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巨人OBとして情けない…「中絶トラブル」の坂本勇人選手にベテラン解説者が以前から問題視していたこと

プレジデントオンライン / 2022年9月19日 17時15分

1回、適時二塁打を放つ巨人の坂本勇人=2022年7月5日、東京ドーム - 写真=時事通信フォト

巨人の坂本勇人選手が一般女性を妊娠させ、堕胎を要求していたことなどを、「文春オンライン」が報じた。2015年から巨人の主将を務める坂本選手について、野球解説者の広岡達朗さんは「伝統ある巨人の主将としての誇りとひたむきさが感じられない」という――。(第1回)

※本稿は、広岡達朗『巨人が勝てない7つの理由』(幻冬舎)の一部を再編集したものです。

■毎年日本一になるのが当たり前というのが巨人

私も野球一筋の人生で90歳になった。現役時代が巨人だったので、西武の監督を退任してから40年近くたったいまでも「巨人ファンです」という手紙がたくさん来る。

私が現役時代を過ごした巨人では、日本シリーズに勝つことが目的だった。毎年日本一になるのが当たり前というのが巨人であり、そういう教育を受けてきた。

だからリーグ優勝して日本シリーズ出場が決まると、初代オーナーで日本プロ野球の創立者である正力松太郎さんは日本テレビの迎賓館に監督・選手を集めてペナントレースの慰労をしたが、日本シリーズで日本一にならなければ「よくやった」とはいわなかった。これが、日本初のプロ野球チーム・巨人軍の伝統だった。

伝統とは、そのチームを作った人が「野球はこうあるべきだ、チームはこうあるべきだ」と考えたことを守り、伝えていくことである。私の意見が巨人に厳しいのは、それが野球の本質であり、巨人のあるべき姿だからだ。

ところがいまの選手たちは、いま流の生活をしているから堕落している。人工芝でエラーしたり、横に来たゴロを捕ったら回転して投げてみたりする。基本通り、足を運んで投げればいいのに、回転して投げるから目標の一塁手が揺れて悪送球になる。

ファンは華やかなファインプレーを喜ぶだろうが、プロは難しいプレーもやって当たり前の世界。「いいプレーをしたからほめてくれ」と思うのは大間違いだ。

■巨人の選手は野球界の見本であらねばならない

正力さんは「巨人軍は球界の盟主たれ」と言い遺している。遠征のときは必ず背広にネクタイ姿のマナーも、他球団の手本になった。

ところがいまは、Tシャツで練習したり、帽子をずらしてかぶったり、グラウンドで談笑する姿が多い。なかでも2019年にオリックスから移籍した中島宏之などは、出塁した一塁走者といつも笑顔でしゃべっている。あんなのは巨人の選手とはいえない。

いまの巨人は、よそで活躍した選手を金で集めて勝っている。生え抜きのレギュラーは坂本勇人と岡本和真くらいで、あとの生え抜きはどこでも守る便利屋のユーティリティプレーヤーと代打・代走である。これでは正力さんが作った巨人軍ではない。私が巨人に厳しいのは、OBとして情けないからだ。

いまでも他球団は、巨人のまねをする。キャンプも、「2番強打者論」も、左打者に左投手をつぎ込むマシンガン継投も、投げ終わって一塁側を向く変則投法も、巨人が大リーグの猿まねをすればすぐ球界に広がってゆく。そして深刻なのは、いいことも悪いことも、学生野球から少年野球の子どもたちまでプロ野球のまねをすることだ。

巨人軍はかつて、球界の盟主といわれた。盟主とは、プロ野球から野球少年まで、野球界すべての手本になることである。人気と資金力に任せて目の前の勝利を追うのではなく、「正しい野球」を取り戻してもらいたい。

■坂本勇人への評価が低いたった一つの理由

巨人のチームリーダー・坂本もプロ入り16年目を迎え、今年34歳になる。私は若いころの坂本を指導したことがある。原が巨人で2度目の監督のときだ。

当時の坂本は謙虚で素質のある選手だったが、私から見ると、その後少しもうまくなっていない。

いまの坂本はファンに「俺はうまいだろう」と見せている。捕ったら真剣に投げればいいのに、ヒョイヒョイと投げる。ゴロを捕るときも片手でヒョイと捕ってクルッと回って投げたりする。

ファンからはいかにも軽快なプレーに見えるだろうが、あれはプロがやるべきことではない。そんなことをせず、三遊間でも二遊間でも素早く回り込んで正面で捕り、基本に忠実にやればいい。それが巨人の野球だ。

軽快なプレーをファンが喜ぶのはいい。だが本人が「プロとして巨人にお世話になっている以上、こんなプレーは当たり前」という気持ちになれば、もっといい選手になる。

坂本はこれまでに多くのタイトルを獲得した。高校卒業後ドラフト1位で入団し、MVPをはじめ首位打者、最多安打、最高出塁率のタイトルとベストナイン賞7度、ゴールデングラブ賞5度。2020年には通算2000本安打も達成した。

しかし私の坂本に対する評価が厳しいのは、遊撃手として基本ができていないからだ。

■人間は楽をすれば手を抜いて限りなく楽をする

「打球が来る前にしっかり準備ができているかどうか」を見ればわかる。内野手は、どんな打球が来てもいいように構えていれば本物だ。

赤い芝生のフィールドにボールをフィールディングする野球の内野手
写真=iStock.com/WoodysPhotos
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/WoodysPhotos

ところがいま、坂本に限らず、そういう構えができている選手はひとりもいない。投手が投げる直前まで立っていたり、ひざに両手を置いて、「球が来てから捕ればいいんでしょ?」というのはいま流の人工芝野球である。

人工芝がなかった昔の選手は、グラウンドの土を見てイレギュラーするかどうかを判断した。いまは人工芝時代だからイレギュラーバウンドはほとんどないが、人間は本来、どんな場合でも条件によって反応できる能力を持っていることを忘れてはならない。つまり「人工芝だからイレギュラーバウンドはない」と安心して、捕球の準備を怠ってはいけないということだ。

人間は楽をすれば手を抜いて限りなく楽をし、逆に厳しい環境ではそれに対応できる人間になれる。

坂本も捕れる球は一生懸命捕るが、捕れないと思ったら追いかける格好だけでヒットにするから記録上のエラーは少ない。

なぜ簡単にあきらめず、球際まで追いかけて正面で捕る努力をしないのか。そうすれば守備範囲はもっと広くなる。逆に手を抜いて三遊間を逆シングルで楽にさばく習慣がつけば、知らない間に守備範囲は狭くなる。

■ケガの原因は練習不足と体力の減退

今季は左内腹斜筋筋損傷で高卒1年目以来の開幕二軍スタートとなったが、象徴的なプレーが発生したのは4月30日の阪神戦だった。坂本は7回、二遊間のゴロを座り込むようにして捕ったときに負傷し、右ひざ内側側副靭帯損傷で登録を抹消された。

新聞によると、8回から退いた坂本について元木大介ヘッドコーチは「そんなに重傷じゃないと思う。(最短の)10日で戻ってきてくれればありがたいよね」と語っていたが、坂本が戦列に再復帰したのは40日後の6月9日だった。

しかし、7月上旬には腰痛を発症してまた登録抹消。ファン投票で遊撃手1位だったオールスターゲームも仙腸関節炎で辞退した。

仙腸関節炎は骨盤を構成する一部である仙腸関節に炎症が起きる病気だ。仙腸関節は脊椎の両側にあるため、炎症が起きると腰や臀部、太ももの痛みや感覚障害などの原因になるという。

結局、巨人が5連敗で5位まで転落した7月の坂本は5試合に出場しただけ。オールスターゲームまでの前半戦は、全96試合のうち49試合に出場して打率.299、本塁打5、エラー9で終わった。

故障欠場続きの発端となった阪神戦の負傷も、「急にバウンドが変わったイレギュラー」と擁護した評論家がいたが、長期間戦列を離れることになるほど難しいゴロではなかった。

私にいわせれば、坂本の相次ぐ負傷欠場はキャンプ以来の練習不足と体力の減退が原因だ。

■リーダーとしての誇りとひたむきさが感じられない

昔の選手はみんな命がけだった。私が巨人で新人のショート時代、一塁の川上哲治さんに「下手くそ! もっといい球を投げろ!」と叱られたが、遠征先では私を宿舎の部屋に呼んで「ヒロ、俺は守備が下手だからな、手が届くところしか捕れんからな」と正直に打ち明ける勇気があった。

広岡達朗『巨人が勝てない7つの理由』(幻冬舎新書)
広岡達朗『巨人が勝てない7つの理由』(幻冬舎)

そして同じ先輩ショートの平井三郎さんやセカンドの千葉茂さんは「カワさんが送球を捕ってくれないなら、捕れる球を投げればいいじゃないか」とアドバイスしてくれた。おかげでそれまで「守備が下手ならもっと練習しろよ」と内心不満を募らせていた私は、川上さんが捕れる球を心がけて送球が正確になった。

そのかわり川上さんは、不動の4番打者としての誇りと責任感が強かった。私たちは1956(昭和31)年から3年間、日本シリーズで西鉄に3連敗した。無名だった新人投手・稲尾和久に完膚なきまでに抑え込まれたのだ。

その3年目だったと思う。主砲の川上さんが「俺が打てないために巨人が負けるのだったら、俺は試合に出ない」と言い出した。そのときはみんなで「川上さんが出なかったら試合にならない」と説得したが、いま主将の坂本には、チームリーダーとして川上さんのような誇りとひたむきさが感じられない。

私が坂本に厳しいのは、もっとうまくなって球史に残る名ショートになってほしいからだ。彼には、それだけの素質と可能性がある。

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広岡 達朗(ひろおか・たつろう)
野球解説者
1932年、広島県呉市生まれ。早稲田大学教育学部卒業。学生野球全盛時代に早大の名ショートとして活躍。1954年、巨人に入団。1年目から正遊撃手を務め、打率.314で新人王とベストナインに輝いた。引退後は評論家活動を経て、監督としてヤクルトと西武で日本シリーズに優勝し、セ・パ両リーグで日本一を達成。1992年、野球殿堂入り。2021年、早稲田大学スポーツ功労者表彰。『動じない。』(王貞治氏・藤平信一氏との共著)、『巨人への遺言』『中村天風 悲運に心悩ますな』『日本野球よ、それは間違っている!』『言わなきゃいけないプロ野球の大問題』『プロ野球激闘史』(すべて幻冬舎)など著書多数。

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(野球解説者 広岡 達朗)

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