月額費用を980円→1980円に上げたのに、会員数が2倍に…リクルートの「スタサプ」が実現した奇跡の戦略
プレジデントオンライン / 2022年9月8日 12時15分
■大学受験対策講座の配信からスタート
スタディサプリ(スタサプ)は、リクルートが手がけるオンライン教育事業である。PC、スマホ、タブレットなどから、インターネット経由で動画授業を受講できる。2012年に大学受験対策講座の配信からスタートし、その後は小中学生にも対象を広げ、大きく成長した。現在ではベネッセホールディングスの進研ゼミなどと肩を並べる規模の有料会員を擁する(リクルートホールディングス2021年3月期有価証券報告書によれば、2021年3月時点のサービス有料会員は157万人)。
スタサプの事業の柱は3つある。第1の柱は、個人を対象とした教育事業である。スタサプは、大学進学を目指す高校生などを対象に、質の高い受験対策の動画授業をオンラインで提供してきた。
従来の通学型の予備校などとは異なり、オンライン教育では教室などを用意する費用が低減される。さらに、配信する授業は受講履歴のデータなどに基づき、人工知能(AI)なども活用して年々改善される。
そのため、スタサプは、有名講師による質の高い授業を効率的に、全国に広く配信できる。現在では、中学生、小学生などを対象とした個人の自宅学習用の授業も数多く提供している。
■学校の補助教材としても利用が広がる
スタサプの第2の柱は、学校向けの教育事業である。スタサプは現在、高校などをはじめとする学校の補助教材などとしても広く採用されている。スタサプを導入した学校では、生徒たちは個別の理解度や進学目標などに応じて、さまざまな動画授業を選択し、受講する。
導入した学校では、先生たちは生徒の日々のスタサプ受講履歴や、単元ごとのテストの結果などを管理画面上でタイムリーに確認。個々の学習の成果やつまずきの状況を踏まえてクラス単位/生徒単位での声かけや指導を行っている。これまでの一斉授業では難しかった、生徒一人ひとりの学習習熟度に応じた指導や補習に、スタサプが活用されている。
そして第3の柱が、社会人向けの教育事業である。英語や歴史などの基礎教養の学び直しに大学受験講座を活用できるほか、社会人向け英会話やTOEIC対策の講座、社会人大学院の情報などが提供されている。個人に加え、企業のリモート研修などでの利用も広がっている。
■授業動画を充実させたうえで料金を引き上げ
2012年のサービス開始以降、リクルートが力を入れて取り組んできたスタサプ事業は、2020年に入って大きく売り上げを拡大する。コロナ禍の影響は無視できないが、それがすべてでもない。この年のスタサプの躍進を分解すると、「料金」と「利用者数」の両方が増加し、それが掛け算されて大きくなった状況が見えてくる。実際に何が起きていたのか、リクルートまなび領域プロダクトマネジメント室室長の池田脩太郎氏に話を聞いた。
スタサプの料金については、2020年2月に大きな改定が行われていた。もちろん、その後の緊急事態宣言へとつながっていくコロナ禍の発生を予測していたわけではない。それまでベーシックコースで月々980円だった料金を、移行措置を経ながら1980円(税抜き)へと引き上げていく改定に踏み切ったのは、提供する授業が質/量ともに、年々充実度を高めていたからである。
2015年ごろには100本程度だったスタサプの講座は、この頃には4万本を超えていた。デジタルトランスフォーメーション(DX)が産業や社会で進むなか、オンライン教育ならではのコストパフォーマンスのよさへの理解も広まっていた。リクルートは、この中長期の事業のステージの変化を踏まえた判断のもとで、スタサプの料金改定に動いた。そのタイミングで、コロナ禍が襲いかかる。
■「ニューノーマル」な環境下で注目度が高まる
スタサプの利用者数は、2020年春からのコロナ禍の中で大きく拡大する。料金の引き上げという利用者増に対するマイナス要因があったにもかかわらず、2020年度中のスタサプの有料会員数は、前年度比で97.4パーセント増とほぼ倍になった。コロナ禍による緊急事態宣言を受け、学校の休校が広がる日々のなかで、スタサプは従来通りに自宅学習で利用することが可能だった。当初は1~2カ月で終息するかとも思われていたコロナ禍が、長期化しそうだという理解が広がるなか、「ニューノーマル」な環境下で役立つ教育サービスとして、スタサプは注目度を高めていく。
■最大の牽引役となった学校向け事業
3つの事業の柱のすべてで利用者増が見られたが、中でも最大の牽引(けんいん)役となったのは学校向け事業だった。コロナ禍が発生して以降は、従来の学校単位に加え、山口県、愛知県、群馬県など自治体単位でもスタサプを導入する動きが広がる。2016年ごろには全国で1000校ほどにすぎなかった高校へのスタサプの導入は、2020年度には全国の高校の4割にあたる2000校ほどにまで拡大した。
![教室](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/d/f/1200wm/img_df112690045130cc8ffeed50b926854c402474.jpg)
コロナ禍以前、高校向けのオンライン教育サービスについては、ベネッセとソフトバンクの合弁事業であるクラッシーが採用数で先行していた。スタサプはクラッシーと比較すると料金が高い。しかし、コロナ禍によってリモート学習がメインの学習機会となっていくと、質の高い授業動画が豊富だったスタサプの採用が伸び、クラッシーに迫る水準となっていく。
■教育現場のニーズにきめ細かく対応
授業動画の質や数とともにスタサプの導入メリットとなったのが、現場の先生からのフィードバックをもとに開発された「到達度テスト」だ。
一般的な大手予備校などの模擬試験は、偏差値など全体の中での位置づけで生徒の学力を把握するには有効だが、個々の生徒がどの教科のどの単元でつまずいているのかを把握するためのテストではない。これに対してスタサプの到達度テストは、あえて基本レベルの内容に絞り、出題範囲を網羅的にすることで、個々の生徒がどこでつまずいているのかを的確に把握できるよう設計されている。
この到達度テストを活用することで、個々の生徒はスタサプが提供する膨大な講座のなかから、どの授業をどの順番で受講すればよいかを把握できる。さらに生徒の学習履歴や苦手分野に対応し、個別の宿題を配信・管理できる、先生向けの学習管理システムも開発。生徒一人ひとりの到達度に合わせた学びを実現するためのサポートが整えられている。
加えてスタサプは、営業担当者による先生へのフォローにも力を入れている。AO入試の受験者が多かったり、就職希望者が多かったりと、現場の事情は学校によってさまざまだ。そこで各学校に営業の担当者が付き、それぞれの学校に合ったスタサプの利用方法を伝えたり、授業の改善に役立つデータのフィードバックを行ったりしている。
■成長チャンスの裏にあった危機
2020年のコロナ禍による緊急事態宣言を受け、休校に踏み切る学校が全国に広がるなか、オンライン教育への注目度は高まった。各種のオンライン教育のコンテンツやプラットフォームなどを提供する事業者のあいだでは、休校期間の学習の継続をサポートしようと、サービスの無償提供に踏み切る動きも相次いだ。
![ノートパソコン](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/c/9/1200wm/img_c949aa9642b02dbdd7598b1abce197f7407271.jpg)
オンライン教育ツールにとってコロナ禍は、期せずして生じた試用機会ともなった。しかしスタサプは、そこで慎重に動く。2020年の3~4月に学校向けサービスの無償提供に乗り出すが、提供対象とする学校や自治体の数にはあらかじめ上限を設けていた。制限を付けたのは、利用者が急増し、サーバーに過度の負担がかかるとシステム障害が起きかねないからだ。従前からの会員による利用増も予想された。実際にこの時期、スタサプのトラフィック(転送データ量)は前年比で20倍以上に急増している。
オンライン教育への関心の高まりは千載一遇のチャンスだが、サービスの安定供給がともなわなければ、逆に信頼を損ないかねない。スタサプの技術チームは、トラフィック増に対応するためのシステム改修を急ぐとともに、新機能の開発作業を一時的に停止。営業チームは全国の導入校に利用時間の調整を依頼し、トラフィックの平準化を図った。日頃の営業担当者によるフォローを通じて信頼感を培っていたこともあり、学校向け事業ではトラフィックの平準化への協力がスムーズに得られた。
このようにしてスタサプは、ピーク時のシステムへの負荷を減らす各種の取り組みを重ねることで、利用者急増という機会の裏にあったシステム障害の危機を乗り切った。
■変化を追い風に変えるマネジメント
スタサプは、日本におけるオンライン動画授業サービスの先駆者である。スタサプにとってコロナ禍は、それまでに蓄積してきたノウハウや信頼を活用し、事業を拡大する新たな契機となった。
2020年度の有料会員数倍増という結果だけを見ると、まるでスタサプの事業が一直線に成長してきたかのようにも見える。しかし担当者たちにとっては、その時々において最善と思われる意思決定を繰り返し積み重ねてきた結果だった。情報を集めては市場環境の変化を振り返り、懸念点を洗い出しては進むべき道を選択するなかで、コロナ禍の日々の間にもスタサプ事業は拡大していった。
■スタサプが実践したマーケティングの王道
マーケティングはミックスであるといわれる。目標、ターゲット、コンセプトを定め、その実現にはどのような活動の組み合わせ(ミックス)が必要となるかを検討することが、マーケティングの基本である。この基本は、オンライン教育事業においても変わらない。
質の高い動画授業を数多くそろえておけば、それだけで利用が広がるわけではない。コロナ禍に直面したスタサプが変化を追い風に変えることができたのは、誰に、どのように利用をうながし、フォローしていくことが有効か、そのためのサービスの安定供給をいかに実現していくかを見極め、必要な活動のミックスを組み立てていく統合性をおろそかにしなかったからである。
コロナ禍のなかで、スタサプは新規採用が進んだだけではなく、すでに導入していた学校でも活用の場面が広がったという。先生たちのスタサプへの関心が高まり、理解が深まるとともに、スタサプへの要望も増えている。スタサプでは、これらを今後のさらなるサービス改善に活用する構えだ。
新しい学習指導要領に沿って2022年度から高校における探求型授業が本格化する一方、保護者からはきめ細かな進路指導へのニーズが一段と高まっている。こうした流れに対応するためにもオンライン教育を活用しようとする動きが学校の現場では広がっており、スタサプはこれを次なる飛躍に生かそうとしている。
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神戸大学大学院経営学研究科教授
1966年、米・フィラデルフィア生まれ。97年神戸大学大学院経営学研究科博士課程修了。博士(商学)。2012年より神戸大学大学院経営学研究科教授。専門はマーケティング戦略。著書に『明日は、ビジョンで拓かれる』『マーケティング・リフレーミング』(ともに共編著)、『マーケティング・コンセプトを問い直す』などがある。
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(神戸大学大学院経営学研究科教授 栗木 契)
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