地盤も資金もない48歳女性が杉並区長に…「高齢男性に支配された政治」を壊す"ドブ板じゃない"やり方
プレジデントオンライン / 2022年9月6日 8時15分
■異例づくしの経歴の区長
選挙の2カ月前にベルギーから帰国し、出馬表明。187票の僅差で、3期務めた現職の区長を破って当選。2022年7月に杉並区長に就任した岸本聡子さんは、杉並区初、東京23区で史上3人目の女性区長となった。
就任後に東京・日比谷の外国人特派員協会で開かれた記者会見には、多くの外国人記者が詰めかけた。当選直後に外国人特派員協会に呼ばれて英語で会見する区長は珍しい。海外メディアの関心の高さの表れでもある。「日本には都道府県を含む約1800の自治体がありますが、その中で女性首長の割合は2%に過ぎません」と岸本さんは集まった記者たちに言い、こう続けた。「日本の政治が高齢の男性に支配されていることは、ジャーナリストであるみなさんもご存じだと思います。東京都の場合、区長の平均年齢は67歳。最も多いのは70歳代です」。岸本区長は現在48歳だ。
![2022年7月11日、杉並区役所に初登庁する岸本聡子区長](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/9/e/1200wm/img_9ec0bb825ea39dab1dddea5c8f137fe5402029.jpg)
■最初は無理だと思っていた
岸本さんは、2022年4月に帰国するまで20年近く、オランダやベルギーに在住。長く、オランダの政策研究NGO「トランスナショナル研究所(TNI)」で、環境と地域と人を守る公共政策に関する調査や、社会運動の支援を行ってきた。特に、水道や電気などの公共サービスの料金が民営化によって上がり、人権や人々の生活にどのような影響を与えているかという問題に詳しく、『水道、再び公営化! 欧州・水の闘いから日本が学ぶこと』の著書もある。「私は学者ではなく、アクティビスト(活動家)でリサーチャー(研究者)なんです」と言う。
帰国は選挙の2カ月前だったが、それまで日本の地方自治にまったく縁がなかったわけではない。日本の公共政策や地方自治にも高い関心を持ち、市民団体とのつながりも持ち続けていた。日本の地方議員や市民団体に頼まれて、セミナーの講師を務めることも多かったという。
今回の杉並区長選で立候補することになったのも、そうした、以前からつながりのある市民グループのメンバーから声をかけられたことがきっかけだった。団体は、杉並区の市民たちがつくる「住民思いの杉並区長をつくる会」(住民の会)。駅前の道路拡張計画、児童館の廃止など、3期続いた当時の田中良区長の下で、地域の声を十分聞かないままで計画が進んでいることに危機感を持った住民たちがつくった市民グループだ。
「6月に行われる杉並区長選に、現職の区長に対抗する候補を擁立しようと、1月に発足したものの、肝心な候補者がまだ決まっていないと言うんです。既にメンバーの中で政策は固まっていて、共感はできたし心は動かされましたが、日本に住んでいなかったし、区民でもない。最初は無理だと思っていました」
■帰国は来年の予定だった
ただ、岸本さんはもともと、2023年には日本に戻ってくるつもりでいた。「欧州で、もうやれることはやったという思いがあったんです。上の息子は大学生で、既に家を離れているので、2023年に下の息子が高校に入学する16歳になったら、私は日本に帰って地方自治や地域活動に携わりたいと思っていました。『お互い、休みのときに行ったり来たりできればいいよね』と、既に家族とも話し合って納得済みでした。ただ、今はコロナ禍の影響もあって、簡単に行ったり来たりができません。下の息子もまだ15歳ですし、随分悩みました」
しかし最終的には、地域の人たちの声に心を動かされた。「私が欧州で強い関心を寄せて研究していた、『地方自治から民主主義を取り戻す』という活動と、杉並区の取り組みに、多くの共通点を見たんです」。岸本さんは、住民が政治のオーナーシップを持って民主主義を問い直そうとしているのを、杉並の運動から感じたという。
「私の経験が杉並区の取り組みを後押しできるかもしれない。そう思って出馬を決意しました」
![インタビューに答える岸本聡子杉並区長](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/2/7/1200wm/img_27ee40519755a244563882beed1aaabe404253.jpg)
■「票ハラ」がなかった理由
最近は、立候補者に対する「票ハラ(票ハラスメント)」が問題になっている。握手のときに手を握って離さない、会合でお酌を強要されたり身体を密着させてこられたりするなど、票の力を盾に取ったハラスメントだ。特に女性候補者が被害に遭うことが多いが、岸本さんは「全く経験しなかった」という。
コロナ禍で行われた選挙で、会合などの活動が制限されていたせいもあるが、「従来型の3バン、『地盤・看板(肩書や知名度)・かばん(資金力)』をベースにした選挙ではなく、政策議論を中心に選挙戦を展開することができたからかもしれません」と岸本さんは言う。
「私はここ10年ほど、ヨーロッパの各地で進む、地方自治で民主主義を取り戻すための活動について研究してきました。『ミュニシパリスト運動』というのですが、地元の市民グループが議論し、合意した政策のもとに候補者を決めて選挙に出ます。グループで政策をしっかりと練って支えますから、政治の経験がない人も出馬できます。候補者を、抽選で決めるケースもあるくらいなんです」
この運動は、アルゼンチンやスペインで生まれて欧州各地に広がった取り組みだが、岸本さんが杉並区長選挙に出馬した経緯と重なるところが多い。「私がわずか2カ月足らずの短い準備期間で当選できたのも、住民の会が、既に目指す政策をしっかりとまとめていたからです。それに、政策によって支持と共感を広げることが中心の選挙運動だと、票ハラが生まれる余地は少なくなりますよね」
![杉並区長選挙中の岸本聡子さん](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/6/f/1200wm/img_6f151cc75c63f1d54a5287043af888a5380132.jpg)
■選挙が変われば女性も増えるはず
岸本さんは、選挙のやり方を変え、こうした政策議論を中心とした選挙を行うことで、女性や政治経験の少ない若者も、政治参加がしやすくなるのではないかという。「これまでの、3バンを中心とした、足でかせぐ『ドブ板選挙』を否定するつもりはありませんが、それだとどうしても、時間的にも体力的にも候補者1人に大きな負担がかかってしまいます。政策議論が中心になれば、そういった負担が少なくなりますし、生活者の視点が生きるので、女性も増えるはず」
岸本さんは最近の著書『私がつかんだコモンと民主主義』の中で、政治家に一番大切な資質は、自分とは違う立場の人たちのことを想像する力と、自分の知らない不都合を当事者から学び続ける謙虚さだと書いている。そして「他人への想像力が政治の仕事の本質だとすれば、女性に向いている仕事だと思います」ともいう。
ただ、日本では子育てや家事負担が女性に偏っていることが多く、それが女性の立候補への足かせになってしまっている。「私の場合は、家族と離れて日本で1人で生活しているので、そこを気にしなくてよかった。選挙が変わるだけでなく、性別役割分業を卒業し、ケアワークを共有して女性の負担が減らないといけない」と話す。
![杉並区長選挙中の岸本聡子さん](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/2/7/1200wm/img_27d5dd514e0f03a68ac523745c2dc4f2375371.jpg)
■家族の形は変わっていく
大学卒業後、東京にある国際NGOで働いていた岸本さんは、2001年にオランダ人パートナーとの間にできた子どもを出産して27歳でオランダに渡った。当初は結婚という形をとらず、パートナーとして一緒に住んでいたが、4年ほど経ったところで、家族で日本に移住することを検討。ビザなどの都合を考えて婚姻届けを出した。
「結局、その時は日本への移住はやめになりました。移住の話がなければ、結婚する必要は全然なく、パートナーシップのままでも相続、税制、親権などでも不都合は全くありませんでした。家族のあり方は、本当に人それぞれ。それに、同じ家族でも、時を経てその形は変容するものだと思います」と岸本さんは言う。
岸本さんの家族の形も、区長になったことをきっかけに、また大きく変化している。
上の息子は家を離れ、ベルギーで大学生活を送る。パートナーとは既に婚姻関係を解消していたが、以前は下の15歳の息子と3人で一緒に暮らしていた。岸本さんが日本に帰国した今、下の息子は父親とベルギーに住んでいる。
■息子を思うと引き裂かれるような気持ちに
もともと来年1人で日本に戻るつもりでいたのを、1年繰り上げての帰国。「息子のことを考えると、本当はあと1年待ちたかった」と厳しい表情を見せる。
「息子たちは、私が区長になったことについて、『誇りに思う』と言ってくれています。でも、そう言わざるをえない部分もあるでしょうし、そう言わないとやっていられない面もあると思う」。予定よりも早く母親と離れて暮らすことになった息子の寂しさを察して、岸本さんは語る。「私も、息子のことを思うとつらくて、引き裂かれるような思いはあるんです」
就任翌日から2週間、息子たちが来日し、岸本さんと一緒に過ごしたという。「就任直後は嵐のような日々でした。公務で大変な中、信じられないような2週間だったんです。でもやっぱり家族がいてくれて、少なくとも夜は一緒だったのは大きかった」
緩和されつつあるとはいえ、コロナ禍で入国制限があるうえ、ウクライナ情勢の影響もあり国際線の運航も混乱している。欧州と日本の行き来は、以前ほど簡単ではなくなっている。さらに、岸本さんは区長としての公務もあり、簡単に国外には出られない。「精神的に、すごくきついのは確か」と話す。
■私に投票していない人もたくさんいる
選挙戦の争点の一つでもあった駅前再開発や道路拡張計画については、住民との合意ができていないところは「『すでに区として決定しているから』と進めてしまうのではなく、少し立ち止まろうと思っている」と、岸本さんは言う。「今、本当にお金をかけるべきものは何かを考える必要があると思います。予算の優先順位を変えることも考えるべきでは」と話す。
![区長専用の自転車置き場の区画](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/1/b/1200wm/img_1b1bef77a20a3416992146be44c6a49a404469.jpg)
また、岸本さんがもう一つ実現させたいと考えているのが、同性でも事実婚カップルでも利用できるパートナーシップ条例だ。ヨーロッパの生活で、自身だけでなく、周りの人たちがこうした選択肢の恩恵を受けてきた様子を見てきただけに、思い入れは強い。
東京都では、すでに16の区や市がパートナーシップ制度を導入している。
「これは、賛成の声も多く、導入で不利益を被る人がいるわけではないので、進めやすい施策の一つだと思います。近隣や他の自治体から学んで、質の高い制度を作りたいです。また、まだ知られていないような差別や、同性カップルの人たちが受けられていない恩恵についても、もっと考えていきたい」と言う。
新人区長の挑戦は、まだ始まったばかりだ。史上まれにみる僅差での当選は、自分以外に投票した人が半分いるということだ。投票率も、前回より5.5ポイント上がったとはいえ37.52%と、投票していない区民も多数いる。「そのことを肝に銘じたい」と岸本さんは語る。
「行政経験も、人間関係も、何もないところからのスタート。勉強しながら、職員をはじめ区民のみなさんと信頼関係をつくりながら、できることを少しずつやっていくしかありません。コミュニケーション、対話を大事にしていきたいです」
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ジャーナリスト、元ジャパンタイムズ執行役員・論説委員
上智大学外国語学部卒業後、1991年ジャパンタイムズ入社。政治、経済担当の記者を経て、2006年より報道部長。2013年より執行役員。同10月には同社117年の歴史で女性として初めての編集最高責任者となる。2000年、ニーマン特別研究員として米・ハーバード大学でジャーナリズム、アメリカ政治を研究。2005年、キングファイサル研究所研究員としてサウジアラビアのリヤドに滞在し、現地の女性たちについて取材、研究する。著書に『The Japan Times報道デスク発グローバル社会を生きる女性のための情報力』(ジャパンタイムズ)、国際情勢解説者である田中宇との共著『ハーバード大学で語られる世界戦略』(光文社)など。
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(ジャーナリスト、元ジャパンタイムズ執行役員・論説委員 大門 小百合)
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