」と小声で言った。「いえ。日本人です」。そう私が答えると、マンさんの表情は少し和らいだ。

ベトナム中部の取材を始めてから、ライダイハンが住む村や韓国軍による民間人殺害事件が起きたとされる村で、私は韓国人に間違えられることが多くあった。特にベトナム戦争を知る世代の人からは、露骨に無視されることがあり、明らかに煙たがられているなと感じたこともある。

「ひと月ほど前、韓国人数名が石碑にお参りをしているところを見かけたんです。韓国人を見ると今でも恐ろしくて」。そう言いながら、マンさんはダオと私を自宅に招き入れた。そして事件当時の様子をゆっくりと語り出した。

「……日が昇ると同時くらいにヘリコプターの音が聞こえ、北の方角から韓国兵が村に押し入ってきました。村人らは家に隠れているとベトコンだと誤解されるので、家族を集め、外に出たんです。男たちは殺されるからとほぼ全員がその場から逃げました。

ヘリコプター
写真=iStock.com/RJHeurung
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/RJHeurung

すると、老人や女、子どもばかりがよくわからないまま広場に集められていました。まさか、女、子どもに手を出さないだろうと思っていたら、韓国兵らは銃で狙いをつけたんです。みな驚き、命乞いをしました。しかし韓国兵は、命乞いする彼らを次々と撃ち殺し、そして最後に手榴弾を投げ込んだのです。少し離れた木の陰で事件の様子を見ていた私は、おじに手を引かれて一緒に山の奥へ逃げて助かりました」

そう言って、マンさんは悲壮な表情を見せた。

■「知らぬ間に名前が削られていたんです」

私は、先ほどから気になっていた「憎悪碑」の下部にあったであろう削り取られた文字のことをマンさんに尋ねた。

「ええ。あの石碑には昔、隣接するダグウ村とトーラム村の2つの村で犠牲になった80名の名前が彫られていました。でも、知らぬ間に名前が削られていたんです。いつ、誰が削ったのかは、私はわかりません。消されたことを知ったのは、もう随分前です」

私の取材の基本スタイルは、時間の許す限り、同じ取材対象者に繰り返し会うことだ。そうすることで、取材対象者との距離が縮まって信頼関係が生まれ、最初は口をつぐんでいても、ある日突然、話しにくい事実を明らかにしてくれることがあった。また、何度も訪問することで、彼らが住む町の変化に気付けたりもした。

■「憎悪碑」は「慰霊碑」に変わりつつある

この年(2014年6月)に会ったマンさんも例外ではない。私は、フーイエン省の取材で近くに行けば、必ずマンさん宅を訪問した。そして、マンさん宅を訪問するたびに、そばにあるヴンタウ集落の石碑の「変化」を目にすることになった。

戦後まもなくに建立された石碑は、2016年8月、碑の上部に「憎悪碑」と書かれたまま色が白く塗り替えられた。さらに2017年10月、碑はその形状を変え、「慰霊碑」と書き改められて犠牲者80名の名前が刻まれた(※7)。「慰霊碑」となった後の2018年2月、ヴンタウ集落を取材したとき、かつて『フーイエン新聞』のビン編集長が語った言葉を思い出した。

「1992年の越韓国交回復後、両国の関係は次第に良くなっています。現在、ベトナム政府は過去を忘れるために、韓国軍による民間人殺害事件があったとされる村の『憎悪碑』を『慰霊碑』に変えていこうとしています」

石碑からは“憎悪”の文字が消えたとしても、事件を経験した被害者たちの心から消えることはないだろう。

(※7)ヴンタウ集落の石碑及びマンさん宅への筆者の訪問年月日は、2014年6月、2016年9月、2017年3月、2018年2月。

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村山 康文(むらやま・やすふみ)
フォトジャーナリスト
1968年生まれ。兵庫県出身。立命館大学夜間主文学部哲学科中退。1998年、報道写真家・石川文洋氏に出会い、「ベトナムで石川文洋写真展を見るツアー」に参加。その後、渡航を重ね、ベトナムの社会問題を主に取材。2007年と2009年に、ベトナムでの幅広い活動が評価され、ホーチミン市文化スポーツ観光局から表彰を受けた。著書に『いのちの絆 エイズ・ベトナム・少女チャン』(アットワークス)がある。

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(フォトジャーナリスト 村山 康文)

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