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日本の企業は「持ち帰って相談」ばかり…ドバイの経営者が「韓国や中国のほうがやりやすい」と話すワケ

プレジデントオンライン / 2022年8月28日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/dblight

日中韓の企業は海外でどう評価されているのか。駐ミクロネシア連邦大使で過去に在韓国大使館総括公使を務めた道上尚史さんは「ドバイの経営者に話を聞いたところ、『日本のビジネスは窮屈で的が小さい。韓国や中国のほうがやりやすい』と言われた。この現実を日本のビジネスマンは知らなすぎる」という――。(第3回)

※本稿は、道上尚史『韓国の変化 日本の選択 外交官が見た日韓のズレ』(ちくま新書)の一部を再編集したものです。

■「日本企業はもう自分たちのライバルではない」

ビジネスにおいて韓国が日本をどう見ているのだろうか。エピソードを紹介したい。8年ほど前、サムスン、LGという二大財閥の総帥(そうすい)自身の口からこんなことを聞いた。

「部下たちは、日本企業はもう自分たちのライバルではないと言います。私はいつもその傲慢(ごうまん)さを戒めるのです。日本企業は今でも底力がある。10年先を見た技術開発は韓国にないものだと」

これは、日本大使が両財閥幹部を別々に招いた会食でのことだが、はかったように同じ発言があった。二人とも日本での生活経験がある。部下といっても専務・常務を含む重鎮なのであって、「日本企業はもうライバルでない」と感じているのはエリート層の広い範囲に及んでいるのだなと思いつつ話を聞いた。

韓国ビジネスの強さは日本でもよく知られている。積極的な海外展開と現地食い込み。トップダウンの迅速な経営判断。熾烈(しれつ)な社内競争。「売れる」ものを作る工夫と市場調査。食事の席でも、世界各地での投資案件をよく理解し一番悩んでいるのは、トップ自身であろうことがうかがえた。東南アジアやヨーロッパの、中南米やアフリカの国情を、ビジネス折衝の苦労を(具体論は避け一般論の形で)語っていた。

上記総帥の一人は、日本の「10年先を見る」技術力称賛に続け、「でも10年先のことは誰もわからないんです。米国も日本もわからない。いや、技術力は重要なのですが」と付け足した。彼はこう言いたかったのではないかと私は想像する。「技術は重要だが、それはビジネスのいくつかの柱の一つ。日本は技術には比較的強いが、大きな戦略判断とそのスピード、海外での現地食い込みとニーズ把握が弱い。柔軟で大胆な組織改革についてもだ。自分たちのほうが頭と足を使っている」と。

■「成果がなければ君は戻る席がないかもしれない」

少しさかのぼり、1999年、サムスンの総合研修所に招かれ、世界各国に派遣される30代前半を中心とした100名近い人たちの前で講義をした。サムスングループの家電、建設、貿易商社、プラント、金融等各企業が集まり、世界規模のビジョンや世界各地域の動向、業種別の業績目標が若い世代に共有されていた。

カナダ・トロントのイートンセンターにあるサムスンストア
写真=iStock.com/JHVEPhoto
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/JHVEPhoto

「何でも好きなように変えろ。ビジネス手法でも前例でも。ともかく成果を上げよ。成果がなければ君は戻る席がないかもしれない」とハッパをかけられていた。

階段教室の座席に一つずつパソコンが内蔵されていて、私が壇上に向かうと同時に、一斉に音もなくパソコンがせりあがってきて、ノートとペンでなくパソコンでメモをとっていた。23年前のことで、「近未来の映画のようだ」と私は目を見張った。日本のビジネスマンにたずねたら、会社・業種を超えての海外派遣研修は日本のどの大企業でも聞いたことがないとのことだった。

実は2013年にも同じサムスン総合研修所に招かれ、こんどは日本人グループ相手に話をした。サムスンがその技術に着目して買収した、日本のさる地方の中小企業だ。純朴でおとなしい方たちだった。「相手が日本語のうまい人でも、察してくれると思って黙っていたらだめですよ、皆さんの意見や要望は口に出して言わなければ」と話した。サムスンが買収して町工場の技術が残ったとはいえ、一日本人として複雑な思いであった。

■製品の質が高くても地道な営業努力を知らない日本企業

その後、日本を非常によく知る経済界の知人が語ったことも紹介したい。

「百年二百年続く蕎麦屋、刀鍛冶(かたなかじ)、織物、酒醸造など日本の匠(たくみ)の伝統、職人気質。それは韓国人も知っています。皆、感心しリスペクトします。ノーベル賞を毎年のように受賞しているのもすばらしい。コロナ下で毎日使うようになったQRコードが日本のデンソーさんの開発だとは知っています。でも、日本が米国や中国、ドイツより技術力が高いと日本の方は本当に思っているのでしょうか」

以下、第三国の視点から、日韓のビジネスを比較してみようと思う。

中東最大のビジネス拠点ドバイで、総領事として勤務したときのこと。中東は日本へのリスペクトが高いのだが、ビジネス面では官公庁や有力企業からよく苦言が呈された。

「日本企業は、製品に自信がありすぎるのか、マーケティングというものをしない。私のところに、英米仏独中韓の企業が軒並みやってきては、売り込みをしたり雑談をする。ランチにも行って自然に親しくなり、私もその企業の情報を得る。でも日本の企業は一度も来たことがない。入札のときに1000ページもの書類をどんと届けるだけ。ふだんの地道な営業努力を、日本だけ知らないようだ」(さる役所の長官)

■「ドバイに商談に来るのは日本は課長。韓国はトップか幹部が訪れる」

「日中韓の企業と取引がある。日本は、新しいことをこちらが提案すると迷惑そうな顔をする。中国韓国は新しい話を喜ぶ。ドバイに商談に来るのは、日本は課長。韓国はトップか幹部が訪れる。ずっと以前からそう。昔ならそれでも日本に軍配が上がったが今はちがう。日本は持ち帰って相談と言うばかりで、こちらとはペースが合わない。出張に行くと日本は神経質にチェックしてくる。

それはいいのだが、日本のビジネスは窮屈で的が小さい。アラブの気質に合うのは韓国で、まずは遠くからよく来たと一緒に遊んで意気投合し、それからチェックしてくる。中国は友情もビジネスモデルもないが、財布が大きい。取るものはしっかり取っていく」(経済界の大物)

「私の父は、日本企業はファイターだ、果敢で研究熱心だと言って尊敬していた。私もその話を聞いて育ったが、今の日本企業はファイターではないと思う」(経営者)

■かつては地方への食い込みに熱心だったが…

「1980年代、電球やラジオは大抵が日本製。90年代は日本製のテレビ、ステレオがあこがれの的だった。今も自動車は6割強が日本製。でもテレビなどの家電は韓国製が強く、日本製品はあまり見かけなくなった。私たちの世代は、高品質なのは日本だと思っているけれど、若い連中はそうではない。日本企業より韓国企業に親近感を持っている」(私と同世代の知人)

次は中国でのこと。1990年代末、北京、上海等の空港付近や地方都市の町中で、「サムスン」「ヒュンダイ(現代)」「LG」「ロッテ」といった韓国企業の看板が増えた。数年後には、韓国企業のほうが日本企業より存在感があると感じるようになった。2008年、北京で会った韓国のビジネスマンは、「韓国やりますね」と言う私に、こう答えた。

LGの看板
写真=iStock.com/iStockVadim
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/iStockVadim

「私たちの先生は松下幸之助さんです。その教えどおり、地方を歩きまわって代理店網を作ってきました。老夫婦がやっている小さな店にも商品陳列を指導し、消費者の細かいニーズを吸い上げ、販売網を開拓、拡大する。私たちはこのやり方で中国で成功しました」

「では、日本企業は?」と聞くと、少し困った顔で答えてくれた。「日本の方は、近年は、地方食い込みに熱心でないのかもしれませんね」

北京大学には韓国企業からの寄付でできた校舎、研究棟がいくつもあった。企業名がついている建物もあった。北京大の研究部門と連携し、優秀な人材を採用している。その話を日本のさる大企業幹部にしたところ、「北京大学? いやあ、行ったことないですね」とつれない返事だった。田舎町でも名門大学でも、韓国のほうが足を使って食い込んでいるのかと残念な気がした。

■日本人が気づかぬうちに中韓に大きな差をつけられている

最後に、ビジネスに関係した「国際性」「人材派遣力」の話をしておこう。

道上尚史『韓国の変化 日本の選択 外交官が見た日韓のズレ』(ちくま新書)
道上尚史『韓国の変化 日本の選択 外交官が見た日韓のズレ』(ちくま新書)

中東UAEのある町が、韓国の支援を受けて病院を建てた。韓国の医師、看護師、医療技術者など200名余りが派遣されて住んでいる。韓国の非常に有力な大学病院が協力した。地元社会への直接的な貢献として、韓国はとても高く評価されていた。日本であれば、医師3、4名を1年間派遣するのも大ごとではないだろうか。

「外国へ1年(3年)行って仕事したい人?」と聞いた瞬間、韓国では優秀な人が大勢、競って手をあげるのだ。母国を離れ海外で仕事することが、キャリア設計においてプラスになるのだ。残念ながらこの点で、日本は韓国から大きく水をあけられている。以上、地道な営業努力も海外への積極性も、かつては日本の得意分野だったが、今は中韓の後塵(こうじん)を拝することが少なくない。そして日本人の多くはそのことを知らない。

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道上 尚史(みちがみ・ひさし)
駐ミクロネシア連邦大使
1958年大阪生まれ。東京大学法学部卒。ソウル大学研修後ハーバード大学修士。韓国で5回計12年勤務し、外務省きっての韓国通。在中国大使館公使、在韓国大使館総括公使、在ドバイ総領事、在釜山総領事、日中韓協力事務局長を経て現職。最新刊『韓国の変化 日本の選択』(ちくま新書)のほか、『日本外交官、韓国奮闘記』『外交官が見た「中国人の対日観」』(共に文春新書)など日韓計5冊の著書あり。中韓両国で公使を務めた外交官第一号。

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(駐ミクロネシア連邦大使 道上 尚史)

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