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接続詞を「別れ言葉」にしている…「さよなら」という4文字を米国人作家が「最も美しい言葉」と評したワケ

プレジデントオンライン / 2022年8月25日 17時15分

稲葉俊郎さん(写真=筆者提供)

日本人はなぜ「さよなら」と別れるのか。軽井沢病院の稲葉俊郎院長は「私は東京大学の竹内整一教授に、1年間かけてこの言葉だけについて授業を受けた。そのくらいの深さと強度がこの言葉にはある。アメリカ人作家が『世界中を旅したが、このように美しい言葉をわたしは知らない』と評したのも納得だ」という――。

※本稿は、稲葉俊郎『いのちの居場所』(扶桑社)の一部を再編集したものです。

■東京大学では1年間かけて「さよなら」だけを学んだ

人生には、たくさんの出会いと別れがあります。そうした出会いと別れは、一つのセットのようにして互いを補い合う関係にあります。出会いがあるからこそ別れがあり、別れがあるからこそ新しい出会いも生まれます。

別れの言葉は世界中に存在していますが、日本語で使われる「さよなら」「さようなら」という言葉は、もともとどのような言葉なのかご存じでしょうか。わたしは学生時代、この言葉だけについて1年間の授業を受けました。そのくらいの深さと強度がこの言葉には秘められているようです。

竹内整一著『日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか』(筑摩書房、2009年)という本があります。わたしは医学部の学生時代に、竹内整一先生の講義で学んでいました。当時、竹内先生は東京大学文学部の教授であり、倫理学・日本思想史を専門にされていました。大和言葉も含め、日本古来の言葉そのものの研究もされていました。

わたしは学生時代、医学だけでなく文学や哲学や宗教など、人間の「考える営み」に関心をもっていました。芸術や音楽と違って、哲学のようにものごとを深く考えるときには「言葉」を介して深い井戸に潜っていく感覚があり、「言葉」そのものにも興味があったのです。

自分の中では医学や生命を深く考えることと、哲学や言葉を深く学ぶことはつながっていたので、他学部の授業に潜り込んで興味が赴くままに学んでいました。学問は、学ぼうとする人に対しては常に開かれているものです。そうした学生時代に「さようなら」の意味を深く学ぶ機会があり、今でもその言葉を聞くたびに思い出すのです。

■「別れ言葉」の3パターンに分類できない

世界の別れ言葉の語源として、一つには「神のご加護を祈る」という意味があります。英語の“good-bye”はもともと“God be with you”が短くなった言葉で、「神があなたとともにあらんことを祈る」という意味です。スペイン語の“adios”も「神のご加護を祈る」という意味の言葉が、別れの言葉として使われています。

他によく使われるのが、「また会いましょう」という意味の別れ言葉です。英語の“see you again”や中国語の「再見(ツァイチェン)」などです。それ以外には、「お元気で」という意味の別れ言葉もあります。英語の“farewell”や韓国語の「안녕히계세요(アンニョンヒケセヨ)」などもそうした意味合いの言葉です。

世界の「別れ言葉」は、「神のご加護を祈る」、「また会いましょう」、「お元気で」と言った三つのパターンに分類されます。ところが、日本語の「さようなら」はどのパターンにも当てはまらない特殊な言葉なのです。「さようなら」に似た日本語としては、「さらば」「それでは」「じゃあ」「ほな」などもありますが、いずれも上記のカテゴリーに当てはまりません。日本語は、世界中の言語表現の中でも極めて珍しい言葉を別れ言葉として採用しているようです。

では、「さようなら」は、どういう意味を含んだ言葉なのでしょうか。「さようなら」と似た「さらば」は、「左様であるならば」を略した言葉です。「左様であるならば」は、「そのようであるならば」という意味であり、言葉の分類としては接続詞にあたります。つまり、日本語は接続詞を別れのあいさつとして転用しているのです。

■別れの痛みを「再会の希望」で紛らわさない

別れは、儚く、悲しく、せつないものです。そのようにして自分の中に流れる感情や自分と相手の間に流れる感情を、お互いの関係性の中で起きたことを「そのようであるならば」と、ありのまま受けとめる。そうした態度が「左様であるならば」、つまり「さようなら」という言語表現として伝えられてきました。こうした日常的な言葉の中にこそ、日本人の感性やものごとの受け止め方、考え方や哲学が特徴的に表れています。

アメリカの紀行作家でアン・リンドバーグという人がいます。彼女の夫は1927年に単独で大西洋無着陸横断飛行をしたチャールズ・リンドバーグでもあり、アン・リンドバーグもまた世界中の国を渡り歩きながら旅をして、行く先々で多くの出会いと別れを繰り返しました。世界中を旅する中で日本語の「さよなら」という言葉が最も琴線に響いたようで、その体験を『翼よ、北に』(みすず書房・2002年)という著作で記しています。

「サヨナラ」を文字どおりに訳すと、「そうならなければならないなら」という意味だという。
これまでに耳にした別れの言葉のうちで、このように美しい言葉をわたしは知らない。
〈Auf Wiedersehen〉や〈Au revoir〉や〈Till we meet again〉のように、別れの痛みを再会の希望によって紛らわそうという試みを「サヨナラ」はしない。
目をしばたたいて涙を健気に抑えて告げる〈Farewell〉のように、別離の苦い味わいを避けてもいない。
……けれども「サヨナラ」は言いすぎもしなければ、言い足りなくもない。
それは事実をあるがままに受け入れている。
人生の理解のすべてがその四音のうちにこもっている。
ひそかにくすぶっているものを含めて、すべての感情がそのうちに埋み火のようにこもっているが、それ自体は何も語らない。言葉にしないGood-byeであり、心を込めて握る暖かさなのだ――「サヨナラ」は。

AnneMorrowLindbergh(著)、中村妙子(訳)『翼よ、北に』(みすず書房・2002年)

■受け止めた過去を、未来へとつなげていく言葉

アン・リンドバーグは、日本で言われた「さよなら」という不思議な語感を持つ四文字の別れ言葉にすごく惹かれたと記しています。別れを紛らわせたり、悲しんだりするのではなく、ありのまま受け入れる。しかも「そうならなければならないなら」というのは、受け止めた過去を未来へとつなげていく言葉なのだと記述しています。

長い人生の中では、出会いもあれば別れもあります。特に別れの瞬間には、喜怒哀楽すべてが入り混じった複雑な感情が呼び起こされます。静かだった水面をかき乱されるかのように、あらゆる過去の感情が現在のものとして同時に押し寄せてきます。

学校や職場での別れだけではありません。恋愛・死別の別れなど、わたしたちの魂に深く影響する別れも必ず訪れます。そして、別れは努力で解決できるものではなく、自分の力が及ばない、どうすることもできないものばかりです。

別れのときに使う「さようなら」「さよなら」は、接続詞であると述べました。つまり、自分ではどうにもできないこともあるけれど、そのことをごまかさずにありのままを受け止め、そうした経験を未来へとつなげようとする視点や意思も含めて、「さよなら」という言葉の中に折りたたまれているのです。

■「形あるものは形ないものになる」仏教に通じる考え方

般若心経の有名な一節に「色即是空 空即是色」という言葉があります。形あるもの(色)は、形ないもの(空)になる。逆もまた真で、形なきもの(空)も、また形あるもの(色)になる、という意味合いの言葉です。

僧侶の手
写真=iStock.com/helovi
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/helovi

この言葉は、水や雲、光やいのち、自然界のあらゆる現象の根底にある真実を語っていると思います。浄土真宗の金子大榮は、この言葉を「花びらは散っても、花は散らない」と現代語訳しました。

つまり「物質としての花びら(色)はいずれ散る運命にあるが、過去に存在していた、生きていたということは、どうあっても散らないものである(空)」ということです。

散りゆく花びらや自然の生成流転する情景を見ながら、人生と重ね合わせ、滅びゆく肉体や別れなど、移ろいゆく無常を全身で感じ取ることがあります。そうしたときも「そうならなければならないのならば」と、ありのままのすべてを受け止めて、「さようなら」という別れの言葉を発する。

そのことで、過去の厚みの中に今わたしたちは存在していること、そのうえで未来に向かって生きていくことを改めて受け入れるのです。連続する無常で悠久な時間を生きていることを、日本語の「さようなら」という言葉は生きた哲学として表現しているのでないかとわたしは思います。

■欠けるからこそ“新しい何か”を受け入れることができる

生み出された言葉が無数にある中で、わたしたちは「さようなら」を別れの言葉として選び、いまだに使い続けています。「さようなら」では五音ですが、「さよなら」だと四音、「さらば」だと三音、「ほな」だと二音にまで簡略化されます。そうした圧縮された音の響きの中にも、日本語が持つ長い歴史と深い思いが光のように重なって含まれているのだと感じます。

別れのときには、悲しみや喪失感が伴います。喪失感は、何かを失い欠けたことを感じている感覚ですが、別の観点でいえば「欠けたからこそ、その場所に新しい何かが入ってくるスペースが生まれている」ということでもあります。

曹洞宗の開祖である道元禅師の『正法眼蔵』の中には、「放てば手に満てり」という言葉が出てきます。これは「手の中に何かを掴んでいると手の中に何も入って来ないが、いったん手放してみると、その空いた手に別の何かが入って満ちてくる」という意味だと理解しています。

■「別れ」はただの喪失体験ではない

わたしたちは何かを掴んだら執着が生まれ、「得たものを離さない、失いたくない」という方向へと心が向かいやすいものです。ただ、何かの拍子にパッと手離してみると、余白が生まれたからこそまったく別の新しい何かがやってくることがあります。

手離してみない限り、何が入ってくるのかは誰にも分かりません。別れにも同じような側面があるのだと思います。別れには、喪失感が襲います。しかし、「失うと同時に、何かを得ているのだ」と考えれば、別れというものはただの喪失体験にとどまるものではなく、何か別のものを受け取っている体験でもあるのだと思います。

今の混迷した時代も、まさにそういう転機であると言えます。いろいろな社会基盤自体が大きく揺らぎ、世の中が大きな変化を迎えています。わたしたちがこれまで掴んで離さなかったものが手から離れていっている時代ですが、同時にまったく新しい何かがわたしたちの中へと入ってくる時代でもあるのではないでしょうか。失ったものにだけ注目するのではなく、得たものを探してみることも大事ではないかと思うのです。

わたしは医療現場に立ち、亡くなる方を看取ることもあります。わたしたちは何かを考え悩んでいるときにも、生きている側の視点だけでものごとを考えがちです。しかし、この社会や自然、そして備わっている「いのち」も、すべては過去に亡くなった方々から贈られ、受け取ったものです。「さようなら」も、過去を生きた人々があらゆる言葉を使う中で生き残り、今こうして使っています。言葉もすべて死者からの贈り物なのです。

■コロナ禍こそ新しく入ってきたものに目を向けるべき

「今ここに生きている」ということがいかに貴重なことであるかは、死者の視点から「いのち」を考えない限り答えは出てきません。「いのち」を考えるときに、死者を想うことは大切なことです。そのことで、生の尊厳や価値が立ち上がって来るのだと思います。膨大な死者たちからの贈り物によって「生の世界」が存在していることを想像できたときに、「いのち」が受け渡されてきた重みを実感できるのだろうと思います。

稲葉俊郎『いのちの居場所』(扶桑社)
稲葉俊郎『いのちの居場所』(扶桑社)

過去の「いのち」を受けとり、未来へと生きる。絶え間なく連続している時の流れの中で、わたしたちは今という永遠なる瞬間を生き続けています。「さようなら」という言葉を使うことで、過去・現在・未来をつなげるようにして「今」を生きているのです。

「さようなら」は、他者への別れの言葉であると同時に、自分自身への別れの言葉でもあります。「過去の自分」をありのまま受け止めたうえで、過去・現在・未来の流れを生きていく。無常で変化し続ける自分に対しての、別れの言葉でもあるのでしょう。

コロナ禍の時代でも、手に掴んで離さなかったものが、いつのまにか手から零れ落ちて「さよなら」していることがあります。そのことで、まったく新しい何かが手の中に入り込んできているとしたら、そうしたものを発見していく時期です。そうした発見こそが、新しい時代の光明となるのだろうと思います。

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稲葉 俊郎(いなば・としろう)
軽井沢病院 院長
1979年熊本生まれ。医師、医学博士。軽井沢病院院長。2014年に東京大学医学系研究科内科学大学院博士課程を卒業(医学博士)。2014年、東京大学医学部付属病院循環器内科助教を経て、2020年4月から軽井沢へと拠点を移し、信州大学社会基盤研究所特任准教授、東京大学先端科学技術研究センター客員研究員を兼任。東北芸術工科大学客員教授(山形ビエンナーレ2020 芸術監督就任)を併任。2022年4月から軽井沢病院院長。「全体性」を取り戻す、新しい社会の一環としての医療のあり方を模索している。著書に『ころころするからだ この世界で生きていくために考える「いのち」のコト』(春秋社)、『学びのきほん からだとこころの健康学』(NHK出版)、『いのちを呼びさますもの ひとのこころとからだ』『いのちは のちの いのちへ 新しい医療のかたち』(ともにアノニマ・スタジオ)など。

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(軽井沢病院 院長 稲葉 俊郎)

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