「学校秀才」が二流の人材で終わるのは当たり前…野中郁次郎が「知的な野蛮人をめざせ」と訴える理由
プレジデントオンライン / 2022年9月22日 13時15分
※本稿は、野中郁次郎『野性の経営 極限のリーダーシップが未来を変える』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
■マニュアル頼りの“学校秀才”は突然の危機に弱い
昨今の世界情勢を念頭に置けば、予測不可能な変化や危機が次々と訪れる複雑性に満ちた世界を我々が生きていることは自明である。ロシアのウクライナ侵攻は、過去の常識や前例から見ればありえない、想定外の事象が起こりうる現実をわれわれに否応なく突きつけた。
突然の天災は、人間がコントロールすることはできない。しかしコロナ禍が示したように、極限状態において間違った対応の連鎖が続けば、それが人災になってしまうことがある。状況変化に応じた判断は、後戻りできない「一回性」という性質をもつ。ほんの一瞬の判断が、のちの大きな出来事の引き金につながり、将来の差異を生む。
足元の日本を見れば、世の中でもてはやされるのは手早く物事を解決してくれそうな「ハウツーもの」だ。極限の状況にあっても、流行の○○シンキングや○○思考、○○テクノロジーを駆使すれば、うまく対処できるのだろうか。
答えは否だ。むしろ、これらは人間が本来もっている直観や創造性を劣化させるかもしれない。
ハウツーやマニュアル頼みの人は、現場のリアルな危機に直面したとき、その知識を応用できず役に立てられない。「ストリート・スマート」という言葉があるが、彼らは、その反対語である「ブック・スマート」や「アカデミック・スマート」で、日本語でいえば「学校秀才」だ。彼らは、現実の只中で「いま・ここ」で起きている状況を、全身全霊で五感を使って感じるということをしない。
■分析・計画・統制の行き過ぎは野性を殺してしまう
混沌とした状況に対し、机上の空論や定石は役に立たない。一方の「ストリート・スマート」は、すべての現場・現実・現物にありのままに向き合う。一切の先入観を排除して、表象の背後にある意味を見抜き、臨機応変に対応する。思えば、人類は狩猟民族時代からそうやって生き抜いてきたのではないだろうか。
危機に絶対解はない。データ解析したところで、正解が得られるとは限らない。現場の文脈や質的な側面が削ぎ落とされた数値分析だけでは、暗黙的なものを含めた全体像を捉えられず、正しい判断はできない。刻々と動いていく状況のなかで、目の前の現実に向き合い、「何をなすべきか」という本質を見抜く。その起点となるのは、現場の直接経験のなかで「いま・ここ・私だけ」が感じる質感(クオリア)だ。これは、人間が誰もが持ち合わせている感覚である。合理性への過信は、局面の大きな変化を察知する嗅覚を劣化させ、現象の背後にある意味を見抜く機会を失わせてしまう。合理や数値に還元できないものを封じ込めてはならない。
オーバーアナリシス(過剰分析)、オーバープラニング(過剰計画)、オーバーコンプライアンス(過剰統制)は、人間や組織のもっている野性味、創造性、あるいは機動力などを棄損する。日本の「失われた30年」におけるイノベーション力の劣化の原因は、ここにある。
「人的資本経営」がまた再注目されているが、人間を資本というモノとして扱っている限り、イノベーションは起きない。本来、人は未来に向かって意味をつくり出す動的存在だ。論理のみにフォーカスする流行りの経営モデルからは、イノベーション創造の主体として人間観が見えてこない。だからこそ、異なる主観を持つ人間同士の共感を出発点にし、生き方(a way of life)の意味を追求する、もっと人間くさい戦略(ヒューマナイジング・ストラテジー)が必要ではないか。
■なぜアナログがいま再評価されているのか
いまやコンピュータ・テクノロジーは我々の生活を激変させ、インターネットは生活に深く入り込んでいる。今世紀に入るとバイオテクノロジーや人工知能(AI)などが日々発展し、メタバース、デジタルツインなど、仮想現実や疑似現実の世界も生まれ、空飛ぶクルマや宇宙旅行など、ひと昔前のSF小説に描かれた空想も現実となってきている。現代に生きる我々の生活が、科学やテクノロジーに依存していることは間違いない。
デジタルの波が押し寄せる一方で、一度は廃盤になったアナログな製品やサービスが復活し、若い人にも売れている。フィルムカメラは、現像に時間がかかり、どう映っているかわからないが、ワクワクする。レコードには、デジタル音源にはない味わいがある。フィジカルなモノと経験(コト)は、身体感覚を揺さぶるのだ。そこには、デジタルの世界では体験できない質感(クオリア)がある。アナログは、不便で不安定であり、不完全だ。アナログが再評価されるのは、デジタルやテクノロジーの進化で失われつつある、自分の肌感覚や感性など、人間が生まれつき備え持つ生きる力である「野性」を取り戻そうとしているからではないか。
■失敗や葛藤こそが人間の創造性を高める
人間は、生身の身体で五感を使って身体知を得ている。気配や空気感、という言葉があるが、それは数値化できない世界だ。日常生活のなか、全身で無意識に浴びているものすべてが暗黙知を豊かにし、感覚を磨いてくれる。「あうんの呼吸」も野性の最たるものだ。人間には自然に間合いを計る創造的な知が身についている。いわばクオリアを互いにやりとりしながら、「いま・ここ」の絶好のタイミングで呼吸を合わせる野性が人間には存在する。
人間は情報処理マシンではない。行間を読み、ニュアンスを感じられる人間とは異なり、AIは情報を機械的に処理することしかできない。人間は無限に広がる世界のなかで、環境と無意識のレベルも含めて相互作用し、共鳴しながら、全身で浴びた経験や感覚を主体的に意味づけられる。永遠の命が保証されない限りある人生のなかで、「過去・現在・未来」という流れを生き、創造性を発揮するのが人間だ。人間の生き方は、因果関係でプログラミングされた決定的なものでない。失敗や葛藤、愚直な試行錯誤は、人間の創造性を豊かにする。偶然性や予測不可能性に「わくわく」したり「どきどき」したりするのが人間らしさであり、そのクオリアが人間の創造力を刺激する。
■集合知化していくために必要なこと
アップル創業者スティーブ・ジョブズは、かの有名なスタンフォード大学卒業式でのスピーチで、「点と点をつなぐ」ことの大切さを説いた。人間は、まったく無関係の点であったはずの経験や知識をつなぎ合わせ、「いま・ここ」での文脈に応じて何かに転換する力をもっている。身体知など過去から蓄積してきた豊かな暗黙知が無意識に結びつくことによってブレークスルーが起きる「セレンディピティ」の力である。「フレーム問題」を持ち認識枠の限界があるAIとは大きく異なる点だ。AIには不可能な、共感と本質直観を同時にこなすことを、人間は「いま・ここ」で自然に行なっている。
人間は一人では生きていけない。一人ひとり(一人称)が感じたクオリアや直観を言語化・形式知化し、既存の科学もテクノロジーも含めてあらゆる知を総動員して集合知にしないと、社会や組織(三人称)で価値あるものとして共有できない。人間は、出会ったものとの関係性を一つひとつ育み、そのかかわりを通じて、一人ではなしえないことを共創し、達成してきた。一人称と三人称を媒介するのは、他者や環境の存在との相互作用における「共感」(二人称)だ。
![会議室でミーティング中、書類の一点を指さす手元](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/0/2/1200wm/img_026a6091f775c3860b39797ba9230157316208.jpg)
しかし、真の共感は、たんに相手に同情したり、遠慮して忖度(そんたく)することでも、妥協することでもない。もっと厳しいものだ。新たな境地にともに達するためには、相手になりきって一緒になって悩み苦しんだうえで、お互い殻を破ってとことん言葉を尽くして対話をし、どうすればよいかを考えるのである。
■真の共感を生むことが組織の基盤になる
前例・慣例や手続きを優先したり、セクショナリズムで権限や既得権益にこだわったりすると、健全な議論は起こらず、機動的な対応は阻害される。同調圧力を退け、役職や立場や出自を超え、みなが知恵を持ち寄って徹底的に対話しなければならない。同じものが重なり合っても何も生まれないのは当然だ。異なる思いや意見を歓迎し、エゴを超えた無我の境地で、命懸けの熟議をすれば、自ずと集団として生き残るための善後策は自ずと見えてくる。
組織であれば、そのような場を意図的につくれるか、あるいは自然発生的に生まれるような仕掛けをすることがリーダーの役割になる。このような場は、一人ひとりの潜在能力である野性を解放し、自律分散的にリーダーシップが発揮される全員経営を下支えするだろう。
■正解のない世界で「知的野蛮人」が生き残ってきた
筆者は、長らく「知的バーバリアン(野蛮人)たれ」と訴えてきた。「知的バーバリアン」は「知性」と「野蛮」を総合する「野性」を有する。正解もなく、定石が通じないこの世の中で、「知的バーバリアン」として必要なのは、二項動態(dynamic duality)思考と実践であろう。アナログとデジタル、暗黙知と形式知、安定と変化、アートとサイエンス、理想と現実など一見相反する事象の狭間で思い悩むことがあるかもしれない。対立項を対立項のまま扱って、どちらを棄却したり、予定調和で中途半端に妥協するべきでもない。もっと言えば、対立軸は意図的に作り出していることがあることも見抜かなければならない。本当は、これらは両極のあいだで、グラデーションで緩やかにつながっている。
まずは、ありのままに現実の只中で、先入観なく「感じる」ことだ。考えるのではなく、全身全霊で感じるのだ。そこで生まれる共感を媒介に、忖度なしに徹底的に対話する。共感を基盤とした知的コンバットという二項動態の方法論は、弁証法を超えるものではないだろうか。
![野中郁次郎『野生の経営 極限のリーダーシップが未来を変える』(KADOKAWA)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/0/b/1200wm/img_0b9dde5ca4a0e9a4f5961f13934b9a4f244234.jpg)
矛盾や葛藤、不均衡は、新たな知へと変革(transformation)する契機になる。「あれかこれか」の二元論(dichotomy)ではなく、「あれもこれも」と突き詰めるなかで、ちょうどよいバランスが取れる、突破口となる跳ぶ発想が降りてくる。一度決めたら機動的に実践し、やり抜いてみる。その試行錯誤のなかで変化を察知し、「いま・ここ」で直観し、決定的瞬間を逃さずに柔軟に対応する。
こうして瞬時に局面が変化しても臨機応変な打開策を繰り出し、現実的に試行錯誤しながらも、理想高くより善い方向へ向かおうとする組織や人間が生き残ってきた。「生き抜くための知恵」である「野性」は人間の直観や潜在能力から生まれ、そして生き抜くことにより、人間の「野性」は磨かれるのだ。
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一橋大学名誉教授
1935年、東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。富士電機製造(現・富士電機)を経て、カリフォルニア大学バークレー校経営学博士(Ph.D.)。南山大学教授、防衛大学校教授、一橋大学教授などを歴任。著書に『知識創造企業』(東洋経済新報社)、『組織と市場』(千倉書房)、『失敗の本質』(ダイヤモンド社)、共著に『野性の経営 極限のリーダーシップが未来を変える』(KADOKAWA)などがある。
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(一橋大学名誉教授 野中 郁次郎)
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