普通に読むとつまらない本だが…ビジネスリーダーの必読書「貞観政要」に常識しか書かれてない本当の理由
プレジデントオンライン / 2022年8月29日 10時15分
■日本のビジネスリーダー必読書に描かれている稀代の名君
——そもそも『貞観政要』とは、どのような本なのでしょうか。
『貞観政要』は、唐の第二代皇帝・太宗(李世民、598~649年)と臣下たちとの問答を記録したとされる本です。貞観とはその太宗皇帝の年号で、かれは「貞観の治」と言われる太平の世を築いた稀代の名君、それを支えた部下たちも名臣の誉れ高い人たちです。
そのため古来より、エリートたちが帝王学を修めるために愛読してきた本で、現代でも「指導者の条件」や「人材の登用」などの視点から、組織運営の参考書としてビジネスリーダーに広く読まれています。
しかし、中国史を専門にしている身からすると、『貞観政要』の内容を額面通りに受け取ってもいいのだろうかと、ちょっと疑問に思わないでもありません。
——岡本さんは『貞観政要』の内容に批判的なのですか。
内容自体に特に批判はありません。そもそも古典はどんな読み方をしてもよいものですから、そこに口を挟むつもりはありません。
ただ、『貞観政要』で書かれている太宗と部下のやりとりが示しているのは、「部下の話によく耳を傾けよ」「失敗を素直に認めて反省せよ」などごく常識的な内容で、さほど目新しいものではありません。
ですから、この本に価値があるとすれば、歴史上、実在した名君と名臣が実際に交わしたやりとりであるという「事実性」にあるはずです。たとえば、私がこの本と同じことを言っても、ほとんど何の説得力もないでしょう。
では、太宗は、本当にあの本で書かれているような謙虚で清廉潔白な名君だったのでしょうか? 歴史家から言わせてもらえば、決してそのような人物ではありません。
■「常識」を強調する本当の理由
——太宗とは、どんな人物だったのですか。
たとえば「部下の話をよく聞く」というイメージについては、歴史に詳しかった18世紀の趙翼という学者が、「太宗が部下の諫言を聞き入れていたのは、治世の最初の方だけ」と書いています。
ふつうに史書を読めばわかることですが、少なくとも、唯々諾々と部下の進言を聞き入れるようなタイプではなかった。
そもそも、太宗が第二代皇帝の地位を手に入れた経緯からして、非常に血なまぐさい。皇太子だった兄・李建成と弟・李元吉に不意打ちを仕掛けて殺害した「玄武門の変」、つまり一種のクーデターによって強引に皇帝の座を手に入れたのです。
——日本のビジネスマンが理想のリーダーの鑑にしているのは、兄弟を殺して皇帝に成り上がった人物なのですか。
その通りです。だからこそ太宗は、兄弟殺しの後ろめたさを隠し、自身の正統性を広く世間に訴える必要があった。『貞観政要』も、そのようなプロパガンダの一環として作られたものです。
彼は狡猾な人物なので、歴史や記録の利用価値をよく知っていました。太宗は、長らく途絶えていた正史編纂事業をあえて復活させ、担当する史館まで設けて、先行する歴代王朝の史書を作らせました。そこでスケープゴートとして利用されたのが、前王朝の隋の二代目・煬帝です。
■隋の煬帝は本当に「暴君」だったのか
——たしかに『貞観政要』には、隋の煬帝の話がよく出てきます。すごい暴君だったんですよね。
煬帝は、皇太子だった兄に陰謀を仕掛けて廃嫡に追い込み、父の文帝を殺して隋の二代目皇帝になったとされています。
派手好みで、都城建設や運河掘削などの大規模な土木工事に邁進し、さらに対外遠征も繰り返し、臣民たちに塗炭の苦しみを味わわせ、あげく内乱がおきて隋王朝は滅亡、煬帝も横死します。
しかし、このような悪評の多くは、太宗の命令で作られた史書『隋書』に記載されたものです。とりわけ父帝の弑殺(しいさつ)などは、とても史実として信じられません。
もちろん、亡国の責を煬帝が負うべきだとは思いますが、どこまで額面通りに受け取って良いものか。むしろ煬帝をあげつらって、事実以上に貶めることによって、太宗自身の「名君」化を図ろうとしているように読めます。
たとえば、太宗は煬帝について、次のように語っています。
「隋の煬帝は暴虐の限りをつくしたあげく、匹夫の手にかかって果てたが、その死を聞いて嘆き悲しんだ者はほとんどいなかったという。どうかそちたちは、朕に煬帝の轍を踏ませないでほしい。……」
■太宗は「偽善に長けた稀代の悪党」
——なるほど、たしかに煬帝をダシにして、自らの名君ぶりをアピールしているようにも読めます。
歴史を振り返れば、煬帝が都城を建設したのも、大運河を掘削したのも、高句麗への遠征を繰り返したのも、誰が帝位にあっても早晩やらなければならない事業でした。
その証拠に、太宗自身、皇帝に即位してからは、洛陽宮を建設し、大運河を掘り進め、三度にわたり高句麗へ遠征しています。つまり、まったく煬帝と同じコースを歩んでいるわけです。
しかし、まっすぐな性格で、気に入らない意見には耳を貸さず、自らを偽ったり粉飾したりしなかった煬帝に対して、太宗はもっと狡猾でした。
同じことをやるにしても、煬帝との違いを常にアピールして、自らに批判が集まらないように巧みに立ち振る舞って、名君に収まったのです。
そうした点、偽善に長けた稀代の悪党というべきでしょう。
■「意地悪な読み方」がちょうどいい
——では、『貞観政要』に書かれているのは客観的な史実とは言い難いものなのですか。
根も葉もない嘘とは申せません。
ただし、そもそも中国において「歴史」とは客観的な事実ではありえません。司馬遷の『史記』は最初に「天道は是か非か」という命題を示して、その問いに答えるべく、史書を編み、史学を創めたのです。
つまりは毀誉褒貶(きよほうへん)、勧善懲悪のすすめであって、その判断基準は時の権力者・体制の都合で決まります。中国の人にとって、歴史にバイアスがあるのは当然であり、まさにイデオロギーそのものなのです。
——『貞観政要』のありがたみが減ってしまったような……。
いえいえ、これまで述べたような客観的な史実をしっかり踏まえた上で、一つひとつの問答を吟味すると、なかなか味わい深いものがありますよ。
どんな仕事にも構造的にさまざまな制約や課題があって、結局、前任者と同じようなことをやらざるをえないし、そうすると当然ながら同じような結果しか出せない。そのような中で、どうやって前任者との違いをアピールして、自らの評価を高めればいいのか――そんな視点でみれば、大いに参考になると思います。
ちょっと意地悪な見方かもしれませんが、歴史を研究していると、むしろ「悪党」とされる人物の方が、良くも悪くも学ぶところが多いというのが実感です。
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京都府立大学教授
1965年、京都市生まれ。京都大学大学院文学研究科博士後期課程満期退学。博士(文学)。宮崎大学助教授を経て、現職。専攻は東洋史・近代アジア史。著書に『近代中国と海関』(名古屋大学出版会・大平正芳記念賞受賞)、『属国と自主のあいだ』(名古屋大学出版会・サントリー学芸賞受賞)、『中国の誕生』(名古屋大学出版会・樫山純三賞、アジア太平洋賞特別賞受賞)、『世界のなかの日清韓関係史』(講談社選書メチエ)、『李鴻章』『袁世凱』『「中国」の形成』(以上、岩波新書)、『近代中国史』『世界史序説』(以上、ちくま新書)、『中国の論理』『東アジアの論理』(以上、中公新書)、『日中関係史』(PHP新書)、『君主号の世界史』(新潮新書)、『世界史とつなげて学ぶ中国全史』(東洋経済新報社)、『増補 中国「反日」の源流』(ちくま学芸文庫)など多数。
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(京都府立大学教授 岡本 隆司)
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