「貧しい人ほど最期は安らかで、お金持ちほど死に際に苦しむ」世界で最も尊敬される緩和ケア医がみた真実
プレジデントオンライン / 2022年8月28日 9時15分
■「死」を内省することを始めよう
死について語り、死を迎えるときの気持ちを想像し……、受けとめがたい感情の波に身をゆだねてみましょう。私の話を聞けば、あなたは黙り込んでしまうかもしれません。でも、それは必要な内省です。
あなたの内面では何かが生まれています。ときには、私の言葉から目を背けたくなって、この本を閉じてしまうかもしれません。それでも、あなたはふたたび本を開き、ときには少し後戻りしながらも、先へと進んでいくでしょう。
私たちは皆、いつかは死にます。
生きているあいだは、誰もが未来を夢見て奮闘します。いい仕事につき、恋に落ち、結婚し、子どもをもち、マイホームを買い、旅行を楽しみ、自分のあるいは誰かの人生のなかで何者かになろうとする――とても人間的な夢です。
私たちは、不確かなものだけを追い求めます。でも、誰が仕事の成功を保証してくれるでしょうか? 生涯の伴侶を得られる保証は? 子どもができるという保証は?
誰も保証できません。けれど、「死」は保証されています。
■なぜ私たちは「死」を語ろうとしないのか
何年生きようが、どれだけの学位をもっていようが、家族が何人いようが、関係ありません。伴侶がいてもいなくても、子どもがいてもいなくても、お金があってもなくても、すべての人には「死」が待っているのです。
それなのになぜ、私たちは死に対する備えができていないのでしょう? 人生で唯一保証されている死について、なぜ語ろうとしないのでしょう?
■言葉にできないほどの激烈な経験
死について語ることであらわになる怖れや偏見、もろさは、“死の恐怖から解放されたい”という気持ちをも上回ります。
人生には、言葉では説明できない瞬間があります。ひとつは、答えや意味や真実を求めて、自らの内面の奥深いところに触れるとき。そしてもうひとつが、死ぬときです。
詩人のリルケは、『若き詩人への手紙』の中で、人生の終わりに経験することを、このうえなく崇高に表現しています。死が訪れる瞬間は、死にゆく人にも、看取る人にも、言葉はありません。生と死の境目にいる患者に寄り添うときは、どんな言葉も役には立ちません。
「言葉にできない」という言葉こそ、死という経験を最もよく表現できるのです。人生において、死と同じくらいに激烈な経験は、生まれることしかないでしょう。
だからこそ、私たちはその瞬間を怖れるのかもしれません。自分が死を迎えるか、あるいは愛する人の死に寄り添うとき、私たちは人生で最も大きな不安に駆られるのです。
■残り時間がわずかになっても人は幸せを感じられるのか
「命の有限性」について語るには、「時間」というテーマを避けては通れません。私たちに残された時間がわずかになっても、幸せを感じられるのでしょうか?
病気になり、治療のために普段の活動の時間が止められると、時間はもはや秒や分といった単位では計れません。点滴や薬が時間の単位になります。
薬を服用し、医師の回診や検査が終わり、次のときを待つあいだ、時間が止まっているような気がするでしょう。ベッドの横の点滴が一滴ずつ落ちてゆくのを眺める時間は、なかなか過ぎていきません。
私は、患者層の異なるふたつの病院で働いていますが、それは医師として恵まれた経験といえます。ひとつは、サンパウロ州のイスラエリタ・アルベルト・アインシュタイン病院。社会的にも経済的にも恵まれた患者が多い病院です。もうひとつは、同じサンパウロ州にある総合病院付属のホスピスで、ホームレスなどの貧困にあえぐ人たちも受け入れます。両極端な病院ですが、患者が皆、死が近い病人であるという点は同じです。
■苦しみをもたらす理由はだいたい同じ
人の苦しみは、財産にも、学位や資格やパスポートの番号にも、食べるものにも、本棚にどれだけ本があるかにも、関係ありません。苦しみをもたらす理由も、その根本は変わりません。父親の莫大(ばくだい)な遺産をめぐって母親ともめる息子の怒りも、わずかな年金をめぐって母親ともめる息子の怒りも、同じです。
社会階層は違って見えても、誰もが同じ痛みへの怖れ、同じ孤独、同じ愛、同じ怒り、同じ罪悪感、同じ宗教上の軋轢、同じふるまいを経験します。
■どれだけお金を積んでも逃れられない
2種類の患者を比べると、それぞれの場でできるかぎりのケアを受けていても、経済的に恵まれた患者ほど苦しんでいるようです。裕福な人たちは、“お金があればすべてを変えられる”“高価な病院に入り、高価な医療スタッフを雇い、高価な薬を使えば健康が取り戻せる”と信じています。
でも、どれだけお金を積んでも、最期のときから逃れることはできません。
人生に多くの選択肢があった人ほど、死を前にすると、後悔の波にのまれやすい傾向があります。逆に、生き抜くというただひとつの選択肢しかなかった人ほど、逆境のなかでも最善を尽くしてきたという揺るぎない自信をもって最期を迎えられます。
ホスピスに「プライバシー」はありません。そんな上等な言葉は、孤独を生み出すだけです。ホスピスではふたり部屋なので、患者が死を迎えたとき、同室の人はそれを目の当たりにして、もうすぐ自分の番がやってくると悟ります。痛ましいようにも思えますが、隣の人の死を経験すると、死の瞬間は平和だという意識が生じるのです。
■死を語れない医師たち
ホスピスで緩和ケアを受ける人たちは、まさに「ファーストクラス」の切符で旅立ちます。死の過程にはよく、「旅立ち」という隠喩が使われます。
緩和ケアの専門家であるデレク・ドイル医師は、著書『プラットフォームの切符』(未邦訳)で、人生の終末期にいる人々とかかわる医師のリアルな日常を描いています。それは、まさに鉄道駅の光景で、列車に乗る人がいれば、それを手伝うためプラットフォーム[訳注:駅のホーム]に残る人がいます。
死にゆく人のケアをする私たちはプラットフォームにいて、正しい場所や快適な場所を探すのを手伝い、手荷物を載せ込み、関係者すべてにお別れの挨拶をしたかを確認します。
みんな列車には乗りますが、うまく乗れない人もいます。緩和ケアと安楽死を一緒くたにとらえる人も多いのですが、これはとても残念なことです。最期のときが近い患者を診るとき、「この医師は患者の命を終わらせるのではないか」と家族は心配します。私は、患者や家族やスタッフなどすべての関係者にケアの意味を説明しなければなりません。
■スタッフに考え方を理解させるのも大変
患者の死が迫ってくると、私は「自然死の意思あり」とカルテに書きますが、看護スタッフからはおかしな反応が返ってくることがあります。「先生、では鎮静を始めますか?」と。そうなると、私はまた一から説明しなければならなくなります。
「赤ちゃんはどのように産まれてきますか? 産まれるのに鎮静が必要ですか? 産まれるときも死ぬときも、鎮静する必要などないのです。自然に産まれ、自然に生き、自然に死ぬのです。私の言っていることがわかりますか?」
……こんなふうに、つぶさに説明しなければならないときもあります。患者の家族に納得してもらうより、看護師や栄養士や言語療法士や理学療法士(さらにやっかいなのは医師です)に理解させるほうが難しいのです。
読者の皆さんには、そんなやっかいな医師をどうか許していただきたいと思います。大学の医学部では、「死」について語るすべを教えてもらえません。そもそも人生について語るすべすら学んでいないのです。私たちが学ぶのは病気のことだけなので、医師の語彙(ごい)や議論はとても限られたものになります。
■死を回避しないということを受け入れる
とはいえ医師は皆、白衣と登録番号の奥に、悩み苦しむ心を抱えています。どうか同情し、大目に見てください。医師は、医学部に入学するときは「人の命を救いたい」という理想を抱いていますが、やがて薬や手術だけでは患者を救えないと思い知ります。医学部の授業では、「良い医師は死を回避するものだ」と教え込まれます。
そして、医師の仕事は「恐れ」を土台にしています。「検査をしましょう!」とか「週に5日はウォーキングをして、しっかりと睡眠をとり、正しい食事をしましょう!」と促し、「そうしなければ、死んでしまいますよ!」と脅します。
でも、それらをすべて実践したところで、人はいずれ死ぬものです。「○○をすれば、よりよい人生を送ることができます」と、注意の仕方を変えるべきです。
必要なのは、良い動機です。患者の死は医師の失敗ではない――医師や医療従事者は、このことを受け入れましょう。
医師にとっての失敗とは、かかわった患者が幸せに生きていないこと。がんが治癒したのに、幸せを感じられずに生きる人も多くいます。なぜそんなことになるのでしょう?
健康を取り戻すことが、より良い人生を送るためのきっかけになると患者に理解させられないのなら、医師は何のために病気を治すのでしょうか? 医師の最も重要な役目は、患者から目を離さないことです。
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緩和ケアや老年医学の分野で、世界で最も尊敬されている医師のひとり。緩和ケアにおける高度な専門家の連携を牽引するカーザ・ド・クイダール協会の創設者。出演したTEDトークは310万回以上の視聴回数を記録。世界的ベストセラーである『死にゆくあなたへ(原題:DEATH IS A DAY WORTH LIVING)』の執筆につながった。
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(サンパウロ大学病院医師 アナ・アランチス)
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