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「子供を産まない」と言っただけなのに…「不幸な生い立ちだったんだね」と同情する人たちに伝えたいこと

プレジデントオンライン / 2022年9月25日 10時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/VioletaStoimenova

子供を産まない選択をする女性がいる。ライターのチェ・ジウンさんは「韓国社会では、結婚=出産という風潮が強い。このため子供を産まない選択をした女性は『不幸な生い立ちだったからなんだね……かわいそうに』と受け取られてしまう」という――。

※本稿は、チェ・ジウン著、オ・ヨンア訳『ママにならないことにしました』(晶文社)の一部を再編集したものです。

■はたして結婚は母にとってプラスだったのか?

非婚主義者の20代女性と話をしていて、こんなことを聞いたことがある。

「結婚しないって母に話したら、『もしかして私のせい?』と言うんです。子どものころ、両親がよくけんかしてたんですけどね。そのせいで結婚をネガティブに考えるようになったんじゃないかって、申し訳ないって言われたんですが、私が非婚を決めたのと両親はなんの関係もありません」

実は私は子どもを産まないことにしたときに似たような心配をした。もしかして両親がわが子の非出産に自分たちの責任を感じたらどうしよう? 両親とはなんの関係もないのに? でも一方では、人生での多くの選択は自分が根を下ろして生きてきた土壌の影響から完全に自由になるのは難しいとも思った。

【ユリム】以前、私が結婚しないと言ったら母が「お前が、お母さんとお父さん見て……」と言うんですね、子どもを産まないと言ったときも同じようなことを言われて、こちらが悲しくなったんです。でも、完全に否定もできないなと。少し大きくなってからは思ってたんですよ。私が見てもうちの母はすごい人で、結婚がはたして母にとってプラスになったのだろうか? って。母は父を手伝い、私を育てることを不幸だとは思っていないと思いますが、経済権なんかは父にあるので、何かをしようとするといつも制限されて父に依存するしかなかったと思うんですね。だから「ママのせい」で結婚をせず、子どもを産まないというわけじゃないんですけど、影響が全くないとは言えないと思います。

※ユリム 38歳。結婚6年目。医師。会社員のパートナーと京畿道一山に暮らす。

■嫁や妻として献身する母の姿に複雑な感情があった

【ヨンジ】両親、とくに母が子育てのためにすべてを諦めてきたのを見て、女性として私はそうなりたくないと思いました。母が私たち姉妹を育てながら「お前たちは男に頼らないで生きなさい、経済的に独立しないとだめ」と言っていたんですね。でも、私が子どもは産まないと言ったら、後悔してると言われました(笑)。「いい人と結婚して幸せに暮らしなさい」と言って育てるべきだったと。

※ヨンジ 39歳。結婚9年目。造船所勤務のパートナーと猫2匹と、慶尚南道統営で暮らす。書店と読書会、文章教室を運営。

私もまた家父長制のもとで結婚という制度の不平等を肌で感じたのは、両親を通してだった。教師だった母は9人兄弟の長男だった父と結婚して私たち姉妹を産み、父の職場についていき、地域を転々とし学校をやめた。母の結婚生活のうち10年は義両親と一緒で、亡くなる前の介護も嫁である母の役目だった。教育への関心が高いほうだった両親は、私たちにできる限りの支援を惜しまず、そこにはお金だけでなく相当の時間と労働力が注がれた。ヨンジの母親がそうだったように、我が家もまた「女もしっかり勉強していい就職先をみつけなさい」と言って娘たちを育てた。

もちろん2人の娘は30代半ばになっても結婚しないので老婆心が出てきてもいた。私は私とほとんどそっくりの(自己中心的という意味だ)性格をした父が意外にもかなり責任感のある養育者だったという事実に感謝はしているが、母が長男の嫁として妻として母として絶えず目に見えない労働をしてきた時間に対しては、ずっと複雑な感情を抱いてきた。

■暴力をふるう父に「自分もいつか」と怖くなった

一方、母の献身とは別の脈略で非出産に影響を与えた主な要因として、父の暴力について話してくれたインタビュー参加者もいた。

【ミナ】子どものころ、父がとても暴力的だったんです。お酒を飲むと母を殴り、私も殴られました。でも昔はやられてばかりだった母が、大声を出して一緒にけんかするようになって、私も大人になってからはあまりなくなりました。今は、もうすっかりひからびたおじいさん?(笑)そういうのが「私は子どもを産みたくない」という考えにちょっとは影響を与えたと思ってます。それにお酒を飲むと私も気づかぬうちに暴力的になるんじゃないかと、ちょっと怖いし。

※ミナ 25歳。結婚2年目。会社員のパートナー、犬と慶尚北道の小都市A市に暮らす。結婚を機に仕事をやめたが、最近宅建の資格を取得。

——自分に父親と似たような面があるんじゃないかと?

そういうのもあると思います。

【ハンナ】家が厳しくて母はいつも働いていて苦労して、父は映画やドラマに出てくるような、お酒を飲むと別人になるタイプでした。親がけんかをすると、家中のガラスが割れて、血の海になるぐらいのひどい暴力家庭でした。その時からだった気がします。私が子育てする準備ができていないなら、子どもの幸せのためにも産まないほうがいいと思ったのは。

※ハンナ 41歳。結婚4年目。フリーランスのメイクアップアーティストで、会社員のパートナーと2匹の猫とソウルに暮らす。

■「不幸な生い立ちだったんだね」に違和感がある

インタビュー参加者たちにとって、両親の結婚生活や彼らが親として見せてくれた姿がそれぞれの望む家庭のイメージを描くときに反面教師として作用している場合が多くあった。ボラは、「父が、お金さえ稼いでくればいいと思っている人で、家族がとても苦労したので、私が配偶者の条件としてまず大事にしているのが、家庭的で私の味方になってくれる人というものでした」と語る。

「ひどいけんかをするわけじゃないのですが、冷めきった感じで互いを理解できない」両親を見て育ったユニは「子どもにとっては、夫婦がお互い愛し合う気持ちを伝えたほうがいいと思います」と語る。

しかし、「親のせい」だと言うには、非出産という選択をとりまく多くの要因はそれぞれの人生にそれぞれの比重で存在する。母親の人生について話してくれたヨンジもまた、それが自分にとって決定的な影響を与えたのではなかったと言い、過大な解釈を警戒した。

【ヨンジ】子どもを持たない理由が100だとして、両親の影響は10に満たないとしても、人々はそういう話を聞くと残りの90を見もせずに、「不幸な生い立ちだったからなんだね……かわいそうに」というふうに受け取られるんですよ。

私もそう思う。両親の人生は私の望む夫婦像とは違ったが、彼らの子どもとして不幸だったとは絶対に言えない。

■産もうが産むまいが両親の愛情は変わらない

何より、私は両親の愛情と信頼が娘の選択に及ぼす影響についても、聞くことができた。私が子どもを産まないことにしたのにもかかわらず、わが子にこれほどまで信頼される親として生きていくことは本当に素敵だし偉大なことだと思った。

肩を組んで海岸を歩く母娘
写真=iStock.com/Dean Mitchell
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Dean Mitchell

【スンジュ】母は先生なので忙しくて、父は警察官だったので早朝に出勤したり、帰宅できない日も多かったんですが、家事も2人で助け合っていて、時間ができると私たちをあちこち連れて行ってくれました。子どもが3人だったので、経済的にもすごくゆとりがあったわけじゃないですけど、やりたいことはできるだけやらせてくれましたし、「お前が努力すればなんでもできるんだよ」といつも精神的にも支えてくれました。2人は今も仲良く暮らしてて、私に子どもの問題も含めて一切干渉してきません。そういう両親のおかげで、自主的な人間として成長できたと思います。

※スンジュ 33歳。結婚5年目。外資系企業で海外営業を担当していたが、パートナーの海外赴任で現在は日本で暮らし、経営大学院に通っている。

【ソヨン】私がどういう選択をしても、つまり子どもを産もうと産まないとにかかわらず両親の私への愛情は変わらないって確信してます。もし産むなら喜んでくれるでしょうけど、それは、新しい存在がもたらす躍動感みたいなもので、産まないからと言って私への愛情が薄れるとか、がっかりするというようなことはないはずです。

※ソヨン 36歳。結婚11年目。弁護士。パートナーと2匹の猫とソウルで暮らす。

■両親くらいの年齢になったときに私はどう思うのか

いつだったか、子どもを産まない友人と話したことがある。

チェ・ジウン著、オ・ヨンア訳『ママにならないことにしました』(晶文社)
チェ・ジウン著、オ・ヨンア訳『ママにならないことにしました』(晶文社)

「初めから子どもを産んで育てるのは大変だから、ある日5歳の子が現れたらいいのに」
「学校に入学した次の日とか、12歳ぐらいがいいかな?」
「思春期がくると大変らしいよね?」
「その次は受験地獄だからもっと大変じゃない?」

私たちの無駄なおしゃべりは「それじゃやっぱり私が老人になったとき30歳くらいになった勤め人の子どもが現れて面倒を見てくれたらいいな!」で終わった。もちろん私自身が30歳のときにどんな子だったのかを思えば、何の期待もしないほうがいいと思うが……。

実は両親はどう思っているのかわからないが、私は両親に私のような娘がいてよかったと根拠のない信頼を持っている。それから子のいない今は幸せだが、私が両親と同じくらい年をとったとき、私みたいな娘がいないというのは少しもったいなくもある。

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チェ・ジウン ライター
興味深いストーリーや素敵な人たちの世界に憧れて放送作家になり、「マガジンt」「アイズ」などで十年余りにわたり大衆文化の記者として活動する。常におもしろいものを書きたいと思っているが、常にうまくいくとは限らず、2015年以降は一連の事件をきっかけに女性として韓国の大衆文化をどうとらえていくかについて悩み『大丈夫じゃありません』を執筆した。共著に『乙たちのロバの耳』『フェミニズム教室』がある。自分の人生をあえて一言で言うなら「ゆっくりのんびり、後回し」と言えるが、女性たちの話を読んで聴いて書いて伝えることだけは、これからも続けていきたいと願っている。Instagram

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オ・ヨンア 翻訳家
在日コリアン3世。慶應義塾大学卒業。梨花女子大通訳翻訳大学院修士課程卒業、同院博士課程修了。2007年に第7回韓国文学翻訳新人賞受賞。訳書に『世界の果て、彼女』(クオン)、『話し足りなかった日』(リトルモア)、『続けてみます』(晶文社)、『秘密を語る時間』(柏書房)、『モノから学びます』(KADOKAWA)、『かけがえのない心』(亜紀書房)などがある。

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(ライター チェ・ジウン、翻訳家 オ・ヨンア)

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