「部下を処分するなら、先に俺を処分しろ」サラリーマン人生が終わる部下の大失態に"キリンの半沢直樹"が取った行動
プレジデントオンライン / 2022年9月3日 10時15分
※本稿は、永井隆『キリンを作った男』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
■社員を幸せにできない会社は、お客を幸せにできない
キリンの戦後最大のヒットとなる「一番搾り」を開発するも、いきなり左遷された前田仁。子会社への出向から7年半ぶりにキリンのマーケティング部に戻った前田仁は、復帰からわずか4カ月で「淡麗」を開発し、大ヒットを放つ。
その後も、「氷結」や「のどごし〈生〉」などヒット商品を連発し、飲料業界では知る人ぞ知る存在となる。
その波乱万丈なマーケター人生を拙著『キリンを作った男』にまとめたところ、読者から「半沢直樹のような物語」という声があがった。相手が役員だろうが上司だろうが平気で意見を言い、ときに組織の不条理と戦った前田の姿が、半沢直樹と重なったのかもしれない。
前田の名が今もキリンで語り継がれているのは、マーケターとして有能だったからというだけではない。前田は、組織のリーダーとしても高潔な上司で、ブレない男だった。
「社員を幸せにできない会社は、お客様を幸せにする商品をつくれない」
こんな発言もした前田は、ときに自らの身体を張って部下を守ったり、マーケ部から異動させたりして、つねに部下の幸せを考える上司だった――。
■天才マーケターは厳しい上司だった
本社に戻ってから上級管理職として多くの部下を育てた前田は、部下にも厳しい上司だった。
01年、上野哲生は前田が率いるマーケティング部で健康系発泡酒を開発していた。上野はこのとき30代後半、管理職に昇格したばかり。開発チームは上野と2期下の山田精二ともう一人の三人だった。
ところが、上野らが開発をしている最中、サントリーが糖質オフの発泡酒「ダイエット生」を先に発売してしまう。ライバルに先を越されてしまった上野チームに、前田は雷を落とした。
「サントリーに先を越されたのは、上野、お前がモタモタしてたからだろう。このドアホウが!」
そう言って鋭い眼光でチームの面々をにらみ渡したという。
ひとしきり怒りを爆発させたあと、前田は上野にこう言い渡した。
「とにかく、先を越された以上、より売れるものを作るしかない。売れないものを作ったら、承知しないぞ」
結局、上野チームが開発した糖質70%オフの発泡酒が、「淡麗グリーンラベル」として02年4月に発売。初年度販売量は1310万箱。健康系ビール飲料として、初めて1000万箱を超えるヒット作となった。
「絶対に売れる商品に」という前田の期待に、上野たちは無事応え、ロングセラー商品を作り上げたのである。
上野は、前田についてこう語る。
「前田さんは、野球で言えばホームランバッター。手堅いヒットを狙わず、ホームランだけを狙っていた。前田さんよりも、広告の作り方やネーミングが上手い人はいました。ただ、それまでまったく売れなかった健康系に、ヒットの臭いを嗅ぎ取るような『嗅覚』を持っていたのは、前田さんだけでした。その上、前田さんは人間的にも素晴らしい人でした」
■サラリーマン人生が終わる大失態
上野にとって前田は、小さなミスでも叱責される怖い上司だったが、ただ厳しいだけではなかった。
日韓ワールドカップに列島が沸いていた02年。キリンは「サッカー日本代表応援缶」を発売していた。中身は淡麗だったが、缶には出場予定選手たちのメッセージが描かれていて、売れ行きは好調。
この応援缶をマーケ部で担当したリーダーが上野だった。
直前に開発した「淡麗グリーンラベル」は順調にヒットし、勢いに乗っていたときである。
だが、“好事魔多し”だった。
お客様相談室にかかってきた消費者の電話により、応援缶にある原材料表記の誤りが発覚したのだ。原材料に記すべき「米」が、抜け落ちていたのだ。
メンバーがもってきたデザイン版下の最終チェックをしたのは上野だった。そのとき、「米」の表記が抜けているのを見逃してしまっていたのである。
「自分のサラリーマン人生は終わった」
上野は顔面蒼白(そうはく)になりながら、とにかく前田のもとに報告に向かった。
「部長、申し訳ありません。大変なミスをしてしまいました……」
上野の説明を聞き終えると、前田は「そうか」とだけ発した。その上で、「とにかくいまは、やれることをやりなさい」と、静かに指示をした。
叱責を予想していた上野は、拍子抜けしてしまう。それくらい、前田の反応は冷静だった。
本当に深刻な事態に陥ったとき、優秀な上司ほど、失敗した部下に感情をぶつけたりはしない。激怒したところで、解決に結びつくわけではない。善後策を講じることこそ本来やるべきことである。
だが、社内は大騒ぎとなる。数分後には営業部の幹部たちが、「なんてことをしてくれたんだ!」と怒鳴り込んできた。
上野はすぐにミーティングを開き、新聞広告や自社HPでの謝罪文の掲載を決める。また、上層部は、出荷前の応援缶は全量を破棄。既に出荷した分については回収しない方針を固めた。「米」は抜けているが、他は間違っていない。何より、中身は淡麗であり、問題はないと判断した。
しかし、大手スーパーは全量を返品してきた。営業幹部が謝罪に赴いても、返品は覆らなかった。
■「部下を処分するなら、先に俺を処分しろ」
ミスの発覚から10日ほどが過ぎる。上野は前田に個室に呼び出された。そこで、前田は言った。
「俺はほんまに嫌なんやけど、お前ら懲戒処分や。具体的には譴責(けんせき)や。リーダーのお前と担当者の2人には始末書を書いてもらう」
「はい……」
予想はしていたが、懲戒という厳しい処分が下り、上野は少なからぬショックを覚える。しかし、前田が発した次の言葉には、耳を疑った。
「あのなぁ、懲戒は全部で3人や。俺も、さっき人事に頼んで譴責にしてもらった」
「エッ!?」
前田の説明によれば、こうだ。人事部に呼ばれた前田は、上野と担当メンバーの処分を伝えられる。「懲戒処分にします。譴責です」、と。
これに対し、前田は真っ向から反発する。
「納得できません。懲戒は不正を働いた者が受ける処分。『米』を落としたのはミスだった。しかし、会社の金を私(わたくし)したような輩とは、明らかに違う。同列に扱うのはおかしい」
「就業規則に『会社に多大な損害を与えた場合は処分する』とあります。今回はこれが適用されました」
「……いや、やはりおかしい。上野たちを懲戒処分するなら、その前に俺を懲戒にしろ。譴責にしたらいい」
「そ、それはできません。前田部長には管理責任はありますが、懲戒にするほどではないので……」
若手でありながら、一選抜(いっせんばつ)といって最も早く前田は部長に昇進した。役員になるのは時間の問題であり、将来は社長についてもおかしくない。そんな逸材の人事データを汚すことになれば、人事部の失態と指摘されるかもしれない。
「俺を懲戒にする。これが、2人を懲戒にする条件だ」
と、前田は決して譲らなかった。
「と、いうわけだ」
「ありがとうございます」
前田の説明を聞き終えた上野は、思わず頭を下げていた。
「この人は、サムライだ」としみじみ上野は思った。
上野もメンバーも、前田から特別に評価されていたわけではなかった。そうした次元ではなく、部員が安易に懲戒処分される理不尽さを、どうやら前田は許さなかったのだ。そして、仲がいいとか、仕事ができるとかを度外視し「前田さんは徹底して部下を、さらにマーケターを守る上司だ」と上野は痛感する。
上野は「仮に自分が前田さんの立場なら、人事部サイドに立っていました。それが普通なんです。人事部とは喧嘩しませんから」と話す。
前田も一緒に懲戒となったためか、その後の上野のサラリーマン人生に懲戒処分が影響することはなかったそうだ。
■「お前は、自分の仕事を小さく見せてしまっている」
2002年夏、山田精二は管理職(キリンでは経営職と呼ぶ)への登用試験を受ける。筆記に通り面接に臨むと、面接官の一人に上司である前田仁がいた。
別の面接官から「あなたはいま、どんな仕事をしていますか」と、仕事内容を問われた山田は、「糖質オフの発泡酒『淡麗グリーンラベル』を開発して、今年4月に発売しました」と答えた。
すると、試験後に前田から呼び出しを受ける。
「今日はあきれた。お前はもういらない」
怖い顔で前田にこう言われる。「はい……」としか、山田には答えられない。
「お前には抽象的な概念が欠けている。だから、自分の仕事を小さく見せてしまっている」
リラックスしている時の前田は、関西弁を使うことが多かったが、このときはクールに標準語で言った。
山田はそれまで、仕事には具体性が必要だと信じていた。合理的に誰にでも、簡潔に説明できることが、何より重要である、とも考えていた。
しかし、前田の指摘から山田は気付く。「私は、健康という価値を酒類に取りこむ仕事をしています。開発した発泡酒『淡麗グリーンラベル』は、日本で初めてヒットした健康系の酒であり、いまは健康という概念を市場に定着させようと取り組んでいます」と、話すべきだった。
![ロングセラー商品となった「淡麗グリーラベル」](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/b/5/1200wm/img_b5a2a5e7a1c2fb53af67cd2e0c7250e21420247.jpg)
このときから山田は、仕事への向き合い方を変える。
山田精二は、上司としての前田について次のように証言する。
「僕にとって前田さんは、越えられない壁であり、大切な上司でした。熱い心を持っていて、僕のいいところを認めてくれました。一方ではリアリストでありながら、予言者でもあり、かつ大変な『人たらし』でもあった。前田さんの周りにはいつも人が集まっていました。
天才的なリーダーに見られるように、前田さんもまた、しょっちゅう『朝令暮改』をしていました。前田さんには、自分を少しでもよく見せようという部分が、まったくありません。だから『朝令暮改』は、保身や政治のためではありませんでした。純粋に、仕事に必要だからやっていたのです。
前田さんは、ブレない人であると同時に、変化に対応する柔軟性も兼ね備えていました」
■前田が不向きな部下を異動させたワケ
マーケ部長だった前田は、異動してきた部下に次のように話していた。
「マーケティングの仕事は、いままでの仕事とはまったくの別物だ。使いものにならなければ、1年、いや半年で代わってもらう。その方が本人のためなんだ。何も、君の人格や能力が全部ダメというわけではない。あくまで、新商品開発やブランドのマネジメントに向いてなかったというだけだ。マーケティングは、向き、不向きが分かれる仕事。適性を判断するのも、上司である私の責任だ」
前田が「不向き」と判断した場合、前田は当人と面談して、“次の職場”を決めていく。「君はコミュニケーション能力が高い。広報はどうか」、「やはり、営業の方が向いていると思うが」……。その上で前田は、当該部署の幹部と話して、当人を異動させていたのである。
攻撃を受けても、前田は決して報復をしない。そればかりか、攻撃した相手との関係性を決して遮断しない(一言居士の姿勢は貫くが)。このため、どこの部署に対しても、部下の“再就職”が可能だった。前田自身が社内的に実力者となっていた点も、異動を容易にさせていた。
前田によりこうして異動となった者のなかには、執行役員になったり、さらに事業会社のトップになって活躍中の人もいる。マーケ部での経験を生かして、だ。
■「前田さんがキリンのトップになっていたら」
その一方、こんなケースもある。
一番搾り開発チームに、84年入社の舟渡知彦がいた。京大農学部を卒業し名古屋工場の醸造技師をしていたところを、前田が89年1月発足の開発チームに引き入れる。
前田は09年3月にキリンビバレッジの社長になるが、同社長時代に舟渡に次のように言った。
「『一番搾り』の開発には、醸造技術者である舟渡の力がどうしても必要だった。しかし、舟渡を生産部門に早く戻そうと、俺は考えていたんだ。というのも、マーケターにはある種のセンスが必要なんだが、舟渡にはそれがない。生産に戻れば間違いなく君は出世できた。ところがだ、俺は戻すタイミングを逸してしまった。すまないことをした」
生産に舟渡を戻せなかったのは、前田自身が飛ばされてしまっていたことが大きかった。だが、このとき舟渡は前田に言ったそうだ。
「いえ、私に人生と呼べるものがあるなら、それは前田チームで『一番搾り』をつくっていた1989年のあの1年間なんです。出世とか高い給料とか、まして誰かを蹴落とすとかじゃない。『一番搾り』を世に出すことができて、本当に私は幸せだった。たくさんのお客様に喜んでもらえたのですから。サラリーマンの幸せとは、何をやり遂げたか、だと考えます」
舟渡は21年、子会社の執行役員を最後に退職する。
![永井隆『キリンを作った男』(プレジデント社)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/4/a/1200wm/img_4a4426a3ad655e109fcfb3bf6d02e54096344.jpg)
上司としての前田は、実は限りなく厳しかった。それでも、部下の幸せを考える優しさを有していた。
「左遷されたとき、よくぞ辞めなかった。前田さんがキリンホールディングスの経営トップになっていたなら、とキリンの誰もが考えていたのに」
こんな声はいまでもキリン社内から聞かれる。
私欲を持たず、他者に対しては「ギブ・アンド・ギブ」で見返りを求めない。出世して立場が変わっても、廉潔(れんけつ)な姿勢を終始崩さなかったからこそ、いまも多くの部下たちから愛され続けているのだろう。
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ジャーナリスト
1958年、群馬県生まれ。明治大学経営学部卒業。東京タイムズ記者を経て、1992年フリーとして独立。現在、雑誌や新聞、ウェブで取材執筆活動をおこなう傍ら、テレビ、ラジオのコメンテーターも務める。著書に『キリンを作った男』(プレジデント社)、『サントリー対キリン』『ビール15年戦争』『ビール最終戦争』『人事と出世の方程式』(日本経済新聞出版社)、『国産エコ技術の突破力!』(技術評論社)、『敗れざるサラリーマンたち』(講談社)、『一身上の都合』(SBクリエイティブ)、『現場力』(PHP研究所)などがある。
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(ジャーナリスト 永井 隆)
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