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ウクライナ戦争の口実にもなった…「国境線と言語分布の不一致」という欧州各地が抱える深刻な問題

プレジデントオンライン / 2022年9月18日 7時15分

1989年8月29日、難民男女204人を乗せ、前畑埠頭に接岸した木造船(長崎・佐世保市干尽町) - 写真=時事通信フォト

ロシアはウクライナ戦争の口実のひとつとして、「ウクライナ政府がロシア語の使用を制限したからだ」と主張している。今年6月、東欧を取材した増田ユリヤさんは「ヨーロッパでは歴史的経緯もあり、国境線と言語の分布が必ずしも一致しているとは限らない。そのことがさまざまな問題の背景にある」という。池上彰さんが聞いた――。(連載第11回)

■ヨーロッパでは国境線と言語の分布が一致していない

【増田】ロシアはウクライナへ侵攻する理由のひとつとして、ウクライナ東部で迫害されているロシア系住民を保護するためだ、と主張しています。2014年からウクライナ東部では、親ロシア派武装勢力と政府の間で紛争が始まりました。その紛争のきっかけのひとつはウクライナ政府が現地で「ロシア語の使用の制限」を決定したことだといわれています。反発を受けてウクライナ政府は決定を撤回しましたが、言語というものが紛争の発端になり得るくらい、民族によって重いものであることを示しているのは確かです。

90%以上が日本語話者である日本にいるとなかなか実感が湧きませんが、ヨーロッパでは歴史的経緯もあり、国境線と言語の分布が必ずしも一致しているとは限りません。

戦火や内戦から逃れるために他国へ向かう難民や、経済的豊かさや暮らしやすさを求めて他国に移住する移民が多い現在、元々のルーツである言語や文化を守るのか、それとも移住先の国家が指定する公用語に同化していくのか、国家としてそれを求めるのかどうかは、多くの国々にとって重要性の増す課題になりつつあります。

■日本にもあった言語とアイデンティティーの問題

【増田】日本でも、言語を巡る葛藤がないわけではありません。私が難民取材を始めた30年ほど前、取材した神奈川県横浜市と大和市の間にある公営住宅、通称「いちょう団地」へ行きました。当時、この辺りには1975年のベトナム戦争終結後に国を逃れてきたインドシナ難民が多く住んでいて、その子供たちが多く通う公立小学校が彼らの母国語の授業をするというので、取材したのです。

インドシナはベトナム、ラオス、カンボジアと、タイとミャンマー両国のマレー半島の部分を除く地域を指す、豊かな文化を持つ地域です。日本で教育を受けた難民の子供たちは日本語を話すことはできても、日本語を十分に話すことのできない親との間でコミュニケーションが取れなくなるという問題が生じていました。

また、子供自身も「自分たちはインドシナ人なのか、日本人なのか」というアイデンティティーの問題を抱え始めていました。両親ともにインドシナ人でも、日本語を覚え、日本で育つ子供たちは、考え方も、文化も「日本人」的になっていく。暮らしたこともない、ラオス、カンボジア、ベトナムについては、ルーツではあっても、習俗や文化が分からなくなってしまう。

そこで学校側が「やはり自分のルーツにかかわる言葉や文化を知ることは必要なのではないか」と考えたのです。

【池上】言語とアイデンティティーは密接に結びついていますよね。

■ウクライナにおける言語の使用制限

【増田】ウクライナは親露派のヴィクトル・ヤヌコビッチ大統領が2014年にロシアに亡命し、その後、大統領になったのは反露派のペトロ・ポロシェンコ氏でした。ポロシェンコ氏はウクライナ語の使用を国内で徹底しようと、2017年には「小学校5年生からウクライナ語教育へ移行せよ」という方針を打ち出しました。

しかしウクライナ国内にはロシア系住民のほか、ハンガリー系住民もおり、そうした人たちにとっては、「自らのルーツにつながる言語を教えるな」と言われているに等しい。

さらには、ハンガリー内で「ウクライナに住むハンガリー語の話者が、公の場でウクライナ語を話すよう強要されている」事実を知った人たちからすれば、「自分たちと同じ言語を使っている、同じルーツの人たちが、隣国で少数派として虐げられている」という意識になる。

それが爆発すると、デモなどの大規模な抗議運動に発展しますし、政治が利用しようと思えばできてしまう面もあるでしょう。

■罰則規定も…スロバキアでも言語の使用制限

【増田】今年6月に私が東欧で取材した際に手伝っていただいたカメラマンの方はルーマニア人なのですが、現在はハンガリーに移住しています。ルーマニアで四半世紀にわたり独裁体制を敷いたニコラエ・チャウチェスク大統領(1918〜1989年)に嫌気がさして移住を決めましたが、元々のルーツがハンガリーだから、ハンガリー語を話すことができたことが大きかったと言います。

オーストリア・ハンガリー二重帝国時代(1867~1918年)は、現在のウクライナやチェコ、スロバキア、ルーマニア、セルビア、クロアチアなどの国の一部もハンガリーの領土でした。そのため、ハンガリー語を話し、ハンガリーの文化を持った人々が今も各国にとどまっているのです。

【図版】オーストリア・ハンガリー二重帝国時代のハンガリーと現代のハンガリーの領土比較

スロバキアでは人口の約7.8%にあたる約42万人がハンガリー人のため、ハンガリー語話者も多く暮らしています。しかし時の政権の政治色によって少数民族の母語に対する扱いも変わります。

たとえば、1995年にナショナリズムの強い政権下で制定された「国語法」という法律ではスロバキア語を「国語」と定め、「スロバキア語は他の言語よりも優先される」(第1条第2項)、「公的機関は、その職務の遂行において、国語を使用しなければならない」(第3条第1項)、「国語の教育は、すべての小学校と中学校で義務付けられる」(第4条第1項)とされました。従わないと罰金も科せられるようになりました。

■影響はショッピングモールにも及ぶ

【増田】98年に政権交代が起こり、翌年に罰則規定は廃止されましたが、2009年にはまた民族主義を志向した言語法の改正が可決されました。これによって博物館、図書館、映画、劇場、演奏会やその他の文化的イベントにおける看板やポスターなどの印刷物で、ハンガリー語のみの表記を禁じ、スロバキア語との併記を義務付けることになりました。表記の順番はスロバキア語が先で、少数言語は後という決まりです。

スロバキア語を少数言語よりも優位に置くこの法律が日常的な場面にも影響を与えたのは事実で、例えば、ショッピングモールの店員さんがハンガリー語でお客さんと話した時に、別のお客さんが「スロバキアではスロバキア語で話せ」と言ってきた、という話も聞きました。こうした圧力が、民族間の対立を生じさせてしまうのです。

この法律では少数言語による教育を禁じているわけではありません。学校の運営費は地方自治体がサポートしていて、その地域で要望が多ければ、少数言語を使った授業は続けられています。

■26年に及ぶスリランカの内戦も、きっかけは「言語」

スリランカ第4代首相バンダラナーヤカ(1956年から1959年に暗殺されるまで在任)の公式ポートレート。
スリランカ第4代首相バンダラナイケ(1956年から1959年に暗殺されるまで在任)の公式ポートレート。(写真=Public Domain/PD-Sri Lanka/Wikimedia Commons)

【増田】ただ、現実問題として、ハンガリー系の一家でも子供たちの将来を考え、スロバキア語での教育を受けさせようとスロバキア語の学校へ行かせる人たちも出てくるようになりました。そうなると、ハンガリー語での学校教育への要望は今後減っていくでしょうし、先のいちょう団地のケースのような、親子間のコミュニケーションの問題も生じてきます。

【池上】難しい問題ですね。スリランカは全人口の4分の3がシンハラ人、4分の1をタミル人が占める国ですが、1951年にシンハラ語を唯一の公用語にするという「シンハラ・オンリー」政策を掲げたバンダラナイケという政治家がスリランカ自由党を創設、1956年の選挙で首相となり、シンハラ語を唯一の公用語にしました。それはシンハラ語が使えない者は公務員の職を追われることを意味します。そのため、タミル語を話すタミル人が猛烈に反発して武装組織をつくり、内戦に発展しました。衝突は1983年に全面的な戦争に発展し、武装組織が壊滅して内戦終結が宣言されたのは2009年。内戦は実に26年にも及ぶことになりました。

■相手の言語を重んじられるか

【増田】こうした方針を定めるのは政治家としてトップに立った人ですが、一方で、国民の中にも「自分たちの言語にこだわりたい」「国として公用語を定め、少数派の言語よりも優先して使うべきだ」と思う人たちがいる。私たちは「多様性が大事だ」「違いを認め合おう」と簡単に言ってしまいがちで、もちろんそれは大事なことなのですが、一方で実現するのは非常に難しいことでもある。だからこそ、世界各地で価値観を巡る運動やデモ、摩擦がニュースとして報じられるのです。

ただし、違う言語や文化、習俗や宗教を持つ「異文化」の人々と接することで生まれるものは、「摩擦」だけではありません。

ヨーロッパ取材では通訳を介して取材をするので、こちらは日本語で話すのですが、取材相手がジーっと私の様子を見ていることがあるんです。言葉が通じないから、表情から何かを読み取ろうとしているのかな、と最初は思ったのですが、聞いてみると実は「日本語の響きに耳を傾けていた」のです。時には「美しい響きですね、もっと日本語を話してください」と言われることもあります。

日本人同士ではなかなか気づきませんが、ヨーロッパの人たちにとって日本語の響きというのは自分たちの言語とはまた違った、「美しい響き」を持っているのだと気づかされました。

【池上】私も以前、テレビのロケでロシアに行った際に、日本語を学んでいるという女子学生にその理由を聞いたところ、「日本語の響きが美しいので、学ぼうと決めました」と言われたことがありました。

【増田】私たちの「美しい響き」を持つ言葉を大切に思うのと同じように、相手の言語についても重んじ、「その言語や文化を大事に思っている人たちがいる」と理解することこそが、多様性のある社会の実現につながっていくのではないでしょうか。

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池上 彰(いけがみ・あきら)
ジャーナリスト
1950年長野県生まれ。慶應義塾大学卒業後、NHK入局。報道記者として事件、災害、教育問題を担当し、94年から「週刊こどもニュース」で活躍。2005年からフリーになり、テレビ出演や書籍執筆など幅広く活躍。現在、名城大学教授・東京工業大学特命教授など。計9大学で教える。『池上彰のやさしい経済学』『池上彰の18歳からの教養講座』『これが日本の正体! 池上彰への42の質問』など著書多数。

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増田 ユリヤ(ますだ・ゆりや)
ジャーナリスト
神奈川県生まれ。國學院大學卒業。27年にわたり、高校で世界史・日本史・現代社会を教えながら、NHKラジオ・テレビのリポーターを務めた。日本テレビ「世界一受けたい授業」に歴史や地理の先生として出演のほか、現在コメンテーターとしてテレビ朝日系列「大下容子ワイド!スクランブル」などで活躍。日本と世界のさまざまな問題の現場を幅広く取材・執筆している。著書に『新しい「教育格差」』(講談社現代新書)、『教育立国フィンランド流 教師の育て方』(岩波書店)、『揺れる移民大国フランス』(ポプラ新書)など。

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(ジャーナリスト 池上 彰、ジャーナリスト 増田 ユリヤ 構成=梶原麻衣子)

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