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善人は弱小政治家で終わってしまう…中国の歴代指導者が「稀代の悪党ばかり」である根本原因

プレジデントオンライン / 2022年8月30日 12時15分

中国の習近平国家主席(=2017年6月29日、中国・香港) - 写真=AFP/時事通信フォト

中国の習近平国家主席が今秋で2期目を終え、異例の続投となるか注目を集めている。なぜ中国の指導者は独裁政治に走るのか。京都府立大学の岡本隆司教授は「政治家個人の資質にあるのではなく、中国という国家のシステムに原因がある」という。岡本教授の新著『悪党たちの中華帝国』(新潮選書)からお届けする――。

■なぜ習近平・国家主席は「3選」を目指すのか

20世紀初頭・辛亥革命にはじまる中国革命のプロセスのなかで、「中華帝国」はたしかに消滅した。しかしそれは「中華」が「中国」に転化し、「帝国」から皇帝がいなくなっただけ、かえって混迷を加えた観がある。

「国家主義(ナショナリズム)」は身についても、めざす国民国家(ネイション・ステイト)には成りきれていない。広大な境域に横たわる地域偏差と多元性、エリートと庶民がはるかに乖離(かいり)し、多層化した社会の格差は、依然として根強く存続した。

だから共和制に転換しながら、帝制の復活も経験したし、独裁制も残存している。国民国家の樹立をめざす革命が、何度も起こらなくてはならなかった。したがって試行錯誤もくりかえされ、「悪党たち」の輩出は今も終わらない。

■まるで「皇帝」のようなふるまい

21世紀の今日、めざましい大国化を遂げた中華人民共和国も然り、地域偏差や経済格差は、むしろ悪化した面すらある。だとすれば、最高指導者の習近平が、「悪党」にみまがう強権を発動し、中国革命が否定したはずの「皇帝」のようにふるまうのも、けだし当然だといわざるをえない。

現代中国の問題を「中華帝国」という歴史的なシステムとしてとらえなおすなら、そこに深く関連してくるのは、香港のいわゆる「一国二制度」であろうか。

関連の報道で目につくのは、「中国は『一国二制度』を認めなくなった」との論調であり、「事実上『一国二制度』をつぶしている」ともいう。たしかに中国政府・香港当局が、既成の情況を改めてきたのはまちがいない。

しかし中国は一貫して「一国二制度」を遵守、保持すべく行動したと主張してきた。つまり同じく「一国二制度」と口にしても、香港の民主派勢力と北京政府とは、対極にある。

前者は「二制度」という別個の体制・存在を現状既得だとみなすのに対し、後者は現状としての「二制度」はやむなく認めても、ゆくゆくは「一国」の「一制度」となるべしという論理であった。

たとえば、民主派勢力が香港特別行政区基本法第二条の「高度な自治」を守るよう求めて「独立」ととなえると、現地当局・中央政府には「中国」から分離独立すると聞こえる。それは「二制度」を逸脱し「一国」に背反するから、許すわけにはいかない。

■「一国二制度」と「一つの中国」の関係性

そもそも「一国二制度」とは、大陸中国が台湾を統一するため案出した方法だった。

あからさまに「独立」をいわない台湾は、「二制度」の香港以上に、大陸とは別の存在である。これを「一つの中国」とするのが、「一国二制度」の目標であるけれども、香港の末路をみて、台湾が応じるはずもない。

そうした事情は「一国二制度」、あるいは香港・台湾にとどまらない。中国の「少数民族」「自治区」であるチベットにもあてはまる。

チベットの最高指導者ダライ・ラマ14世は、1959年にインドへ亡命したまま、帰還を果たしていない。中国の処遇に納得できないからであり、「自治区」の自治ではなく「高度な自治」を要求しつづけている。

チベット人も独自の宗教・習俗・慣例に対する否定に満足していない。そんなかれらの起こす「暴動」に対し、北京政府は弾圧をくりかえしてきた。「自治区」が一部をなす「一つの中国」、あるいは「少数民族」も含む「中華民族」の否定につながりかねないからである。それでは「中国」「中華」から離反する「独立」と選ぶところはない。

近年の新疆ウイグル自治区のムスリム住民に対する抑圧も、そうである。収容所・強制労働など、形態・方法は異なっても、政府当局の動機・論理は変わらない。

欧米やわれわれは、それをかつては「民族問題」といい、現在では「人権侵害」と非難する。けれどもそれは、20世紀初頭の梁啓超以来、中国がとなえてきた「一つの中国」「中華民族」の創出達成にあたって、不可避な現象にほかならない。少なくとも現在の北京政府は、そうみなしている。

古い地球儀の中国とその周辺国
写真=iStock.com/TCShutter
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/TCShutter

■多元社会を統合する「中華システム」

「中華」という中心は、そうした多様で分散的な住民をまとめ上げるシステムとして機能し、また転変も重ねてきた。

唯一無二の中心を有するからこそ、多元的な社会のまま全体的な秩序が保たれるのであって、多かれ少なかれ、かつてのいわゆる世界帝国に共通したしくみである。

しかし西欧の国民国家が強大化して、その思想・制度がはいってくると、広域の多様な人々を包括していた「帝国」は、例外なく「一国家一民族(国民)」のシステム構築を強いられた。かつての「中華帝国」も、そうした転換にあたって、「中国」と「中華民族」の概念をその基軸に据える。

「中華」=天下の中心は「一つ」しかないのと同じく、その「帝国」を後継した国民国家の「中国」も、「一つ」しかありえない。「一つの中国」・一つの「中華民族」が国民国家の枠組みになったゆえんである。

もっとも、従前の「中華帝国」は多元社会であったから、後継の「中国」を構成する集団も、ごく分散的で多様だった。とても「一つ」とはいえない。

そうした現状が厳存するからこそ、「二制度」「自治区」が必要だった。「一つ」ではないので「二制度」でありながら、それでも「一国」にならねばならない。「一国二制度」をめぐって生じる軋轢のメカニズムである。

■蒋介石、毛沢東も強権支配にならざるをえなかった

当代の「悪党」習近平も、自意識としては国民の統合・国家の統一という最低限を果たそうとしているだけなのかもしれない。

それが局外、主に西側諸国からは独裁・「皇帝」にみえるところに問題がある。確かに在地の人心に対する配慮は乏しく、民主主義と背馳するのはまちがいない。

蔣介石
蔣介石(写真=Militaryace/PD-user/Wikimedia Commons)

しかし当事者にいわせれば、多元的でバラバラな集団・人心を逐一顧慮していては、めざす国民国家の達成は不可能である。

目前ばかりではない。梁啓超以後の中国史でいえば、近代政党だったはずの国民党も共産党も、それまでの「皇帝」システムに最も近い「党=国家」体制・民主集中制を採用して、強権的な支配にならざるをえなかった。

「革命」を標榜し「反帝国主義」を掲げた国共の目標・スローガンからすれば、それは矛盾に映るかもしれない。それでも上に述べてきたいきさつからすれば、歴史にのっとったパフォーマンスでもあった。

蒋介石・毛沢東のような「悪党」が生まれたのも不思議ではない。

■中国に「悪党」は欠かせない

中国はこのように古来「帝国」であって、多元的な社会を統治すべく、「悪党」を生み出し続けてきた。そのうえで現在、国民国家を構築すべく模索し、各方面で摩擦を起こしている。

毛沢東
毛沢東(写真=孟庆彪、Hou Bo/PD China/Wikimedia Commons)

中国が覇権的な「帝国」のようにふるまうのも、習近平が強権的な「皇帝」にみまがうのも、そうした歴史的な所産といってもよい。

ところが欧米諸国および日本は、こうした事情を必ずしも十分に理解できていないようである。強権的な「皇帝」・覇権的な「帝国」といえば、基本的人権・民主主義・国民国家・国際秩序、そして反帝国主義に違背する、つまり「普遍的価値」に反する、という言説が多い。そうした「普遍的価値」は、種々の要件を満たして、はじめて成立する。

地勢的にまとまった一定規模の国土、言語習俗の均質な住民などはその典型であって、そうした要件をそなえた国は、現在の世界をみわたしても、数的に決して多いとはいえない。また誕生してからまだ新しく、長く数えても数百年である。「普遍的価値」というけれども、史上それほど「普遍的」な存在ではない。

19世紀から20世紀にかけて、そうした国民国家が帝国主義を実現して世界を制覇し、国民国家と国際秩序がひとまず世界のスタンダードになった。中国もそんな趨勢のなかで、「帝国」から国民国家への転身をはかっている。それは上に見たとおり、なお未完のまま2022年も半ばを越えた。

■強権が無ければ秩序は保てない

それなら日本はどうか。日本も明治維新で、同じく国民国家をめざした。明治日本が中国と対蹠的に、その目標をおよそ円滑に達成できたのは、日本列島が偶然に国民国家の要件をそなえていたからである。

岡本 隆司『悪党たちの中華帝国』(新潮選書)
岡本 隆司『悪党たちの中華帝国』(新潮選書)

また日本は史上、ほとんど多元社会の「帝国」システムを経験、運用したことがない。つまり多元的な社会・集団を統合的に共存させるノウハウを有しなかった。近代日本は欧米列強に倣って帝国主義に邁進し、「帝国」になろうとして戦争を起こし、自滅している。日本にとって「帝国」経営は手に余るシロモノだった。

それに対し、中国は歴史的に「帝国」でありながら、「反帝国主義」を叫んで国民国家をめざし、なお「夢」みている。そんな中国を日本人が理解するのは、やはり容易ではない。

中国の歴代指導者がことごとく「悪党」なのは、そうでないと全体の秩序が保てないシステムだったからである。

目前もそうであって、一つでないものを「一つ」にしようとする以上、ポスト習近平が誰であれ、おそらく「悪党」にならざるをえない。「人柄がよさそう」な人物を首相にしたがるわれわれの論理を絶している。

■異形の大国・中国を知るために

それなら日本人は間尺にあった「普遍的価値」を持しつつも絶対視することなく、「中華帝国」以来の歴史的システムを知りつくした上で、香港・台湾・チベット・ウイグル問題に対処してゆかねばならない。けだし尖閣や沖縄という自らの課題とも無関係ではないからである。

中国は今やアメリカと比肩、対立しうる大国となった。しかも同時に、「皇帝」支配の「帝国」にもみまがう異形の大国である。

そんな隣人から、われわれは離れることができない。否応なくつきあっていくほかはないのである。あらためて中国と「帝国」と「悪党たち」を歴史に学ぶことが、その一助になると信じたい。

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岡本 隆司(おかもと・たかし)
京都府立大学教授
1965年、京都市生まれ。京都大学大学院文学研究科博士後期課程満期退学。博士(文学)。宮崎大学助教授を経て、現職。専攻は東洋史・近代アジア史。著書に『近代中国と海関』(名古屋大学出版会・大平正芳記念賞受賞)、『属国と自主のあいだ』(名古屋大学出版会・サントリー学芸賞受賞)、『中国の誕生』(名古屋大学出版会・樫山純三賞、アジア太平洋賞特別賞受賞)、『世界のなかの日清韓関係史』(講談社選書メチエ)、『李鴻章』『袁世凱』『「中国」の形成』(以上、岩波新書)、『近代中国史』『世界史序説』(以上、ちくま新書)、『中国の論理』『東アジアの論理』(以上、中公新書)、『日中関係史』(PHP新書)、『君主号の世界史』(新潮新書)、『世界史とつなげて学ぶ中国全史』(東洋経済新報社)、『増補 中国「反日」の源流』(ちくま学芸文庫)など多数。

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(京都府立大学教授 岡本 隆司)

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