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「コロナぐらいなら出勤しろ」という会社が続出する…「休めない国ニッポン」をこれから襲う悲劇的な事態

プレジデントオンライン / 2022年9月22日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/CHUNYIP WONG

■今年はインフルエンザの流行がやってくる?

第7波も多少落ち着きを見せてきた。朝一番から鳴りやまなかった発熱者からの問い合わせ電話も、今月に入ってずいぶんと減った。私は発熱者、有症状者には全例新型コロナウイルス検査を行っているが、7~8割だった陽性率(検査人数に対する陽性者数の割合)もここにきて肌感覚的には5割程度になってきている。

だがこの数字は、単に第7波が収束に向かっているという希望を私たちにもたらしてくれるものばかりとはいえない。今後はこれまで以上に発熱、有症状者については、新型コロナウイルス以外の感染症そして他の原因を考慮していく必要性を、われわれ医療者に再認識させることをも意味しているといえよう。

ようやく猛暑も去って朝夕の涼しい風には秋を感じるが、今後はさらに気温が低下し、冬の訪れとともに新型コロナウイルス以外の感染症、例えばここ2年はすっかり大人しくしていたインフルエンザの流行も意識し始めなければならない季節となってくるからだ。

■ウィズコロナで日本はどんな社会になるか

その“感染症の季節”を目前にして、岸田内閣は急速に「ウィズコロナ政策」に舵を切り始めた。岸田首相は9月6日の記者会見において、これまで行ってきた新型コロナウイルス感染者の「全数把握」を9月26日より全国一律で廃止、「全数届出の対象を「(a) 65 歳以上の者、(b)入院を要する者、(c)重症化リスクがあり、新型コロナウイルス感染症治療薬の投与又は新たに酸素投与が必要と医師が判断する者、(d)妊婦の4類型に限定」すると明言。

また検査陽性者の自宅療養期間についても、有症状者の10日間を7日間に短縮、無症状者は検査と組み合わせて5日間で解除可能とするとの方針を明らかにするとともに、「国内外に蓄積した知見、専門家の意見を踏まえて、ウィズコロナの新たな段階への移行を進め、社会経済活動との両立、これを強化してまいります」と述べた。

本稿では、この政府の方針転換を踏まえて「ウィズコロナの新たな段階への移行」とはいかなるもので、それが私たちの未来にいかなる事象をもたらし得るのかについて述べてみたい。

そもそも「ウィズコロナ」とは一体どういう概念であろうか。日本語で言えば「新型コロナウイルスとの共存」あるいは「新型コロナウイルスとうまく付き合っていく」ということになろうか。確かに太古の昔から人類はウイルスと共存してきた歴史がある。この地球上から人類に害をもたらすウイルスを完全に駆逐することが不可能であるという事実は、誰一人として否定しないだろう。

その厳然たる前提の下に、私たちはウイルスとどう対峙(たいじ)していくべきか、という問いは永遠のテーマともいえる。そのうえで、今回の新型コロナウイルスとはどのように付き合っていくべきか、というのが現在私たちに求められている議論であろう。

■「感染者を増やさない」はどこまで本気なのか

「ウイルスとうまく付き合っていく」ためには、まず何よりウイルスによる犠牲者を増やしてはならない。それに異論のある人はいないはずだ。その犠牲者を増やさないためには、感染者を増やさないことが重要であることは言うまでもない。感染者が増えればそれにつれて重症者も増え、医療需要を増大させてしまうからだ。

当然のことながら「過度な感染対策によって新型コロナウイルス以外の原因による犠牲者を増やしてはならない」という意見も重要である。救急車の受け入れ困難事例の急増、あるいは行き過ぎた行動制限策がもたらす経済的損失、倒産そして自殺者……。感染者を増やさぬようにしながら、いかにこれらの“ウイルス以外による犠牲者”を生じさせないようにするか、それが政治の役割であることも言うまでもない。

しかしこれらの認識を踏まえた上で、今回の岸田内閣の方針転換を見てみると、この“感染者を増やさぬようにしながら”という部分については、政府としての責任を放棄したようにしか思えない。過度な感染対策を止めるならまだしも、感染防止よりも社会経済活動を回すことを最優先に、熟議なきまま、なし崩し的に国民に感染拡大リスクを許容させるものであるからだ。

■またもや「国民へのお願い」に頼るなら絶望的だ

その最たるものが、“検査陽性者の自宅療養期間の短縮”だ。たしかに第7波以降、早い人では一両日中に社会復帰できてしまいそうな体調の患者さんも少なくない。寝込むのは最初の2~3日のみで、残りの1週間は家でブラブラという人もいる。

だがその“ヒマな期間”は、決して無駄な時間ではない。感染者の安静療養のためであることはもちろんだが、他人に感染させないために設けられたものでもあるのだ。

なにより専門家もそして今回の方針転換を決めた政府でさえ、発症後7日目ではまだ感染性を有している可能性を認めている。政府は「10日間が経過するまでは、感染リスクが残存することから、検温など自身による健康状態の確認や、高齢者等ハイリスク者との接触、ハイリスク施設への不要不急の訪問、感染リスクの高い場所の利用や会食等を避けること、マスクを着用すること等、自主的な感染予防行動の徹底をお願いする」としているが、こんな「お願い」で感染拡大を防げると本当に考えているならば絶望的だ。

■感染リスクに対する認識も統一見解がないまま

すでにこの自宅療養期間の短縮は9月7日から現場で運用されてしまっているが、この方針転換は“元気な感染源の人たち”に行動範囲を広げさせ、新たな感染者を生み出すことになる。しかしこのリスクについて、いったいどれだけの国民が許容しているのだろうか。国民的コンセンサスはいったいどのくらい得られているのだろうか。これは曖昧にすべきでない非常に重要な問題だ。

そもそもこの“7日目ではまだ感染性を有している可能性”についてさえ、十分周知されているとは言いがたい。先日、患者さんに説明し注意を促したところ、少なくない方々にビックリ仰天されてしまった。これが現場の現実なのだ。

「新型コロナはただのカゼだ。他人から移されようが、自分が他人に移そうが大した問題じゃない」とほとんどの国民が思っているならいざ知らず、人々の新型コロナウイルスの感染リスクに対する認識に、まだかなりの温度差がある現状で、政府から一方的に“一定の感染リスクは許容しよう”との方針が打ち出されれば、その後に生じるのは混乱しかない。感染者の社会復帰にかかる対応ひとつとっても、社会における組織、例えば教育機関や会社ごとに対応がバラバラになり、大混乱に陥る可能性は否定できない。

このまま国民的コンセンサスがなきまま緩和策が進められていけば、教育機関や会社組織は、その管理者の考え方に基づき、大きく以下の3形態に分かれていくことが予想される。

■「コロナくらいで休むな」という人たちが現れるのか

その3つとは、①政府方針に完全に従う組織、②政府方針を踏まえつつ独自の感染対策を追加して行う組織、③政府方針よりさらに独自の緩和策をとりコロナ禍以前と同様にしようとする組織、である。これらが混然一体となった社会が、医療機関そして私たちの生活にいかなる問題を引き起こすのか、今から冷静に考えておく必要がある。

言うまでもなく、冬を迎えるに当たって①さらに③のような組織が多数となれば、感染者の増加を抑えることは極めて困難となる。それは医療需要を増大させることにつながり、結果として医療逼迫(ひっぱく)と医療難民増をもたらすことになるだろう。

とくに③のような組織は、コロナ禍以前なら「カゼくらいで仕事を休むな、カゼくらいでは休めない」という人たちの集合体である可能性が高い。「インフルエンザと分かると面倒なことになるから検査したくない」と言う人に過去に何人も出会ったが、新型コロナウイルスについても同様の認識を持っていないとは言えない。

一方、②のような組織が増えた場合、それも医療需要の増大と医療逼迫を引き起こしかねない。政府の示した自宅療養期間の基準を満たしていても、「登校や出勤前には感染性の有無を医療機関で診断してもらってこい」あるいは「検査陰性確認後に登校・出勤するように」との“独自の感染対策ルール”を追加することが予想されるからだ。

不織布マスクを着用し、オフィスで働く女性が顔をしかめている
写真=iStock.com/Kiwis
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Kiwis

■インフル同時流行となれば目も当てられない

そうなれば、すでに治癒している患者さんが、もはや診療の対象でなくなっているにもかかわらず組織の要請にしたがって受診することになり、発熱・有症状者外来枠を埋め、真に診断治療を要する人の受診機会を奪ってしまうことになる。さらに再度の検査や証明書の類いを求める人が相次ぐ事態となれば、医療機関にかかる負担は今以上に膨れ上がることは必至だ。

さらにこの冬、インフルエンザの同時流行となった場合には、目も当てられない事態となる。新型コロナウイルス検査、インフルエンザ検査、診断書、治癒証明書、登校許可証、再検査……。これらの事務手続き等に医療現場が忙殺されることになれば、その他の医療は当然ながら疎(おろそ)かにならざるを得ない。それこそ「新型コロナウイルス以外による犠牲者」が増えてしまうことにもなるだろう。

コロナ禍前と比較して発熱者を診療する初期医療機関が減ってしまっている中で、このような業務まで増えるとなったら、どうなるか。これらの業務を忌避する医療機関が増えれば、発熱者対応医療機関がさらに減ってしまうことになる。そうなれば発熱者は限られた医療機関に殺到することになり、さらなる逼迫を巻き起こすという、まさに絵に描いたような悪循環が回り始めることは明白だ。

インフルエンザシーズンを前に、新型コロナウイルスの感染拡大を促すような緩和策に舵を切ることが、いかなるリスクと混乱をもたらし得るのか、この想像力と危機感を持てる為政者は、この国に果たして存在しているのだろうか。

■「社会経済活動との両立」と聞こえはいいが…

感染リスクの残存を認めつつ、それでもなお自宅療養期間の短縮を拙速に押し通した理由、それは何か。そこには「労働者を早く仕事場に復帰させるため」以外の理由は存在するだろうか。この拙速な“政治判断”には「段階的に一般的な感染症に近づけていくべき」「Withコロナに適応した、パンデミックからの『出口戦略』を早急に策定すべき」という日本経済団体連合会の提言も影響を及ぼしているのではないのか。

「社会経済活動との両立」と聞けば聞こえがいいが、その本態は「労働者を休ませないで一日も早く職場に戻せ」「感染防止策は自分たちで行え」という使用者に歓迎される政策、政府の責任放棄そのものではないのか。

それだけではない。政府の「ウィズコロナ政策」に連動するように保険業界も方針を転換し、生命保険大手4社は「全数把握見直し」のタイミングに合わせて入院給付金支払い対象を高齢者など重症化リスクの高い人に限定する見直しを行うことを発表したのだ。

■「具合が悪くても休めない社会」が戻ってくる

「全数把握廃止」の問題点は前回記事<悪夢のような負担が病院にのしかかる…現役医師がコロナ患者の「全数把握廃止」を深く懸念するワケ>に記したので参照されたいが、この入院給付金の支払い対象になるかの判断は、医療機関が行う届出の対象とするか否かの判断に大きく依存するものとならざるを得ない。つまり医療機関で「入院を要する可能性あるいは重症化リスクがない」と判断されてしまった人は保険金給付の対象からも外されることになるわけだ。

この選別にかかる業務負担と精神的ストレスは、今以上に医療機関を圧迫することになるのは間違いない。一番判断に困るのは、グレーゾーンの人の扱いだ。例えば「高血圧症」。すでに投薬加療されている人は「入院を要する可能性あるいは重症化リスクあり」の範疇に入ることになろうが、「過去に健診にて指摘され、要加療と判定されたまま放置していた」などという人は少なくない。

そのような人を対象外としていた後に、後日、「みなし入院」に対する保険金給付が認められなかったとの苦情が入らないとも限らない。そういう医療とは直接関係ない苦情や金銭トラブルに、医療現場が矢面に立たされることも十分あり得るのだ。

そして対象外とされた人は、具合が悪かろうがゆっくり休んでもいられず、少しでも収入を確保すべく一日も早く職場復帰せざるを得なくなるのである。

今回の「ウィズコロナ」戦略は、「医療機関の負担を軽減するため」「社会経済活動を円滑に回すため」との政府の思惑とは裏腹に、むしろ医療機関と社会経済活動に大きな混乱を巻き起こすことになるだろう。それだけでなく、国民のさらなる分断をも引き起こすことになるだろう。

ラッシュアワーの渋谷スクランブル交差点
写真=iStock.com/aluxum
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/aluxum

■感染制御と社会経済活動の両立とは口ばかり

政府や経済団体の推し進めようとしている「ウィズコロナ」は、いわゆる真の「ウイルスとの共存」とはほど遠い考え方だ。感染制御と社会経済活動の両立とは口ばかり。新型コロナウイルスが私たちにもたらしてくれた唯一の恩恵ともいえる「少しでも具合が悪い人は職場に来させず休ませよう」との意識を捨てさせ、再びコロナ禍以前の「具合が悪くてもゆっくり休むことさえ許さない社会」へと回帰させようとするものだ。

真に「ウィズコロナ」と言うのであれば、感染者には収入を気にせずゆっくりと十分な休息をとらせる政策こそが最重要だ。それは感染制御の観点からも理にかなっている。そしてそれこそが社会経済活動を円滑に回すことにもつながるのだ。これを真逆に推し進めようとする現内閣は致命的な過ちを犯そうとしていると言わざるを得ない。

このまま進めば、コロナ禍以前に冬になると繰り返しテレビから流れていた「カゼでも絶対に休めないあなたへ」との総合感冒薬CMのキャッチコピー、最近はすっかり目にしなくなったが、また似たようなCMが流れてくる社会に逆戻りしてしまうかもしれない。

「カゼ引くなんて自己管理がなっていないんじゃないか」
「カゼくらいで休まれると迷惑なんだよな」
「カゼ引いてお休みをいただき本当に申し訳ございませんでした」

こういう歪んだ社会への回帰は、「ウイルスとの共存」どころか“ウイルスの思う壺”だと思うのだが。

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木村 知(きむら・とも)
医師
医学博士、2級ファイナンシャル・プランニング技能士。1968年、カナダ生まれ。2004年まで外科医として大学病院等に勤務後、大学組織を離れ、総合診療、在宅医療に従事。診療のかたわら、医療者ならではの視点で、時事・政治問題などについて論考を発信している。著書に『医者とラーメン屋「本当に満足できる病院」の新常識』(文芸社)、『病気は社会が引き起こす インフルエンザ大流行のワケ』(角川新書)がある。

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(医師 木村 知)

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