西武ファンは当たり前と思っているが…乗換アプリには表示されない"日本唯一"の野球ダイヤのすごい工夫
プレジデントオンライン / 2022年8月24日 12時15分
■間違えると大変なことになると駅長は言った
夕闇に包まれた埼玉県所沢市の西武球場前駅。改札を出たところにあるベルーナドームでは埼玉西武ライオンズのナイターが始まった。時折応援の太鼓の音や歓声がホームまで届く。3ホーム6番線を備える大きな駅だが、ほとんどのホームは無人だ。1番ホームのみが使用され、電車が着くと通勤・通学帰りらしい人々が改札を目指し、またすぐに静まり返る。
試合が進み、7回裏が終わったタイミングで、急に駅が慌ただしくなった。詰所から駅員や乗務員が一斉に出てくる。2~6番線ホームに停車してあった留置電車に次々と灯りがともる。乗務員が乗り込み、いつでも動かせるようにする出庫点検だ。ドアの開閉をチェックしたり、パァン、と小さく警笛が鳴らされたり。同時に駅員数人が改札口の前で円陣を組んで、担当する業務について最終打ち合わせを始めた。眠っていた駅が、パッと目覚める。
駅長の脇田弘司さんが決断を迫られる時間が、今日もまた近づいてきた。
「ハズレると大変なことになるので、しっかり判断したいと思います」
「ハズレ」とはどういうことか。
■日本の鉄道会社の中で唯一の変則ダイヤ
西武鉄道は、ベルーナドームで試合があるときに「野球ダイヤ」という特別な輸送ダイヤで列車を運行する。平日ナイター、土休日デーゲーム、土休日ナイターのそれぞれに合わせたダイヤがある。
通常はほとんどが西武球場前駅~西所沢駅の折り返し運転となるが、野球が終了すると、西所沢駅から先の所沢方面やJR武蔵野線と接続する秋津駅などにも直通する電車が増え、池袋行き直通特急「スタジアムエクスプレス」も運行する。
ああ、よくある増便のことでしょ、なんて思ってはいけない。
この野球ダイヤは日本の鉄道会社の中で唯一の変則ダイヤである。特徴は、増便だけではない。試合の進行に合わせた「パターン運行」を行うことにある。
■駅長が繰り出す「必殺技」
観客がドームに集まってくる往路のダイヤは、ゲームの開始時間に合わせて臨時電車を増便しておけばいいのだが、問題は帰路。試合時間が決まっているサッカーなどの競技と違って、野球は展開次第でゲームセットの時間がずれる。投手戦で早く終わったり、逆に打ち合いの果てに延長戦になったりして、事前に予測は不可能だ。
ということは、やたらと増便しても無駄になる。お客さんが帰宅する時間に、ピンポイントで大増便するのがベストなのだ。
そこで野球ダイヤには、土休日デーゲームなら18種、土休日ナイターで15種、平日ナイターでも9種の運行パターンが用意されている。
西武球場前駅に留置してある3~4本の回送電車を、臨時の池袋行き優等列車(急行や快速)として送り出すタイミングを、パターンの数だけ選べるのだ。
電車は10両連結の1編成で約2000人を運ぶことができる。つまり6000~8000人分の輸送能力拡大という「必殺技」を繰り出すタイミングを、駅長が状況を見ながら決める。
試合の流れを読んで「今日はこのパターンでいく!」と決断するのが、脇田さんに課されたミッションなのである。
■駅事務室にあるテレビが野球中継を流しているワケ
パターンがどう決められているのかを見学させてもらった。取材日は8月5日の金曜日。ナイターのロッテ戦。観客数は1万2619人と発表された。平日にしてはなかなかの人出だ。「いつもだいたい観客の6割ぐらいが鉄道利用者ですね」と脇田さん。
試合中は、いろいろな情報が脇田さんの元に集約される。たとえばゲーム後にイベントなどがあったりすると、観客が球場から出てくるのが遅くなる。
試合前に行われる球団側との定例の打ち合わせで、この日は試合後のイベント無しと確認。また、往路に西武球場前駅を利用した乗客数は6694人、という報告も入ってきた。ほぼ同数が復路も駅を利用するはずだ。
駅事務室の奥まった部屋にあるテレビには、中継映像が映し出されている。電話や無線を受けながら、脇田さんはテレビ画面のチェックも欠かさない。ゲームの流れは帰宅客の動きと直結するからだ。
「大差がついたりすると、早めに帰るお客さまが増える。逆にシーソーゲームだと、ほとんどのお客さまが最後まで残られるので混雑も集中する」
同駅の平日利用客は沿線の通勤客が主体で、駅員は2人だけ。のどかな駅だが、ドームで野球やイベントが開催されるときは、まったく違う顔を見せる。
ホームが3面、発着番線が6つもあるのは、大量輸送に対応するためだ。周辺の駅から応援の駅員も集められ、臨時の乗り越し精算窓口や特急券窓口を設置したり、誘導案内にあたったりする。
駅員のみなさんは、雰囲気を盛り上げるために埼玉西武ライオンズのユニホームを羽織っていたりして、お祭りムードなのだが、試合が進むにつれて緊張感もじわじわと高まってくる。
■「なるべく早く試合が終わってほしい」
この日の試合展開は、先攻のロッテが初回に3点を先制。西武が4回と5回に1点ずつ取って追い上げる展開となった。7回終了と同時に「パターン」はいつでも発動できるように準備が進められ、脇田さんの判断待ちとなる。
8回裏、ついに西武が3-3の同点に追いついた。さらに2死2塁で打者は西武の4番、山川選手。テレビを見ていた駅員から「逆転してくれよ」と声が上がる。熱いファンの声というよりは、むしろ冷静な口調。リードして9回表を抑えればコールドで9回裏がなくなるからだ。
時間帯が遅くなるほど遠方の客は帰りにくくなる。「なるべく早く終わってほしい」は鉄道員の本音なのだ。
だが、願い虚しく同点のままチェンジ。この時点で21時を過ぎている。試合時間も押し気味。焦りが募る。さらに9回も両チーム得点なく、試合は延長戦に突入した。ファンとしてはエキサイティングな攻防だが、駅員たちからは「あー」とため息も。
「こればかりは私たちでどうしようもない。他力本願ですからね」と脇田さんも渋い顔。テレビ画面をみながら、懐中時計を何度も出して時刻を確かめる。
■「パターン6」発動
「まだ大丈夫ですが、あまり試合が長引いてしまうと、乗り継ぎがなくて帰れなくなるお客さまも出てくる。球団に連絡すれば、各方面の最終連絡時間について(ドームの)オーロラビジョンで案内してもらえるようにしてあります」
そんな話も飛び出し、かなりの長丁場も覚悟していた10回裏。なんとも劇的な結末が待っていた。西武の川越選手がライトスタンドへサヨナラホームラン!
「よし、終わった」。ボールがスタンドに跳ねたのを見た脇田さんは、事務室の電話の前に移動して球団からのゲームセットの連絡を待つ。球審がゲームセットをコールするまで少々のタイムラグがあって、プルルと電話が鳴る。球団からの正式連絡だ。
「はい、はい。試合終了は21時36分ですね、ありがとうございます」
受話器を置いた脇田さんは「パターン6」で行くと決断した。すかさず運転司令と乗務員詰所に電話連絡。
周囲にいた駅員たちもすぐに動き出す。「パターン6」だと、1本目の臨時急行は21時47分に発車する。約10分後だ。決着を見届けたファンがスタンドから駅まで歩いてもギリギリ。ただ、それより15分遅い発車になる「パターン7」では遅過ぎるという判断だった。
「(臨時列車の)1本目は少し乗車率が低くなるかもしれませんが、きっと大丈夫でしょう」と脇田さん。
■わずか10分で臨時運行が開始される
先発、次発、次々発とすべて各停だった駅構内の行き先表示が、パッと切り替わって赤字の急行池袋行きが挟み込まれる。この表示は駅で変えているわけではない。
脇田さんから「パターン6」と連絡を受けた西武鉄道本社の運転司令がパターン番号を入力することにより、関係する駅の案内や信号制御パターンに応じた制御に一斉に切り替わるのだ。
運転司令からは各駅や乗務員の詰めている乗務所、在線しているすべての列車にも、「パターン6」で臨時列車が走ると通知される。一斉に情報が共有されて、全線で運行できる体制が取られるまでわずか10分ほどだという。
■他社の乗換案内アプリには表示されない臨時電車
ホーム上には試合終盤からちらほらと帰宅客の姿があったが、ゲームセットと同時に、どっと数が増える。ラッシュアワー到来。次から次に人々が駅の改札を抜けて、急行の停まっているホームに向かう。閑散としていた駅構内は、あっという間に人だらけに。
脇田さんもマイクを持ってホームに向かい、乗客を誘導し始めた。
「21時47分発池袋行き急行は4番ホームです。前の方が比較的すいています。前の方へお進みください」
誘導する側も手慣れているが、誘導される乗客も慣れている感じ。みなさん足早に車両前方へ。すいていると知っているのだ。すぐに次の電車があるとわかっているせいか、駆け込み乗車もほとんどなく、1本目の臨時急行はすんなり定時に発車。
スマホの画面を見ている人がいるのに気づいて広報担当者に聞いてみると、「西武線アプリ」には狭山線の「パターン6」の3列車が表示されていた。情報共有が行き届いている。ちなみに他社の乗り換え案内アプリでは、この確定したパターンの情報は反映されていないという。
■魔法のようなダイヤの効果
客足はどんどん増える。各停を挟んで、2本目の臨時急行が22時2分に出発。改札口に近い車両だけを見ればかなりの混み具合だが、全体では乗車率160~180%ほど。足の踏み場もないという感じではない。前方の車両にはまだ余裕がある。
2本目が出た後も、改札の外にも群衆が見える。
「ほんとに大丈夫なの?」と思えたが、3本目の臨時急行がやはり満員の状態で22時17分に出発したとたん、ぱたり、と客足が途絶えた。思わず「えっ?」とあたりを見回したが、ほぼ無人。長大な行列の最後尾がちょうど列車に吸い込まれたような感じ。魔法のような野球ダイヤの効果を目撃させてもらった。
「おつかれさまでした。今日もうまくいきましたね」
脇田さんの表情も明るい。
■一度サインを出したら止められない
まさに全社挙げてのチームプレーだが、ゴーサインを出したら、後戻りはできない。パターン発動で増発できる列車は3本か4本。もし、観客が球場に留まってなかなか駅にやってこなかったら……。輸送能力のピークが過ぎてから駅が混雑することになり、せっかくの野球ダイヤも無駄に。お客さまに不快な時間を過ごさせてしまうことになる。
マウンドに抑えの切り札を送り出す監督の苦悩を連想させられた。この回からいくか、次の回まで引っ張るか……。脇田さんのプレッシャー、じつは相当なものでは。そう聞くと「失敗したこともありますからね」と明かしてくれた。
「試合後にイベントがあるのを失念していて、パターンを決めてから『あれ? お客さまが来ないぞ』と。臨時列車がお客さまを乗せずに駅からいなくなっていく。もう真っ青ですよ。いやあ、思い出したくないです」
ただし、担当して8年になるが失敗はその一度だけ、という。苦い経験も、重圧のかかる駅長の仕事に生かされている。
「チームが勝っても負けても、なるべく気分良く帰っていただきたい。帰りの電車の中まで、存分に楽しんでもらえるとうれしいですね」
■「ダイヤは商品である」
まさに効果抜群の鉄道ダイヤだが、その実現には苦労があった。今回、事前に取材させてもらったのが計画管理部運行計画課主任の茂木啓資さん。ダイヤを作っている人である。話を聞いてみると、西武球場前駅のロケーションがかなり特殊なのだ。
ハードルその1。ベルーナドームの最寄り駅である西武球場前駅は、池袋線西所沢駅から延びる支線である狭山線の終着駅。
西武池袋線本線上なら増発もしやすいそうだが、支線である上に西所沢―西武球場前駅間は単線なので、途中駅(下山口)で上下電車をすれ違わせる必要がある。「最も効率を上げても1時間に往復で8本までが限界」と茂木さん。
ハードルその2。西所沢駅の狭山線ホームは2つ、うち1つは8両編成しか止まれない。パターンで使用する優等電車は10両編成のため、使用できるホームは1つしかない。
ハードルその3。西所沢駅は狭山線と池袋線が走るが立体交差ではない。西武球場前から池袋方面に向かう狭山線上り電車は、池袋線の下り線路を越えなくてはならない。池袋線を走る電車の合間に通さなくてはならないので、これも制約が出てくる。
パターン増便されるのは池袋方面行きだから、池袋線内で追い越す駅なども調整しなければならない。
斜めの線が無数に引かれた列車運行図表を見せてもらったが、すべてのハードルをクリアして、輸送能力を最大限に発揮できるように組み上げられた「鉄道ダイヤ」はひとつ作るだけでも大変そう。それが40パターン以上も用意されていて、いつでも使えるようになっているのだ。
「ダイヤは商品であるので、ただの輸送ではなくサービス面も考えています。効率良く早く帰れることは大切にしたい。安全安心に、気持ちよく帰っていただくことで、またご利用してもらえれば」と茂木さん。
■プロ野球チームを持つ鉄道会社ならではのサービス
約3万3000人収容のベルーナドームでは、アイドルやアーティストのコンサートといった大規模イベントも行われる。催事のときはほとんどが鉄道利用で、しかも土地勘のない来場者も多くなるので、より丁寧な案内が必要になる。
効率的な大量輸送サービスとして積み重ねている野球ダイヤの経験が生かされるのは、そういう時だ。
「3万人は本当に大変ですけど、無事にお客さまを送り出せた時の達成感はすごくありますよ」と脇田駅長。
日本唯一のフレキシブルな鉄道ダイヤ。他に例がないのは、非常に手間がかかるからだろう。それでも続けているのは、「より多くのお客さまに、西武鉄道でベルーナドームにお越しいただいて、楽しい気分のままスムーズに帰ってもらって、また電車で来ようと思ってもらいたい」という鉄道屋精神。
加えて、脇田さんも、茂木さんも、広報担当者も、同じ意味の言葉を口にしていた。「プロ野球チームを持っている鉄道会社ならではのサービス」。たしかにそうだ。アイデンティティーをビジネスに生かしている好例だろう。
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フリーライター
1963年生まれ。大阪府出身。全国紙の記者、編集委員を経て、令和元年からフリーに。
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(フリーライター 篠原 知存)
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