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「早く週末にならないかなぁ」と思っている人は、残念ながら人生をムダにしていると言える納得の理由

プレジデントオンライン / 2022年8月17日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Toru Kimura

私たちは、必ず死ぬ。限られた人生を、私たちはどう生きればいいのか。ブラジルの緩和ケア医アナ・アランチス氏による世界的ベストセラー『死にゆくあなたへ 緩和ケア医が教える生き方・死に方・看取り方』(飛鳥新社)より、一部を紹介する――。(第1回)

■時間を「どのように」経験するか

時間を意味づけるのは、その時間を「どのように」経験したかということです。起こったことが何であれ、時間は経験に意味を与えます。

死にゆく時間がゆっくりであれば、死について考える時間が長くなります。それはとても恐ろしいことです。人は、死について長く考えたいとは思っていません。

想像してみてください。

もしあなたが病院のベッドにいて、誰かが病室にやってくるのを心待ちにしていたら、時間をどう感じるでしょうか? オムツを替えてもらうのを待つ時間は? 入浴を待つ時間、痛み止めの薬を待つ時間は? 患者がどんな時間を過ごしているかを医師が知れば、患者や家族にもっと配慮した接し方ができるはずです。

死への過程の中では、物理的な時間の認識から離れて、そのとき何をすべきかがわかり、的確な決断ができます。死が迫ると、物質的な執着から解放されます。

■時間は貯めることも取り戻すこともできない

時間を貯めておくことはできませんし、過ぎた時間は戻ってきません。それなのに私たちは、どうでもいいことに悩んだり苦しんだりして時間を浪費します。人間関係や洋服や車は大切にするのに、時間には注意を払いません。どれだけお金を払っても、時間を手元に置いておくことはできません。あなたの手元に残るのは、時間により与えられた経験だけです。

過ぎていく時間の中で、あなたは何をするつもりですか? 何をしていますか? その問いかけが、あなたに賢い選択をさせる鍵になるでしょう。限られた時間の中で、何をするのが正解なのでしょうか?

■「なぜあなたはここで働いているのですか?」

かつて、私はある病院の就職面接を受けました。面接官は、私の経歴について聞いたあと、私に自由に質問する機会をくれました。私は知りたかったことを聞いてみました。

「なぜ私がここで働きたいのだと思っているか、わかりますか?」

私の質問に驚いたのか、面接官は何も答えませんでした。私はもっと個人的な質問をしてみました。

「なぜあなたはここで働いているのですか? なぜ、毎日8時間もの時間を、この病院に捧げているのですか?」

面接から数週間後、その面接官が退職したことを知りました。おそらく私の投げかけた質問は、彼の人生の時間の浪費を浮き彫りにしたのでしょう。自分が時間を無駄にしていることに気づいたとき、人は選択を迫られます。変わらなければならないのは、まさに今だと。

コスモス畑
写真=iStock.com/dango k
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/dango k

■死を意識すると時間の感覚が変わる

時間は気づかないうちに過ぎていきますが、ほんの一瞬なのに5分にも感じられるような時間や、かけがえのない特別な時間、記憶の中に永遠にとどまる時間もあります。時間は可変的なものです。

そして、少しでも死を意識すると、時間の感覚は大きく変わります。私がホスピスで一緒に仕事をした心理士は、心理療法のセッションはプライベートなものなので、普通の病院の雰囲気とはまったく異なる治療スペースを用意するべきだと考えていました。しかし、緩和ケアの患者にそんなスペースを提供するのは不可能です。

死を前にした患者は、ほかの患者やその家族もいる場で心理セッションを受けなければなりません。セッションのためには静かで清潔な空間が必要なので、看護スタッフや清掃スタッフが出入りしたり、ほかの患者がオムツを替えてほしいと言ったりするたびに、セッションは中断されます。心理士は、そのような環境では、患者が死と向き合えないのではないかと心配していました。

私は心理士にこう言いました。「心配しないで。死は、原子力並みのエネルギーをもっているから」と。

午前中に患者と死の話をしたら、午後にはもう、その患者の抱える問題は解決しています。そして、次の問題の解消へと向かいます。

■人々の記憶に残るのはあなたの最後の印象

通常の心理療法では、自分を大まかに理解するのに10年もかかる場合があります。けれども、死に直面したとたん、人は自分のことを即座に理解し、行動を起こせるようになります。自分、あるいは家族がそうだと思っていた人物像が完全に変わることもあります。

アナ・アランチス『死にゆくあなたへ 緩和ケア医が教える生き方・死に方・看取り方』(飛鳥新社)
アナ・アランチス『死にゆくあなたへ 緩和ケア医が教える生き方・死に方・看取り方』(飛鳥新社)

そして、人々の記憶に残るのは最後の印象だけです。死ぬ前のふるまいが、その人の印象として残るのです。あなたが嫌々仕事をしていて、それを態度に出していたり、浮気をしたあげくパートナーへの不満を並べ立てたりしていたら、あなたはそういう人として周囲に記憶されます。

病気になれば、時間に対する認識は大きく変わります。おそらく、何かを待つ時間が永遠にも感じられるでしょう。何かを待つのはとても難しいのです。何もできないと、人は生きている実感を得られません。

「私はもう何もできないの? 私にできることは何もないの?」

治せない病気を抱えると、できるのは死を待つことだけです。死を待つことは、死ぬことよりも難しいのです。

■できることをやり尽くしたとき、人は祈る

フランスの精神科医ウジェーヌ・ミンコフスキー(1885~1972)は、著書『生きられる時間』(みすず書房)の中で、時間の3つの「二重性」について説明しています。

ひとつ目の二重性は、待つことと行動することです。何かを待つとき、人はその結果にかかわることができません。待つことは、痛みを感じながら時間を認識することなのです。

ふたつ目は、欲求と希望です。欲求とは、もっていないものを欲することであり、希望とは、待つことを楽観的なニュアンスで表現したものです。待つことは、つねに未来に向けられた行為ですが、希望の場合はそうとは限りません。すでに起こったことに対しても、人は希望をもちます。たとえば、あなたが生体検査の結果を待っているとします。すでに終わった検査の結果を待ち、自分ががんでないことを希望します。希望を抱いているあいだ、痛みはやわらぎます。

三つ目の二重性は、私が最も大切にしている、祈りと倫理的行為です。祈りとは、自分の内にある大いなるもの――神聖な存在、神性、神――とのコミュニケーションとして説明されます。大いなるものとのコミュニケーションは、私たちに力を与えます。できることはやり尽くしたと思えたとき、人は自分を超えるために、自らのなかにいる強力な何かとつながろうと決め、祈ります。祈りは、よりよい未来を見据えて行われます。

■私たちはなんのために祈るのか

ミンコフスキーは、祈り(prayer)とは「今」に心を向ける瞑想(めいそう)とも、過去にかかわる祈り(orison)とも異なると述べています。

彼は、倫理的行為との二重性に結びつけました。祈りにおいては、大いなる何かが私たちを救い、問題を解決してくれることを期待します。

倫理的行為においては、私たちが自分の内にある大いなる力とつながり、自分の意志を超えた何かを、ほかの人のためにします。その瞬間、人は神のような存在になるのです。それは、私たちの世界では、どんな瞬間なのでしょうか?

海と日光
写真=iStock.com/yoshiurara
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/yoshiurara

■人生は目隠しをして地下鉄に乗るようなもの

私にとって、これ以上ない倫理的行為だと思える瞬間は、病気で死にかけている子どもに向かって、母親が「逝っていいよ」と言うときです。

母親は、最初は病気の治癒を祈ったはずですが、内なる力とつながった瞬間、自分の望んでいることが最善ではないと気づきます。わが子にとっての最善は、母にとって最もつらい「死」を受け入れることなのだと理解したのです。そして愛ゆえに、子どもの死を受け入れ、解放してあげます。

その大いなる力、内なる神聖な力とつながると、私たちは他者のために善を尽くせます。それが真の善き行いで、たとえ望まぬことであったとしても、やらなければならないことができるのです。真の善を受け入れれば、すべては円滑に流れ、愛をもって生きられるようになるのです。

相手とつながり、心の奥深くから最善を願えた瞬間、とてつもない力がわいてきます。あっという間に真の善き行動を起こせます。

地下鉄を想像してみてください。乗客は駅を通り過ぎていきますが、そこに存在したわけではありません。ただ、通り過ぎただけです。

人生は、目隠しをして地下鉄に乗るようなものです。どこにいるのかよくわからない場所から乗車し、どこで降りるかもわからず、今どこにいるかもわからない。ただ地下鉄のなかにいるだけです。そしてあるとき扉が開き、名前を呼ばれます。「アナ・アランチスさん、降りますよ!」

親しい人が亡くなるたびに、自分もいつか地下鉄を降りるのだと考えます。自分の死に思いをめぐらせます。あといくつ駅を通過したら自分の番がやってくるのだろう、と。

重病の患者と接する仕事上、私のもとにやってくる患者は、すでに治癒の見込みがないか、病状をコントロールできないため、残された時間の重要性をはっきり認識させられます。患者たちには、本当にわずかな時間しか残っていないのです。

■1日の終わりを心待ちにしないで

残念ながら、私たちの文明社会には、成熟度も誠実さも現実性も欠けています。時間は減っていく一方なのに、何度も時計を見ては1日の終わりを心待ちにします。

1日が終わるのを、あるいは週末や休暇が来るのを待ち望み、さらに定年退職を待ち望むことは、「死」がより早くやって来るよう望んでいることでもあります。

私たちは往々にして、仕事のあとで「生きる」ことを楽しもうとしますが、人生にはオンとオフを切り替えるスイッチなどないのです。楽しいか否かにかかわらず、私たちは、限られた時間の中を生きています。時間は一定のペースで流れ、24時間のすべてが人生だというのに、そのことに気づく人はめったにいません。

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アナ・アランチス サンパウロ大学病院医師
緩和ケアや老年医学の分野で、世界で最も尊敬されている医師のひとり。緩和ケアにおける高度な専門家の連携を牽引するカーザ・ド・クイダール協会の創設者。出演したTEDトークは310万回以上の視聴回数を記録。世界的ベストセラーである『死にゆくあなたへ(原題:DEATH IS A DAY WORTH LIVING)』の執筆につながった。

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(サンパウロ大学病院医師 アナ・アランチス)

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