不勉強で無知なのにプライドは高い…日本のアスリートが「鼻持ちならない存在」になりがちな根本原因
プレジデントオンライン / 2022年9月17日 13時15分
■世間を賑わす東京五輪の「汚れた金」
東京五輪の開催から1年以上が経過した今になって、東京五輪の「汚れた金」が世間をにぎわしている。
東京五輪のスポンサーでもあった紳士服大手「AOKIホールディングス」や出版大手「KADOKAWA」の元幹部らから賄賂を受け取ったとして、大会組織委員会(JOC)の元理事らが受託収賄罪で、KADOKAWA会長の角川歴彦容疑者らが贈賄の容疑で逮捕されたのだ。
振り返れば開催当初から、新型コロナウイルスの感染拡大が続いているにもかかわらず強行開催に踏み切った国際オリンピック委員会(IOC)や日本政府などの主催者側に、かつてない批判が向けられていた。国民の健康や命よりもスポーツイベントを優先することへの非難はもちろん、オリンピックの意義をも訝しむ抜本的な批判も相次いだ。
「復興五輪」の欺瞞(ぎまん)や「アスリートファースト」の形骸化、スポーツ・ウォッシングなどが明るみに出て、そもそもオリンピックは誰のために、何のために行うものなのかといった本質的な議論が活発化した。
だが、当事者であるはずのスポーツ界から社会状況を鑑みた発言が少なく、とくにアスリート本人からは全くと言っていいほど発信がなされなかった。自分たちの東京五輪が汚されたにもかかわらず、彼、彼女からは何の反応もないのである。
パンデミックという未曽有の事態が引き金となり、東京五輪の汚職事件も相まって、オリンピックのみならずスポーツのあり方をも見直す機運が、今、醸成されている。
■日本人アスリートは社会とつながっていない
山積する課題のなかで今回取り上げるのは「アスリートの社会性」である。とりわけ日本人アスリートがいかに社会とつながっていないかを、先の東京五輪は白日の下に晒した。オリンピックに対する意気込みなど競技に関すること、および食事や洋服などの趣味嗜好については積極的に発信するものの、コロナ禍で開催する是非など社会を視野に入れた発言は極端に少なく、ほとんどのアスリートは沈黙を守り続けた。無関心の態度を頑なに貫いたといっていい。
政治的な発言を制限するIOCの通達が背景にあるのはわかる。スポンサーや競技団体への配慮、およびそれらから箝口令が敷かれたことも想像に難くない。取り巻く環境がそうさせてくれないというこれらの事情を酌んだとしても、当時はパンデミックという非常事態である。なにがしかのコメントを口にするのが一人の国民として、さらには社会に広く影響を及ぼす者の責務であろう。
スポーツで国民に感動や勇気を与えられるという気概があるのなら、それと同じく社会的な発言も厭わないのが取るべき態度であるはずだ。オリンピックが、スポーツ界を飛び超えて社会的なイシューとして認知されている以上、他ならない当事者として自らの考えを表明しなければならなかった。
■「勇気ある発言」をしたアスリートはごく一部
しかしそれができなかった。日本人アスリートには社会的な発言をする者が極めて少なかった。強いて挙げるなら、多くの国民が望まない状況下で開催することに一貫して疑問を投げかけていた陸上の新谷仁美選手が、「選手だけが『やりたい』では、わがまま」だと発言したくらいだろうか。あるいは水泳の松本弥生選手も、「一国民として言うなら、今やるべきではないとも思う」と複雑な胸の内を打ち明けていた。
元アスリートに広げれば、元陸上選手の有森裕子氏がアスリートファーストではなく「社会ファースト」を、元柔道家でJOC理事(当時)の山口香氏は「オープンな議論」を呼びかけ、両者ともに開催ありきではなく本質的な視点から大会のあり方の見直しを訴え続けていた。
これら勇気ある発言は注目に値するが、全体からみればごく一部でしかない。
■このままでは札幌五輪も東京五輪の二の舞に
アスリートは試合でパフォーマンスを発揮することがその役割だから、社会的な発言などしなくてよいという風潮がある。だが、私はそれにくみしない。なぜなら社会状況に関心を向け、ここぞというときに発言する姿勢を持たなければ時の権力者に利用されるだけだからだ。
アスリートが社会性を身に付けなければ、健全性やフェアネスといった偽りのイメージでスポーツが塗り固められていつまでも消費され続ける。スポーツの政治利用や商業利用は続き、スポーツ・ウォッシングはなくならない。アスリートがだんまりを決め込んだままでは、札幌市が招致を目指す2030年冬季五輪は先の東京五輪の二の舞を演じることになる。
■社会性の欠如はスポーツ界の構造的な問題
ただし、この「社会性の欠如」を、アスリートだけの責めに帰すのはいささか酷であるとも思う。
成城大学の山本敦久教授(身体文化論)は『アスリートたちが変えるスポーツと身体の未来』(岩波書店)の中で「現代アスリートは、資本、国家、メディア、プライベートのみにつながれていて、社会性を喪失させられてきた」と指摘する(強調筆者)。
つまり、アスリートを取り巻く環境にも問題があるのだ。先に述べたIOCの通達や箝口令も踏まえ、アスリートの「社会性の欠如」は属人的要素だけに起因するのではなく、スポーツ界が抱える構造的な問題として捉えなければならない。
幼い頃からそのスポーツに取り組むアスリートは、競技力にさえ秀でていればそれでよかった。競技成績を残すためだからと、理不尽な言動を繰り返す指導者にも、無理難題を押しつける先輩にも、異議を唱えることなく耐え忍び、保護者をはじめ周囲の期待を裏切らないよう自らを奮い立たせてきた。運動部活動をはじめとする若年層のスポーツではおおむねこうした傾向があり、とりわけ日本においては顕著である。
理不尽に耐え、期待に応える。ここには「けなし」か「励まし」かの違いがあるにせよ、「他者からの介入」という点で共通している。「けしかけている」ことに変わりはない。
つべこべいわずに練習しろ/努力は必ず報われる
「無理」とか「できない」とか言うな/あきらめなければ結果は出る
まだまだ練習が足らん/あなたには才能がある
スポーツ以外のことは考えるな/ひとつのことに集中するのが美徳だ
![コーチが選手にフォーメンションの説明中](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/c/e/1200wm/img_ceeb934802601fc02e96d03ffb8525e7429873.jpg)
■スポーツだけに打ち込むあまり視野が狭くなる
叱咤にしろ激励にしろ、とどのつまりは鞭を打つか人参をぶら下げるかの違いであり、これらの言葉がけから伝わる暗黙のメッセージは、「あなたが生きる道はこれしかない」に他ならない。
こうしてアスリートは幼少期から狭い世界に囲い込まれる。脇目も振らずスポーツに打ち込むうちに気がつけば社会と隔絶され、その狭い世界でアスリート特有のハビトゥス(嗜好性・価値観)が形成される。勝利至上主義や体制への従順さこそが善であると刷り込まれる。とりわけ同調圧力が高いとされる日本社会では、これが顕著なのである。
■「元日本代表」の肩書も相手が知らなければ役に立たない
かくいう私も御多分に洩れず、そんなアスリートの1人だった。
同志社大学を卒業後、三菱自動車工業京都(三菱自工)から神戸製鋼所に移籍し、日本代表として1999年にウェールズで行われたワールドカップの日本代表にも選ばれた。
その時はラグビーがもっと上達したいという思いに支配され、当時社会で何が起こっているかについてはほとんど気にも留めなかった。
だが、2007年にプレー中の脳震盪の後遺症が原因で、志半ばで引退することになった。その時に初めて、「ああ、自分は社会のことを何も知らない」と思い知った。ラグビー選手という肩書を失ってはじめて、自らもまた社会を構成するひとりの人間に過ぎないことを痛感した。
人間関係を構築する際にそれは顕著だった。周囲から一目置かれる立場でのコミュニケーションはできるものの、互いにフラットな状態で相手の興味や関心を探りながら親密度を深めるそれができない。「元ラグビー日本代表」である自分を相手が知っている状態なら話は弾むが、そうでなければ言葉に詰まる。
会話のプラットフォームを立ち上げるために必要なスキルが、明らかに欠落していた。また、社会常識や教養のなさから話題についていけないことも多く、滑らかに対人関係を築けないもどかしさがついて回った。
■無知なのに自意識だけは高い人間になっていた
各年代のセレクションを勝ち抜いてきた私にはおごりがあった。たまたまの巡り合わせとして日本代表になれたと思ってはいたものの、つらい練習を乗り越えてつかんだ結果として自らのアイデンティティーを確立していたのは否めない。私は選ばれし者であり、常人とは異なる特別な存在である。そう思っていた。いや、そう思い込まなければ大舞台であれだけのパフォーマンスはできなかった。
![王冠をかぶり、自分を指さす男性](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/a/2/1200wm/img_a296483aa38339f196d0fa9c1a28e07c321209.jpg)
期待に応えるため、また罵声など外野からの邪念を振り切るためには、エゴイスティックに振る舞う必要があった。その残滓が私の心の奥底にとぐろを巻き、それがコミュニケーション難を引き起こしていたのである。思い出すのも気恥ずかしいが、不勉強で無知なのに自意識だけは高い、鼻持ちならない人間だったように思う。
■スポーツ界と引退後の社会では求められるものが異なる
人が集まればコミュニティーができる。ひとつ屋根の下に集う家族、近所付き合いとしての地域、児童や生徒、学生同士による学校など、一人では生きられない人間が互いに肩を寄せ合って各コミュニティーは作られる。この小さなコミュニティーが幾重にも折り重なったものが社会だ。大小問わず複数のコミュニティーに属しながら私たちは生活しているが、社会はそれらを束ねる土台である。
各コミュニティー内部の論理と、その外部にあるコミュニティー、およびそれらすべてを包括する社会の論理は、しばしば食い違う。家庭や地域、学校や職場での不文律や慣習がそのまま通用するとは限らない。
たとえばスポーツ界でよしとされる上下関係やそれにともなう従順さは、社会では不自然となる。大舞台でパフォーマンスを発揮するために必要な剝き出しのエゴイズムも、そのままでは無用の長物だ。このコミュニティー内外および社会との相違を、私たちは無意識的に微調整しながら生を営んでいる。この微調整こそが社会性である。
競技だけに集中せよとけしかけられ続けたアスリートは、スポーツコミュニティーの外側に関心を向ける習慣が身に付いていない。そもそも比較対象としての外部が意識の俎上(そじょう)に上がらないのだから、微調整のしようがない。さらにいえば「今ここ」に意識を向けるように指導されるから、かつての自分を振り返り、未来のありようを思い描くことにも消極的にならざるを得ない。空間も時間も狭められているアスリートに微調整などできるはずもなく、つまりは社会性が身に付くわけがないのである。
■スポーツ界の外に目を向けてみることが重要
競争原理が支配する世界で勝利へとけしかけられ、視野狭窄(きょうさく)に陥ったアスリートの末路は暗い。
競技力という度量衡で人の価値が計られるスポーツコミュニティーとは違い、引退後のアスリートを待ち構える社会には実に多様なものの見方がある。勝者や年長者、あるいは要職に就いているからといって、その人たちがいつも正しいとは限らない。肩書や実績に拠らずにその発言や行動を、つまりその人となりを冷静に見極める目が、ひとりの「社会人」としてよりよく生きるためには必要である。足元にある社会を冷静に俯瞰しなければこの目は育たない。
コミュニティー内での論理をいったん手放し、いったん社会の論理に自分を位置付けてみる。この習慣がないと、序列の優位者や言葉巧みに近寄る人たちの悪意に気づけず、いつまでも利用され続ける。関わる人たちに翻弄され続ける主体性なき人生なんて、誰が送りたいだろう。
■アスリートの「殻」を破ったマニー・パッキャオ
アスリートはどうすればこの殻から抜け出せるのか。アスリートが社会性を失わずに済む、あるいは再び獲得するためにはどうすればいいのか。この答えは、あるアスリートが歩んだ軌跡から導き出せる。2021年9月に引退を表明した元ボクシング選手マニー・パッキャオである。
6階級を制覇したフィリピン出身のボクサーと聞けば思い当たる人は多いかもしれない。フライ級からスーパーウェルター級までの体重差約19kgを乗り越えてチャンピオンになった、前代未聞の選手である。
![フィリピン国旗のついたボクシンググローブ](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/2/9/1200wm/img_29e1187ce7fa901375d5fd4f3be81296436429.jpg)
彼のすごさは選手としての成績だけではない。このスーパーアスリートは現役時代の2010年に祖国フィリピンで国会議員となり、今夏には、上院議員を務めながら今年行われた大統領選へ出馬したのだ(結果は落選)。
選手として試合に出場するかたわら、「マニー・パッキャオ基金」を開設し、貧困緩和のための物資の供給や台風の被害者への膨大な支援、医療施設を建造するなどの慈善事業を展開するなど社会問題にも積極的にコミットしてきた。祖国を思い、社会を憂うその問題意識は、すでに現役時代に芽生えていた。
■「世界のズレ」がもたらした「二重のレンズ」
多くのアスリートに欠如しがちな社会性をパッキャオは身に付けている。その理由を日本大学の石岡丈昇教授(比較社会学・身体文化論)は「二重のレンズ」にあると指摘する。
フィリピン・ミンダナオ島の中央部に位置するキバウェの貧しい家庭に生まれたパッキャオは、本格的にボクシングを始めた14歳の時に同島のディゴスに単身で移住し、16歳で首都マニラに上京する。その後プロボクサーとして頭角を現すと、日本、タイ、そしてアメリカで試合を行い、やがてロサンゼルスに生活拠点を移した。
山奥から地方都市、首都から外国へと地理的な移動を、また貧困層から富裕層へと社会的な移動を繰り返してきたパッキャオは、「生きている世界」と「生きてきた世界」がつねにズレている。このふたつの世界のズレこそが彼の諸活動の動因であると石岡氏は言う。
「生きている世界」から「生きてきた世界」を見つめ、また「生きてきた世界」から「生きている世界」を見つめ返す。この「二重のレンズ」こそ、アスリートが社会性を獲得するために持ち合わせていなければならないものである。
■影響力のある現役時代こそ積極的な発信をすべき
先に示した通り、私は現役時代に然るべき社会性を身に付けられなかった。不本意なかたちで現役を引退し、その後の人生をどう生きるかについて真剣に考えたあとで、ようやく「二重のレンズ」を手に入れた。
![レンズ越しに運河を覗く](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/a/0/1200wm/img_a0571b8ed78f1665a7f68c352752405d335020.jpg)
当時はSNSなどなく、いまほどカジュアルに社会に向けて発信できる環境は整っていなかった。まだブログもない2002年にホームページを自作し、そこで拙い文章を書いてはいたものの、その内容は日記の域を出ていなかった。ほぼ趣味として駄文を公開していただけで、いま、インスタグラムやツイッターで洋服や食事について発信するアスリートとなんら変わりない。
これを差し引いたとしても、現役選手の立場からオリンピックの構造的な問題に踏み込み、それに異を唱えることなどできなかっただろう。私もまた、社会性が欠如した現役スポーツ選手に過ぎなかった。
もしあのとき社会を広く見渡し、自らのすべきことをわかっていたら。いまより社会に影響を与えられる立場で社会的な発言ができていたら。この後悔がずっとある。だからこそパッキャオ氏をリスペクトするとともに、現役アスリートに呼びかけている。社会から注目を浴び、その発言に影響力があるいまだからこそ積極的に行動すべきであると。それができれば現役時代と引退後がシームレスになり、セカンドキャリアの選択肢もまた広がるだろう。
また、然るべき社会性を身に付け、おかしなことにはおかしいと声を上げるアスリートが増えればスポーツは変わるはずだ。主催者やスポンサーはもちろん、社会は実力も人気もあるアスリートの声を無視することができないからだ。
■スポーツ界と実社会を意識的に行き来する
「Black Lives Matter運動」(BLM運動)に賛同の意を示した、女子テニスの大坂なおみ選手を思い出せばそれは明らかだろう。他にも、試合前の国歌斉唱の際に起立することを拒否し、片膝をついた姿勢で反人種差別を表明したアメリカンフットボールのコリン・キャパニック選手や、自身がレズビアンであることを公表し、セクシュアル・マイノリティに関わる問題だけでなくジェンダーや人種にもとづく差別にも発言や行動を重ねる、女子サッカーのミーガン・ラピノー選手がいる。
彼、彼女らに倣い、ここ日本でも声を上げるアスリートが増えれば、スポーツの社会的価値は高まるだろう。
井の中の蛙が大海を知るためには、俯瞰的な視座からその井を見つめる想像力がいる。井の外側に広がる大海(社会)は、自らが依って立つ井をつぶさに観察することで初めてその存在があらわになる。囲い込まれたアスリートが外の世界を知るには「二重のレンズ」を通さなければならない。海を越えるほどの地理的な移動を伴い、極度の貧困から身を立てたパッキャオ氏は無意識的にそれができた。だが、そうでない者は意識的に見つめ返す必要がある。
ことあるごとに立ち止まって、その歩みを俯瞰する。現在から過去を眺め、過去から現在を眺め返してみる。めまぐるしく移り変わる「景色」を観察しながら、競技人生をいままさにたどりながらその軌跡を描く。また、スポーツの外にあるコミュニティーとその土台となる社会に意識的に目を向ける。こうして時間と空間を行き来することで、自らの立ち位置やすべきことがおのずと浮かび上がるはずだ。
これが、私の考えるアスリートが社会性を獲得するためのひとつの方法である。誠に僭越ながら自らの経験とパッキャオ氏の生きざまを照らし合わせて、そう確信している。
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神戸親和女子大教授
1975年、大阪府生まれ。専門はスポーツ教育学、身体論。元ラグビー日本代表。現在は、京都新聞、みんなのミシマガジンにてコラムを連載し、WOWOWで欧州6カ国対抗(シックス・ネーションズ)の解説者を務める。著書・監修に『合気道とラグビーを貫くもの』(朝日新書)、『ぼくらの身体修行論』(朝日文庫)、『近くて遠いこの身体』(ミシマ社)、『たのしいうんどう』(朝日新聞出版)、『脱・筋トレ思考』(ミシマ社)がある。
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(神戸親和女子大教授 平尾 剛)
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