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当初の6.6倍に爆増「16.6億円安倍国葬」が55年前の吉田茂国葬では吹かなかった逆風にさらされる納得の理由

プレジデントオンライン / 2022年9月9日 15時15分

7月8日に死去した安倍晋三元首相の四十九日で、自民党安倍派の会合で飾られた遺影=2022年8月25日、東京・永田町の同党本部 - 写真=時事通信フォト

9月27日に実施される安倍晋三元首相の国葬。世論調査では反対が賛成を上回り、激しい逆風にさらされている。ジャーナリストで僧侶の鵜飼秀徳さんは「55年前の吉田茂元首相の国葬の際は、逆風はなかった。今回は死去から葬儀まで81日もかかり国葬に関する議論の余地を与え、SNSなどで否定的意見が拡散したことで炎上したのではないか」という――。

■なぜ安倍晋三元首相の国葬に国民は猛反発するのか

岸田文雄首相の「決断」によって踏み切られた安倍晋三元首相の国葬が、9月27日に実施される。しかし、日増しに国民の反発は増すばかりだ。各社世論調査では「反対」が「賛成」を上回っている。安倍国葬をテコにして政権浮揚を狙いたかった岸田首相の思惑は、裏目に出てしまった格好だ。

前回の国葬が1967(昭和42)年10月31日に開かれた、吉田茂元首相のケース。時の政権は、佐藤栄作首相だった。吉田国葬では、今ほどの激しい逆風は吹かなかったとされている。

安倍氏の国葬に反発が高まっている理由はどこにあるのか。当時の新聞報道を基に、吉田氏の弔いを振り返りなから、考察してみたい。

吉田元首相は1967(昭和42)年10月20日午前11時50分、心筋梗塞によって神奈川県大磯の自宅で死去した。享年89だった。

同日付の各紙夕刊は一面トップで吉田氏の訃報を伝えた。朝日新聞の前文には、「吉田氏の葬儀を国葬としておこなうかどうかについて協議した。官房長官によれば、(佐藤)首相は国葬を希望しているといわれ、首相の(訪問中のマニラからの)帰国を待って臨時閣議で国葬とすることに決る見通しである」と述べられていた。

記事本文でも「(国葬は)10月末か、11月のはじめとなろう」「国葬委員長は佐藤首相がなる」「国葬の場所としては、日本武道館、国会議事堂、国立劇場などが候補としてあがっている」と、かなり具体的な記述が認められる。日経などの他紙をみても、同様の内容だった。

吉田氏死去の時刻は先述の通り11時50分。そこから、全国紙夕刊の締め切りまでは1時間程度しかない。

死去を待って詳細を取材し、どのような葬式にするか、などの記事に仕上げるには時間が足りない。したがって、新聞各紙は、吉田氏生存中から国葬を既定路線とした政府方針を基に「死亡予定稿」をつくっていたはずだ。既報の通り死去から11日後の10月31日に、日本武道館で国葬が行われることになった。

■安倍国葬は死去から81日後、吉田国葬は6日後

安倍氏の場合はどうだったか。7月8日に暗殺され、14日に岸田首相によって国葬の実施が発表された。安倍国葬は9月27日(死去から81日)。吉田国葬までの期間(6日後)に比べてかなり長い。この準備期間の長さによって、国葬に関する議論の余地を与え、SNSなどで否定的意見が拡散することになった。吉田国葬のようにスピーディーに実施していれば、「炎上」は起きなかったかもしれない。

昭和42年10月20日付朝日新聞・夕刊
写真=昭和42年10月20日付朝日新聞・夕刊
  - 写真=昭和42年10月20日付朝日新聞・夕刊

吉田氏死去の翌21日の朝日新聞朝刊では、国葬についての解説記事が組まれている。それによると、「新憲法の施行にともなって、以前の国葬令は失効している」こと。「だからといって、国葬をしてはならないことにはならないが、政教分離の観点から宗教色を排した儀式にするしかない」などと論じている。

当時も今と同じような議論がなされていたのだ。さらに記事では、「戦前までの国葬では全国民が仕事を休んで喪に服し、歌舞音曲の類も禁じられた。しかし、戦後は国民の祝日も法律によって決められており、もちろん歌舞音曲の禁止もできない相談」としている。

そうこうしているうちに10月23日、吉田氏の密葬が行われた。会場は、文京区のカトリック関口教会(東京カテドラル聖マリア大聖堂)だった。

意外にも吉田氏は、敬虔なクリスチャンだったのか?

実は歴代首相の中には、7人のクリスチャンがいた。第19代首相の原敬氏、第20代の高橋是清氏、第46代の片山哲氏、第52・53・54代の鳩山一郎氏、第68・69代の大平正芳氏、さらに吉田茂の孫にあたる第92代の麻生太郎氏らである。

しかし、吉田氏の場合は信仰が篤いとは言い難い。なぜなら、「天国泥棒」ともいわれる死後洗礼によって、クリスチャンになっているからだ。吉田氏は、雪子夫人がクリスチャンだったこともあり、生前にカトリック信者になりたいとの希望を家族に告げていた。死去直後に神父によって洗礼が行われ、「ヨゼフ・トマス・モア」との洗礼名を授かった。吉田氏の墓は、青山墓地につくられた(2011年に横浜市の久保山墓地に改葬)。

その実、吉田氏は戒名も授かっている。「叡光院殿徹誉明徳素匯大居士」。戒名は仏弟子になった証しでもある。吉田氏は、クリスチャンなのか仏教徒なのか、どっちなのか。かなり、いい加減だ。

だが、そんなことをいえば、麻生太郎氏もクリスチャンでありながら、神道政治連盟国会議員懇談会の名誉顧問に就任しているし、安倍氏も旧統一教会との関係が指摘されている通り。日本の政治家は、宗教に節操がないと思う。

ちなみに吉田氏の納棺に際してはトレードマークの葉巻、愛用のステッキ、ベレー帽、犬のぬいぐるみ、愛読した野村胡堂の捕物帳(『銭形平次捕物控』など)数冊が入れられた。大磯の自宅に弔問に訪れた佐藤栄作首相は、吉田氏の棺を開けて白菊を入れ、「先生これでさようなら。最後のお別れのあいさつに来ました」と述べると、棺に納められていた吉田氏のステッキと自分のものとを交換したとのエピソードも残されている。

10月31日午後2時より、日本武道館にて国葬が開式した。葬儀委員長の佐藤首相に衆参両議長、最高裁長官の「三権の長」のほか、73カ国から代表者ら約6000人が招待された。安倍国葬でも同規模が予定されているので、吉田国葬の規模感を踏襲したとみられる。昭和天皇と香淳皇后は皇居のテレビで中継を視聴した。

■結局安倍国葬は「びっくりするほど、あっさり終わる」

この日、全国の国公立学校は半日休校措置がとられ、官公庁では弔旗の掲揚が命じられた。公営ギャンブルも自粛・中止になった。

東京駅ではホームアナウンスで、黙祷が呼びかけられた。だが、足を止める人はごくわずかであった。何度も駅員が「黙祷の時間です」と促したという。銀座では銀座教会が追悼のチャイムを鳴らしたが、買い物客はほとんど無関心だった。産業界では、大阪門真市の松下電器本社や、東京丸の内の日立製作所本社では社内放送で黙祷を呼びかけた。

放送局は歌謡やクイズなどの娯楽番組、さらに「派手なCM」の放送自粛を決めた。差し替えになったのは、TBSでは「奥さまは魔女」、日本テレビの「そっくりショー」、日本教育テレビ(現テレビ朝日)の「ものまね合戦」などである。

この措置に対して、マスコミ関連産業労組共闘会議は言論統制として抗議をしたが、当時のフジテレビ村上七郎編成局長(後のフジテレビ専務、関西テレビ社長)は、「民放連の番組委員会で、あんまりひどい番組は同じ日に流せないだろう、各社の判断でいこうということになったが、政府から圧力がかかったなんて、そんな事実はない。わたし自身だって、このごろのCMは歌ものが多いから、せっかくの国葬のふんいきをぶちこわすと思っている」(朝日新聞10月29日付)などと述べている。

テレビを作る側の人間でありながら、当時の娯楽番組を「あんまりひどい番組」と自虐している点は、なかなかのものである。今回の安倍国葬の日、当時以上にお笑いなどバラエティー色が強い番組をずらりと並べているテレビ局はやはり“忖度”をするのだろうか。

日本武道館には、一般会葬者3万5000人が長い列をつくった。列は武道館から竹橋までおよそ2キロにもなった。また、自宅の大磯から出発した吉田氏の遺骨を武道館へと運ぶ計26台もの柩車の列を見るために、沿道には7万人が押し寄せたとの報道がある。

昭和42年10月31日付日経新聞・夕刊
写真=昭和42年10月31日付日経新聞・夕刊
  - 写真=昭和42年10月31日付日経新聞・夕刊

北の丸公園では、防衛庁儀仗隊が弔意の大砲を19発発射。武道館の見える場所では喪服を着た人が、正座をして合掌する姿もあった。一般の献花は午後3時半から午後7時半まで続けられた。

では、式当日の抗議行動はどうだったか。東京大学駒場キャンパスでは学生が、渋谷、池袋などの街頭では共産党や市民団体などがビラをまくなどの抗議を示した。31日付朝日新聞夕刊社会面では短く、吉田氏の地元高知の抗議活動を報じていた。

「吉田さんにはゆかりの地、高知県では高知市役所を除いてほとんどの官庁や学校は午後から休み、町では各官庁や金融機関が半旗を掲げ、吉田さんのめい福を祈った。しかし一般の人たちの反応は割合い静かで、民間企業や金融機関はほぼ平日通りの勤務。一方勤評闘争で名をはせた高知県教組は国葬に反対し、午後から各学校で抗議集会を行った」

国葬後は、抗議活動は沈静化。メディアは議論を引きずることはなかった。

27日の安倍国葬はどうなることか。費用は当初発表していた額を大きく超えて、警備費・海外要人の接遇費などを含め16億6000万円と報じられている。近年は、コロナ禍ということもあり一般人はもちろん俳優や企業社長など有名人であっても葬儀は簡素化の一途をたどって、参列者は家族などに限られ、合理的な予算に抑えられている。そうした中での“自民党主催”の無理くりの盛大な国葬である。

吉田国葬の時と異なるのはSNSなど、個々人が「メディア」を持っている点である。その点ではメディアや世論の動きを、興味深く見守りたいが、あれだけ批判にさらされた東京五輪も、終了後はさほどの検証がなされることもなく、世論も盛り上がらなかったことを思えば、まあ今回も同様に「びっくりするほど、あっさり終わる」のではないかと、私は冷ややかに見ている。

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鵜飼 秀徳(うかい・ひでのり)
浄土宗僧侶/ジャーナリスト
1974年生まれ。成城大学卒業。新聞記者、経済誌記者などを経て独立。「現代社会と宗教」をテーマに取材、発信を続ける。著書に『寺院消滅』(日経BP)、『仏教抹殺』(文春新書)近著に『仏教の大東亜戦争』(文春新書)、『お寺の日本地図 名刹古刹でめぐる47都道府県』(文春新書)。浄土宗正覚寺住職、大正大学招聘教授、佛教大学・東京農業大学非常勤講師、(一社)良いお寺研究会代表理事、(公財)全日本仏教会広報委員など。

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(浄土宗僧侶/ジャーナリスト 鵜飼 秀徳)

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